今日はありがとう
――なぁ、人ってわかり合えると思うか? たとえば、親とか。
斎賀さんの質問にはすぐに返事ができなかった。
「それは……」
どの家族でも色々あるだろう。
だって、自分以外の心なんてわからないのだから。
私にとって家族の件は、心を大きく動かす。
もちろん、あまりよくない意味でだけど。
わかりあえるかどうか?
答えは、人によると思う。
私は何度もわかって欲しいと思っていたし、小さな頃は口にしたこともある。
でも、きいて貰えなかった。
諦めればいいのに、まだどこかで期待している。
もしかしたら、わかって貰えるって。
両親と心からわかりあえる家は、家族間が良好で暖かい家庭だろう。
たとえば、匠君の家みたいに――
「わかりあえるかは、人によると思います。わかって欲しい。聞いて欲しい。そう思っても両親には私の言葉は届かない」
「そうだね。俺もそう思うよ。うちも言葉が届かない部類の親だからさ」
そう言って彼は自嘲気味に笑う。
「やっぱり、君も俺と同じだ。家族に問題がある。なんとなくわかっていた」
「どうしてわかったんですか?」
「なんとなく空気で」
私は食堂での斎賀さんからの意味深な視線を思い出した。
「うちの両親さ、俺が物心つくころから不仲なんだ。父親は借金つくってまでギャンブル中毒。母親はそんな父親に愛想尽かして金の件で揉めてばかり。冷え切った中がもっと冷えたのは、俺が中学の頃だったかな。お互い浮気相手ができた時だ。そっちに夢中で俺のことはずっと放置。さっさと離婚すればいいのに、いまだに世間体を気にしてしないんだよ」
淡々と話している斎賀さんの瞳には、わずかに怒りが混じっている。
バーベキューの時に実家に帰らないって言っていたから、うすうす気づいてはいた。
けど、まさかここで彼の口から聞くことになるなんて。
「だから、早く家を出たかった。それで、高校の頃に色々バイトして金を貯めてたんだよ。学費は払っていてくれたけど、あの二人家に帰って来ないから食費稼がなきゃならなかったし。澪里とはそのバイト先で出会ったんだ。夏休みにリゾートホテルのバイトをしていた時にさ。最初は家族仲が良い金持ちのお嬢様って印象で嫌いだった。俺と違って何の苦労もせずに温かい家庭で育っているなって」
あぁ、わかった。
どうして、彼が匠君に対して攻撃的だったのか。
きっと比べてしまっているんだろう。
自分と匠君を。
「でも、澪里は迷子の子供を宥めたり、俺達のようなバイトにも優しくて……まぁ、色々あって付き合うことになって……澪里との時間は、こんな生活嫌だと思っていた俺にとって満たされたものだった。人生悪くないなって思えるくらいに。そんな出会いだった」
斎賀さんにとって澪里さんとの出会いは大きかったのだろう。
人生観を変えてしまうくらいに。
きっとそれは、私にとっての匠君みたいなんだろうなぁ。
「両親を見ていたから誰かを好きになって家族を作るなんて考えたこともなかった。でも、澪里とならって思えた。将来を考えるくらいに好きだったんだ。澪里も俺と同じ想いで……ほんと、あの時まで幸せだった」
そう言って斎賀さんは深いため息を吐き出す。
「お互い真剣な交際に発展したら、残っているのが両親への紹介。澪里の両親に関しては問題なかったんだけど、問題はうちの両親だった。俺は澪里に初めて家族の事情を話して、挨拶とか不要って言ったんだ。でも、澪里は血が繋がった家族だから話したらきっとわかってくれるよって」
「それは……」
「あいつにとって家族はとても大切な存在。無償の愛で包んでくれる温かい場所。お互い育った環境が違ったんだ。まぁ、なんとなく想像できるかもしれないけど、結果的には話せばわかる相手じゃなかったからすごくもめた」
価値観の違いというものだろうか。
育った環境は大きいかもしれない。
「結局それが原因で関係がぐしゃぐしゃになっている時に、澪里に新しい好きな人が出来て別れた」
「もしかして、その好きな人って……」
「そう。澪里の旦那」
これはかなり辛い。
