髪の伸びる日本人形って…
「俺の前の席が健斗だから、席を外したのは知っているんだけど……どこに行ったんだろうな」
「それ、いつごろだったか覚えているか?」
「ちょっと待って」
尊はそう告げると左腕を上げその手首に巻かれている時計へと視線を向け、顔を顰めてしまう。その仕草に俺は時間の経過を感じた。
「……一時間半以上は経っているかもしれない」
その心配げな言葉に、ガタっという物音が室内へと響き渡る。それは俺達がいる前方に広がる役員の机。その一番前の席からだ。
そこ――臣の席へと顔を向ければ、あまりに空気が張りつめていたので、息を呑んだ。あいつは無表情なのだが、手にしているシャープペンがきつく握られているのが気になってしまう。
もしかしたら理性を総動員して我慢しているのかもしれない。健斗と臣は昔からの付き合いなので、心配な面半分苛立ち半分という所だろう。真面目な臣とその反対の健斗。相対する二人だが、仲は良いから。
「健斗どこ行ったんだろうな? まさか、抜け出してデートとか?」
「考えられそうで嫌だ。しかしあいつは本当に……」
俺は頭を抱えて深く嘆息を零す。
うちの学校の生徒会役員の選び方は少し変わっている。それはメンバーは全て学校が決めるということ。そのため、基準が全く不透明。
父も学生だった頃は、ここで生徒会長をしていた。あのテンションで会長。副会長はさぞ大変だったろうなぁと思う。現に、父の学生時代を知る前理事長にお会いした時、「君があの光貴の息子っ!?」と驚かれてしまったぐらいだ。一体、父の学生時代はどんな感じだったのだろうか。考えたくもない。
「俺、健斗のこと探して来ようか? 臣、絶対やばいって!」
「いや。今は書類をまとめる方を優先にしてくれ。あと数週間で期末テストだから、近々生徒会の仕事も禁止になる。健斗には電話してみるよ」
「わかった」
尊が神妙な面持ちで頷いた時だった。生徒会室の扉が開き、能天気な声が響き渡ったのは。
「みんな、疲れたでしょー? ケーキ買って来たよ。食べようねっ!」
「……は?」
呑気な健斗の声に、俺達は呆気にとられてしまう。だが、全員すぐにとある人物の動向が気になり、そちらへと一斉に顔を向けてしまった。それは勿論、言わずもがな臣の方。
臣は無言のままゆっくりと立ち上がると、扉の前にいる健斗の方へと足を進め向かう。その水が流れるような仕草が怖い……そのため、俺も尊もそして他の役員も息を呑んで事のなりゆきを見守った。
「あっ、臣ぃ。臣の好きな抹茶プリンも買ってきたよっ! 僕は食べてきたから、みんなで食べてね!」
「……何故、女物の甘い香水の匂いがするんですか?」
「息抜きー。可愛い女の子とデート」
その言葉に、全員呆れを通り越してツッコミを入れただろう。誰もが思ったはずだ。そこは素直に謝っておけよ! と。
――ケーキの差し入れは嬉しいが、まず目の前の臣を見てくれ。そして外出する時は一言声かけてくれよ。いや、そもそも生徒会の仕事優先にしろって!
