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左手の薬指とざわめく心

私達は場所をアーケードから移動し、駅前にあるカフェへ。

店内は立地的に電車待ちの人々が多いのか、学生さんからスーツ姿の社会人まで様々な人々で賑わっている。なので、ほとんどが満席状態。

そのため、私と羽里健斗さんの弟――隼斗さんは必然的に空いているテラス席に。


テラス席は四人席が三つ、二人席が二つ、三人席が一つで全部で六つ。内、二つが埋まっている。

ウッドデッキの上には、同じように温もり溢れる材質でつくられたテーブルと椅子が設置され、出入り口付近には瑞々しい観葉植物が飾られている。

ほんのりと肌を焼くような日差しは、建物から伸びているグリーンの屋根が覆い和らげてくれていた。その上、軒下には小型の扇風機が取り付けられているため、ある程度の風通しがよい。


「飲み物ありがとうございます。ご馳走になってしまって……」

私はテーブル越しに座っている隼斗さんへとお礼を述べた。

テーブルの上にはトレイが置かれていて、その上にはオレンジジュースとアイスティーの二重層になっているセパレートティーが。これは隼斗さんが御馳走してくれたものだ。

まだそんなに時間が経ってないというのに、外気の気温とグラス内の温度差のせいで水滴が垂れ始めてきている。


「いえ。僕がお誘いしたので、気になさらないで下さい」

隼斗さんは首を左右に振りながらそう口にした。

お兄さんも羽里さんなので、「名前で呼んで下さい」と言われ「隼斗さん」と私は彼を呼ぶことに。


隼斗さんは温かい抹茶ラテを注文。白磁のカップには、クリーミーな泡が浮いている。

肌に少し張り付くような気温。そのため、ほとんどの人が冷たい飲み物をオーダーしているけれども、彼は氷の入った飲み物が苦手らしく温かいものを頼んだ。


「では、匠君にちゃんとメールを送らせて頂きますね」

「構いませんが、匠君は気にしないと思いますよ?」

「匠君の彼女と二人きりになって、事後報告は……誤解を生む可能性もありますし」

「え? 私、匠君とお付き合いしていませんよ」

「あれ? でも匠君と水族館……もしかして他に誰か……?」

「いえ、二人です。匠君が友達にチケットを頂いたんですけど、それがちょうど二枚だったので……」

そう告げれば、隼人さんは顎に手を添え考え始めてしまう。そして、「ん~」という小さな呟きを零した。


「……あのですね、匠君は…あぁ、でも……これは僕が…うん…あの、すみません。やはりメールだけは打たせて下さい」

「はい。でも、匠君は今パーティーに参加しているので、たぶんメールなど見る事が出来ないと思います」

「えぇ。その件は臣君も参加しているので彼に伺っています。ですが、僕が気になって話に集中できないので……ここは交通量が多いため、六条院生に見られる可能性も高いですし。ですから、目撃されて匠君の耳に入ったとしても、何もやましい事がないですよというアピールです」

そう言って隼斗さんは肩を竦めた。


「しかし嬉しいです。まさか、黄昏の国を好きな方がいるとは。僕の周りもそうですが、いつも代表作が好きという人が多いですから」

「そうですね。黄昏の国は結構好き嫌いが分かれる作風なので。続編発表は嬉しかったです」

「えぇ。来年発売予定が凄く楽しみで仕方がありません。早く読んでみたいですね」

そのような感じで、私と隼斗さんは湊川先生の書籍について夢中で話をした。




それからどれくらい時間が経過しただろうか? 追加でドーナツなどを注文して食べたので、三十分以上は経過しているかもしれない。

ふと何気なく歩道へと視線を向ければ、人がまばらだったはずなのに目に見えて往来が激しくなってきている。


「すみません、電車時間を調べてもいいですか……?」

そろそろ帰宅しなければならない。そのため、私はそう言葉を発した。


「すみません。話が楽しくて時間に気づかずに……そろそろ帰りましょうか。ちゃんと送りますので安心して下さい」

「いえ、大丈夫です。駅から近いですし、まだ電車はありますので」

私は時刻表を調べるために鞄からスマホを取り出した。けれども、ディスプレイ画面に表示されていたあるモノに関して、眉を顰めてしまう。


――……あれ? どうしたんだろう?


