夏が見せた幻…じゃないっ!?
匠視点
「お兄様っ! 夏休みに私達が行く予定のお化け屋敷が掲載されていますわ」
車内から移り変わりゆく家々を眺めていたら、ふとそんな声がかけられてしまう。そのため、顔を隣にいるその声の主へと向けた。そこにいたのは妹の美智。
今日の美智の出で立ちは、半袖のリボン付き白ブラウスに細めのネックレスをしている。それから紺のレーススカート。どうやら今日は洋服の気分らしい。うちは祖父と母が着物派、俺と父が洋服派。美智はその中間。そのため、どちらも同じぐらいの頻度で日常的に着用。
「……お前さ、車の中で雑誌って酔わないか?」
しかもリムジンに座っているので座席はL字。ゆったりとしたいので座席は広々としている方に腰を落としているので進行方向を向いていない。なので、尚更気分が悪くなりそうだ。それなのに美智は三半規管が強いのか、何事もなく写真と文字を目で追っていた。
「全く酔いませんわ。それより、お化け屋敷内にてイベントをやるそうです。スタンプラリーですって!」
そう言って俺の方へ差し出してきたのは、以前朱音と行った水族館が表紙になっている雑誌。どうやらタウン誌のようだ。
さっき美智がコンビニに立ち寄ったので、その時に買ってきたのだろう。飲み物だけ購入してきたと思っていたのだが。
美智の隣には付き人である国枝の姿もあった。あいつはペンを持ち手帳を眺めている。
――おい、この二人の三半規管はどうなっているんだ? 俺なんてさっきスマホをちょっといじっただけで気分悪くなって止めたのに……
「……というか、待て。お化け屋敷でスタンプラリーだと? 暗くないか?」
ちらりと紙面へと顔を向ければ、確かにあのお化け屋敷の特集記事が。映画の宣伝も兼ねているせいか結構大々的にやるようで最近テレビのCMでもよく見かける。
「お化け屋敷ですから照明は控えめでしょうね。でも、流石にスタンプがある所はすぐに理解出来るようにするはずです。楽しみですわ! 朱音さんと一緒に全部スタンプを制覇しなければっ!」
そう言いながら目を輝かせている美智。そんな妹を見て、俺はずっと言っておかねばならない事があったので口を開いた。
付いて来るのはいい。完全に諦めたから。だが、これだけは牽制しておかねばならないだろう。朱音とのお化け屋敷フラグは絶対に渡さないと――
「美智。い……」
だが、俺は結局牽制出来ず。それは俺が唇を動かすのを途中でやめてしまったせい。そのため、中途半端な部分で止まってしまったのだ。
それは車がゆっくりと停車してしまったから。どうやら朱音の家に到着したらしい。
「着いたのか」
俺は朱音の家が並ぶ正面の窓へと顔を向けた。すると映し出されたのは、寝ても冷めても考える朱音の姿。いつもは中なのに今日は何故か外で待っていた。
ストライプのシャツワンピースがとても似合っていて可愛い。彼女の手にはトートバッグと紙バッグが。
いつもなら彼女の姿を捉えるやいなや顔を緩めるのに、顔が強張って仕方ない。
何が問題か?
それは朱音の隣。そこに視えてはならない者が一緒にいたからだ。
「……幻覚?」
目を擦ってみるが、どうしても視界に入ってしまう。
一度落ち着こうと視線を外し、もう一度窓越しに朱音を見るがやっぱりいる!
「な、なっ、なんで尊がいるんだっ!?」
尊の家と朱音の家が近所ならば、俺だってこんな風に叫んだりしない。
だが、尊の家から朱音の家までは電車を乗り継がなければならないため気軽な距離ではないのだ。それなのにどういう事だ?
――あぁ、あれか。潜在意識の中で自分が思っている以上に、尊の事を気にかけていたのか……だから尊の幻影が……そうだよな。同じ片思い同士だし。
「どうして尊様が? お知り合いだったんですか?」
「……この間知り合ったらしい。しかし、お前にも視えるのか、あの尊の幻が。お前も無意識のうちに尊のことを気にかけていたんだな」
「お兄様。現実逃避するのはお止め下さい。お気持ちはわかりますけれども」
「そもそも朱音の家をあいつは知っていたのか……俺、そんな話一度も聞いた事がないんだが……なにこの疎外感」
「とにかく外へ出ましょう。ここであれこれ推測しても埒があきません」
平坦ないつも通りの美智の声。それになんとか「あぁ……」と返事をすると意識的に深く呼吸をした。一刻も早く平常心を取り戻すために。
大丈夫だ。大丈夫。そう暗示をかけながら、俺は朱音へと視線をまた向ける。
すると彼女が口元に手をあて笑っている姿が目に飛び込んで来てしまう。そのため、ますますショックを受けてしまった。
――……その会話の内容が知りたい。どうして笑っているんだ? そんなに仲良くなったのか?
