匠、チョロい…
翌日の昼。私は大学の食堂内で斎賀さんと若狭さんを探していた。
食堂の入り口付近に立ち、テーブルが並んでいる場所やカウンターを見ている。
昨日、斎賀さんに言われたことがきっかけで色々考えることができたので、お礼代わりにクッキーを持って来た。
ちょうど琴音に頼まれてクッキーを作ったからということもあるけど……
クッキーは斎賀さんの分だけじゃなくて、若狭さんの分もある。
昨日、駅まで一緒に帰って貰ったから。
「いるかな? 斎賀さんと若狭さん」
二人ともイケメンと美女なので目立つと思ったんだけど食堂内では見当たらない。
もしかしたら、外で食べているのかな?
大学の近くにはコンビニもあるし、カフェもある。
――連絡先知っているから、メッセージ送った方がいいかも。今日、食堂に来ない可能性もあるし。
そう思って鞄からスマホを取ろうとした瞬間。
背中に「あれ? 露木さん?」という若狭さんの声が届いた。
「あっ、若狭さん」
そこにいたのは、財布を持った若狭さんと斎賀さんの姿だった。
「露木さん、一人? 良かったら一緒に食べない?」
「今日は滝口君達と一緒なんです」
私はちらりと食堂の一角を見れば、滝口君達の姿がある。
食堂を利用する時は大抵彼らと一緒にいるので、今日も変わらずみんなで食べる予定だ。
「二人に渡したいものがあって……これ、昨日のお礼です。送ってくれてありがとうございました」
私は手にしていた袋を渡す。
袋は透明で中に入っているクッキーが見えている。
「えっ、わざわざ作ってくれたの!? ほんと、全然気にしなくてもいいよー」
「妹に頼まれてクッキー作った時に多めに作ったんです」
「ありがとう! 露木さん、お菓子作るの上手だね。美味しそう。ランチの後にさっそく食べさせてもらうねー」
若狭さんは受け取った袋を眺めながら言った。
一方の斎賀さんは、手にしている袋をじっと見つめている。
「やっぱり作ったんだね?」
斎賀さんに言われて、私は曖昧に笑った。
「昨日、斎賀さんに言われたこと色々考えてみました。難しいけど、いいきっかけになったと思います。ありがとうございました」
「露木さん、斎賀と何話したの?」
「人生相談というか……」
「斎賀が人生相談にのってくれたのっ!? まったく想像出来ないわ。二人とも、難しい話をしていたんだね」
若狭さんは腕を組んでうんうんと頷いている。
「露木さん、何かあったら私も話を聞くよ」
「うん、ありがとう。あっ、混んできた……」
私達がいるのは入り口付近。そのため、昼食を食べにやって来た人々で混雑し始めている。
邪魔にならないように、立ち去った方がいいだろう。
流れを止めてしまうし。
「私、そろそろ行くね。また、バイト先で」
二人に会釈をして背を向ければ、「露木さん」と斎賀さんに声を掛けられた。
振り返れば、斎賀さんがじっとこちらを見ている。
――なんだろう?
「俺は今でも育った環境が違うとわかりあうことはできないって思っている。でも、君達はうまくいくといいね」
斎賀さんが言った言葉を聞き、私は目を大きく見開く。
そんな言葉をかけられるなんて思ってもいなかったから……
私が驚いていると、彼は何も言わずにカウンターの方へと向かって行った。
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とある休日。
私は五王家で匠君のお母さんと一緒にお茶を飲みながらおしゃべりしていた。
ついさっきまで五王家にある離れの茶室で茶道を教えて貰っていたので、私も匠君のお母さんも着物姿。
匠君のお母さんが「着物を着た方が気分違うと思うから」ということで着せてくれたのだ。
洋服と違って着物って着慣れないから緊張するんだよね。
それに、匠君のお母さんに借りているものだから汚しちゃいけないし。
匠君のお母さんは汚れても大丈夫よって言ってくれているけど……
私が茶道を教えて貰うのは春ノ宮家が多いんだけど、今日は匠君が留守なので五王家で教えて貰っている。
匠君は佐伯さん達とログハウスにお泊まり。
そのため五王家を留守にしているので、明日まで戻って来ない。
「匠君、佐伯さん達とのお泊まり楽しみにしていました。昨日、電話で久しぶりにゆっくりできるって」
「大学やパーティーでは会っているけど、ゆっくり語り合うって最近なかったのかもしれないわね。匠も気心の知れた友達と羽を伸ばすのはいいことだわ」
匠君のお母さんはそう言うと微笑んだ。
「あの……匠君のお母さん。少し伺いたいことがあるんです。いいですか?」
「えぇ、もちろんよ」
私はこのあいだ、斎賀さんに言われたことを聞いてみようと思った。
あの時も思ったけど、自分の軸を持っている人って匠君のお母さんが浮かぶから。
「どうやったら匠君のお母さんみたいになれますか?」
「私みたいに……?」
湯飲みを手にしたまま、匠君のお母さんが首を傾げる。
「はい。匠君のお母さんみたいに自分の軸を持ちブレない人になりたいんです。実はとある人に言われたんです。自分の軸がないって。確かにそうなんですよね。私は両親や妹を中心にして生活をしている。自分が主体じゃないんです」
「難しい質問ね。そうねぇ……朱音ちゃんは大切なものはある? これだけは誰に何を言われても譲りたくないなってもの」
その質問には、私は匠君のことが浮かんだ。
――匠君と一緒にいることかな。
「あります」
