五王の屋敷
図書館でチーズケーキと珈琲を御馳走になりながら、夕刻まで本を沢山読むことが出来た。
読み終わらなかった本と読みたい本を数冊借りた後、匠くんが呼んでくれた車に乗せて貰って五王のお屋敷へ。
車内で「家にいっぱいあるなら、どうしてお家で読まないの?」と尋ねたけれども、「恥ずかしいだろうが!」と何故か逆切れされてしまう始末。
そのため、最初は作者が匠くんかな? と思ったけれども、私と同じ年のためその推測は却下。
なので、消去法で残された彼の家族という可能性。それが妥当だろう。
そんな事をぼんやりと頭の片隅で考えていると、図書館から十分もかからずに到着。
広大な敷地内はぐるりと塀で囲んであり、そこに五王の屋敷はあった。
建物は日本家屋風の平屋で奧を全く感じさせないぐらいに大きい。流石は歴史ある家柄だ。
車を降り、砂利を踏みしめ歩いて玄関前へ。
「何か嫌いな食べ物とかアレルギーとかあるか?」
「大丈夫」
「そうか」
匠くんが頷き玄関の戸を横に引けば、ちょうど人と鉢合わせしてしまった。
椿の着物が鮮やかな、漆黒の長い髪を持つ少女の後ろ姿。
背筋も伸び、凛とした佇まいの彼女はそれだけでも美しく、漂う気品が伝わってくる。
その人はゆっくりとこちらを振り返ると、驚愕の表情を浮かべた。
まるで幽霊でも見るかのように、紅色の唇を薄く開き戦慄かせている。
極限まで開かれた黒曜石の瞳は私を捉えたまま。
モデルのように綺麗な顔の少女は、私の隣に佇んでいる人と似ている気がした。
――もしかして、妹さんかな?
とにかくお邪魔する身だ。ご挨拶をした方が良い事には変わらない。
そのため、私が会釈をしかけると、
「お、お、おおおお兄さま、じょせ……」
と言葉にならない台詞を発しながら後退る。
そして下駄を投げ捨てるように脱ぎ、磨き上げられた艶々の廊下へと飛ぶとそのまま全速力で疾走。
玄関のたたきには、靴飛ばしでもしたかのように無残に取り残さた下駄が。
それを使用人達、それから彼女の傍にて控えていた執事服を纏った青年が、ただ茫然と見送っている。
「おい、国枝。美智が行儀悪く激走して行ったがいいのか? きっとあの勢いのまま、お爺様――当主の部屋の障子をブチ破る勢いで開けるぞ」
「それ、困ります! 俺、減給じゃないですかっ!」
そう言って国枝さんは慌てて靴を脱ぎ捨てるようにして、廊下へと駆けていく。
無論、残されたのは下駄と同じような有様の残骸。
「主が主なら、従者も同じだな。靴ぐらいちゃんと脱げ。揃えろ」
嘆息を零す匠くんの隣で、私は不安で仕方なくなった。
もしかしたら、お邪魔だったんじゃないかって。
「あの……私…やっぱり……」
「悪い。煩いだろ。さっきのは妹。うち、こんな感じなんだ。さぁ、どうぞ?」
それでもなかなか足を踏み出さない私に業を煮やしたのか、肩に手を添え匠くんが促してくれた。
案内されたのは、立派な掛け軸のかけられた和室。
開け放たれた障子からは、庭園のような池付きの庭が窺える。
室内の上座には、着物姿の初老の男性が座っていた。
その左右には、先ほどの美少女・美智さん……匠くんの妹さんと和風美人の女性が。
この方も匠君と似ているので、もしかしたらお母さんなのかもしれない。
落ち着いた渋めの着物を纏い、視線が絡むと春の陽だまりのように微笑んでくれた。
「お爺様。友人を夕食にお誘いいたしました」
「ほぅ」
匠くんのお祖父さんは顎に手を添え、私へと視線を向けている。
頭の先からなぞるようなそれに、私は失礼にも顔を俯かせてしまう。
治したい私の癖。
妹を紹介すると、いつもじろじろ見られて比べられてしまうから。
だからこういう視線が苦手なのだ。
「朱音の事、あまりじろじろ見ないでくれませんか?」
それに気づいたのか、匠くんがやんわりと断ってくれた。
「すまないな。匠が女性を家に招くなんて初めてだからつい。朱音さん。ゆっくりと寛いでいってくれ」
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
このような場所に、私がいてもいいのだろうか。そう頭のどこかで今も思っている。
服装も図書館に行くつもりだから、Tシャツにデニムというラフ過ぎる恰好。
こうなるのがわかっているなら、もう少し服装に気をつけたのに……
「それで、早速だけれども二人の馴れ初めは?」
「母さん!」
「あら、いいじゃないの。気になるわ。何処で出会ったの?」
妖艶な笑みを浮かべている匠くんのお母さん。意味深な瞳で匠くんを一瞥。
……かと思えば、にやにやと口元を綻ばせている。
それは、美智さんも同じ。
二人共なんだか面白がって匠君をいじっているように窺えるけれども、気のせいだろう。
五王という雲の上のような身分の方達なのだから。そんな事をするはずがない。
「今日、図書館でお会いしたばかりですので、知り合ってまだ数時間です。偶然借りようとしていた絵本を匠くんが持っていたのが切っ掛けです……」
「まぁ、絵本」
「はい。ウサギの冒険という本です」
そう告げれば、何故か辺りを静寂が包んだ。
全員視線をそっと逸らし各々どこか遠くを見始める。
かと思えば、「え」という鈍い呟きが三つ漏れ綺麗に重なった。
「……あの絵本をどうして読もうと思ったの?」
どうして? という言葉に少し引っかかりを覚えたものの、私はそれをすぐに忘れ口を開く。
「はい。好きな絵本なんです。昔持っていたんですが、今はもう……」
「そう」
匠くんのお母さんは、ふふっと口元に手を添え、笑い声を漏らし始めてしまう。
お祖父さんに至っては「ほぅ、あの絵本が好きなのかぁ」と感嘆の声を上げ、美智さんは背を反らしながら肩を震わせている。
「あの……私、何か……?」
「いいえ。あの人が聞いたらどう思うのかしらってね。ふふっ。あの絵本を好んでくれてありがとう。あの作者は、匠の父親よ」
「えっ!?」
視線を匠くんへと移せば、苦笑いされた。
「元々は匠と美智に手作りの絵本をプレゼントしたんだけれども、気に入られなくて……無理もないわ。あの絵ですもの。うちの子達は気に入らなかったけれども、きっと他の子供達には大人気だって言い張って自費出版。その結果として返品の山が家にあるわ。あっても困るので、一部は図書館に寄贈しているの。だから、夫が帰ってきたら伝えてあげて。きっと泣いて喜ぶわ」
「はい」
だから匠君は恥かしいって言っていたのか。お父さんに見せてと告げるのが。
なんだか微笑ましくなって、私は匠くんへと視線を向けて微笑んだ。




