露木さんには露木さんの王子が
「露木さんって、料理だけじゃなくてお菓子も作るのが上手いんだな」
リビングのソファに座っている佐伯さんは、そう言いながらクッキーを咀嚼している。
テーブルの上には桜の花弁をモチーフにした皿に乗せられたクッキーと、麦茶の注がれたグラスが。それから、お茶菓子の盛られた籠も。
「お世辞でも嬉しい。ありがとう」
「いや、お世辞じゃないって!」
「妹の先輩が遊びに来るから作ったの。もしかしたら佐伯さんも知っているかも。六条院の生徒みたいだし……」
「健斗じゃないよな?」
「どうだろう……? 名前まで聞いてない。お母さんに頼まれたから……用事あるみたいで終わってから来るみたい」
「そうか……六条院の先輩っていうから、健斗のやつかなって思ったんだ。付き合ってはいないようだが仲良さそうだから。しかし、それで露木さんが手作り? 妹じゃなくて?」
「うん。それで、ついでに多めに作って匠君達に渡そうって。だから、佐伯さんに美味しいって言って貰えて、ちょっとほっとしているの。面と向かって食べてくれた人のリアクションって初めてみたから……」
「え」
私の言葉に佐伯さんはクッキーを手にしたまま固まった。その表情は強張っている。
――あれ? どうしたんだろう?
「待って。匠、露木さんの手作り菓子食べた事ないのかっ!? しかもその話しぶりだと俺が初めてっ!?」
「え? うん。だって、今まで作った物って妹に頼まれて、バレンタインの時とかに作っていただけだから。自分で誰かに渡したり、食べて貰った事なんて無いよ」
「ごめん、匠……ほんとごめん…俺またやってしまった……」
そう言いながら、佐伯さんは顔を覆ってしまう。かと思えば、今度はゆっくりと言葉を発した。
「……露木さん。クッキー、後で匠に渡すんだよな?」
「うん」
「ごめん。皿に残っている分は持ち帰っていい?今更仕方ないと思うけど、なんか気分的に……」
「大丈夫だよ。あっ、何か包めるやつ持ってくるね!」
「お願いする」
私は頷くと、キッチンへと向かう。
キッチンカウンターには、ペーパーナプキンの敷かれた籠に入ったクッキーとラッピング袋に入れられたクッキーが。籠の方は、埃避けに淡いブルーのふきんがかけられてある。
――……あまり量も多くないから、ラッピングペーパーより紙ナプキンの方がいいかな?
私は食器棚に向かい引き出しを開け、星柄の紙ナプキンと小さめのペーパーバッグを取りそのまま元の席へと向かう。
「これどうぞ。持ち帰りにくいと思うから一応紙バッグも……」
「ありがとう」
佐伯さんは微笑みながらそれを受け取ると、テーブルへと広げクッキーを乗せていく。その作業をしながら彼は唇を開いた。
「あのさ、露木さん」
「うん」
「豊島って特別仲がいい男子っているのか? その……クラスにいい感じの奴がいるとかさ……」
佐伯さんと出会ってあまり時間は経過していない。けれども、いつもの彼と違うとすぐに理解出来た。それは声のトーンが淡々としているから。あまり感情を出さず尋ねている気がする。
「えっと、豊島さん……?」
私の頭の中に、いつも元気な豊島さんの姿が浮かぶ。
誰にでも気さくに話しかけてくれて、男女問わずクラスメイト達と仲がいい彼女。初めてお弁当一緒に食べようと誘ってくれたのも豊島さんだった。
「豊島さんは、基本的に男女問わず仲がいいの。だから、特別という子はいないかも。あっ、でも同中の子達とは帰宅方向が同じだから一緒に帰ったり遊んだりしていると思うから他より仲が良いかも」
「そっか……あまり中学と変らないのか」
どこか安堵さを含んだ佐伯さんの言葉。
「どうして急に?」
そう尋ねれば、彼は頬を染める「変な事言ってごめん」と口にした。
――もしかして、佐伯さんって……