「いきなり自分の軸を持つということって難しいと思うの。自尊心などが少しずつ積み重なってきたものだし。だから、まずは誰にも譲れない大切なものを守るということから初めてみたらいいんじゃないかなって思うわ。もし、迷ったりわからなくなったら、その大切なことを守れる方を選べばいいの。時には自分が大切だと思うものを守るために戦わなきゃいけない時や何かをきり捨てなきゃいけない時もくるかもしれないけど……」
「匠君のお母さんの大切なものってなんですか?」
「家族よ。きっと昔なら家って答えていたと思うけど。光貴さんと出会っていろいろ価値観が変わったの。彼が外に連れて行ってくれなかったら知らない世界がいっぱいあっていろいろな刺激を受けたの」
前に匠君のお母さんが春ノ宮家の姫と呼ばれていたって聞いたことがあった。
春ノ宮家も五王家と並んですごい家だから、護衛の問題でふらっと散歩とか気軽に出かけられなかっただろうし。
「匠君のお父さん、いろんなところに連れていってくれたんですか?」
「えぇ。光貴さんの友人がやっている海の家にいったりお祭りに行ったり。きっと春ノ宮家にいたままでは知らなかった世界だわ。海の家って行ったことがなかったもの。懐かしいわ。光貴さん、交友関係が広いからよく友人や知人にばったり遭遇して囲まれていたのよ」
匠君のお父さんが人気なのはすごくわかる。
とても気さくで優しい人だもの。
「女性にも囲まれていたわねぇ……あの人、本当にモテるのよね。現在進行形で」
ついさっきまで微笑んでいた匠君のお母さんが急に真顔になった。
美人の真顔ってちょっと怖かったので、ビクっと体が動いてしまう。
匠君のお父さんはモテると断言できる。
でも、匠君のお母さんのことをすごく大切にしていることがこっちにも伝わってくるから心配いらないって思う。
そのことを伝えようとした時だった。
廊下から足音が聞こえてきたのは。
「あら、お義父さんが帰ってきたのかしら?」
私が五王家を訪問した時には匠君のお祖父さんはお友達と観劇を見に行っているらしく外出中だった。
美智さんも棗さんと遊びに行っているので、匠君のお母さんしかいなかったんだよね。
匠君のお母さんが首を傾げながら私の後方にある障子を見たので、私も少し体をずらして後方を見た。
ちょうどそのタイミングで障子に人のシルエットが浮かんだ。
――あれ? もしかしてこの人影って。
「母さん。朱音がうちに来ているでしょ?」
頭の中で想像した人の声が聞こえた。
「えっ、匠!? どうして戻ってきたの!」
匠君のお母さんが極限まで目を見開くと中腰になった。
どうしよう。私、いま着物姿がなんだよね。
匠君には茶道習っていること内緒にして貰っているからバレるとちょっと……
戸惑っていると、障子が開いて匠君が現れた。
「やっぱり、朱音だー!」
匠君は私を視界に入れると微笑む。
「玄関にあった靴ですぐにわかったよ。朱音のサイズっぽかったし、朱音が好きそうな靴だったからさ」
「匠、あなた臣君達とログハウスに泊まりに行く予定だったんじゃないの!?」
「途中でパソコンを持って行きたくなって戻ってきたんだ。寝る前に勉強しようかなって」
「遊ぶ時には思いっきり遊びなさい。せっかく臣君達とゆっくりできるんだから」
「俺もそう思ったんだよね。でも、使わなくても使ってもどっちでもいいからパソコンをとりに戻ろうかなって。でも、戻ってきてよかったよ。朱音がいるんだもん。どうしたの? 着物を着ているなんて。すごく似合っているよ!」
匠君が目尻を下げながら言えば、私と匠君のお母さんがビクッと両肩を上げてしまった。
つっこまれると思ったけど、いざつっこまれると反応に困ってしまう。
なんて説明しようかな。
「……えっ、なにその二人の反応。もしかして、なにかあるの?」
「なんでもないわ。早く部屋にパソコン取りに行って臣君達と合流しなさい」
匠君のお母さんは立ち上がるとぐいぐいと匠君の背中を押し始める。
その反応に匠君が怪訝な顔を浮かべた。
「なんでそんなに俺を邪険にするの!?」
「臣君達に悪いからよ。ほら、行きなさい」
匠君のお母さんはさっきよりも強くぐいぐいっと押しているけど、匠君はまったく動かない。
「なんでそんなに追い出したいわけ!? それより、朱音がうちに来るって聞いてないんだけど」
「朱音ちゃんはいちいち匠に五王家にくること言わなきゃいけないの? 早く行きなさい」
「ますます怪しい。なんでそんなに俺を追い出したがるの? もしかして、朱音の着物姿と関係ある?」
「匠、ほんとしつこいわ」
匠君と匠君のお母さんの押し問答が続く中、私は考えはじめる。
茶道を習っていることを匠君に言っても、習っている理由を上手にごまかすことはできない。
なんとか上手に話をそらせるだろうか。
不安だけど今は話を逸らさなければと思い私は口を開く。
「着物がきたくなって匠君のお母さんに着せて貰ったの。どうかな?」
「似合っているよ! 二人で着物を着て遊びに行くのもいいよなぁ。今度一緒に着物を着て出かけようよ。和服デート」
「あの……匠君、時間大丈夫?」
「大丈夫。臣達には連絡していて戻ってきたから。現地集合だったんだ」
「そうなんだ。あっ、パソコン取ってきたら教えてね。お見送りしたいから」
「本当!? 朱音、見送ってくれるの!? じゃあ、すぐにパソコン取ってくる」
匠君は勢いよく廊下に出るとバタバタと足音を立てて走り去っていく。
それを見ていた匠君のお母さんは、彼の背に向って「匠、チョロい……」と呟いた。