コミュニケーションアプリの通知ポップアップ画面が出ているのだが、それがなかなかの件数。どうやら鞄に入れていたせいか、全く気づかなかったようだ。

ディスプレイをフリックしていけば、全て匠君からだった。


「すみません、電話してもいいですか? 匠君からのメッセージが……どこにいる? と書かれているので……」

「え!?」

隼斗さんが声を上げると、すぐに鞄を膝に乗せて中からスマホを取り出した。そして操作しながらディスプレイを見て、顔色を悪くさせてしまう。


「あっ……肝心の店名……」

そう彼が唇から音を零した時だった。「朱音!」という切羽詰まった声が飛んできたのは。

それはテラス席から左手にある歩道。そのため、私の視線は反射的にそちらに。

そこには匠君の姿があった。走ってきたのか、肩で大きく息をしている。


「あれ? 匠君……?」

今日の彼はいつもよく見かける制服姿ではなくグレーのスーツ姿。初めて見たけれども、着慣れているようで似合っている。


「よかった……朱音、ここにいたのか。電話も繋がらないから心配した」

とんとんとウッドタイプの三段ぐらいの階段を昇ると、匠君はテラス席へとやってきた。

「ごめんね、マナーモードにしていて気づかなくて……」

「いや、いい。見つかったから……」

私の傍へとやって来た匠君はそう言いながら、私の頭を撫でた。

かと思ったら、すぐに隼斗さんの方へ顔を向けてしまう。


「おい、隼斗! あのメールはなんだっ!? 大体、駅前のカフェと書かれていたけれども店名を書いていないじゃないか。そのせいで、もしかしたら個室で二人きりかもしれないとか色々と頭を駆け巡ってしまったんだが。個室なんて密室。しかも男女二人きりなんて……その上、連絡先も交換するって書かれているし。宣戦布告か!? と焦ったぞ」

「ごめん。店名を書くの忘れちゃっていたよ。でも、意外だね。匠君って妄想が暴走する系なんだね」

そう言って隼斗さんはクスクスと笑いを零す。


「とにかく座ったら?」

「あぁ」

隼斗さんの言葉に匠君は頷くと、空いている椅子へと腰を落とす。


「パーティー終わってスマホチェックしていたら、隼斗のメールに気づいて……それで驚いてすぐに折り返したんだ。全然接点が無かったからさ、朱音達。しかも、二人共電話に出ないから色々と頭を駆け巡って……それで慌てて探しに行こうとしたら、傍にいた臣が一緒に付き合ってくれる事になったんだ」

「あれ? 臣君も一緒なの?」

「あぁ。見つかったって連絡しないとな」

そう言って匠君はスーツの胸ポケットからスマホを取り出すと操作を始めて電話をかけだした。通話は短時間で終わり、彼はテーブルの上にスマホを置くと大きく息を吐き出す。そしてネクタイを解くと、今度はワイシャツのボタンを外し始める。


――……喉、乾いているよね。


匠君の鼻の頭や額にはうっすら汗が浮かんでいるし、スーツのジャケットも脱ぎ出している。きっと走ってきたので、体が温まって暑いのだろう。

水分補給は必要だよねと思い、私は口を開いた。


「匠君。何か飲む? ここ、セルフサービスだから注文してくるよ? 暑いでしょう?」

「あぁ、そうだな。でも、自分で注文してくるから大丈夫だ。ありがとう。それに、そろそろ臣も来るだろうから」

そう言いながら匠君が歩道へと視線を向ければ、ちょうど黒塗りのベンツが停車。そしてそこから、眼鏡をかけた着物姿の少年が降りて来た。すると、切れ長で涼し気な眼差しを持つ彼と視線が絡み合う。

「臣」

匠君が片手を上げると、その少年は肩を竦めた。そしてこちらへと足を進め始める。着物を纏っているのに、流れるような歩き方。きっと美智さんと同じように日常的に着用しているのだろう。

