なぁ、人って分かり合えると思うか?
私はとある料亭の前に立っていた。
すぐ傍では、わたし達のことを女将さんや仲居さん達が見送ってくれている。
目の前には数メートル先の門まで続く石畳みの道が続き、その左右にはかがり火が窺える。
黒のヴェールで覆われた空の下、ゆらゆらと揺れる灯りは幻想的だ。
――今日は匠君のお母さんといろいろお話出来たなぁ。
つい一時間前。
私は匠君のお母さんのお誘いを受け、料亭で夕食をごちそうになっていた。
今日は匠君のお母さんといろいろお話出来たなぁ。
お弁当箱を選んだりお茶をしたり……その上、夕食まで!
湯豆腐も美味しかったし。
私が普段食べているお豆腐と違って大豆の甘みが美味しかったなぁ。
「ごちそうさまでした。夕食までごちそうになってしまって」
私は隣にいる匠君のお母さんにお礼を言えば、匠君のお母さんが微笑む。
「朱音ちゃんと一緒にお食事出来て楽しかったわ。今日はごめんなさいね、お弁当選びも手伝って貰っちゃったし」
「いいえ。私も楽しかったです!」
「本当? 嬉しいわ! また二人で一緒に食事をしましょうね」
「はい」
私は大きく頷く。
匠君のお母さんと一緒にいるのはすごく楽しい。
私の知らない色々なことをお話してくれるし、優しくこちらのお話も聞いてくれる。
匠君のお母さんが私のお母さんだったらなぁって思う。
二人でおしゃべりをしながら車の所まで向うと、とつぜん男性の感情的な声が耳に届いたので足を止めた。
「――離せって! 今さら話し合うことなんてない。もうとっくに別れているんだからな」
「「え?」」
私と匠君のお母さんの声が綺麗に重なってしまう。
お互い顔を見合わせると、一斉に声のした右手へと顔を向けた。
そこにいたのは、男性と女性だった。
女性の方は真っ白なワンピースを着ているんだけど、彼女はラフな格好をした男性の腕にしがみついている。
二人とも私と同年代みたい。
痴話喧嘩かな? ん? あれってもしかして……?
私は男性の方に見覚えがあったため、目を大きく見開く。
斎賀さんだ。
もしかして、彼女さんかな? 若狭さんと親しそうだから若狭さんと付き合っているのかなって思っていたけど。
女性の方は泣きながら斎賀さんにしがみついているけど、斎賀さんの方も辛そう。
怒りと悲しみが混じった複雑そうな表情をしている。
「斎賀さんがどうして?」
「四季さんの娘さんがどうして?」
また匠君のお母さんと綺麗に声が重なってしまったため、再度顔を見合わせた。
「朱音ちゃんのお友達?」
「えっと……学科は違うんですが大学は同じ人です。バイト先も一緒で……女性の方は匠君のお母さんのお知り合いですか?」
「四季さんの娘さんよ。お名前は、澪里さん。匠と同じ年なの。このあいだ結婚したばかりなんだけど、どうなっているのかしら?」
「結婚……」
確かに彼女の薬指には大粒の石が光る指輪が見える。
「澪里さん、こんにちは。何かお手伝いが必要かしら?」
匠君のお母さんが声を掛ければ、二人は弾かれたようにこちらに顔を向けた。
二人とも目を大きく見開きながら、驚きのせいか固まってしまっている。
気まずい空気が流れる中、先に動いたのは斎賀さんだった。
女性が手を緩めた隙に斎賀さんが身を翻し、元来た道を辿るように進んでいく。
一切こちらの方を見ることなく、どんどん進んでいった。
この先は交通量が多い大通り。
左手に真っ直ぐ向えば駅もあるし、地下鉄もあるから人の往来も激しい。
「まって、誠!」
四季さんが斎賀さんの後を追う。
すぐに右手を伸ばして触れようとしたけど、斎賀さんに大きく振り払われてしまった。
「あの時、俺じゃなく家を選んだのはおまえだ。今更よりを戻したいなんてむしがよすぎるだろ。しかも、結婚しているのに!」
その発言でトラブルの原因がなんとなくわかった。
結婚しているのに、斎賀さんとよりを戻そうとしたの!?
