大丈夫と願いたい
匠視点
六条院生は殆どが車通学。
大抵、屋敷に抱えている運転手によって車での送迎となっている。
きっと中には電車やバスに乗った事もない生徒もいるだろう。
勿論、それぞれの家の教育方針によって違ってくると思うが……
うちの母も生粋のお嬢様。なので、公共交通機関は利用した事がない。
おそらく、切符の買い方もわからないだろう。
なんせ、良家の箱入り。ずっと女子高育ちの上に、高二の途中まで身内以外の男と接触する機会がなかったレベル。ちなみに、祖父と叔父達の手によってだ。
どこの馬の骨かわからぬ男に娘(妹)は渡さぬと害虫駆除に勤しんでいたらしいが、それに手を出したのが父。当時の事は聞いた事はないけれども、絶対にヤバかったと思う。
俺と美智は父が一通り自分で出来るようにという教育方針を持っているため、色々と経験をさせられる。
そのため、バスなどの公共交通機関も問題なく利用可能。
それに金銭感覚を磨くようにとバイトも強制。俺も去年の夏休みに初めてバイトをした。
これは祖父の代からの決まりらしい。五王という苗字は珍しいため、偽名を使ってだが。
――そう言えば、今年は美智がバイトなのか?
俺は車内からいつも通りの通学風景を眺めながら、ぼんやりとそんな事を思っていた。
すると、隣りに座っている美智の声が耳朶に届き、意識をそちらに向ける。
「お父様」
美智の視線は前方の運転席へ。
そこには五王家お抱えの運転手の灰澤さんの姿ではなく、父の姿が。
そして、今現在乗っている車もいつもの父が所有しているものだ。
「ん? どうしたんだい?」
「無理なさらないで下さい」
美智が淡々とそう告げた。
それはきっと俺達の送迎のこと。
父は仕事が休みというわけではなく、これからシンガポールへと向かう予定。
そのため、六条院経由では空港は遠回りとなってしまうというのに、わざわざ俺達を送ってから真っ直ぐ空港に行く。俺達と時間を共有するために……
そんな負担をわざわざ背負わず、もっと自分のために時間を使ってくれと言いたいのだろう。
「あぁ、美智の言う通りだ。父さんが忙しいのは俺達も十分理解している。もう子供じゃないから我が儘言って困らせないさ」
仕事で多忙な父。幼き頃は寂しかったが今はもう高校生。
そのため、現実として受け入れているため平気だ。
「行かないで」と泣いて縋りつく年齢はもう俺も美智も越えている。
そして、五王という名の大きさと重さも理解していた――
祖父が会長として会社に名を残しているが、殆ど父が動かしているため家にいる時間は少ない。
けれども、そんな中でも俺達のために時間を割いて一緒に過ごそうとしてくれている。
例えば、今のように学校までの送迎などをして。
この後もスケジュールがキツキツのはずだ。
そのまま空港へ向かい、長期出張でシンガポールへ飛ぶ事になっているので。
そのため、しばらく日本を離れる事になり、俺達家族ともしばしお別れ。
戻るのは俺達が夏休みに入ってからになるだろう。
「別に無理はしてないよ。僕がしたいと思って勝手にしているんだからさ。それに、こうして君達と一緒に過ごせるのも限られた期間だけじゃないか。あっという間に大人になってしまう。だから余計に今が大事なんだ。それよりもうすぐ夏休みだけど、どこか行きたい所あるかい? 家族旅行以外で」
「確かにもうすぐ夏休みだ。だが、その前に期末テストという問題があるんだが……」
「えぇ。しかも、その肝心のテストが今日からですわ」
「あっ、そうだったね。テストが先だった。そうそう! テストで思い出したけど、先日うちに来ていたんだって? 朱音ちゃん。人見知りのシロと仲良くなれそうだって聞いたけど」
