まりあ
大学の授業が終わった俺は、屋敷に戻るために大学の駐車場へ向っていた。
歩きながら考えるのは、昨日のできごと。
朱音のバイト先に迎えに行ったら、斎賀さんもいるなんて。
――まさか、朱音とバイト先まで同じとは。
今にして思えば、バイト先は同じ大学の子達が多いって聞いていたから居ても不思議ではなかった。
「この先、何事もないといいんだが……」
ため息交じりでそう呟いた時だった。
鞄に入れていたスマホが振動したのは。
「ん?」
一体誰からだろうと立ち止まってスマホを取り出しディスプレイを見れば、父からの着信だった。
電話なんて珍しい。大抵はメッセージなのに。
「もしもし、父さん?」
電話に出れば、スマホ越しに父の声が届く。
『匠。今、大丈夫かい?』
「大丈夫。もう授業が終わったから。どうしたの?」
『この後、なにか予定ある?』
「ないよ」
『川崎物産の四日市さんって覚えているかい?』
「知っている。何度かパーティーで挨拶したことがあるし」
四日市さんは母くらいの年代の方で、やり手でキャリアウーマン。
実力で副社長まで上りつめた女性だ。
俺より少し上の娘さんがいて、彼女も何度かパーティーで見かけたことがある。
名前は『四日市まりあ』さん。
たしか、まりあさんってほんわかした人だった気がする。まりあという名前は滝口君の探している人と同じ名前だけど、名字が違うんだよなぁ……
「四日市さんがどうしたの?」
『さっきまで一緒に仕事の打ち合わせをしていたんだ。打ち合わせ自体は無事終わって、四日市さんは娘さん……まりあちゃんと買い物に行けるはずだったんだけど……』
あぁ、なんとなく察した。きっと、急な仕事が入ったんだろう。
俺も父との約束が幾度もダメになった経験があるのでわかる。
決して仕事優先ってわけじゃないけど、会社という大きなものを背負っているからそちらの比重も重要なんだよな。
『今日はまりあちゃんの誕生日なんだ。急用は夕方までなんだけど、彼女の誕生日プレゼントを購入するお店を三時に予約しているらしくて……まりあちゃん、そのお店に行くのをすごく楽しみにしているらしい』
誕生日のドタキャンはキツいな。
仕事で忙しいのはわかっている。だからこそ、誕生日が特別な日。
ちょっと子供の頃を思い出してしまった。
今は朱音がいるから誕生日は朱音にお祝いして貰っているから寂しくない。
でも、昔は寂しかったなぁ……
仕事で家族旅行に父だけ行けないとかあったし。
「わかった。俺が夕方まで付き合えばいいんだよね?」
『急に頼んでごめん。美智にお願いしようとしたんだけど、電話にでなくて』
「いいよ。この後、用事なかったし。まりあさんに連絡だけ入れておいてくれるかな? 俺、彼女の連絡先を知らないし。あと、待ち合わせ場所も教えてくれると助かる」
俺は父から待ち合わせ場所などを聞くと、通話を切った。
+
+
+
――この辺りだよな?
父に教えて貰った場所は駅近くにある銅像前だった。
この辺りの待ち合わせスポットらしく、スマホを持った人達が集まっている。
えーと、まりあさんは……あぁ、いた!
人々の中に探し人を見つけて、俺は足を止めた。
背中くらいまでの漆黒の髪を緩やかに巻き、白いワンピース姿の女性が手に小さなカバンを持ち、銅像に止まっているスズメを見て微笑んでいる。
なんとなく白雪姫の映画を思い出す。
彼女が四日市まりあさん。
ふんわりとした印象を受けているせいか、彼女の周りだけ時間の経過が違うように感じてしまう。
まりあさんが滝口君の探している『まりあちゃん』ならいいのに……
日本の人口を考えると、探すのには苦労する。
いつか滝口くんと彼女が再会できるのを願いたい。
好きな人に会えないのは辛いからな。
俺なんて朱音の声を一日聞かないだけで気分が下がる。
……というか、毎日電話するから声を聞かない日はないけど。
「まりあさん。久しぶりです」
俺が声をかけると、彼女はゆっくりとこちらに顔を向ける。
一瞬驚いた表情を浮かべたけど、すぐに柔らかく笑った。
「お久しぶりです。匠様。私達、親子のためにわざわざ申し訳ありません」
「いえ、気になさらないで下さい。俺もちょうど時間があったので。誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
そう言って微笑んだんだけど、ちょっと寂しそうだ。
きっとお母さんとの時間を楽しみにしていたのだろう。
とても気持ちがわかる。
「まりあさん……お母さんと一緒に過ごす時間、久しぶりだったんですね?」
「どうしてわかるんですか?」
「俺も経験者なので」
苦笑いを浮かべれば、彼女は目を大きく見開いた。
「実は半年振りだったんです。母とゆっくり二人で過ごすの。仕事の方が大事なのはわかっています。私も今日で二十歳。大人です。それでも、寂しいなって思ってしまうんです」
「大人でも子供でも寂しいのは寂しいですよ。きっと、お母さんも同じ気持ちだと思いますよ。夕方には用事も終わるようなので、それまでエスコートさせていただきます」
「ありがとうございます」
「では、さっそく予約しているお店に行きましょう」
ジュエリーショップだったよな。この辺りの店だというのは事前にチェックしておいたけど、本当に俺が行ってもいいのか? とも思う。
四日市さんの気持ちを考えてしまうと……
半年振りの娘さんとの時間、楽しみにしていただろうなぁ。
「そういえば、四日市って名字珍しいですよね」
俺は歩きながらまりあさんに尋ねた。
待ち合わせ場所からお店まで徒歩十分くらいなので、車はそのまま駐車場に停めておくことにした。
「よく言われます。母方の名字なんですよ。五年前に両親が離婚して母方の名字に。でも、友人や知人の中には以前の名字『瀬尾』のままで呼んでいる人達もいるんです。三ヶ月くらい前も、小学生の頃に広島に住んでいた時の子と会って瀬尾って呼ばれましたし」
「へー。そうなんですか。小学生の頃、広島に住んでい……――んっ?」
待ってくれ。ちょっと流しかけてしまったが、瀬尾って言わなかったか!?
