肩かして ?
お読みいただきありがとうございます!健斗編はこのお話で終了となります。
次から夏休み編の一つである挨拶編になります。
朱音の家なので相変わらずなあの人登場予定。
今週の木曜から私達の学校でも期末テストが開始する。
そのせいだろうか? 次の授業までは十分程休憩時間だというのに、教室内ではちらほらと勉強をしているクラスメイトの姿が。
そんな中で私は次に始まる現国の授業のために、机からノートや教科書などを取り出し準備をしていた。だが、ふとある事に気づき途中で手が止まってしまう。
――……あっ、辞書。
授業で国語辞典を使う事になっているのを思い出したのだ。
そのため、さっと机の上に教科書などを纏めて立ち上がった。辞書類は室内の後方にあるロッカーへと収納している。
そのため、そちらへと向かおうとした時だった。
「露木さん」
という声が飛んできたのは。
「……え?」
それによって私は弾かれたように声がした黒板の方へと顔を向けた。
すると教壇の横を横切りこちらに向かっている豊島さんの姿が。その手には、手帳のような物が握られている。
良く見れば、それはスイーツ型のスマホケースのようだ。
彼女は規則的に並べられている机を縫うようにし、私の方へとやって来た。
それを眺めながら、私はわずかに眉を顰めてしまう。それは豊島さんの表情があまり優れないせいだ。
「何かあったの……? 豊島さん」
私の傍に佇んだ彼女へと尋ねれば「……うん」と、ちょっと歯切れが悪い返事が。
そのため、やっぱり何かあったんだなぁと受け入れた。
「さっき佐伯からSNSアプリでメッセージが来たんだ」
「佐伯さんから……?」
「うん。どうやら五王さんが友達と喧嘩したみたいなの。そのせいで、学校側から今日はテストを受けるような精神状態ではないだろうから早退するように言われたんだって。まぁ、要は頭冷やせって事らしい。明日からは普通に登校してテスト受けるみたいだよ」
「えっ!?」
予想もしていなかった内容に私の心臓が大きく跳ぶ。
いつも私なんかにも気を使ってくれている優しい匠君。
そのため、未だに彼が喧嘩したなんて信じられない。
「露木さん、五王さんの妹さんも知り合い? なんか、妹さんも一緒に早退みたいだよ」
「えっ!? 美智さんも?」
「佐伯からはそう聞いているよ。五王さんの妹って美人そうだよね」
「うん。綺麗で芯がしっかりとしている人だよ。匠君達、大丈夫かな……? どんな様子なのか豊島さん知っている?」
「ごめん。ちょっとそこまでは……佐伯も途中で引き離されたから五王さん達と会ってないんだって。放課後、五王さんの家に様子を見に行くみたいだよ」
「心配だから行ってみる。私なんかが行っても役に立つかわからないけれども……」
「私がこうして露木さんに伝えた事は余計なお世話なのかもしれない。でも、五王さんが今一番会いたいのは露木さんだと思うよ? だから、きっと行ったら喜ぶと思う!」
「うん。色々教えてくれてありがとう」
私は豊島さんにお礼の言葉を口にしつつ、頭の中は匠君達の事でいっぱいだった。
――匠君達が喧嘩で早退……一体何があったのだろうか?
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放課後。豊島さんの話を聞いた私は早速五王家へ。
急な訪問にも関わらず匠君のお祖父さんもお母さんも歓迎してくれたのがありがたい。
手土産の水ようかんを渡しながら、ちょっとだけ気になっていた匠君達の様子を尋ねてみた。
けれども、ますます状況が不透明に。
それは、「ふふっ。あの子、いま大人の階段を昇っている最中なの」と匠君のお母さんに微笑まれてしまったから。
――……大人の階段ってなんだろう?
私はそんな事をぼんやりと考えながら、磨き上げられた長い廊下を歩いていく。
匠君のお祖父さん達にご挨拶を終えた私は、その後匠君の部屋へ向かっていた。
ついさっきまで使用人の方が先導してくれていたんだけれども、今は私だけが一人奥へと進んでいる。
それは匠君が人払いをしているからだ。
そのため、私が行っても大丈夫なのかな? と思ったが、「是非、会ってやってくれ」と匠君のお祖父さんが。なので、私はその言葉に甘えることに。
匠君のお母さんも「朱音ちゃんなら問題ないから安心してね」と言ってくれたし。
今日は平年よりも気温が高いらしく、夕刻だというのに肌に纏わりつく空気が余計にじめっとしている気がする。
いつもは五王家の中では匠君や美智さんが一緒。だから、こうして一人で屋敷内を移動するという事が初めて。
そのため、不安が過ぎってしまっていた。広い屋敷内で迷ったらどうしようって……
しばらく歩くと目の前に広大な庭が広がった。どうやら突き当りに出たらしい。
そこは私が五王家でよく見る景色。ここまで来れば匠君の部屋はすぐそこだ。
左右に別れる廊下を右へと曲がろうと体の向きを変えかけた時、ふと視界の端映し出された人物を捉えてしまい私の瞳は大きく見開いてしまう。
それは視線の先にある等間隔で設置されている廊下の柱。その一角に目が釘付けになったのだ。
「……匠君だ」
柱に凭れ掛かるようにして彼が座っている。柱の陰に隠れて全身は完全に見えないがすぐにわかった。
――なんだろう? 匠君の周りに何かあるみたい……
彼が座っている周辺には骨やヌイグルミなどの犬用のおもちゃが置かれていた。もしかしたら、シロちゃんのだろうか?
