お弁当
数分後。
匠君は下まで降りて来てくれ、私をビル内へと入れてくれた。
普段と違って人のいないオフィスというのはすごく静か。
私と匠君の足音だけが廊下に響いてちょっと怖い。
今日の匠君はお仕事中だったのでスーツ姿。最近、あまりスーツ姿の彼を見た事がないのでちょっとドキドキする。
隣を歩いている匠君をちらりと見れば、すごく嬉しそうに笑っている。
「朱音と会えるなんて思ってもいなかったからすげぇ嬉しい」
「ごめんね、急に来ちゃって」
「全然。俺も朱音に会いたかったからさ。でも、どうしたの?」
「お弁当を持って来たから渡したくて。匠君のお父さんに」
「えっ、朱音弁当作って来てくれたのっ!? ……ん? 父さんに?」
満面の笑みを浮かべていた匠君が首を傾げながらこちらを見る。
お弁当食べたかったのだろうか?
でも、匠君へのお弁当もあるから心配しないで欲しい。
「匠君の分もあるよ」
手にしていたお弁当袋を掲げれば、匠君は複雑な表情を浮かべる。
「俺の分もあるのは正直嬉しい。でも、どうして朱音が父さんに弁当を? もしかして父さんに頼まれたの?」
「私が作ったんじゃないよ。匠君のお母さん。今、下にいるの。匠君のお父さんの反応が気になるみたいで私が代わりにお弁当を渡しに来たんだ」
「えっ、待って。今、すごいパワーワードが聞こえた気がしたんだけど。母さんの手作りお弁当って言わなかったっ!?」
「うん。匠君のお母さんが作ったの」
私がそう言えば、匠君はお弁当袋へと視線を向ける。
まるで幽霊でも見ているかのような表情で見つめながら首を傾げていた。
匠君のお母さん、お料理初めてって言っていたからびっくりしているのかも。
「母さんって料理できたの? 俺、全然知らなかった」
「今日、初めてのチャレンジだって。一緒に作ったんだ」
「朱音が一緒なら大丈夫だと思うけど……なんだろう。妙な緊張感に包まれる」
匠君は胸を押えてお弁当を一瞥した。
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匠君に案内してもらい社長室へ。
室内は想像通りの社長室という感じだった。
広々とした室内には、大きな執務机や難しそうな本が収納された本棚などが窺える。
匠君のお父さんは応接セットに座ってお茶を飲んでいたんだけど、私達が部屋に入ると立ち上がって出迎えてくれた。
「本当に朱音ちゃんが下にいたんだね。匠が興奮していたから、聞き違いかと思ったよ」
「こんにちは。お邪魔します」
私は満面の笑みで出迎えてくれた匠君のお父さんに挨拶をした。
「どうぞ、ソファに座って。今、秘書にお茶を持ってきて貰うよ。朱音ちゃん、紅茶の方がいいかな?」
匠君のお父さんが執務机上にあった電話に手を伸ばしたので、私は首を左右に振り口を開く。
「あの……お構いなく。私、届け物をしに来ただけなんです。すぐにお暇をしますので……」
私はそう言うと手にしていたお弁当袋を匠君のお父さんへと差し出す。
すると、匠君のお父さんは目を大きく見開くと小さく首を傾げた。
――何も言わないで渡してしまったので不思議に思うよね。
私はここに来た理由を説明することにした。
「匠君のお母さんが作ったお弁当です」
「えっ、秋香が!?」
匠君のお父さんは裏返った声を上げると、お弁当をはにかみながら見つめ出す。
目尻を下げて嬉しそう。
――匠君のお母さんに実際見て欲しかったなぁ。緊張するっていう匠君のお母さんの気持ちもわかるけど。
「匠君のお母さん、いま下にいるんです」
「ありがとう、朱音ちゃん。電話してみるよ」
そう言うと匠君のお父さんはスーツのポケットからスマホを取り出すと電話をかけ始める。
目をキラキラさせながら、窓際に行くと下を眺めた。
数秒で繋がったのか、匠君のお父さんは唇を開く。
「もしもし、秋香? お弁当ありがとう。朱音ちゃんが届けてくれたよ……え?まだ食べてないんだ。時間を開けておいてってこのためだったんだね……うん。ねぇ、秋香。こっちにおいでよ。秋香と一緒にお昼食べたいな」
匠君のお母さん、来てくれますようにと願いつつ電話をしているのを見守っていると、通話を終えた匠君のお父さんがこちらにやって来た。
すごく嬉しそうにしているから、聞かなくてもわかる。
きっと匠君のお母さんが来るって――
「父さん。母さん来るって?」
「うん」
「なら、俺と朱音でお昼ご飯を買ってくるよ。父さんと俺の分はお弁当あるけど朱音と母さんの分ないからさ」
「出前取るよ?」
「いや、テイクアウトがいい。会社の人から最近できた店が美味しいって聞いたんだ」
「そっか、わかった。気をつけて行っておいで」
「あぁ、いってくるよ。朱音、行こう」
私は匠君に背中を軽く押され、促されるように廊下へ出る。
二人で話をしながらエレベーターに向って歩いていく。
「匠君、疲れているでしょ? お昼なら私が買ってくるよ」
「平気。実はお昼ご飯の購入って口実なんだ。母さんと父さん二人きりにさせてあげたいから」
「あっ、そっか」
そうだよね。せっかくだし。
匠君ってすごく気がきくなぁ……
私、全然気づかなかった。
「朱音、午後から時間ある? 俺、もう仕事終わったから時間あるんだ。どっか遊びに行こうよ。久しぶりにシロと一緒にドッグランとかさ」
「私は大丈夫だけど、匠君のお母さんに聞いて貰った方がいいかも。このあと、匠君のお母さんと百均に行くの」
シロちゃんとドッグランも楽しそう!だけど、残念ながらもう予定が組まれてしまっている。
匠君のお父さんにお弁当を届けたあと、私と匠君のお母さんはお昼ご飯を食べにいくつもりだった。
そしてそのあと百均でお買い物。
ちょうど二駅先に大型店舗があるし。
「なんで百均?」
「お弁当作りの前に匠君のお母さんとスーパーに行ったの。食材を買いに」
「母さんとスーパーってぴんと来ないな」
「匠君のお母さん、初スーパーだったみたいでとっても楽しそうだったよ。はしゃいでいる匠君のお母さんかわいかった」
「母さんがはしゃぐ……?」
匠君は首を傾げながらエレベーターのボタンを押した。
「そのときに百均も楽しいですよ。いろいろ売っていてって話になったの」
「あー、なるほど。それで百均か」
「うん」
「俺も百均に一緒に行くよ。母さんには戻った時に直接言う」
「わかった。あっ、ちょうどエレベーター来たよ」
お昼なに食べたい? とか、そんな細やかな会話をしながら、私達はエレベーターに乗り込んだ。