もしかして健斗の…?
匠視点
あの後、駆けつけた先生に誘導され俺と美智、それから健斗は生徒相談室へ。
相談室は第一から五まであり、俺と美智が第一。そして、健斗は第二と各自事情聴取。扉の外では先生が見張りをし、俺達の逃走・接触を禁じている。
臣達も事情を説明してくれたのだが、先生達も当事者である俺達から直接話を伺いたいという事で一通り説明した。
その後、理事長と先生達が下したのは、『友人達の軽い喧嘩』のため今回の騒動は処罰なしという判断。
けれども、そのままテストを受けるような精神状態ではないので、今日は保護者の迎えを待ち早退。明日より通学しテストを受けるようにとのこと。
表向きはお咎めなしだが、実際は今日は帰って頭を冷やせという意味だろう。現に保護者呼び出し中。
そのため、俺と美智は相談室にて屋敷から迎えが来るのを待っていた。
――……父さんの話だと何かあったらお爺様と言っていたよな。迷惑をかけてしまった……
ソファに身を預けていた俺は深い嘆息を零すと頭を抱える。
そんな俺の隣で扇子を少し広げては閉じるという動作を幾度も繰り返している美智の姿が。
扇子を動かすたびにパチンパチンという木々が合わさる小気味の良い音が室内に響き伝わっていた。
室内は比較的シンプル。
応接セットや壁に飾られた額縁に入った校章などが見受けられるのみ。
生徒指導室などのような教室とは違い、ここには電話や教育資料の収納された本棚すらない。
「納得出来ませんわ。今回の件を友人達の軽い喧嘩で済ますだなんて……!」
美智は、顔を歪めながらそう吐き捨てるように口にした。
「六条院としては大事にはしたくないんだろ。五王家の名は大きい」
「それを見逃す代わりに健斗様の事も見逃して欲しいという事ですわね。羽里の方も歴史ある家柄。それに両家共にかなりの額の寄付金を積んでいますものね。揉め事は両家のためにも学校のためにもプラスには働かない。それぐらいわかっておりますわ。ただ、納得出来ないだけです。まだ朱音さんへの謝罪がありませんから」
美智は一気にまくしたてるように告げると、振り返って後方にある壁を睨み始める。
落ち着いたクリーム色のそこは、健斗がいる第二とこの部屋を隔てている壁だ。
「……俺さ、どっかで健斗は大丈夫だって思っていたんだ。健斗は友人だからって。でも、実際あんな風になって自分の甘さを思い知った。もっと深く考えて行動するべきだったんだよな。俺にとって最も優先するべき人のために」
また自然と嘆息が零れて視線が俯いてしまう。
朱音の事を一番に考えるべきだった。
カフェで朱音にプロポーズしたくせに、実際は駄目な自分のままで口だけの男となってしまっている。早く大人になって朱音を守らなければならないのに……――
「俺はなんて情けないんだろうな」
「……お兄様」
眉を下げながら美智が俺の肩に手を添え、様子を窺うように顔を覗きこんだ時だった。左手奥にある扉からノック音が伝わったのは。
するとすぐに、「匠さん、美智さん。保護者の方がお見えになりましたよ」
という先生の声が室内へと届いた。
そのため、俺達は一斉に弾かれたように顔をそちらへと向けた。すると、重厚なモスグリーンの扉がゆっくりと開かれ担任の先生と祖父の姿が現れた。
「お爺様……」
その姿を確認し、俺も美智も立ち上がる。そんな俺達に対し、視線が交わると祖父は穏やかに微笑んだ。かと思えば、祖父が先生へ何か話しかけた。するとすぐに先生が祖父に一礼し立ち去ってしまう。
「久しぶりの呼び出しは懐かしいな。学校からの連絡を受け、お前達の身に何かあったのではないかと最初は心配だったが無事で何よりだ」
そう言いながら室内へと足を踏み入れる祖父。
「申し訳ありませんでした。わざわざご足労をかけてしまって……」
「申し訳ありませんでした」
深く頭を下げる俺達に「二人共顔を上げなさい」という声が届く。
それに俺達はやや間をあけながらも体を起こす。
「私への謝罪なら不要。可愛い孫達の事だ。それに事情もちゃんと学校から伺った。朱音ちゃんの件だと……ならば尚更、匠や美智が謝罪する必要も理由もないではないか。それに呼び出しは光貴で慣れているから問題ない。しかも、あいつの場合はどうしようもないくだらない理由ときた。未だに何故校舎の二階から流しそうめんをやろうとしたのかわからん。みんなで設計図まで作って本当に何を考えていたのか……」
そう言いながら祖父は苦笑いを浮かべた。
やはりあの張り紙は父の事だったのか。
ぶっ飛びすぎてあの人の高校生活はやはりカオスだと改めて思う。
「だが、わしから一つだけ注意しなければならない事がある。それは暴力を振るおうとしたことだ」
「ですが、お爺様! あれは健斗様が……っ!」
「わかっておる。だがな、わしは感情的になって暴力を振るうのは良くないと思っている。勿論、自分や大切な人が命の危機に陥りそうな時はまた話が別だ」
「ですが、健斗様は何も裁きなし。それはよろしいのですか? 朱音さんをよく知らないくせにあんなに好き勝手に」
「いや……そうは言ってはおらぬ。感情的に暴力を振るえば振るった方が悪くなってしまう。今回は臣君達が止めてくれたが、殴っていたら退学か停学。そうなった時に一番悲しむのは朱音ちゃんだ。自分が原因と知ったら、きっと自分の事を必要以上に責めるだろう。だから、気をつけなければならない。守らなければならない大切な人を自分が傷つけてどうするんだ」
そんな祖父の言葉が俺の胸に深く突き刺さった。
確かにそうだ。きっと朱音は自分の事を必要以上に責めるだろう。
臣達は朱音に黙ってくれていると思うが、どこから漏れるかわからない。それこそ、琴音から聞くかもしれないではないか。
「今度から冷静に対処しなさい。使えるものは使ってもいいんだ。五王の名すらも――」
祖父は俺の肩に手を添えると、ポンポンと軽く叩く。
その言葉に対して、俺はすぐに返事が出来ず。
どうしても躊躇いが生じてしまうのだ。
それは五王の力を振りかざすことに対する抵抗や自分で朱音を守りたい……そんな色々な考えを含んだ不安定な感情。
だが、その一方で自分で朱音を守るには力が圧倒的に不足している事も理解していた。
「わしも使った事がある。一度だけ。私利私欲のために五王の名を」
「まぁ! お爺様が……? どのような事柄で?」
そう美智が尋ねれば、祖父の顔はまるで熟したトマトのようになってしまった。
そのため、俺も美智も「え」という間の抜けた声が漏れてしまうはめに。
――待ってくれ。一体どういう事だっ!? 何故、そこで赤面っ!?
