新生活
(匠視点)
「――ということがあったんだ」
静まりかえったリビングにて。俺は父さんに電話をしていた。
朱音からのメッセージを見た後、詳しい説明もしないで家を飛び出して来たので今説明をしている。
家族も朱音のことを大切に思っているから、とても心配しているだろうから。
それを証明するかのように、俺のスマホには美智と母からのメッセージや祖父と父からの着信が数回あったし。
『朱音ちゃんの様子は?』
「朱音は寝室で休んでいるよ。寝るのを見届けたから安心して」
朱音は寝室で眠っているので今は俺一人だけ。
ついさっきから新居に暮らし始めたせいか、リビングにいることにちょっと違和感を覚える。あ、うちじゃないって。
何度か新居に訪れたことはあったけど、数時間の滞在のみで泊まったことは一度もない。
だから、まだ慣れていないんだと思う。
これから少しずつ適応してくるはずだ。
『そう……朱音ちゃん、眠れているならよかった……』
父さんが少し安心した声で言ったのを聞いたせいか、俺の脳裏に朱音が泣いている姿が浮かんで胸が痛む。
このまま露木家と縁が切れてくれればいい。
けれども、そうはいかないだろう。
『匠は問題ない?』
「俺は大丈夫」
朱音のことを守るためだから、問題なんてない。
これからやることは多々ある。父さんとの電話が終わったら、朱音の会社の社長とうちの警備をしてくれている会社に連絡を入れて対策をする。
朱音の両親と朱音の接触を極力避けなければならないからだ。
……遅い時間だからメールの方がいいよな。この後、メールを送ろう。
「俺も今日からこっちに住むことにしたんだ。朱音との二人暮らしを始めるよ。近々、シロも実家から連れて行って三人暮らしになる」
『匠がいない時にシロが居てくれた方が心強いもんね。シロ、賑やかだし』
そうなんだよなぁ。シロが居てくれた方が心強い。
なるべく定時で帰宅できるようにするが、どうしても難しい時があるかもしれない。そうなったら、朱音を一人にしてしまう。
今の朱音を一人にするのは心配だから、賑やかなシロが居てくれた方が助かる。
『何か力になれそうなら遠慮せず言ってね』
「ありがとう。母さん達にも俺がこっちで暮らすことを言っておいてくれる?」
『わかった。匠も明日から家事頑張って』
「家事……っ!」
父さんに言われて気づいた。
明日から家事をしなければならないことを。
二人暮らしをする日まで家事と料理はある程度できるようにしておこう! という目標を立てていた。
お祖父様達に料理を教えて貰おうと思っていたところだったので、まだ教えて貰っていないので料理ができない。
まぁ、でも包丁すら握ったことがないお祖父様達でも料理できるようになったから俺も大丈夫かな。何事もチャレンジだし。
さっそく明日の朝食からやってみよう!
あー……冷蔵庫が空だ。今からだとスーパー開いてないよなぁ。ということは、コンビニとか?
明日の朝、早起きしてコンビニに行ってこよう。
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(朱音視点)
「えっ!?」
朝、目が覚めた場所に違和感を覚えて声を上げてしまう。
ふかふかのベッドや真新しい壁紙などは見慣れた私室のものじゃない。
それが違和感の原因だった。
でも、すぐに昨夜のことを思い出して「あっ、そうだった」と腑に落ちる。
――ここは新居。
昨日のことを考えると未だに心がざわりと嫌な感覚で蝕まれていく。
なので、私は首を左右に振った。
もう切り離さなきゃ。
私は匠君と新しい生活をするんだから。
前を向いて進まなきゃ……! ん?
ここでふと気づいた。あれ? 匠君がいないって。
「……匠君は?」
ベッドにはいない。
昨日、私が寝るまでそばにいてくれたのは覚えているんだけど……
もしかして、もう起きたのかな? それとも別の部屋で寝たのかな?
匠君を探そうと立ち上がりかければ、ちょうどサイドテーブルの上に置いてある時計が視界に入り小さな悲鳴を上げてしまう。
「ろ、六時十五分っ!?」
いつもは五時台に起きて朝食の準備をするのに、今日は寝坊だ。
今から朝食作って出社ってギリギリ間に合うかな!?
あっ、でも冷蔵庫が空だから何か買いに行かないと!
私は慌ててリビングへ向かえば、人の話し声が聞こえてきた。
匠君が誰かと話をしているみたい。
「フライパンに生卵を入れるタイミングって、いつ頃ですか?」
『油は?』
「しいてないです。油をしいた後はハムも一緒に入れてもいいんですか? それとも後ですか?」
リビングの扉を開けて「おはよう」と言いながら中に入れば、キッチンにいる匠君と目が合う。
彼はエプロンを着けていて、穏やかな笑みを浮かべている。
匠君の近くにはスマホが立てかけてあり、スマホで通話をしながら何か作っているみたい。
うちはリビングとキッチンが続いているので、料理をしながらリビングを見渡せるようになっている。
「朱音、おはよう!」
『朱音さんか。おはよう』
「おはようございます」
電話の相手は匠君のお祖父さんだった。
「あの……ご迷惑をかけて申し訳ありません……」
私は匠君のお祖父さんに昨日のことを謝った。
きっと匠君のご家族も心配しただろう。
匠君はもう少し実家でゆっくりしてから引っ越す予定だったのに、私に合わせて急な引っ越しになってしまったし……
急すぎて匠君のご家族に申し訳ない。
『いやいや、匠も良い年をした大人だ。自分の判断で行動できる。それより、こちらこそ申し訳ない。匠がまだ家事をできなくて……今、ハムエッグを教えているんだ』
「いえ、家事は私が全部やります!」
『朱音さん。匠から家事は分担すると聞いているよ。匠も何か作れるようにならなければ。それに、凝った料理じゃないから初心者でも大丈夫……のはず……』
匠君のお祖父さんの声が後半弱くなっていった。
きっと料理をした事がない匠君を心配しているのかも。
「朱音。お茶でも飲んでソファでゆっくりしていて! 今、ハムエッグ作るから!」
「もしかして、食材買ってきてくれたの?」
「コンビニで買って来たんだ」
「ごめんね、ありがとう。私もやるよ。食パンってことはトーストかな? トーストの準備するね」
私も匠君と一緒に朝食を準備するために、エプロンを取りに行った。
数分後。
匠君のお祖父さんのアドバイスもあり、匠君はハムエッグを見事に完成。
焼きたてのトーストとコンビニのサラダ等と一緒にテーブルに並んでいる。
「美味しそうだね!」
「なんとか形になってくれて良かったよ。卵の殻が入った時はひやっとしちゃったけど」
「すごく上手だよ」
私は微笑みながら匠君に言うと、寝室から持ってきたスマホで写真を撮る。
あまり食べ物を写真に撮るってことはしないけど、今日は匠君が初めて作ってくれたものだから。
私のために作ってくれたという気持ちが嬉しい。
「写真撮るほどの出来じゃないから、今度は写真映えするのを作るよ!」
「ううん。すごく嬉しいよ。ハムエッグ」
私がそう言えば、匠君がはにかんだ。