鮫島社長
(匠視点)
衣替えの時季が過ぎ、季節はもう七月。
ほんとあっという間で早いなぁって思う。
ここ最近、休日も五王家の付き合いで埋まることも多いから余計にそう思うのかも知れない。
今日も俺はホテルの大広間で開催されているパーティーに参加している。
とある企業の新規事業に関するもので、周りにはグラス片手に楽しそうに談笑をしている人々の姿があった。
ついさっきまで俺も周りの人々と同じように談笑していたが、今は場を離れてばったり遭遇した龍馬兄さんと世間話中。
どうやら龍馬兄さんも家の付き合いで参加しているらしい。
「そういえばさ、匠。引っ越すって言っていたけど、まだ引っ越してないわけ? 匠のことだから朱音ちゃんとすぐに同棲始めるって思っていたけど」
「そうなんだよ。なかなか物件が決まらなくて」
実はまだ新居が決まっていない。
五王家での食事会以来、俺と朱音は休日を利用して物件巡りをして2カ所まで絞っているんだけど、どっちに住むか迷っている状況なのだ。
甲乙つけがたいため、なかなか決められないんだよなぁ。
なので、もう一度内覧に行って決めようかって朱音と話をしていて、パーティーが終わった後に内覧に行く予定になっている。
「今日、このあとに朱音と一緒に内覧に行く予定なんだ」
「もう五王家でよくない? 朱音ちゃんさえよければ」
「それ言わないで……うちで母さんと美智に言われているんだ……」
物件がなかなか決まらないため、俺は母さんと美智から強い圧をかけられている。
『ねぇ、匠。物件が決まるまでうちで暮らしたらどうかしら? そうしたら、朱音ちゃんとお買い物にも行きやすいし。この間、朱音ちゃんに似合いそうな服を見つけたの。一緒にお買い物がしたいわ!』
『お兄様。物件を探さずに五王家でよろしいのでは? 私が朱音さんとゆっくりおしゃべりをしながらお茶ができますし』
顔を合わせるたびに二人に欲望丸出しのそんな台詞を言われるので、結婚前だというのに朱音の争奪戦が勃発している。
ちなみに、いま朱音は美智と母さんと近隣ホテルでアフタヌーンティー中。
パーティーが終わったら朱音と物件巡りをする話を聞いた美智が「でしたら、パーティーが終わるまで女子会しませんか?」って朱音を誘ったのだ。
隙あらば! って、虎視眈々と狙うのはさすが美智だなぁと思う。
「朱音ちゃん大人気だもんな」
「そうなんだよ。しかも、今も美智とお茶会中なんだ。結婚前の段階でこの状況だよ? 俺と朱音が五王家で新婚生活送ったら、美智達が遠慮せず朱音を誘うに決まっている」
「確かに」
ため息交じりで言えば、龍馬兄さんが苦笑いを浮かべた。
「匠がまだプロポーズしていないのが信じられないくらいだよなぁ。朱音ちゃん、匠の婚約者って感じがする」
「俺としてはもう妻として朱音を紹介したい」
「それ早すぎ。プロポーズとばしているじゃん。というか、プロポーズいつするの?」
「来月。今、準備中なんだ」
来月プロポーズする予定なので、朱音に内緒で少しずつ準備中。
道具を揃えたり、場所の打ち合わせをしたり……
予定では新居決まってからプロポーズの準備だったんだけど、平行しているのでちょっと慌ただしくなっている。
「準備? 指輪か?」
「いや、指輪は二人で決めようかなって。朱音の好みとかあるからさ」
「指輪以外だと準備って想像できないなぁ……とにかく、朱音ちゃん喜んでくれるといいな」
「あぁ」
龍馬兄さんの言葉に頷いた瞬間。視界の端にスーツ姿の女性が入った。
彼女が歩くたびに耳下まで切りそろえられた髪が揺れ動く。
縁取りがされた眼鏡越しにまっすぐ前を見つめ足を進めているあの女性に見覚えがあった。
――あれは……。
「ん? どうかしたのか?」
俺が彼女を見つめていたためか、龍馬兄さんが不思議そうな声で聞いてきた。
「あの女性、朱音の働いている会社の社長なんだ。鮫島伊里さん」
「へぇ、朱音ちゃんの」
「俺、挨拶してくるよ」
もともと入籍後に挨拶に行く予定だったけど、ここで会ったのも何かの縁かもしれない。
「そうだな、いってらっしゃい」
「龍馬兄さん、また後で」
「あぁ、またな」
俺は断りを入れて、鮫島社長の後を追うことに。
距離も近かったため、すぐに追いつくことはできた。
すぐに彼女の背に向かって「鮫島社長」と声をかければ、彼女はゆっくり振り返り、俺を視界に入れるやいなや目を極限まで見開いた。
まるで幽霊でも目撃してしまったかのように、何度も瞬きをして俺を見つめている。
「ご、五王さん?」
「こんにちは。お見かけしたのでご挨拶をと思いまして。今、お時間よろしいでしょうか?」
「えぇ、構いませんが……」
「良かった。いつも彼女がお世話になっています」
「彼女ですか……?」
「えぇ、朱音がお世話になっています」
「朱音……」
鮫島社長は時間が止ったかのように動かなくなった。
かと思えば、急に「えっ!?」と裏返った声を上げてしまう。
「も、もしかしてうちの露木のことですかっ!?」
「はい」
「えっ、本当にうちの露木ですか?」
「はい。結婚前提のお付き合いで家族にも紹介済みです」
俺が微笑みながら言えば、鮫島社長は「け、結婚前提っ……!」と呟くとまた固まってしまった。
「もし良かったらご連絡先を交換して貰っても? 朱音に何かあったら俺に直で連絡が欲しいんです」
「えぇ、それはもちろんです」
鮫島社長は戸惑いつつも頷いてくれたので、俺はさっそく名刺を取り出して連絡先を交換することにした。
+
+
+
(朱音視点)
――パーティー、終わったかな?
