鉢合わせ阻止
……ど、どっと疲れが。
私は更衣室のロッカー前でしゃがみ込んでいた。
まさか、バイトを教えてくれるのが斎賀さんと若狭さんだったなんて!
ジュエリーショップ前での騒動があったせいで妙な緊張感を持ったままのバイト。そのため、疲れすぎてぐったりしている。
きっと匠君も驚くだろう。
バイト先まで斎賀さんと一緒だと知ったら――
「おつかれさま、露木さん」
トンと肩を叩かれ弾かれたように顔を向ければ、穏やかな笑みを浮かべている若狭さんがいた。
バイト終わりだというのにとても爽やかだ。
「おつかれさまです」
「初日だから疲れたでしょ? 私も初日は、ぐったりだったもん」
若狭さんが苦笑いを浮かべて労ってくれているけれど、斎賀さんのことが原因とは言えず。
二人、親しそうだから言いにくい。
「いろいろ教えて下さりありがとうございました」
立ち上がって若狭さんの方を見れば、彼女は「いいよ、いいよ。露木さん、覚えはやいから教えるのも楽だったし」と笑った。
若狭さんって、本当にいい人だったなぁ。教え方もわかりやすかったし。
「あっ、そうだ! 露木さんって、帰り電車だったよね? 駅まで送るよ。女の子一人だと心配だからさ」
「えっ!?」
私は裏返った声を上げてしまう。
あまり親しくもないのにそこまで気を使ってくれるなんて。
「この辺り、人の往来があるので大丈夫ですよ」
さすがにバイト教えて貰った上に、送って貰うのは気が引ける。
それに、斎賀さんも一緒だと思うし……これ以上、緊張感が続くのは遠慮したい……
「気にしないで。うちら帰宅道だし。それに、暗くなってから女の子一人じゃ危ないよ。ここのバイト先、夜だと帰宅方向が同じだとみんな一緒に帰るんだ」
「みんな、仲がいいんですね」
「同じ大学の子達が多いからかも。バイト以外でも集まって遊ぶことあるんだ」
「そうなんですか」
「うん。今度、シフトが入っている時に他の子達紹介するね!」
短期のバイトしかしたことがなかったから、バイト先の人と遊ぶってことはなかった。
でも、長期だとみんな顔を合わせるから仲良くなるのかも。
そんな事を考えていると、ロッカーの中からガタガタという音が聞こえた。
どうやらカバンに入れているスマホが振動しているみたい。
まだ止まないから、電話かも。
私はロッカーを開けると、カバンからスマホを取り出した。
「あれ、匠君?」
もしかして、初ファミレスバイトを心配してくれたのだろうか。
いつも電話をくれる時間よりも早い。
バイトも終わったし出ようかな? でも、若狭さんもいるし……と迷っていると、彼女が手で促してくれた。
「どうぞ。私、外に出た方がいいかな?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
私はそう言うと、電話に出る。
すると、匠君の声が耳朶に触れた。
『もしもし、朱音。今、平気?』
「うん。大丈夫だよ。バイトが終わって更衣室なの」
『ちょうどよかった! 臣達と食事をした帰りなんだけど、帰り送っていくよ』
「えっ!?」
思いもよらなかった内容に、私は大声を上げてしまう。
ファミレスに来たら、斎賀さんと匠君が鉢合わせをする可能性が高い。
――それだけは避けなければ!
『どうかした?』
「なんでもないの。私も匠君にお話があったから、ちょうどよかったかも……」
『話?』
「うん。ちょっと大事なこと。今、どこにいるの?」
『朱音のバイト先。従業員用出入り口の横にある道路』
「えっ!?」
まさか、もういるなんて……斎賀さんと鉢合わせしないようにしないと!
あれ……? そもそも、彼は若狭さんのことをどこで待っているんだろうか。
妙な胸騒ぎを覚える。
「匠君、私すぐに着替えて行くから車から出ないで」
『……えっ!? 待って、それどういう意味!?』
「お願い」
私はそう言うと、通話を切った。
速く着替えて匠君のところに行かなきゃ。
「露木さん、どうかした?」
「なんでもないです。友達が迎えに来てくれているんです。あの……斎賀さんってどこで若狭さんのことを待っているんですか?」
「外だよ。従業員用の出入り口」
その言葉を聞き、私は頭を抱えたくなった。
ば、場所が……とにかく急がなきゃ。
私はロッカーから服を取り出して慌ただしく着替えた。
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素早く着替え終えたと自分では思ったけど、ちょうど若狭さんも着替え終わったところだった。
そのため、二人で従業員用の出入り口へ。
扉を開けて外へ出ると、斎賀さんの姿がなかったため、私はほっと胸をなで下ろす。
今のうちに匠君とここから立ち去らなきゃ!