それは怒るよ……
四季さんは両手で顔を覆うと嗚咽混じりで泣きじゃくってしまう。
匠君のお母さんがハンカチを取り出すと、四季さんの元に向い、背中をさするように撫でてあげている。
「大丈夫? おうちまで送るわ」
四季さんは匠君のお母さんの言葉に対して、ただ首を左右に振った。
私は四季さんよりも、斎賀さんの方が気になった。
匠君のことがあるから、あまり関わらないようにした方がいいのかもしれない。
でも、彼は四季さんよりも苦しそうだったから――
大学もバイトも一緒なので、放っておけなかった。
「すみません、匠君のお母さん。ここでお別れしてもいいですか?」
「朱音ちゃんもおうちまで送るわよ」
「斎賀さんと少し話をしてみます。匠君のお母さんが四季さんを送って下さることもお伝えします」
「バイト先の子って言っていたから気になるわよね……わかったわ。でも、人混みの少ないところには行かないでね。危ないから。匠に連絡を入れて迎えに来させるわ。朱音ちゃん、気をつけてね」
「はい。今日はありがとうございました。では、失礼します」
私は匠君のお母さんに挨拶をすると、斎賀さんの後を追った。
+
+
+
「足、速いなぁ……」
私は人や車が多く行き交う通りにいた。
賑やかな人々が通り過ぎていく中、私はあたりを見回すが探し人は見つからない。
電話した方が早いと思うけど、連絡先知らないんだよね……
バーベキューの時にメッセージアプリのグループ作ったけど、斎賀さんそこに入っていたっけ?
入っていれば、そこから連絡できるかも。
ただ、出てくれるかわからないけど。
「お節介だよね……?」
私がしていることはお節介なのかもしれない。
若狭さんくらいの仲ならまだしも、私はただバイト先と大学が一緒というだけだから。
「駅まで探してみて、ダメだったら諦めよう」
若狭さんに連絡した方がいいのかな? とかいろいろ頭に浮かんだけど、私は駅までのルートを探してみて見つからなかったら諦めるという選択をした。
辺りをよく観察するようにしながら進めば駅まで到着。
「いないなぁ」
と、諦めかけた瞬間だった。
視界の端に斎賀さんを捉えたのは。
彼は駅前にあるバスの停留場にあるベンチに座っていた。
片手で頭を抱えるようにし、ため息を吐き出している。
あんな風に明らかに疲れているような雰囲気は大学でもバイト先でも見たことがない。
よほどのことだったのだろう。
私はゆっくり足を進め、斎賀さんの方へ向うと声を掛けた。
「斎賀さん」
「ほんとお人好しだね」
彼はこちらを見ないで淡々と言う。
「すみません……あの……大丈夫ですか?」
「別になんとも。なぜ?」
泣きそうだったからって言ったら、怒られそうだよね。
私はなんとなく正当性がある理由を告げることに。
「四季さんのこと心配だと思って。ちゃんと家まで送って貰えるので大丈夫です」
「あいつのこと知っているのか?」
意外そうな表情を浮かべながら尋ねられたので、私は首を左右に振る。
「いいえ、知りません。私ではなく匠君のお母さんがご存じなんです。四季さんのことは匠君のお母さんが送ってくださるそうなので……」
「あぁ、なら納得。ああいう人達ってつるんでいるからな。誰々さんの家のお嬢さんとか。昔からそうだった」
なんかさっきから棘を感じる……
匠君の時もそうだったけど、一体彼は何がそんなに癇にさわるのだろうか。
「露木さんさ、あそこの料亭で食事していたの?」
ぽつりと言われ、私は首を縦に動かした。
「えっ、はい」
「自分が惨めにならない?」
「惨めですか…?」
今まで一度もそんなことを思ったことがなかったので、私は首を傾げてしまう。
緊張したことはあるけど、惨めに感じたことはなかったから。
今日は匠君のお母さんと一緒だったから、特に緊張もしなかったし。
むしろ、楽しかった。
「特にならないです」
「露木さんって、意外と図太いんだね」
「初めて言われました」
感じたままに言ったら、斎賀さんはクスクスと笑い出す。
「素直」
「えっと……?」
どうしたらいいのかな。
よくわからない状況に対して、私はハテナマークばかり浮かんでしまった。
「――なぁ、人ってわかり合えると思うか? たとえば、親とか」
唐突なその質問は私の身を固めるには容易かった。