「あぁ。シロが珍しく自主的にやってきたんだよ。朱音の事が気になっていたんだろうな。朱音も動物好きみたいで珍しくシロに対して積極的だ」
「良かったね。シロが犬で」
「おい! それどういう意味だっ!?」
「それで? 朱音ちゃんも今日からテストなのかい?」
「木曜だ」
「じゃあ、夏休みも少しずれるのか」
「あぁ、六条院よりも榊西がちょっと遅めに入る」
六条院は今日からテスト開始。うちの学校は基本的にはどんなに成績が悪くても追試も補講もない。
だが、全員もれなく総合順位と点数が張り出される。
そのため、家のメンツがあるので全員必死に勉強をする。
その事を尊が豊島さんに話したら、「全員の点数公開!? なにそれ恐ろしい」と言われたらしい。
どうやら榊西では成績は貼られず、各テストの点数と順位を自宅に郵送されるようだ。
「しかし、匠も美智も偉いよね! 二人共いつも首席だなんて」
「一応、五王の人間だからな」
「えぇ」
「気にしなくてもいいのに。僕が君達の時は全く気にもとめなかったよ」
「そこは気にとめてくれ……」
「でもさ、本当に五王という重みは忘れて欲しいんだ。僕は君達に五王の名に縛られて欲しくないからね。高校生なんて限られた時間だよ? 好きな事や、やりたい事をやって欲しい。僕の高校生の頃なんてフリーダムだったよ! あっ、聞きたい? 僕の高校生活」
「結構ですわ。あまり良い予感が致しませんもの」
美智の言葉に、俺は同意するために首を縦に動かす。
絶対に碌な事はしなかったんだろう。それは祖父や前学園長の言動でなんとなく理解出来る。
「でもさ、真面目な話だけれども、君達がやりたいならちょっと無理そうな事でもチャレンジしてみて欲しいなぁ。五王の家の事は一回置いておいてさ。君達がやりたい事をして、もし周りに迷惑をかけてしまったら僕が責任を取るよ。君達の親だからね。それに僕も君達のような年の頃には、お父さんにそうして貰ったから」
「父さん……」
「お父様……」
時々暴走してテンションが高くなってしまったり、朱音の事で俺をいじるけど、ちゃんと俺達の事を考えてくれているのはわかっている。今もこうして時間を作ってくれたりと、色々と行動によって滲み伝わっているからだ。
朱音は「匠君のお父さんは理想」と言ってくれているが俺もそう思う。
……ただし、暴走してない時限定だが。
「懐かしいなぁ。あの頃はお父さんやお母さんがしょっちゅう春ノ宮家に謝罪に行っていたんだよなぁ」
「なんで途中まで感動系だったのに、どうしてそっち方向に行ったんだ!?」
春ノ宮家とは、母の実家だ。
そこに度々謝罪しに行かなければならなかったって、一体何をしでかしたのだろうか……
やはり、箱入り娘に手を出したのが相当ヤバかったのか?
そういえば、春ノ宮の祖父と父の仲は微妙だった事を思いだした。
犬猿の仲というわけではないが、一方的に祖父が威嚇する肉食動物のような態度を取っている気がする。
「僕はこれから出張で家を離れてしまう。その間、何かあったらお父さんに対処して貰えるように頼んであるからね。例えば、君達が学校から呼び出しをくらった時とか。安心していいよ。学校からの呼び出しにもお父さんは慣れているから!」
「待てっ! 慣れさせたのは誰だっ!?」
「お爺様達の気苦労が……」
やっぱり、父の高校生活はカオスだと俺は改めて思った。
+
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――……これ、父さんがやったんじゃないだろうな?