きっと気にかける必要もない些細な事なんだと思う。
尊がこの辺の近所に用事があってここを通り、偶然朱音と遭遇したという可能性もあるし。それに尊には好きな相手がいるはずだ。だから不安がる事はない。
そう頭ではわかっているのに、この状況に戸惑ってしまっている。それはきっと、弁当事件などの影響もあるのかもしれない。
「さぁ、参りましょう。気をしっかりお兄様」
美智はそう言って国枝が開けてくれているドアから外へ。俺もそれに続く。
冷房の聞いた車内から出れば一気に降り注ぐ太陽の光。いつもならば、この季節は肌を焼くような強さを感じるのに、今はそれどころではないせいか全く夏らしさを感じず。
「おはようございます。朱音さん、尊様」
耳に届いた穏やかな美智の声。あいつはこの状況だというのに、学校で見せるような女王様の笑みを浮かべている。こういう所は父の血を引いているなぁと思う。
『常に頭だけは冷やしておけ。咄嗟の事にも落ち着いて対処できるように』そう祖父に俺達は口を酸っぱく言われていたが無理。絶対に無理。心臓早鐘。
「一体どうなってんのっ!?」と、つい堪らず問い詰めたくなっている俺に比べ美智は凄い! と思ったが、あいつも動揺しているらしく手に雑誌を握り締めたままだ。
「おはよう、美智さん。匠君」
「……おはよう」
なんとか弱々しいけれども返事をし朱音を見た。だが、やっぱり隣には尊が視える。あれは暑さがみせている幻覚だと思いたいのに。
「匠、ごめんっ! 露木さんと色々な話をしていてメッセージを送るのを忘れてしまった。俺、今日露木さんの所に来ていたんだ」
あぁ、声も尊の声。完全に尊だ。
「やっぱり尊か」
「え? うん。俺だけど?」
きょとんとした尊に、俺は「いや、なんでもない」と首を左右に振った。
これ以上現実逃避していても問題は解決しないのはわかっている。
どちらにせよ、聞かねばならないだろう。俺は覚悟を決め尋ねる事に。
「尊、どうしてここに? かなり驚いた。家、遠いじゃないか」
さも平常心を装っているが、内心胃がきゅっと締め付けられているかのような感覚に陥っていた。その上、心臓が激しく自己主張しまくっている。
「ほら、弁当のお礼がまだだっただろ? だからお礼に。住所は露木さんに聞いたんだ。それでお礼を渡したらお茶に誘われて。さっきまで豊島の話とか色々しゃべっていて……」
「「え?」」
それには俺と美智の声が綺麗に重なった。滅多にハモらないのに、咄嗟に出てしまったらしい。
それもそうだろう。俺と美智はまだ朱音の家に招かれた事がない。
「え? 俺、なんか言った……?」
「い、いっ、家の中に入ったのかっ!?」
朱音の手作り弁当に引き続き、家にも招き入れられたのか!!
なんでそんなにフラグ立てて回収するのが上手いんだよ……コツとかあったら教えて欲しい……
「もしかして露木さんの家に上がった事なかったの!?」
尊は目を大きく見開きながら、肩を落としている俺と美智を交互に眺めている。美智もショックだったのだろう。あいつ、朱音に懐いているから……
「ごめんっ! 俺、またやってしまったようで……もう少し考えて行動すれば良かったかもしれない」
「いや、尊は悪くないよ」
尊がものすごく気を使ってくれているのが伝わってくる。尊は何も悪くない。勿論、朱音も。
けれども嫉妬心や妬み、不安が抑えきれない。それは恋愛中だから仕方のないこと。
それは十分理解しているが、コントロール出来ず。
胸に残る鉛のように重い苦しい想いに、俺は唇を噛みしめた。
「つ、露木さんの妹も上にいたから! 部屋じゃなくてちゃんとリビングだったし! ねっ、露木さんっ!」
「え? うん。琴音、学校の先輩が来るから家にいるの。あのね、それでお母さんに頼まれてお菓子作ったんだ。匠君と美智さん、クッキー好き?」
「「え」」
ここでもまた美智と声が重なってしまう羽目に。
そのため、左側にいる美智へと顔を向ければ、あいつもちょうど俺へと顔を向けた所だった。
「多めに作ったの。美智さんと匠君に渡そうと思って。いつもお世話になっているからそれで……手作りより、既製品の方がいいかな? って、少し思ったんだけど……この間匠君が手作り食べたいって言ってくれたから……」
「手作りクッキー!?」
「私達にですかっ!?」
「うん」
「まぁ! 嬉しいですわ。クッキー好きでよく食べますの。昨日も和三盆のクッキーを」
「朱音の手作りクッキーっ!!」
つい先ほどまでの憂鬱で陰気な気分がどっかにぶっ飛び俺の心の中に春が訪れた!