ふとそう思ったので私は辺りを見回すが見つけられず。
「匠君!」
私はすぐに唇を開き彼の名を呼んだ。
静寂の中に広がった声音。
どうやらそれはちゃんと彼の元へと届いたようで、「え」という声と共に匠君が身体を少し後方に倒しこちらへと顔を向けた。
大きく目を見開きながら、口をぽかんと開けている匠君。
やがて、大きく瞬きを繰り返すと、「朱音っ!?」と私の名を叫んだ。
「うん。急に来ちゃってごめんね」
そう言いながら足を進め、私は匠君との距離を縮めていく。
「電話かメッセージ送れば良かったかな? って、匠君の家に着いてから気づいちゃって……」
「いや、全然構わないよ。朱音ならいつでもうちに来て。でも、どうしたんだ? テストもうすぐなのに」
「豊島さんに聞いたの」
そう告げれば、匠君は察したのか「あぁ」と呟き苦笑いを浮かべた。
「……尊か。学校が終わってから臣達と一緒にうちに寄ってくれたよ」
「あのね……私あまり役に立たないけれども、愚痴とか話なら聞く事出来るかなって思ったの。いつも匠君にお世話になってばかりで何も返せていないから……」
「返す必要なんて何もないよ。俺は見返りを求めて朱音と一緒にいるわけじゃない。俺が一緒にいたくているだけだ。でも、来てくれて嬉しいよ。あっ、部屋の方がいい? 暑いよな、ここ」
「ううん。ここで大丈夫だよ」
「なら、少しだけここで話そう」
「うん。隣、いい?」
そう尋ねれば、「どうぞ」と笑顔でトントンと隣を手で叩く匠君。
私は彼にお礼を言いながら、隣へと腰を下ろした。
「庭を見ていたの?」
「眺めていたわけではないんだ。ぼうっとしていたというか……なんだろうな? なんか、色々考えていた」
「そっか……」
私はそう返事をすると、庭へと顔を向ける。
相変わらず素敵な庭だ。観光地で見学に行くような日本庭園みたい。広大で細部まで手入れが行き届いている。
中央にある池をより引き立たせるように周りの木々の剪定も細かく計算しているのだろう。まるで一つの絵画のように美しい。
「あのね、匠君。私に出来ることがあったら何でも言ってね……?」
そう言葉を発しながら隣にいる彼の様子を窺う。
いつもと違ってその表情がほんの少し陰りを帯びているような気がする。
「……じゃあ、言葉に甘えようかな。頼みがあるんだけれどもいいか?」
「うん」
「肩を貸して欲しいんだ」
「え? 肩?」
想像もしていなかった匠君の申し出に私は小首を傾げる。
――そう言えば匠君はずっと柱に身を預けるようにしていたっけ。だから、体が痛くなっちゃったのかもしれない。
「うん。大丈夫。いいよ」
「ありがとう」
その言葉と共に左肩に感じる重み。
今日は気温が高いので髪を一つに纏めて結っている。そのため、顔や首周りが剥き出しに。
そのせいで首筋に当たる匠君の髪が少しくすぐったい。
光を浴びオレンジに近い色合いになっている絹糸のような髪は、なんとなく夕日を思い出す。
温かいあの色で町全体を優しく包み込んでくれる夕日は、匠君や美智さんと似ている気がする。
匠君達と一緒にいると、彼らの優しさに触れ心の温度が高くなっていく。
けれども、その分別れ際が寂しい。
一日の終わりを迎える夕刻の風景のように少し哀愁が漂う。きっと匠君達と出会う事がなければ、知る事が出来なかった感情だ。
……本当に私には勿体ない人達。私はきっと何度でもそう思うだろう。
「今日さ、色々あったんだ。内容はあまり言えないけれども健斗と喧嘩した」
匠君が喧嘩した事にも驚いていたが、まさか相手が健斗さんだったなんて。
彼とは水族館で一度会っただけ。
仲が良さそうな雰囲気で喧嘩するような間柄には見えなかった。
健斗さんの方も女の子達に囲まれ、どちらかと言えばわいわいと集団で楽しむようなタイプで血気盛んなタイプではなかったと思う。
「俺さ、初めて感情に任せて人を殴ろうとしたんだ。結果的には臣達が止めてくれて未遂だったけれども」
「匠君が殴ろうとしたの……?」
「あぁ。それぐらいに健斗の発言は許せなくて……」
「……うん」
「でも、お爺様や臣達に言われた通りだと思う。結局俺が殴っていたら折角守ろうとしたものを自分で壊す所だったんだ。そんな事にも気づかないなんて馬鹿だと思ったし情けなかった。俺さ、早く大人になりたい。そうすれば、強くなって大切な人を自分で守れるから」
大人になりたいという匠君の言葉。それを聞き胸に棘が刺さったかのような感覚に。
心がざわめく。まるであのカフェの時のようだ。
――……まただ。なんだろう。これ……?