やがて彼は私達のテーブル席の傍に佇むと、こちらへと顔を向け微笑んだ。


「はじめまして。緑南臣と申します」

「あっ……」

私は慌てて立ち上がると、「初めまして。露木朱音です」と挨拶した。


「存じ上げていますよ。いつも匠に貴方の話を伺っていますので」

そう言って穏やかに微笑んだ緑南さん。それに対して「臣―っ!!」と裏返った匠君の声がこの場に響き渡った。その瞬間、ガタンッという鈍い音も同時に耳朶に届く。

反射的にそちらへと視線を向ければ、立っている匠君が窺えるのだけれども、彼は少し前かがみになりながら右太ももを手で押さえている。

どうやらテーブルへとぶつけてしまったようで、顔が歪んでいた。


「えっ!? 大丈夫? 匠君」

「大丈夫……」

涙目になりながら、匠君は頷く。それを緑南さんが、喉で笑いを零しつつ眺めている。


「さて、喉も乾きましたし、ひとまず飲み物を買って来ますね。匠は何がいいですか?」

「俺が買ってくるよ。付き合わせちゃったからここは奢る。面倒かけて悪かったな」

「いいえ。あんなに慌てふためく貴方の姿なんて、滅多に見られないので役得でした。ですから、気にせずに座っていて下さい。ようやく露木さんと再会出来たのですから」

「……なら、言葉に甘えてアイスコーヒー頼む」

「えぇ。何か軽く食べる物も欲しいので、隼斗も一緒にきてくれますか?」

「そうだね。いいよ。ついでにこれもダストボックスに返却してくるね」

そう言って隼斗さんは、テーブルの上に置いてあったトレイを手に取った。


「私も手伝います」

「気にしないで下さい。ついでなので。それより、匠君と一緒にいて下さいね」

そう言って二人は飲み物を買いに店内へ。


――なんだか、今日は六条院生と知り合う日だなぁ。


そんな事が頭に過ぎった瞬間、とある人物の顔が頭に浮かんでしまい「あっ」という声が私から零れる。

それは佐伯さん。もしかしたら、匠君も彼を知っているかなと思ったのだ。同じ学年だし。


「ん? どうした」

「あのね……」

私は佐伯さんの事を話そうと思ったのだけれども、口を閉ざしてしまう。

今日出会ったばかりなので、親しい間柄ではない。そのため、躊躇してしまったのだ。


――まだ連絡先を交換しただけ……今度、もしまたみんなで遊ぶ事になったら聞いてみようかな。知っている? って。


「朱音?」

「ううん。なんでもない。それより、いよいよ明後日遊園地だね」

美智さんから遊園地に行こうと誘われ、今度の日曜に一緒に出掛ける予定になっている。テスト勉強期間が始まる前に遊んで、三週間後に始まる期末テスト頑張ろうって。


「あぁ、そうだな。朱音と遊園地って初めてだから楽しみだ。しかし、期末終われば夏休みか。早いな」

「うん」

本当に早い。匠君達と出会ってあっという間だった。


「夏休み、色々な所に行こう。勿論、朱音の負担にならない範囲でさ」

「うん」

「朱音は来年受験だけど、塾とか行くのか?」

「うん。お母さんが近くの塾に申し込んだの。とりあえず夏期講習受けて来なさいって。私は学校の受験講習がよかったんだけれども……」

声のトーンが少しずつ落ちているのが自分でもわかる。塾の話を聞かされた時の事を思い出してしまい、膝の上に添えるように置いている手を握り締めた。


うちの学校は塾の講座のように、誰でも申し込めば受験対策講座を受けられるようになっている。それは特進科の補講に混じるような形だったり、長期休みの特別講習だったりと色々な形で受講できる仕組み。

勿論、塾には塾で良い面もかなりあると思う。でも、私は学校の方が先生達や環境に馴染みがある。その上、料金的にも塾より若干安めなので強く惹かれている。そのため、私としてはそちらの方がいいのだけれども……


けれども、お母さんとしては近くの塾の夏期講習に通い、そこの教え方が良ければそのまま通ったらいいって。学校よりも近いし、夕食作りお願いする時に楽だろうからと。


「朱音……」

「……匠君は塾に通うの?」

「一応試験はあるけど、受験のないエスカレーターだから通わないな。それよりも今は……――」

匠君は言葉尻を弱めると、ゆっくりと首を左右に振った。色々な感情が混じっているのか、その表情は複雑そうだ。


「匠君……?」

「なぁ、朱音。手を出して貰っていい?」

「うん」

私は頷くと、右手を差し出した。

「ごめん。左手って言えばよかったな。左手出して貰ってもいい?」

「左……?」

彼に言われるがまま左手を差し出せば、匠君の指が薬指の付け根へとそっと触れた。


「俺さ、まだ人としてまだまだなんだ。親の扶養に入っているし、五王の家に頼る事も多い。でも、それでは駄目なんだって思っている。自分でしっかりと立てるようにならないと大切な物を守れない。だから頑張って大人になるから、この指に指輪は付けないでくれ」

まるでこれから茨の道を歩くのを覚悟しているかのような強い眼差しの匠君に、私は呼吸を忘れた。それと同時に、彼も色々考えている事を知る。

けれどもどうしてだろうか? それに対して心がほんの少しだけざわついてしまったのは。


――……なんだろう? この胸騒ぎにも似た不安な心。


その過ぎった思い。それを私は気のせいだと思うことにした。


「私は結婚していないし、お付き合いしている人もいないから指輪は付けないよ」

「いや、匠君が言いたいのはそういう意味じゃないと思うよ? 露木さん」

「隼斗。ここは静かに二人を見守る所ですよ」

「あっ! ごめんね! つい口が勝手に……」

私の言葉に続き、そんな台詞が耳に届いた。

その発生源へと視線を向ければ、隼斗さんと緑南さんの二人の姿が。手にはグラスとドーナツが乗せられたトレイを持っており、どうやら会計が終わったようだ。


「い、いつの間に!? ど、どっ、どっから聞いていたんだっ!? 」

二人の姿を捉え、一気に顔を茹でたこのように染め上げた匠君。彼は、ぱっと私の手を離すと裏返った声でそう叫んだ。




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