ここは突っ込んだ方がいいのか? それともスルーした方がいいのか?
どうしていいのかわからず戸惑う。
――もしかして、お婆様のことだろうか? 確か出会いは祖父が身分を隠して子会社で下働きをしていた時だったはず。
「……まぁ、でも使えるものは使うというのは良い案ですわね。使わなければ損という言葉も聞きますし」
美智は顎に手を添え始めると何か思案し始める。
どうやら祖父のことは追求しないことにしたらしい。
「そうですわ!」
急に顔をぱーっと明るくし、美智は両掌を合わせパチンと音を奏でた。
「学校が処罰を与えないのでしたら平和的な復讐をしましょう」
「待ちなさい、美智。平和と復讐は相対していないか……?」
「ふふっ。お爺様。問題ありません。だって、元々は彼が巻いた種。あんな場所で私に一方的に苦言。お爺様の言う通り、使えるものは使うべきですわ。そう、例えば……――」
言葉尻を弱めると、美智は体の向きを変え自分の左腕を俺達へと見せた。
制服からのぞく腕は普通だが、ちょっと気になるのは少し赤くなっている部分。
「もしかして、健斗が掴んだ所か?」
「えぇ。あの大衆の面前で私の腕を掴むというフラグを立てて下さいました。噂は広がる。良い噂も悪い噂も」
「フラグ……?」
「えぇ。お兄様。私の呼名をご存じ?」
「あぁ、六条院の麗しき女王だろ。それがどう……あぁ、そうか。そういう事か」
俺が頭に浮かんだのが答えだとばかりに美智は口角を上げる。
美智は六条院の麗しき女王と呼ばれ男女問わず人気。
つまり、健斗は美智ファンを敵に回したのだ。
特に男。美智に触れたとなれば確実にその対象者は恨まれ目を付けられる。
だが、これだけでは弱い気がする……――
「ねぇ、お兄様。火薬は火薬のままでしたら爆発など致しません。ですが、雷管などを使用し点火させてしまえばどうなるのでしょうね?」
「……お前、何を考えているんだ?」
「ふふっ。朱音さんの仇は討ちますわ。勿論、健斗様が反省していない場合ですが」
美智はそう言葉を紡ぐと不敵に微笑んだ。
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「では、先生。私は、孫と屋敷に戻ります。この度は孫が迷惑を。これからも指導をよろしくお願いします」
「わざわざご足労頂きありがとうございます。下まで見送りを……」
「いいえ、お気遣いなく」
廊下に佇んで第一と第二を監視していた先生に向かって祖父が挨拶をしている。
その光景を視界の端に捉えながら、俺は第二相談室とプレートが掲げられた部屋が気になっていた。
――確かに祖父の言う通り、感情的に任せて殴ろうとしたのは悪かったよな……
そんな事を思っていると、突然「ギャー」という鴉の鳴き声のような叫びが扉越しに飛んできた。
「え?」
「……今のなんですか?」
明らかな異常事態。そのせいで全員すぐ傍にある第二相談室の方へと勝手に足が向かう。先に扉を開いたのは先生だった。
「何事ですかっ!? ……あっ」
広がる視界には、地べたにまるで縫われるかのように仰向けになっている健斗。しかも、その髪の一部分の髪が刈られているという状態。
そしてそんな健斗の上には馬乗りになっているガチムチの和服姿の男性が。
深く刻まれた皺や貫録のあるその顔立ちにより、年齢は祖父と近い気がする。
頭は綺麗に剃り上げられていたので、お坊さんかもしれない。
それよりもまず俺が気をとられたのは、その人が手にしているバリカン。
購入したてなのか、家電量販店の袋とバリカンの箱がテーブルの上に置かれている。
「え? もしかして健斗の……?」