繋いだ手から伝わるのは
長いのでわけます。
尊編はあと1話で終わりです。
匠視点
「匠君、寒い? 顔色悪いよ……」
そう言いながら隣に座っている朱音は、不安げに眉を下げたまま俺を見詰めていた。
外は汗ばむような季節だが、ここ――五王図書館の個室は涼しい。いや、通り越して寒い。
室内は空調設備が整っているため常時適温になっているはずだが、昼の出来事のせいで俺の心に冬到来。そのため、こころなしか体感温度が通常よりも下がっていた。どうやらそれが体にも影響を及ぼしているらしく、肢体が戦慄いている。
――テスト勉強のためにここを予約していたのに、何故こうなってしまったのだろうか……
俺と朱音の前にあるオフィスデスクを挟み、尊とセーラー服に身を包んでいる女子生徒の姿が。その女子は意志の強そうなはっきりとした顔立ちをしていて、どちらかといえば活発な美人系という印象だ。髪を一つに高めに結い、腕にはスポーツタイプの時計をしている。彼女こそが今回の禍根である豊島さん。
尊に呼んで貰って、ここへ来て貰ったのだ。
急な呼び出しだったのに彼女は来てくれたので、ちゃんと話し合いをする事が可能。
朱音の交友関係が広がるのを望んでいたのに、俺の想像もしていなかった斜め上の方向に物事が進んでしまっていた。まさか、朱音が豊島さんに紹介されたのが尊だったとは……
その上、二人共断ったのに豊島さんが再度ゴリ押し。しかも、尊は朱音の手作り弁当を食べてしまったという始末。
なんだ、この怒濤の展開! 二時間ドラマかっ!? と、短時間で突き付けられた現実に押しつぶされそうだ。
――……朱音が俺の傍を離れてしまうのが恐ろしい。いつの間にか、彼女の隣に別の男が並んでいる未来も考えられる。今回は尊だったから偶然判明出来たが、他の誰かが相手だったらどうなっていたことか。
「大丈夫? 今日はもう帰ろうよ……夏風邪かなぁ」
「大丈夫じゃない。だから、朱音。手を握って温めてくれ」
俺はそう告げると、彼女へ左手を差し出す。
その動作に朱音が目を大きく見開いたかと思えば、きょとんとした表情を浮かべ小首を傾げる。
「私、冷房で冷えているから手は温かくないよ……? 室内の設定温度上げた方がいいかも」
「暖房器具や毛布なんかでは温まらない。朱音じゃなきゃ駄目だ。このままでは凍えてしまう。俺を心から燃え上がらせてくれるのは朱音だけだから」
「お兄様。さすがポエマー」という妹の幻聴が聞こえてきたが、それはスルーする。
だが、ここで「えっ!?」という裏返った声が届いてしまう。それは、テーブル越しに座っていた尊のものだ。
弾かれたようにそちらに視線を向ければ、尊はコンタクトがズレてしまった人のように何度も瞬きを繰り返していた。その隣で豊島さんが口をぽかんと開けたまま、俺と朱音を交互に見ている。
「あっ……」
俺と尊の視線が交わると尊は我に返ったのか、体を一度大きくビクっとさせてしまう。
「邪魔してごめんっ! その……キャラが……いつもの匠じゃなくて……気にしないでくれ!」
「あぁ」
俺としては、こんな感じなのだが……
もしかして、そう思われてしまうのは焦燥感に駆られてしまっているせいだろうか?