学校へ着いた俺と美智は真っ直ぐそれぞれの教室へは向かわず、大掲示板の前にて佇んでいた。
昇降口付近にあるせいか、すぐ後方には川の流れのように生徒の気配が窺える。
掲示板は各学年用にそれぞれあるのだが、この大掲示板は一年から三年までの全学年の連絡事項が確認できる仕様。
基本的には六条院ではメールにより生徒や保護者へと連絡を行うが、こうして紙面でも行っているのだ。
俺達はマグネットで止められているプリント類のうち、全校生徒共通のスペースの前に。
何がそんなに気になるかと問われれば、一枚のプリント。
そこに記載されているのは、『もうすぐ夏休みですが、気をしっかり引き締めて下さい。くれぐれも流しそうめんやスイカ割りなどは校内で行わないように』
という学校からの連絡事項。
「以前から思っていたのですが、この流しそうめんやスイカ割りなどは誰かが行った可能性が高いという事ですわよね? このようにわざわざ忠告しているということは」
「あぁ」
「まさか、これはお父様が……」
「言うな」
確かめたくもない。学生時代の父の様子をうすうす気づいているので、これを行なったのが父だと言われても不思議ではない。むしろ納得。
――五王の名関係なしにやりたかった事って、まさか流しそうめんとスイカ割りだったのかっ!?
そんな事を考えていると、ふと背後から「おはよう匠。美智ちゃん」という声をかけられてしまう。
それが馴染みのある声であったため、俺と美智は警戒心を抱く事無く笑みを浮かべて振り返った。
するとそこには、臣と隼斗、それから尊の姿が。
「まぁ! おはようございます」
「おはよう。珍しいな。朝に三人揃うなんて。臣と隼斗は時々一緒に通学している時があるけど、尊はなかなか無いよな」
「自転車か電車通学だからな。今日は車だからこの時間になったんだ。テスト勉強で寝坊して……」
そう言って尊は肩を竦めた。
「それより何か気になる連絡事項でもあったの? 二人共、掲示板に釘付けだったからさ」
「あぁ、それなんだけれども……――」
と、タイミングよく俺の言葉に覆いかぶさるように、「あれ~? 珍しいね。みんな揃っているなんて!」という物凄く羽のように軽い言葉が耳朶に届く。そのため、全員の視線は斜め後方にある昇降口方向へ。
するとそこには、健斗の姿が。しかも隣には琴音も。
――おい。まさか、一緒に登校して来たんじゃないだろうな?
僅かに胸に過ぎった不安。
それに対して俺は嫌な予感がした。
「……あらぁ」
そうぽつりと呟いた美智。その瞳は完全に琴音を捉えた。かと思えば、笑みを浮かべ始める。
それは全く感情を伴っていない。要するに作り笑いというものだった。
それを目にした琴音の顔色も変化。びくりと大きく肩を動かすと、すかさず「すみません、先に行きますね」と隣にいる健斗へと告げた。そして、こちらに会釈をすると、俺達の横を通り過ぎ人々の流れに混じり合う。
「健斗……」
嘆息交じりの臣達の声音が静かに健斗を包んだ。
ちゃんと健斗には朱音の事情を話している。
これ以上琴音に深入りしてしまわぬように。
勿論、俺には「琴音と仲良くするな」と健斗を束縛する権限はない。
なので、自分で考えて行動しても構わないという事も合わせて告げていた。
――でも、さすがに大丈夫と思いたい。健斗だってちゃんと見る目ぐらいあるはずだ。今回も一緒に登校とかではなく、たまたま偶然出会っただけかもしれないし。
だが、そんな淡い期待も次の言葉で虚しく砕けちってしまう。
「駄目だよ。美智ちゃん」
健斗が告げたその台詞。それはまるで子供を諭すような声音。
「え?」
あまりの突然の出来事に、美智は目を大きく見開いている。
「琴音ちゃんに聞いたよ。あまり酷い事言わないで欲しいな。琴音ちゃん良い子だから、何を言われたか発言はなかったけれども。でもさ、きっと美智ちゃんの言葉がきつかったと思うよ」
その健斗の無責任な発言に、この場にいた全員が固まった。