絶対に臣がブチ切れると身構えていたら、意外なことに「そうですか」と一言零しただけだった。それが酷く恐ろしい。いつもと違う怒り方というか、何かを諦めたかのようにも思える。
「お、臣……?」
俺が近づき声を掛ければ、「匠」と名を呼びながらあいつが振り返った。それに俺が悪い事をして怒られるわけでもないのに、鼓動が早まってしまう。
まるで得体のしれない未知の生物が目の前にいるかのような、定まらない心。
「……少し席を外します。電話をしたいので」
「え? あぁ、わかった」
「では、失礼します」
臣は軽く会釈すると、そのまま真っ直ぐに扉へと向かいその先に消えていった。
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――……今日の臣は様子がおかしかったよな。
自室にて。
俺は畳に寝転がりながらそんな事をぼんやりと思っていた。
あれから臣はちゃんと戻ってきて生徒会の仕事もきちんとこなしたのだが、やはり俺も尊も引っかかっていたのだ。あの様子が。けれども結局尋ねられる空気ではなく、そのまま時間が過ぎ家に帰宅。
「やっぱり電話をかけて聞いてみるか!」
そう決断し、立ち上がると学習机の上に置いているスマホを取る。するとタイミングよく音楽が奏でられ、スマホの画面が光った。どうやらコミュニケーションアプリがメッセージを受信したらしい。そのため、ディスプレイに表示された名と文字を追っていく。
「朱音から……?」
『匠君、生徒会のお仕事お疲れさま。クマの件、大丈夫だったよ』
そのメッセージを読み終えると、俺はスマホを操作し朱音へとすぐに電話をかけた。ほんの数秒で繋がり、ずっと聞いていたい声が耳朶に届く。
『もしもし……?』
「朱音。今、大丈夫か?」
『うん、平気』
「メッセージ読んだ。琴音はあのクマを欲しがらなかったのか?」
もしかして、健斗の彼女の方を狙っていたのか? と思ったが、朱音の言葉でそれが覆る。
『最初は欲しがっていたんだけど……』
だが、その後に続く言葉がなかなか出て来ず。
もしかして何かあったんじゃないのか? と、自然と眉間に皺が寄っていくのが抑えられない。
なぜ、朱音の家と俺の家はこんなに距離があるのだろうか。隣の家とかならば、すぐに向かう。電話越しの距離がもどかしい……
「もしかして、なにか琴音のせいで嫌な思いをしたのか?」
『いつもの事だから……』
「ごめん。美智が学校であのクマを付けていれば、琴音は付けられないから欲しがらないと思ったんだが……」
『……なら、もしかして美智さんの事なのかな……?』
「どうした?」
『それが……その……琴音にクマ取られそうになったんだけど、直前で髪の伸びる日本人形が付けていたから駄目だって諦めたの……』
その台詞に、俺は脳裏に美智の姿が浮かんだ。
あいつ、琴音に髪の伸びる日本人形って言われているのか。もしかして、敵対心でも持たれているのだろうか?
琴音も本人の前で言えるなら言ってみればいいのに。喜んで美智なら喧嘩は買うと思うのだが。
『もしそうなら、そんな失礼なことを……』
沈んでいく朱音の声に、俺は慌てて口を開く。
「朱音は悪くない! 確かにその髪の伸びる日本人形というのは、美智のことかもしれない。学校内で女王と姫君と王子と持ち物がダブるのは禁止だから。だが、本当に朱音は気にしなくてもいい。琴音が言っ……――!?」
俺は言葉を途中で止めてしまった。それは、ふと左側から人の気配がしたから。
そこへ咄嗟に顔を向ければ、障子越しに明らかにその髪の伸びる日本人形と言われた人物のシルエットがゆらゆらと浮かんでいた。
美智は風呂上りに浴衣を着る上に、髪の伸びる日本人形という呼名を聞いてしまったせいで、一瞬等身大の日本人形か!? と見間違えかけてしまった。
――聞こえたんだよな?
なんだか、障子越しに機嫌悪いのを感じてしまっている。
もしかしたら廊下を通りかかって話が聞こえてしまったのかもしれない。美智の部屋は俺の部屋の先にあるから……
『もしもし? 匠君……?』
「ごめんっ! 電波が少し悪かったみたいだ」
ここで美智が聞かれてしまったかもしれない事を朱音に知られたら、絶対に気にする! と無理やり誤魔化す事に。
――美智、怒り沈めて落ち着け! このまま真っ直ぐ自分の部屋に帰れ。乗り込んで来るなよ。わかっていると思うが、朱音にバレるのは困る!
と念を送ったかいがあったのか、美智の姿はすっと溶けるように消えていく。代わりに、庭から何かを叫ぶような声が届いたが。
そしてセットなのか、シロの遠吠えも聞こえてくる。なんか、以前も美智が琴音にブチ切れこんな感じの事があったような気がするけど。
――だがしかし、良く我慢し頑張った!
俺は心の中で妹に拍手喝采を送りながら、その努力を労った。