私は匠君がいるホテルのロビーにいた。
窓際にあるソファに私が座り、テーブル越しの席には美智さんと匠君のお母さんがいる。
そろそろパーティーが終わって匠君が来る時間なので、それまでお茶をしながらおしゃべり中。
ついさっきまで匠君のお母さんと美智さんとアフタヌーンティーを楽しんだり、お買い物を楽しんだりしていた。
匠君のパーティーが終わった後に新居の内覧に行く予定なので、それまで二人が一緒に過ごしてくれたのだ。
「楽しい時間というのは、ほんとうにあっという間ですわねぇ」
「ほんとねぇ」
匠君のお母さんと美智さんがしみじみ言う。
「匠が結婚したら朱音ちゃんとの時間がとれなくなるわ。だから、いまのうちの朱音ちゃんとの時間を楽しまないと……!」
「ほんとうに」
匠君のお母さんの台詞に美智さんが深く頷いた。
「朱音ちゃん、夕食のお店って予約している? もし良かったら――」
「予約しているよ」
匠君のお母さんの声に重なるように匠君の声が聞こえたので、顔を右側に向けると匠君が立っていた。
匠君は呆れた顔を浮かべ深いため息を吐き出すと、「ほんと、隙あらば朱音を誘う」と呟く。
――ん?
私はここではじめて匠君の隣に人が立っているのに気づき、目を大きく見開いた。
だってそこにいたのは、私が働く会社の社長だったから。
もしかして、社長もパーティーに参加していたのかな?
「社長」
私が立ち上がれば、「まぁ!」「あら」と匠君のお母さん達も立ち上がった。
「朱音ちゃんの会社の……! 朱音ちゃんがお世話になっております。もうすぐ娘になりますので、これからもよろしくお願いしますね」
匠君のお母さんの言葉に、社長が「こちらこそお世話になっています」と裏返った声で言う。
「申し訳ありません。ちょっと露木さんをお借りします。露木、ちょっとこっちに!」
社長が慌てながら私に声を掛けたので、私は社長と共に匠君達から離れた。
どこに行くんだろう? って思えば、ロビーのそばにあるエレベーター付近で社長は立ち止まった。
何か大切な話かな? と首を傾げれば、社長が両手を伸ばして私の両肩を掴んだ。
「露木、五王の御曹司と付き合っているのか!?」
「は、はい」
社長の鬼気迫る迫力に対して、私は動揺してしまう。
――もしかして、匠君に聞いたのかな?
「やっぱり本当なのか。最初五王さんに聞いた時、びっくりしすぎて心臓がひゅんってなった……」
やっぱり、匠君に聞いたみたい。
もし私が社長の立場ならびっくりすると思うから気持ちがわかる。
時々、自分でも夢かな? って思うし……
社長は視線を一旦ずらすと、もう一度真っ直ぐ私の方を見た。
「あのな、露木。くれぐれも無理するなよ?」
「え?」
急に真面目なトーンで話し出した社長に、私は少し驚いてしまう。
「五王って言ったら、かなりの名家だ。今日のように休日にもかかわらずパーティーなどにも参加しなきゃならない時もあるだろう。交友関係も一気に広がるだろうし。家庭と仕事を抱えきれなくなりそうなら遠慮しないで言うんだ。露木は真面目で限界まで我慢しそうだから先に言っておく」
「ありがとうございます」
私は心配してくれた社長にお礼を言う。
私が働いている会社は大きくはないから、社長と社員の距離が比較的近い。
それは入社してすぐにわかった。
社長が入社したての私を気にしてたびたび様子を見に来て声をかけてくれたから。
もちろん、私だけじゃなくて他の社員に対しても。
気さくに社員に声をかけたり、社員の仕事の相談に乗ったりしてくれている。
「まぁ、でも余計な心配かもしれないな。五王の御曹司も五王家の人達も露木の事を大切に思っているみたいだしさ」
社長はロビーにいる匠君達を見ながら微笑み、そう言った。