お弁当の行方
匠視点
「随分遅くなってしまったな……」
もうすでに昼食を食べ終わった生徒もいるらしく、食堂のカウンターには誰も人が並んでいなかった。
無理もないだろう。もう時刻は十二時半を回っている。
いつもはこんなに遅くに昼を摂らないが、今日は生徒会の仕事で職員室に立ち寄ったら途中で理事長と遭遇し、声をかけられてしまい遅くなってしまったのだ。
――……臣達もさすがに食べ終わったよな?
俺はいつも臣や尊達と昼食を食べているのだが、ここからは彼らの姿は窺えない。
それは六条院の食堂の造りが関係している。基本的には食堂は生徒であれば誰でも使用可能だけれども、それはカウンターから見て正面に広がる共有スペースのみ。そこには純白のクロスが敷かれた細長いテーブルが壁付近まで繋げられている。それが等間隔で何十卓と横に並んでいた。
それが食堂の三分の二のスペースまで広がっていて、残りの三分の一は特別席と呼ばれ全く造りが違う。特別席とは、ゆったりと一人一人が座れるソファ席など、各席独立している席の事をいう。
奥には数は少ないが個室があり、人の目を気にせずに過ごせるようになっていた。
その特別席を使用出来る基準は何か? それは入学時に支払う寄付金の額だ。
ある一定の金額以上を寄付すれば、食堂の特別室の他にもサロンや温室など利用可能な箇所が増えてくる。
寄付金はそれら利用可能部分を拡大させるだけでなく、ある程度の学校生活に関する事に対して目を瞑ってくれる事にもなるらしい。無論、犯罪行為は別だろうが。
以前、祖父にどれぐらいまでなら許容範囲なのか? と問う機会があったが、その時の答えは「六条院祭で申請無しのバンドライブしたあげく、某箱入り娘への唐突な告白して平手打ちされるまでなら問題ない」という返事が。祖父は当時を思い出したのか、げんなりとしていた。
一体誰が? という質問はするまでもない。絶対に父だろう。
まさか、某箱入り娘というのは……考えたくもない。両親の馴れ初めは聞いた事がないが、聞かない方がいい気がする。
「すみません。Aランチをお願いします」
俺は販売機で購入したチケットをカウンターに置いて注文。
すると、
「かしこまりました。お呼びいたしますのでこちらをどうぞ」
と、カウンター内にいたエプロン姿の女性より、アルファベットと数字を組み合わせたものが彫られた四角い機械を渡された。掌にすっぽりと収まるそれはブザー。
六条院の学食は全てセルフ。多くの生徒が一気に利用するので、出来上がったら機械で呼び出しをしてくれるようになっている。
俺はブザーを受け取ると、真っ直ぐカウンターを曲がった先にある特別席があるスペースに。
左手に広がるガラス窓からは英国風のガーデンが広がり、それをゆっくりと眺めながら食事を出来るようにソファ席や猫足の円卓席が配置されていた。
食堂というよりはホテルのロビーの方が近い気がする。中二階席もあり、よく美智は上で友人達と食事を楽しんでいるらしい。
「……おっ、まだ臣達いる」
定位置である窓際の中央。そこに視線を向ければ、いつものメンバーの姿があった。
臣、尊、隼斗、健斗。俺がランチを摂るのはこのメンバーだけれども、今日は健斗の姿がない。もしかしたら、女子と食べているのかもしれない。時々「女の子達と食べるね!」と別々の時があるから。
そのため、いつもは淡いクリーム色のクロスが引かれたテーブルを囲むようにコの字に座っているのに、今日は尊と隼斗が並び、それに向かいあうように臣。そして彼の隣は空席となっている。
「あっ! 匠君。遅かったね!」
こちらに気づいた隼斗が手を上げれば、それにつられるように臣が振り返り、「お疲れさまです」と声を掛けてくれた。
「もしかして、何かあったのか?」
空いている席へと座りテーブルの上にブザーを置くと、尊が眉を下げたまま訪ねてきた。
「いや。理事長とお会いしたから、それで少し遅くなってしまっただけだ……って、珍しいな。今日は弁当なのか?」
俺は尊の前に置かれているものが視界に入り、そう口にしてしまう。
皆、昼を食べ終わったらしく、もうすでに皿などの食器は片づけを済ませているようで、珈琲などが入っているカップなどが見受けられる。けれども、尊はその他に灰色のトートバッグを置いていた。片手で楽々持てるサイズ。そのため、俺はその中身が弁当だと思ったのだ。
