最初で最後
(匠視点)
どこかで願っていた。
朱音の両親が朱音のことを想っているなら、このまま静かに離れてくれることを。
まぁ、やっぱりというか、結局というか……
朱音の両親が朱音に接触を図ろうとしたらしく、その件で護衛から俺に連絡が来た。
もちろん、即座に朱音に気づかれないように護衛が間に入り、接触を防いだのは言うまでもない。
どうやらマンション付近で待ち伏せしていたらしく、俺の名刺を渡して後で連絡することで帰宅して貰った。
いくら朱音の両親が朱音に会いたいと切望しても、俺は会わせるつもりはないし、朱音に知らせるつもりもない。
朱音が勇気を持って決断したことを尊重したいし、朱音はもう解放されるべき。それに何より朱音の両親が朱音に接触したいのが、自分達の幸せのためというのが考えなくてもわかるからだ。
「……早く終わらせて家に帰りたいなぁ」
俺はため息交じりにそう呟きながら、弁護士事務所の廊下を歩いていた。
ここは五王の顧問弁護士の事務所だ。
会社やプライベートなどこちらでお世話になっているので俺も馴染みがある。
仕事が終わった後、本来ならば残業もないから真っ直ぐ家に帰宅したかったけど、朱音の両親に会うためにここへ。
「お気持ちお察しします。我々も早く匠様の憂いが晴れるようにお手伝いいたします」
そう言ったのは、朱音の部屋まで案内してくれている男性・うちの顧問弁護士の一人である端崎さんだ。
「ありがとうございます。朱音の両親はもう到着しているんですよね?」
「えぇ。一時間ほど前に」
「一時間前?」
俺は足を止めて、怪訝な表情を浮かべてしまう。
いや、早すぎるだろ!? 約束の時間までまだ十五分あるんだぞ?
そこまで追い詰められているのか。
「お茶を出した部下の川口に、まだ朱音は来ないのか? と苛立ちながら言ったそうです。お話は匠様から聞いていましたが、朱音様が来る可能性があると思っているんですね。どう考えてもそんな事を匠様が許すわけがないのに」
「……だから問題なんですよ」
俺はため息混じりに言う。
残念だが、朱音は来ないし、今後も朱音に言うつもりもない。
これ以上朱音を傷つけたくないから。
だから、朱音は知らなくていい。
いつものどおりに日常を送ってもらえればそれでいいんだ。
この件は墓場まで持って行く。
「これは弁護士ではなく、古くからの知人としての意見ですが……」
端崎さんはが俺の顔を見ながら口を開く。
「朱音様の両親と話し合う必要はありますか?」
その台詞に俺は目を極限まで見開いた。
たしかに第三者にしてみれば、そんな人達と会う必要はあるか? と思うだろう。
俺もその話を聞いたらそう思うし。
「彼らに一つだけ感謝することがあるんです。だから、これは最初で最後。会うのはそれが理由です」
「感謝ですか?」
俺は頷くと薬指に嵌められている婚約指輪に視線を落とした。
早く帰りたい。朱音とシロが待つ家に。
「そう、感謝。一つだけね」
「もし、こちら側の言い分を認めなかった場合は?」
「絶対にこちらの意見を全面的に受け入れると思いますよ。朱音の両親は。だって、あの人達が一番大切なのは自分ですから。こちらの条件を受け入れた後のことは知りません。俺達には無関係だ」
俺はそう言うと、足を踏み出した。
+
+
+
俺は端崎さんに先導して貰って案内された部屋の前に立つと、ノックをして中へ。
すると、朱音の両親の姿があった。
応接セットのソファに座っていたんだけど、俺の姿を見ると「遅くないですか?」と第一声を発したので相変わらずだなぁと思った。
まぁ、今日で最後だし。
そう思って、笑顔で「お待たせして申し訳ありません」と告げる。
「朱音はまだ来ないんですか?」
「こんな時に遅れてくるなんて!」
朱音の両親が口々に言ったので、俺は首を左右に振る。
来るわけがない。そもそも知らせていない。
これ以上朱音が傷つく必要はない。
これから朱音には楽しいことばかりの日々を送って欲しいから。
だから、朱音に害があるのは排除しなければならないのだ。
――しかし、朱音が来るかもしれないって思えるのがすごいよな。どんな思考回路していたら、そう思えるんだろうか。
「朱音は来ませんよ」