だって、結婚まで考えた好きな人に別の好きな人ができたんだから。
しかも、結婚したのにまたよりを戻したいなんて言われているし。
「バイトして貯めた金を元手に、こっちの大学に来たんだよ。家と縁を切ったから、学費は奨学金とか使っている。生活費はバイトでなんとか。ファミレスの店長には事情を話しているからシフト多めに入れて貰っているんだ」
そう言って彼は立ち上がった。
「家族でも分かり合えない人達がいる。温かい家庭で育った澪里にはわからない。前提として家族を信じているから。澪里とわかりあえるのは、あいつと同じように温かい家庭で育った金持ちの息子だけ。俺と同じ傷を持った者にしかこの辛さがわからない」
そう淡々と話している斎賀さんの気持ちもわかる。
私も匠君と出会う前はそうだったから。
誰も私のことをわかってくれないって思っていた。
「斎賀さんの言っていることは理解できます。でも、育った環境が違っても相手の気持ちに寄り添ってくれる人もいます」
「いたとしても出会うことはないだろうな」
「人との出会いはわかりません。それに斎賀さんは行動している。動いているから、行動範囲が広がっていますし」
「別に行動なんてしてないけど」
「していますよ。斎賀さんの話を聞いてすごいなって思いました。見切りをつけて家を出るという行動を取ったので。私は両親や妹との関係はもう改善はしないだろうって思っています。けど、どこかで諦められない自分がいるんです。もしかしたらって……だから、動けない」
私はそう言って俯いた時だった。
電子音が鳴り響いたのは。
「えっ!? あっ、電話?」
どうやら私の鞄から鳴っているみたい。
私は慌てて鞄からスマホを取り出せば、匠君からの着信だった。
そういえば、匠君のお母さんが匠君に連絡してくれるって言っていたっけ。
「出なよ。電話」
「すみません」
私は少し離れると電話に出た。
「もしもし、匠君?」
『朱音!? 今、母さんからのメッセージ見た。今、どこ? 迎えに行くから』
「えっと……駅前にいるの」
私は駅の名前を言った。
『彼……斎賀さんも一緒?』
「……うん」
私がそう返事をすれば、匠君との間に微妙な間が流れる。
そうだよね……斎賀さんと匠君の関係的に……
『人の多いところにいて。十分くらいで迎えに行けるから』
「あっ……でも、電車で……」
わざわざ迎えに来て貰うなんて匠君に悪い。
ちょうど駅前にいるから、電車で帰れるし。
『朱音を迎えに行く時間くらいあるから平気。電車で帰っても最寄り駅から徒歩だろ? そっちの方が心配だから。待っていて』
「でも……」
『気にしないでくれ。俺が朱音と会いたいだけだから』
電話越しに言われた言葉に、顔が真っ赤になっていく。
迷惑かけたくないって思っていたのに……
そう言われて嬉しい自分がいる。
電話越しで良かった。
動揺しているのを見られるところだったから。
「お願いしてもいい……?」
『もちろん。着いたら連絡する。人の多いところにいて』
「わかった。じゃあ、またあとでね」
私は匠君との通話を終えると、スマホを鞄に入れた。
「例の彼、迎えにくるの? じゃあ、それまで一緒にいるよ」
「大丈夫ですよ。ここ、駅前で人通りありますし。それに、そこに交番もありますから」
私は視線で斜め後ろにある交番を差す。
辺りは暗くなっていると言っても、まだ八時半。
休日だから人通りも多いから問題ない。
それに、匠君と斎賀さんの鉢合わせはちょっとマズい。
「私のことは気にしないで下さい」
斎賀さんは何か言いたそうだったけど、何も言わずに首を縦に動かした。
「わかった。じゃあ、またバイト先か学校で」
「はい」
私が小さく手を振れば、斎賀さんが背を向けた。
駅に向って一歩足を踏み出したけど、すぐに止まってしまう。
どうしたのかな? と首を傾げれば、彼が振り返った。
「……今日はありがとう」
その言葉を聞き、私は目を大きく見開く。
お礼を言われたんだよね?
目を何度かパチパチとしている間、斎賀さんはすぐに前を向き立ち去って行った。