「えぇ。僕も隼斗も気になって尋ねれば、榊西の女子に作って貰ったそうですよ」
「へー」
朱音と同じ学校の子か。もしかしたら、相手は例の尊の好きな人――……豊島さんなのかもしれない。俺は、ふとそんな事が頭に過ぎった。
「もしかして、以前話してくれた相手と良い感じなのか?」
「……いや」
尊は複雑な表情を浮かべると、首を左右に振った。
「え? 尊君って彼女いなかったの? いそうだって思っていたのに」
「いない。好きな子はいるけどな」
「では、恋愛中はこのメンバーでは匠と尊だけですね。二人が羨ましいですよ。僕と隼斗は、どっかの誰かさんの手がかかるせいで……」
「健斗か!」
「えぇ。このままではとてつもなく馬鹿な事を言ったりやったりしそうなので、健斗のお母さんにあの方を召喚して貰っています。もうすぐこちらに来て頂けるそうなので、一先ず安心ですけれども」
「健斗をなんとか出来る人間っているのか。一体誰が来るんだ?」
「軽い兄さんとは対極に位置しているタイプだよ。だから、兄さんはあの方が凄く苦手なんだ」
そう言って隼斗は肩を竦めた。
「でもさ、尊君。お弁当を作ってくれたって事は? 充分脈アリだと思うよ」
「これ、好きな子……豊島が作ったんじゃないんだ。俺が手作り弁当を食べたいって言ったら、あいつは何を思ったのか他の女の子に頼んじゃって……」
「え? 一体どうしてそんな面倒な事になっているのですか?」
「その女の子と俺をくっつけたいからだと思う。一度紹介話を断ったんだけど、カラオケで偶然その女の子と出会ったんだ。豊島が連れて来ていて……そこでゴリ押しされたんだよ」
「まどろっこしいので、その豊島さんに遠回しにでも好きな相手がいると伝えた方がいいのでは? なんだか、話を聞くと尊とその女の子の縁を強引に結ばせようとしているのを感じますよ」
「俺も臣に賛成だ」
ややこしくなって、糸が絡まって二度と解けなくなりそうだ。
それに、好きな相手にそんな事を言われるなんて、尊もダメージ受けてしまうし。
――……俺もそうだけれども、恋愛はなかなかトントン拍子にはいかないものだな。
そんな事を思いながら、着信などを確認するために制服のポケットからスマホを取り出した時だった。聞き逃せない名字が耳朶へと届いたのは。
「紹介された子は凄く良い子なんだよ。豊島が紹介する通り、家庭的な子でさ。今回の弁当もわざわざ作ってくれて、俺の事を駅前で待っていてくれたんだ。だから、露木さんには本当に申し訳なくて……」
「え? 露木?」
それには、俺の中で何かが小さく燻った。
それはほんの些細なもので、何か自分にとって大切な事を思い出せていないような、もやもやとした気分。そのため、自然とスマホを握り締めている手に力が入ってしまう。
きっとそれは朱音と同じ苗字だからだろう。朱音を好きになってから、露木は俺にとって特別な名字になっている。
――朱音じゃないだろうな? 榊西だし。いや、でも俺は朱音に何も聞いていないから大丈夫か。
と、俺は冷静に頭を冷や……せるはずがない! 変な緊張感のせいで口内が一気に砂漠化したかのように乾燥。そして思考は一気にマイナスの方向に。
「匠君。大丈夫だよ。珍しい苗字じゃないし。だから、この世の終わりのような顔しなくてもいいって」
「えぇ。とにかく落ち着いて下さい。スマホ壊れます」
「そ、そうだよな。珍しい苗字じゃないし……」
臣と隼斗の言葉に、俺は同意する。
――そうだ。偶然だ。偶然。
榊西高校在籍の露木さんなんて、朱音の他にいっぱいいるはずだ! だから、俺の心臓よ。落ち着け。
やたらと自己主張してくる鼓動から目を背けるように、俺は意識して呼吸をした。
「え? 何? もしかして、匠の好きな子って露木って名字なの? ……というか、みんな匠の好きな子と知り合い?」
「うん。偶然この間知り合ってさ。きっかけは兄さんと間違えられて。湊川先生のファンで、この間カフェで色々話をしたよ。その流れで臣君も」
「……え」
尊はそう呟きを零すと無表情になってしまう。
――おい、待てっ! その沈黙が怖い……!!