だが、いつもと違ったのは、尊もだったらしい。
「露木さん。俺からもお願いだ。匠の手を握ってやって! 頼むから!」
と、あろうことか朱音に頼んでしまったのだ。
拝むように手を合わせ、朱音に向かって懇願する尊。それを見て、彼女は混乱しているらしく瞳が揺れている。
「えっと、その……手を握るのは大丈夫だけれども、手を握っても温かくはならないと思うの。だから、カーディガン使う……? 私、学校で冷房が直で当たる席だから常備しているんだ。サイズ的に着る事は出来ないと思うけど、羽織ったりするのは出来ると思うから」
「いや、朱音の手がいい」
「でも…それじゃあ温まらないと思うの……」
「露木さん、頼む! 匠の手を!」
「え? ……うん。それでいいなら……」
朱音はそう言って頷くと、俺の方へと右手を差し伸べてくれた。
自分よりも小さな手。俺はそっと両手で朱音の手を挟むように触れ握りしめる。すると、彼女の体温がこちらに浸透してくるかのような感覚に陥ってしまう。まるで水面に広がる波紋のように――
手を繋いだお蔭で、俺の心はゆっくりとほぐれていく。そのため、筋肉の強張りも弱まってきた。
「匠君、本当に大丈夫? ブランケット借りて来ようか?」
「大丈夫。朱音が傍にいてくれれば。それより、早速だが聞きたい事がある。どうして尊と知り合いだと俺に言ってくれなかったんだ?」
「言おうと思ったの。隼斗さん達と一緒にカフェにいた時に。でも、まだあの時は佐伯さんと初めて会ったばかりだったから……だから、もし機会があって佐伯さん達と一緒に遊ぶ事になった時に匠君に聞いてみようって」
「待ってくれ! あの時すでに出会っていたのかっ!?」
ここで知った新たな真実。
それに俺は声を荒げてしまう。
あの時の俺、気づけ! と、過去の自分の胸倉を掴みたくなった。
「うん。隼斗さんと本屋さんで出会う前にカラオケで。でも、早く言えば良かったね。匠君と佐伯さんが友達だったなんて。びっくり」
「俺も知らされた事実に驚愕の連続だったよ……そのせいでランチが喉を通らなかったし、午後の授業内容も覚えてない。尊と朱音が知り合いな上に、紹介話まであったなんて思いもしなかった……しかも、とどめの手作り弁当……俺も朱音の手作り弁当を喰いたかった……」
「お弁当? でも、六条院の食堂の方が絶対に美味しいと思うよ?」
「俺が食べたいのは朱音の手作りなんだっ! 朱音。俺以外に作らないでくれ」
「ごめんね……それはちょっと……お母さんが残業の時、家族に夕食を作らなきゃならないから……」
申し訳なさそうな顔をしたまま、朱音は告げた。
なんとなく俺はその返答は予想済み。それは今までの彼女との付き合いで理解していたから。
男女関係に疎いというわけではないが、朱音は自分が他者にそういう対象にみられるとは思っていないのだ。
なので、俺はそんな彼女の言葉とリアクションをすんなりと受け止めていた。
だが、他の二人は違ったようで、
「「いや、露木さん。そうじゃない」」
と、即座にツッコミが。それは尊と豊島さんの声で、綺麗に重なりあっていた。
「え?」
「あのね、露木さん。五王さんは……――」
「豊島っ! だから、お節介はやめろって。匠は匠のタイミングがあるんだよ」
「あっ、そっか。なんか色々ごめんね。五王さん、露木さん」
豊島さんはそう言うと俺達に頭を下げた。
「朱音は今はフリー。だから、俺はそういう紹介話に関してとやかく言える立場ではない……まだそんな権利がないから。でも、朱音の気持ちはちゃんと汲み取って欲しいんだ」
「……うん。気をつける。正直、佐伯に電話で怒られるまで全く気付けなかったんだ。ごめんね、露木さん。佐伯の件、一回断っていたのに……お弁当までわざわざ作らせちゃって」
「ううん! 私は大丈夫だよ。お弁当はつい……――」
朱音の声がそこで途切れてしまう。それは尊が何の脈絡もなく「あっ!」という大声を張り上げてしまったせいだ。
俺達の視線が一斉に注がれる中、尊は何かを思い出したのか、立ち上がってテーブルの上に置いてあった通学鞄を開け何かを取り出した。それは昼休みに見かけたあのトートバッグ。どうやら弁当を返すのを忘れていたらしい。
「ありがとう。わざわざごめんな。今度何かお礼するよ」
「ううん。自分の分のついでだから気にしないで……佐伯さんの苦手な物とか入っていなかった? 量とか足りたかな?」
朱音はそれを受け取りながら尋ねた。
「俺、好き嫌いないから平気。ただ、量は正直に言うと足りなかったかも。けど、昼に匠のランチ食べたから大丈夫。しかし、露木さん料理上手だね。全部旨かったけど特に生姜焼き。あれ、凄く旨かったよ」
「本当? 良かった」
「卵焼き入ってたけど、露木さんの家って塩派なんだな。俺も塩派なんだ」
「そうなの? 一緒だね」
「あぁ」
――なんだ、その雰囲気! まるで新婚夫婦の会話じゃないかっ!?
と、叫びたくなったのをぐっと堪え、俺はただ現実逃避とばかりに二人から視線を外した。