「あれ? 珍しい。斎賀よりも速いなんて。もしかして、更衣室でしゃべっているのかな」
「若狭さん。あの……友達待たせているので、私はここで……」
「あっ! そうだったね。もしかして、友達ってあそこに車を止めている人?」
若狭さんが視線で向けた先には、匠君の車が。
運転席から匠君の姿が見える。難しい顔をしてスマホを眺めながら首を傾げていた。
もしかして、さっきの不審な電話について考えているのかも。
「露木さんの彼氏? かっこいいね!」
「えっと……友達なの」
私が言うと、匠君がこちらに顔を向けたのでばっちり視線が交わる。
若狭さんが匠君に向って会釈をすれば、匠君が外に出て挨拶をしようとする仕草をしたけど、結局外に出ないままその場で会釈をした。
たぶん、外に出ようとしたけど、私が「外に出ないで」って言ってしまったせいだ。
普段の匠君なら、外に出て丁寧に挨拶をしていたと思う。
「若狭さん、また今度……」
「うん。気をつけてね! バイバイ」
私は彼女に小さく手を振ると匠君の元へと向かい、車のドアを開けて助手席に座ると大きな息を吐く。
良かった……鉢合わせしなかったわ……匠君がまた嫌な目に遭うのは避けたい……
「どうしたの? そんなに慌てて。朱音、様子がおかしいんだけれど、何かあったのか?」
心配そうな匠君の声が運転席から聞こえたので、私は事情を話そうと口を開きかけた時だった。
「あっ! 斎賀。遅かったね」
という、若狭さんの弾んだ声が聞こえてきたのは。
え、嘘でしょ。まさか、このタイミングでは……
「ん? 斎賀ってまさか!?」
匠君が右側を見たため、私は両手で顔を覆いたくなった。
彼は斎賀さんを凝視したまま動かない。
やや間を置くと、さっと私の方へと顔を向けたんだけれど、その表情は驚きで染まっていた。
すごく匠君の気持ちがわかる。
私も数時間前そんな気持ちだったから。
まさか、バイト先が同じって思わないよね……
「どういうこと!? もしかして、彼も同じバイト先なの?」
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十分後。私と匠君はカフェにいた。
アメリカンビンテージ風のカフェ内は、和気あいあいとした人々で賑わっている。
車の中で事情を話そうとしたら、匠君が落ち着いて話を聞きたいとここに来た。
「……まさか、バイト先まで同じだとは。しかも、バイト先で教育係。朱音、大丈夫か?」
「私は大丈夫。二人というわけではなく、若狭さんもいるから。でも、匠君は鉢合わせするとまた嫌な思いをするかもしれない」
前回のことが頭に過ぎっているのか、匠君の顔が一瞬曇った。
「いや、俺はいいよ。でも、朱音が……」
「私は平気。若狭さん達も一緒だから、二人になることはないから。今日も特に問題なかったし。心配かけてごめんね」
「謝ることなんてないよ。でも、何かあったらすぐに言って。朱音は我慢してしまうから……」
匠君は手を伸ばしてテーブルの上に組んでいた私の手に触れる。
そのため、鼓動が大きく跳ねた。
温かい匠君の手がとても心地よい。
匠君はいつも私のことを考えて、助けてくれる。
私も匠君に何か出来ればいいのになぁ。
「ねぇ、匠君。私にできることってあるかな? いつも匠君に助けて貰ってばかりだから」
「俺も朱音に助けて貰っているよ」
「えっ?」
まったく心辺りがないので首を傾げてしまう。
いつも守って貰っているばかりだったから……
「俺が頑張れるのは朱音が傍にいてくれるから。朱音が傍にいてくれるだけで嬉しいよ」
匠君はそう言うと屈託なく笑った。
なんとか匠君に斎賀さんのことで迷惑かけないようにしなきゃ。
私は匠君が笑ってくれている方がすごく嬉しい。
だから、その笑顔が曇るような事は避けたかった。