やや間を開きながら、尊がゆっくりと唇から言葉を放った。
「少し気になる事があってさ。その子も母さん……湊川のファンで、匠が大事にしているあの白いクマを通学鞄に付けている。あと、イヤホンジャックもスマホに付けていたんだ」
「あっ……」
臣か隼斗かどちらかわからないが、そんな声を漏らした。もう二人の声を判別する余裕なんて俺には微塵も残ってはいない。
全身から血の気が引き、まるで貧血状態のように陥ってしまっている。
あの水族館で、朱音から紹介話があった事を聞かされた時のように――
「それで、この学校の音楽科に妹がいるって言っていた。たしか、琴音ちゃんという名前だった気がする」
「完全に俺の朱音の事じゃないか……!!」
「匠の好きな子って露木さんだったのかっ!?」
「ねぇ、尊君。クマとイヤホンジャックを匠君が大切にしていたのを知っていたよね? 露木さんも同じ物を持っていたのに接点ある事を気づかなかったの?」
「いや、だってクマはうちの学校で流行っているし。健斗だって同じの持っているからさ。イヤホンジャックは水族館なら土産の定番かなって。俺なら買うし」
「……まぁ、確かに兄さんも持っているね。付き合っている子達とお揃いでだけど。あれ? という事は、さっき尊君が食べていたお弁当は……」
それには背後から全力で蹴られたかのような襲撃を受け、俺は机に伏せってしまう。
――食われた。朱音の手作り弁当が……っ!!
どうしたらいいのだろうか。頭の中を白く塗りつぶされてしまい何も考えられない。そのせいで、じわりと視界が少し滲んできてしまった。
「隼斗っ! どうして余計な事を。匠に余計ダメージを与えてしまったじゃないですか。せっかくお弁当の事を忘れていたのに」
「え。あっ、ごめん! 本当にごめん! 匠君、なんか余計な事を言っちゃって……」
「……尊。ちなみに弁当は少しぐらい残ってないのか?」
「ごめん、その……全部食べて洗っちゃった。で、でも凄く美味しかったよ。特に生姜焼きが! 冷めても柔らかくて」
「尊。貴方も動揺しているのはわかりますが、感想とかやめてあげて下さい」
「俺、電話してみるよ。露木さんに」
「ちょっと待てっ! もう番号も交換済みなのかっ!?」
無慈悲な尊の言葉に、俺はますます深い谷底に落とされた。
「ど、どっ、同性同名かもしれない……俺、朱音に確認してみる」
「匠。もう認めた方がいいですよ。現実逃避したって、真実は同じです」
「わからないだろ。俺は朱音に何も聞いていないんだから――」
そうだ。俺は朱音から何も聞いていない。
だから、もしかしたら俺の知っている露木朱音ではなく、ほかの『つゆきあかね』の可能性もまだ捨てきれないはず。そのため、俺は震える指で手にしていたスマホを操作していき、朱音へと電話をかけた。
――……頼む! 出てくれっ!
祈るように願えば、数コールで電話が通話状態に。
『もしもし? 匠君……?』
「朱音っ!!」
俺が意味もなく立ち上がってしまったせいで、ガタンという床に何か重い物がぶつかった音が耳朶に届いてしまう。
平常心。平常心。自分に言い聞かせるように、そう幾度も心の中で呟いていく。
「あのさ、いま時間大丈夫か?」
『うん。どうしたの? もしかして、放課後のテスト勉強会予定入っちゃった……?』
「いや。行く。それは大丈夫なんだ。朱音、尊――佐伯尊の事を知っているか?」
『うん。知っているよ。この間、豊島さん達とカラオケに行った時に、受付カウンターに豊島さんの中学時代の男友達が居たんだ。それで、豊島さんがその人達を誘って一緒に歌ったの。その中の一人が佐伯さん』
「豊島さん!」
君が尊達を誘ったのかっ!!
やり場のない悶々とした感情がつい抑えきれずに、声となって外へと出てしまった。
やっぱりそうだった。尊の言う豊島さんと朱音のクラスメイトの豊島さんは同一人物だ。
『え? 豊島さん? 匠君って豊島さんの事を知っているの?』
「いや、知らない。でも、もう名前は覚えたし、絶対に忘れない」
『もしかして、私が水族館で豊島さんの名前を言ったからそれで覚えていたのかな……?』
「待って。朱音、あのとき豊島さんの事について何か話したっけ?」
『うん。紹介話があった事を匠君に話したのは覚えている? その時に、ちゃんと豊島さんに事情を説明して断ったって言ったと思う』
全く覚えていない。クラスメイトが朱音に男を紹介したという衝撃のせいで、あの時は思考が混沌としていたから。
もしこうなるのがわかっていたならば、ちゃんと一字一句頭に入れて覚えておくべきだった。
そうすれば、もっと早く気付いて違う展開になっていたのかもしれないのに!
「……朱音。テスト勉強する前に少し俺に時間をくれ。今回の件で話を聞きたいんだ」