突如襲ってきた不可解で言葉に出来ない感情。それに私は不安が過ぎったが、今は自分の事よりも匠君のことが優先。そのため、私はそっとそれに蓋をした。
「仲直りはまだ……?」
「お互い謝罪はしたよ。けれども、根本的な解決はまだだな。あまり話をする時間が無くて。健斗、四国のお祖父さんの寺に行ったから。あいつが戻るのはおそらく新学期になると思う」
「え? お寺?」
「あぁ、頭をバリカンで刈られて坊主になった」
「坊主っ!?」
健斗さんのイメージと全く結びつかず私の声が裏返る。
「もしかして健斗さんは匠君と喧嘩したから出家するの……?」
そう尋ねれば、匠君が噴き出して笑い始めてしまう。肩を震わせているため、その震動が私にも伝わってきた。
「ごめん。そう思うよな。夏休みの期間だけだよ。隼斗から聞いたんだが朝は四時半起きだってさ。掃除とか読経あるから。スマホ取り上げられて山の中にたたずんでいる寺で精神修行」
「修行……」
「健斗のお爺さんは嬉しそうだったよ。一緒に暮らせるって」
「そうな……――」
耳朶に届いてきたとある音。それにより私は意識をそちらに奪われ言葉尻がどんどん弱まってくる。それはドタドタと廊下を強くかけてくる音が原因だ。
「あれ?」
それは左側から近づいてくる。そちらへと体を向けたいが、匠君が肩に凭れ掛かっているのでちょっと難しい。
……と思っていると急に左肩が軽くなった。どうやら匠君が身体を起こしたらしい。
「多分シロだな。きっとまた玩具を持って来たんだろう」
匠君の言う通り、さっそうと姿を現したシロちゃんは口にロープのような物を咥えていた。
少し慣れてくれたのか、シロちゃんは私の方を一瞥した後、口に咥えていた物を匠君の傍に置くとそのまましゃがみ込んだ。
「これやっぱりシロちゃんが?」
私は周りにある玩具を一つ掴むと匠君に尋ねた。
「あぁ。全部シロのお気に入りのおもちゃだ」
「もしかして、匠君を元気づけるため……?」
「俺? あぁ、そういう事か。遊んで欲しいのかと思っていたけれども、すぐにいなくなって新しい物を持ってくるから疑問だったんだ。なぁ、シロ。お前、俺の事を慰めてくれていたのか? 可愛いな」
匠君はそう言いながらシロちゃんの事を両手で顔を挟むようにわしゃわしゃと撫でれば、シロちゃんは嬉しそうにふわふわの綿毛のような尻尾を振っている。
円らな瞳をキラキラとさせ、匠君をじっと見ているシロちゃん。凄く可愛い。
「シロちゃんは匠君の事が本当に好きなんだね」
第三者である私がついそう口にしてしまうぐらいにシロちゃんは匠君に懐いている。
動物の言葉はわからないけれども、そうはっきりと言えるぐらいにシロちゃんの態度などによって明確に判断出来た。
「……朱音は?」
「え?」
「お、おっ、俺の事好きか……?」
「うん。匠君も美智さんも好きだよ。五王家の人々も!」
「ごめん。なんか自分で聞いておいてすげー恥ずかしい」
匠君はそう言いながら顔を覆ってしまった。
「あ、ありがとう。今はそっちの好きでも十分嬉しいよ」
「そっちの好き……?」
「なんでもない。気にしないでくれ」
「うん」
「シロ、ありがとう。お前と朱音のお蔭で元気出た。テスト終わってからいっぱい遊んでやるからな」
「ワンっ!」
シロちゃんは一度大きく吼えると、傍にあったお気に入りの玩具を咥え匠君へと差し出した。