「あの……間違えていたらごめんなさい。もしかして、佐伯さんって豊島さんのことが好きなのかな……?」
「えっ!? 露木さん、わかるのっ!?」
佐伯さんは目を大きく見開くと、何か信じられないものでも見るかのように私を凝視している。
「えっ? うん」
仲がいい男子がいるか? と尋ねられたし、顔の血色がかなりよくなったし……十分ヒントというか理解できる要素がある。なので、私にも想像出来た。
「待って! えっ? どういう事っ!? 恋愛関係疎いのかなって思っていたんだけど……じゃあ、匠の事は……?」
「え? 匠君……?」
小首を傾げれば、佐伯さんはまるで鏡のように私と同じ動作をした。
「あのさ、露木さん。もしかして、自分の恋愛関係が疎い?」
「疎いも疎くないも私は恋愛とは無縁だよ。誰も相手にしないから」
「は? ちょっと待って。なんで?」
「『単体なら用はない。妹狙いだろうが。それ以外であいつを相手にする理由がないじゃん。ほんと、姉妹で違いすぎるよな。妹見習えよ』」
「え?」
「……昔そう言われた事があるの。クラスの男子に。中二の頃だったかなぁ……? 私、今までずっとクラスに馴染んだ事なかったの……妹と比べられて育ったから……今は匠君達のお蔭で……」
「うん」
「だから今のクラスになるまで浮いていたというか、いつも一人でいたんだ。会話の中にも妹の話が出てくるのが嫌だった。露木朱音という名があるのに、露木琴音の姉としてみんな接していたから。男子は特に。いつも話しかけられるのは琴音の件だけ。けれども、一人だけ違った男子がいたの。その子は琴音の件を一切言わずに私に接してくれた。話しかけてくれたり、一緒に帰ろうと誘ってくれたり気を使ってくれたんだ」
「もしかしてその男子が言ったの?」
「うん。ある日偶然聞いちゃったの。彼がクラスメイト達とそんな風に私の事を話しているのを」
「最近、露木と仲がいいよな。まさかああいうのが好きなのか?」という問いに、彼は『単体なら用はない。妹狙いだろうが。それ以外であいつを相手にする理由がないじゃん。ほんと、姉妹で違いすぎるよな。妹見習えよ』そう返事をしていた。そして彼の周りの男子達も上げたのは同調する声ばかり。
そして数日後、彼に告げられたのは「そう言えば露木さんって、妹いるんだよな? 会ってみたいな」という台詞。
あの頃はやっと露木朱音だと認められたと思ったから、すっかり抜け落ちていたのだ。自分が琴音の姉だという事を。そうずっと周りに接されていたのに――
「……だから、私の事を恋愛対象に見る人なんていないの。私個人には何もないから」
「それはそいつらが最低の男だっただけだ」
険しい顔をした佐伯さんは、ぐっと掌を握り締めている。
「露木さんにもいるよ。ちゃんと露木さんの事を見てくれている人が。シンデレラや白雪姫にそれぞれぴったりの王子がいるように、露木さんには露木さんの王子がさ。だから、一歩そこから踏み出してみよう」
「一歩……」
「あぁ。妹の件は切り離そう。男が全員、その男子と同じではないよ。匠だってそうだろ? 俺もそうだ。男だけじゃない。美智ちゃんだって、露木朱音さんとしてちゃんと見ている。妹は関係ない」
「うん。匠君や美智さんはちゃんと私の事を見てくれている」
だから、少しずつ自分の中にも変化があって、それが表にも現れて少しずつクラスメイトの子達とも話すようになれた。だから、今はそういう人もいるって実感出来ている。
「だから、自分に恋愛は関係ないって言わないで欲しい。少なくても俺の知る限り王子は一人確実にいるし。そいつなら、露木さんの事をちゃんと理解してくれると俺は思うよ。だから、難しいかもしれないけれども、心の片隅にでも置いておいて。まだ見ぬ王子のためにもさ」
そう言って佐伯さんは穏やかに微笑んだ。