顔がにやけていくのが抑えきれない。ここが住宅地でなければ、きっと叫んでいただろう。嬉しすぎる。やっと食えるんだ。朱音の手作り。しかも、わざわざ俺の為に……
「良かったら二人で食べてね」
そう言って、朱音は手に持っていた紙袋を俺達へと差し出してきた。
「ありがとうございます」
「いいのかっ!? ありがとう!」
それを受けとれば、まるで天にも昇るような心地。
中を覗けば、くるくるとカールされたカラーリボンで結ばれたラッピング用のビニールが。底の方にはレースを模したペーパーシートが敷かれ、市松模様のクッキーが包まれている。
――……あ。けど、俺らばかりクッキー貰って尊に悪いよな。少しだけだがわ……んっ?
ここで俺はふと頭にとある事が浮かんでしまった。それは、もしかしたら気づかなかった方が良かったのかもしれない。
――ちょっと待てっ! 朱音の事だから、尊にもクッキー渡しているんじゃないかっ!? いや、尊のフラグ率を考えるともしかしてもう食べているんでは……?
「朱音。尊にもクッキー渡したのか?」
「え? 渡してないよ」
「そうか」
そうだよな。そこまで尊だってフラグを立て回収しないだろう。
「だって、佐伯さんにはお茶菓子として出したから。いつも琴音に頼まれて作っていたから、直接顔を合わせて食べて貰ったのは初めてだったの。だから、美味しいって言ってくれて凄く嬉しかった」
「つ、露木さん……それ、言わない方がいいやつ……」
「え?」
朱音は首を傾げて、尊へと顔を向けた。
――おい、なんだその高フラグ回収率っ!! やっぱりもう食っていたのかっ!? しかも、直接顔を合わせて初めて食べて貰ったってどういう事だっ!?
これ以上尊に気を使わせるわけにはいかない。だから、なるべく平常心を装わなければ。
落ち着け。落ち着け、俺。偶然が重なりまくっただけだ。そう偶然の連発。ただそれだけ。
……って、おい。重なり過ぎだろ。
ちょっと泣きたくなった。
「俺も不思議で……自分でよくわからないんだ。なんでこんなに……でも、クッキーは一枚だけ食べて、残りは持ち帰る事にしたんだ。匠の事が頭に浮かんで…ごめん…っ!」
「いや、いいんだ。謝らないでくれ!」
俺はそう言って尊の右肩を軽く二度程叩く。
「一々こんな事ぐらいで取り乱すなんてしないよ。それより、わざわざ休日に悪かったな。うちの朱音が世話になった」
「お兄様。十分取り乱していますわ。彼氏面どころか、飛び越えて夫面です。うちのって……まぁ、お気持ちはわかりますわ。私もこの状況にまだ頭が追い付いていませんので」
美智はそう言うと肩を竦める。そして朱音の方を見ると唇を開いた。
「朱音さん。尊様ばかりずるいですわ。私も朱音さんのお家にお邪魔したい」
「うち……? そういえばいつも玄関まで……ごめんなさい。もっと早くお招きしなきゃいけなかったのに……私は大歓迎です。都合の良い時、是非!」
「本当!? 嬉しいですわっ!」
両手を上げて喜んだ美智は朱音へと抱き付いた。それに対して、朱音は微笑んで抱きしめ返している。
「おい、美智。そこ代わってくれ」
咄嗟に零れたそんな呟き。
それは、はしゃいでいる美智達には届かなかったが尊はばっちり拾ったらしい。俺の肩を叩き、「お互い早く叶うといいな」という励ましの声を掛けてくれた。今回かなり気を使わせてしまい迷惑をかけたというのに、尊はやっぱりいい男だ。