なら、なんの座なら譲らないんだい?
「どういう事っ!? 帰国早々だけれども、色々と聞きたい事が!」
私達の前に佇んでいる匠君のお父さんは、目を輝かせながらこちらを見詰めている。
それを匠君が、深い嘆息を零して受け止めていた。
私達がいるのは、待ち合わせ場所のお店前。
白壁に屋根が赤煉瓦を並べられた一軒家風で、軒下にはシルバーのプレートが掲げられている。そこには、徳永という文字が彫られていた。
窓枠は水色のペンキで塗られているけれども、褪せて丁度良い色合いを醸し出している。そこにはブリキの缶に活けられたガーベラが飾られていて、レースのカーテン越しに中の風景をほんの少しだけ窺える。
まるで外国の海沿いにある店のような、カントリーチックで可愛らしい店構えだ。とても鉄板焼きのお店には見えず。
本店は五王の図書館の近くにあるらしく、こっちは分店。なんでも若い子をメインターゲットにしているらしく、本店の堅苦しい感じとは区別し、気軽に入りやすい雰囲気にしているみたい。
ここまで水族館から徒歩十分。そのため私と匠君は観光がてらに、歩く事を選択。歩道沿いには可愛いマリン雑貨のお店などが立ち並んでいて、人で賑わっていた。二人で話をしながらだったので、あっという間に着いた気がする。
匠君がお店を知っていたので、迷わずに到着できてよかった。
ちょうどお店付近まで辿り着けば、店の前にスーツを纏った見覚えのある人が……
それが匠君のお父さんだった。どうやら、心配して外で待っていてくれたらしい。そのため、すぐに声を掛ければさっきのような反応に――
「……なんでだろうなぁ。そのテンションが懐かしいって思うのは」
「それって僕が留守で寂しかったんだね! 昔は出張のたびに行かないでパパって泣いていたもなぁ」
「いつの話だ。いつの!」
匠君が口元を引き攣らせながら、目を細めた。
「ねぇ、それよりもどうして手を繋いでいるんだい? 思わず二度見しちゃったよ。これは、おめでとうって言っていいの?」
「えっと……その…色々あったんです。実は水族館で……――」
私は簡単に話をした。どうして手を繋いでいるかを。
すると、匠君のお父さんは穏やかな表情を浮かべて「そうか」と頷いた。
「そういう理由で手を繋いでいたんだね。でもさ、駄目だよ。絶対に!」
「すみません……やはり、気安く手を繋ぐべきでは……私なんかと誤解されては…匠君も……」
水族館でも匠君のお友達に言われた。どうして手を繋いでいるのかって。
私はいつも匠君の優しさに甘えているけれども、彼の迷惑になってしまう事も考えなければならない。もし、変な噂でも流れてしまったら、申し訳ない……
わかっているのに、頼ってしまっている。
これが例えば琴音のように可愛くて優れた特技があるような子ならば、問題ないかもしれないけれども。
「違うよ。朱音ちゃん。僕が言いたいのは、朱音ちゃんのお父さんの座だよ!」
「え?」
俯きかけた顔だったけれども、弾かれたように匠君のお父さんの方へ。
すると、匠君のお父さんは、私の隣にいる匠君へと視線を向けると唇を尖らせるような仕草を見せた。
「譲らないから! 朱音ちゃんのお父さんの座は譲らないよ」
「……言うと思った。父親の座なら喜んで譲るって。俺は別に朱音の父親の座に就きたいなんて微塵も思ってないから」
匠君は呆れた口調でそう、返事をした。
「え? なら、なんの座なら譲らないんだい? ねぇ、教えてよ。匠ぃ~」
「……朱音。父さんの事は放っておいていいから。もう行こう。二人で食事にしようか」
「えー。折角の親子の会話を楽しもうよ。二週間ぶりに戻ってきたのに。でも店の前で立ち話も暑いし、後は中で色々と聞くことにしようかな。じゃあ、行こうか」
そう告げると匠君のお父さんは、モスグリーン色をした扉のドアノブを引いてくれた。すると、ウィンドチャイムの軽やかで涼しげな音色が私達を包み込んでいく。
ふと、その方音の方向へと視線を向ければ、ウィンドチャイムは細長い金属の棒のようなものが数本と、イルカを模したものや貝殻を組み合わせて作られている。さっき通ったマリン雑貨屋さんに売っていそうで少しだけ気になった。
――イルカ可愛いなぁ。
「さぁ、どうぞ」
「ありがとうございます」
匠君のお父さんに促され、私達は中へ。
すると、外のじめっとした暑さとは違い、中は人工的な涼しさ漂っていたため、むき出しの足にその爽やかで少しひんやりとした空気が掠めた。
「五王様。お待ちしておりました」
店内に入ってすぐに店員さんと思われる人がやって来てくれた。
白いシャツに黒のスカート姿の女性。彼女はにこやかな笑みを浮かべている。
髪は綺麗に纏められ、衣服もきっちりとアイロンが掛けられとても清潔感溢れる印象だ。
「瑠香ちゃん。さっきは急な電話で悪かったね」
「いえ、五王様の頼みですので。上の個室を押さえておきました。こちらの可愛らしい方が匠坊ちゃんの……?」
女性の視線が私に向かったので、慌てて会釈。
「初めまして、露木様。徳永の臨海支店の店長をしております徳永瑠香と申します。店の方、いかがですか? 気に入って下さると嬉しいのですが」
「可愛らしいお店だと思いました。外もそうですが、中も……」
店内はカウンター席には鉄板があり、目の前での調理を見る事が可能。他にテーブル席は四席ぐらい。どこも満席で女性客がメインだ。
その理由は店構えだけでなく、内装も人気なのだろう。
家具もアンティークっぽい造り。そのため、木の温もりだったり、デザインの良さを感じる。壁に掛けられている絵画一つとっても、淡い色彩で描かれているし甘めな印象。どちらかと言えば、カフェっぽい気がする。
「そう言って頂けて良かったです。コンセプトが、気軽に立ち寄れる店ですので。本店が堅苦しく敷居が高いと思われがちで、若い方が全くいらっしゃらないのが悩みなんです」
「本店も美味しいし、あぁいう雰囲気も悪くないけどね」
「えぇ。五王様を始め、御贔屓にして頂いている方も多くおります。でも、どうしてもうちは先代の印象が強いようで……」
「気に入らない客追い返してたもんなぁ。まぁ、こだわりが強い人だったから」
「はい。父の代になってからは、それが緩くなったのですが……私を始め徳永の者達は皆、もっとうちの店を知って欲しいと思っています。ですから、色々な方達に食べて頂きたいんです。勿論、徳永らしさを忘れずに」
「徳永さんは良い娘さんを持ったね」
「勿体ないお言葉ありがとうございます。では、早速部屋へご案内致しますね」
瑠香さんはそう口にすると、私達を誘導してくれた。