「瀬尾まりあさん?」
「はい」
その名前は滝口君が探していた人と同性同名だ。
「唐突な質問で申し訳ないんだが滝口君ってご存じですか? 滝口春君」
俺はじっと彼女の瞳を見ながら尋ねれば、彼女はきょとんとした。
その様子から違う人だったのかと過ぎったけど、まりあさんは希望の言葉を口にする。
「あら! もしかして、匠様もハルちゃんとお友達なんですか?」
ぱぁっと顔を輝かせながら、まりあさんが両手を叩いた。
滝口くん! いたよ、ここに! って、大声で彼に叫びたくなった。
まさか、こんな偶然あるとは。
良かった。滝口君の捜し人が見付かって。
「こんな近くにいたんですね! 会えてよかったです。いやー、嬉しい。本当に! 連絡先交換して貰ってもいいですか」
俺は興奮気味になりながら彼女の両肩に手を添えた。
その時だった。
「ご、五王さん……!?」
という、震えた男性の声が聞こえてきたのは。
「え?」
滝口君のことを考えていたせいか、彼の声が聞こえる。
そう思って声のした方に顔を向ければ、引き攣った顔をしている滝口君がいた。
彼だけじゃない。その隣には、目を大きく見開いている朱音の姿が。
「タイミング悪かったかな……?」
滝口君は朱音の方をちらちら見ながら言ったんだけど、なぜ彼がそんな反応をしているのか理解できなかった。
タイミングが悪いってどういう意味だ?
むしろ、タイミングがいいだろう。まりあさん見付かったんだから。
なぜだ? と首を傾げていると、
「ごめんなさい。私、用事思い出したから……」
と眉を下げた朱音が急に俺たちに背を向けて立ち去ってしまう。
「え、朱音っ!? なに、どうしたの!?」
「たぶん、五王さんがその女性のことが好きだと思ったんだよ。だって、会えて嬉しいですって弾んだ声で言っていたから。しかも、両肩に手を添えてテンション高めで電話番号聞いていたし。僕もそう思ったよ」
「なんでそうなる!?」
滝口君に言われて原因がわかった。
たしかに弾んだ声を上げていたかもしれない。
滝口君の探し人を見つけられたから……
「あらー。ハルちゃん、大きくなったわね。背も高くなって」
まりあさんが滝口君に声をかければ、彼は極限まで目を大きく開けた。
「嘘。まりあちゃん! どうしてここにいるの!? 俺、ずっと探していたんだよ」
「そうなの……?」
「そうだよ!」
「懐かしいね~。小学生の頃以来かしら。ハルちゃん、広島から旅行?」
「違うよ。僕、まりあちゃんを探して東きょ……って、待って。もしかして、五王さん。さっきの台詞って……」
弾かれたように滝口君がこっちを見たので、俺は大きく頷く。
俺が愛しているのは朱音だけなのに、なぜこんな不幸な勘違いが生まれてしまったのだろうか。
「滝口君。申し訳ないが、まりあさんを任せてもいいか? 俺、朱音を追いかけたい。何かあったら連絡をしてくれ。朱音を連れてすぐ戻るから」
「それはもちろん。なんか、ごめんね。変なタイミングで遭遇しちゃって」
「いや、大丈夫。あとは頼むよ」
俺はそう答えると、まりあさんの方を見た。
「エスコートするって言ったのに、すみません」
「いえ。私のことなら気になさらないで下さい。ハルちゃんと久しぶりに会えましたので」
「本当に申し訳ない」
俺はそう告げると、朱音の後を追った。