俺はテーブル越しのソファに座りながら言えば、二人は眉をひそめた。
「なぜ?」
「貴方達二人に会う必要がないからです。さっそく本題に入らせていただきます。今後二度と朱音と接触を禁じます。完全に縁を切って下さい。朱音の決断を尊重して下さい。朱音の幸せを願うならば。子供は親の犠牲になっていいわけがない!」
「自分の娘に会うのに、五王さんの願いをきく必要はないです」
「あぁ、そうだ。そもそも、家族の問題に五王さんが口を挟む権利はないはず」
朱音の両親達の台詞を聞き、想定内だなぁと思った。
「こちらをご覧下さい」
俺は持参してきた封筒を渡した。
朱音の父が受け取り封筒から書類を取り出せば、朱音の母がその書類を覗き込む。
二人は俺が渡した書類の意図がわからずこちらを見た。
「不動産謄本じゃないですか。これは一体どういう意味なんです?」
「抵当権が入っていますよね」
朱音の実家は金融機関から融資を受けてあの家を建てた。
そのため、不動産の謄本に金融機関名や債権額などその記載がされている。
「それは入っていますよ。住宅ローン組んでいますから」
「そうですよね。その支払いはなにで行っているんですか?」
「給与に決まっているじゃないですか」
「えぇ、そうですよね。では、その給与を支払っているのはどこですか?」
「会社ですよ! 何が言いたいんですか?」
朱音の父が苛立ちながら言ったので、俺は口を開いた。
「お二人がそれぞれ働いている会社は、五王の子会社と取引があるんですよ。先日もお二人が働く会社の社長達とお会いしました。何かあればなんなりとっておっしゃっていただいたんですよ。何かって、いまこの現状も含まれているんですかね? もし、社長が知ったらお二人は会社に残れると思いますか?」
にっこりと微笑みながら言えば、さすがに察したのか二人の顔色が青ざめていく。
遠回しに二人に迷惑かけられていることをそれぞれの会社の社長に言うよ? そうなったら、社長はどんな決断をすると思う? と告げた。
五王という名は強い。
だから、あまり使いたくないが家族を守るためなら何でも使う。
「我々を脅すのか!? これ以上朱音に関わると五王の力使って会社を首にするぞ? って、脅すなんて!」
「私達を失業させるつもり!? 琴音はまだ大学生なのよ! 脅すなんて最低だわ!」
「……脅し? いえ、これは最初で最後の感謝です。貴方達には朱音を生んで貰ったという一つだけ感謝がある。だから、これは最初で最後の通告です。簡単ですよね。今後二度と朱音に関わらなければいいんですから」
「私達の生活はどうなる!?」
「子供なら親を助けるのが筋だろ!」
感情的に怒鳴る二人の声を聞いても、俺の心は動くことはなかった。
「貴方達の生活がどうなろうと知りません。俺と朱音には関係ない。それに、子供……朱音には幸せになる権利はある。その権利を害していい理由は、いくら親でもありません」
朱音は自分で幸せになるって決めた。
だから、俺はその意見を尊重して守る。
誰でも幸せになる権利はあるし、それを害していい理由はない。
朱音の両親と琴音の幸せのために朱音が負担をかけることも、犠牲になって傷つく必要なんてないのだから……
「どうしますか? こちら側の意見を受け入れますか? 受け入れませんか?」
俺の言葉に二人は暫く沈黙したが、やがて小さく頷いた。
受け入れるのは予想通りだ。
受け入れてからの露木家がどうなるか?
きっと今までのようにはいかないだろう。
小さな綻びは大きくなる。絶対に――
そこを気に掛けるほど、俺はお人好しでもない。
「では、こちら側の意見を受け入れて貰ったので、俺は帰宅します。あとのことは端崎弁護士にお任せしますので、お二人は彼の話を聞いて下さい。書面に記載して貰うこともありますので。あぁ、それから言っておきますが俺は五王の力を使うのを躊躇いません。約束を破った場合は全力で戦います。では、失礼します」
俺は釘を刺すのを忘れずに言って立ち上がった。
もちろん、口約束では済ますつもりはない。
ちゃんと書面で残すし、あとの法的なことなどは端崎弁護士に任せてある。
――さて、朱音とシロの家に早く帰ろう。
俺はここに来る時よりも軽い足取りで家に向かった。