お姉ちゃん辞めるね
「ただいま……」
家の異変を察しながらおそるおそるリビングの扉を開ければ、琴音が泣きじゃくっていた。
それを両親が慰めているんだけど、三人とも私に気づいていない。
琴音はソファに座らず床に座ってクッションをソファに叩きつけているし、父も母も顔を曇らせながら琴音の背中をさすっている。
――一体、何があったの?
琴音がこんなに感情を爆発させて怒っているのは子供の頃以来かも。
キレることはあるけど、こんな風に両親二人がかりで慰めることはなかったから。
声をかけるタイミングをはかっていると、「なんで私が振られなきゃならないわけっ!? そもそも仲が良いか聞かれたら普通は良いって答えるでしょ。それなのになんで騙されたって言うの! おかしいでしょ。五王家狙いなら最初からあの女王様狙いでいけばいいじゃない。私を踏み台にして。人を馬鹿にしすぎよ」という絶叫に近い怒鳴り声が届く。
――もしかして、南谷さんと別れたの? しかも、踏み台や五王家狙いって不穏なワードがでているし。
推測にすぎないけど、南谷さんは五王家の地位かコネクション狙いだったのかも。
私が匠君とおつき合いをしているから、琴音に近づいたとか……?
それなら、美智さんに近づこうとしたあの料亭の件といい、匠君へ「親戚になる」みたいなことを言っていたのもわかる。
琴音がキレる理由も納得。
琴音は彼氏に振られたことはない。
大抵、良い条件があればそっちにいったり、もしくは同時交際だったり……
いつも『自分が選ぶ立場』だった。
それが、今回は『自分が切り捨てられる立場』に。
今回は南谷さんから別れを切り出され、その上自分に近づいた理由が五王家。
琴音のプライドが傷ついたから、これは荒れる……
私が宥めても、逆に感情を逆なでてしまうかもしれない。
ここは両親に任せた方がいいかも。
私は触らぬ神に祟りなしとばかりに、そっと部屋からでるために一歩足を動かせば、小さくギィと床から足音が鳴ってしまい、琴音と両親が反射的にこっちをみた。
「朱音、帰っていたの?」
「うん。あの……――」
私の言葉を遮るように、琴音が目を細めて睨んだ。
「いいざまって思っているでしょ。私が婚約破棄されて」
「そんなことは……」
琴音とは姉妹仲はよくないけど、いいざまなんてそんな風に思ってない。
「なんで私ばかりこんな目に遭わなきゃいけないわけっ!? ずるいよ。お姉ちゃんばかり幸せになって! 匠先輩と結婚だし、結婚したら五王家の財産もらえるし、私が住みたかった高級マンションにももうすぐ引っ越しだもん。私だけ不幸だわ!」
琴音がそう言いながらクッションを私に向かって投げ捨てたので、私の肩に当たる。
柔らかかったから痛くはないけど、足がすくんでしまうほど空気が重くなった。
「絶対に嫌よ。私が婚約破棄されたのに、お姉ちゃんだけ幸せになるなんて。ずるい! 許さないんだから!」
琴音の言葉に続くように、両親が「そうね」とつぶやいたのが怖い。
空気がおかしいよ。この流れだと、私が――
「朱音。五王さんとの結婚を取りやめにしなさい。琴音がこの状態では、あなた達も心の底から幸せになんてなれないでしょ?」
「確かにそうだな。このままだと琴音がかわいそうだ。朱音だってそう思うだろう? 五王さんとの新居に琴音も一緒に暮らしたらいいんじゃないか? 元々琴音が暮らしたかった場所だし。琴音の傷が癒えるまでフォローしてあげなさい。お姉ちゃんなんだから」
「そうね。それがいいわ。でも、このままだと琴音が婚約破棄されたことになる。不名誉だわ。なんとか復縁できないかしら? 五王さんなら南谷さんと琴音の復縁に尽力してくれると思うんだけど……」
「いや、南谷さんじゃなくて彼以上の人がいいだろう。五王さんに紹介して貰ったらいいんじゃないか」
私の意思関係なしで進んでいく両親の話に、私は頭を殴られたような気がした。
「お父さんもお母さんも何を言っているかわかっているの?」
私がやっと絞り出した言葉は三人に聞こえているのかわからないくらい小さい。
やっとわかった。この家族がこんなに歪んでいたことを。
本当はもっとずっと前からわかっていたんだと思う。
でも、かすかな希望を諦めきれなかった。
認めることができなかった。
私はどこかで親は子供を無条件で愛するもの。
そう思っていたから……
でも、今回の件でそれは無惨にも消え去った。
「私は琴音が幸せになってからじゃないと幸せになれないの? 琴音のめんどうをずっとこの先見続けなきゃならないの?」
「当然でしょ。あなたはお姉ちゃんなんだから――」
あぁ、ずっとこのパターン。
琴音の幸せ、両親の幸せ。
それは、私の幸せや心が犠牲にならなきゃならない。
両親や琴音の幸せは私の犠牲で保証されるだろう。
でも、私の幸せは……?
私が自分で手に入れようとしても、今回のようにきっと家族によって壊される。
ゴールが全く見えない中、ずっと身をすり減らし続けなきゃいけない。
幼い頃、私がお姉ちゃんでいることが辛くて耐えきれない時に、『お姉ちゃん辞めたい』って言った事があったけど、この人たちはその件も覚えていないんだろうなぁ。
でも、私はもうあの頃と違う。
一緒に幸せになりたい人がいるし、幸せにしたい人がいる。
「ねぇ、お母さん。私、昔お姉ちゃん辞めたいって言ったのを覚えている?」
「そんなことあった?」
「あったよ」
「どうでもいいじゃないそんなこと。今は琴音よ」
「朱音、今は朱音の事より琴音の事を心配してあげなさい。もう大人なんだから自分本意はやめなさい」
少しだけ賭けたかった。
でも無理な望みだったんだね。私の幸せや心は両親や琴音には関係ないものだから。
その上、匠君まで巻き込もうとしている。
「――私、『お姉ちゃん今日で辞める』ね」
私はこみ上げてくる感情のせいで、大人げなく声を上げて泣きだしたくなった。
この複雑な感情をたとえる言葉がでてこない。
「はぁ? 何言っているの。お姉ちゃん。やめられるわけないでしょ。私より前に生まれたんだから」
「何言っているのよ、朱音。お姉ちゃんやめるってそんなことできないでしょ」
「琴音が大変な時にバカな事を言って」
「私は幸せにしたい人がいるの。その人とこれから一緒に幸せになりたいって思っている。そう思えたのは匠君に出会えたからだし、匠君の家族が人の温かさも教えてくれた。だから、私はもうこれ以上はこの家にいられない。今までお世話になりました」
私は両親や琴音の言葉に耳を傾けず、頭を深く下げた。
大学にも行かせてもらえた。食事も食べさせてもらえた。そのことには感謝している。
もし学費を返せと手紙や電話で連絡が来た場合は、私はお金を返すつもりだ。
「荷物はあとで業者の方にお願いして片づけます。さようなら」
両親や琴音が大声で何か言っているけど、私は足を止めることなくリビングから出た。
かなり前に感想の返信で結婚式で~と書きましたが、
結婚式をちゃんとあげさせたかったので場所を自宅に変更しました。