信号は青のまま
春ノ宮家で久しぶりの祖父母達との時間を楽しんだ後。
俺は朱音を彼女の自宅まで送り届けるために車の運転をしていた。
久しぶりの春ノ宮家の訪問で祖父達と会えたし、今回は朱音も一緒だったため、二重に楽しい時間を過ごす事が出来たのだが……
話している間は忘れられたんだが、静かになると思い出してしまう。
俺はジュエリーショップ前で出会った男を忘れられないでいる。
その存在を刻みつけるかのように、俺の脳裏にちらつく。
俺の脳内は朱音で埋め尽くしたいのに!
なんなんだよ、あいつ。
胸に苦い思いがシミのように広がっていく。
――あの男、一体どういうつもりなんだ? 初対面なのに、完全に敵意むき出しだったじゃないか。
信号が黄色だったのでブレーキをゆっくり踏み、俺は深いため息を吐き出す。
朱音の口ぶりではそんなに親しくはないようだった。
なのに、あの敵意はなぜ?
同じ大学に通っている滝口君ならば、知っているだろうか。
ちょうど連絡先を交換しておいて良かった。
まさか、さっそく連絡されるとは彼も思っていなかっただろう。
俺も思ってもいなかったし。
朱音と俺は大学が別々。
高校も別だったけれども、今日ほど同じ学校に通えば良かったと思ったことはない。
暖炉に火をくべるように、あの男の登場で焦燥感に駆られてしまう。
朱音の様子も変だったし……
「はぁ」
再び重いため息を吐き出して助手席へと顔を向ければ、朱音がすやすやと眠っていた。
春ノ宮家を出てから少し経つと眠ってしまったのだ。
祖母達に大歓迎を受けたから、きっと疲れたのだろう。
俺は祖父から呼ばれ、「指輪、本当に露木さんに選んで貰ったのか? 現実の露木さん?」とかけられた疑いをはらうのに疲れたけど。
祖父は朱音にも確認していた。
しかし、運転中に助手席で寝られることに関して賛否両輪あるらしいが、俺としては嬉しいな。
気を許してくれているみたいで。
なんというか、俺が隣にいるのが自然というか……運転に安心してくれているというか……
眠っている朱音も可愛いなぁと思いながら手を伸ばして朱音の頭をなでれば、「……ん」と朱音が身動きをしてしまう。
あっ、起こしてしまったかっ!?
朱音の伏せられていた瞼がゆっくり上がったのを見て「うぉ」という声が漏れてしまう。
やばい。可愛さのあまりつい撫でてしまっていたのがバレてしまった!
「ごめんなさい、匠君。私、寝ちゃって……」
「いや、俺のほうこそごめん!」
「どうして匠君があやまるの……?」
朱音が首を傾げながら訪ねたタイミングで信号が青になったので俺は運転を再開する。
ちょうど良いタイミングだ。
ありがとう、信号。
と、思ったが状況は違う方向に向ってしまうことに。
「せっかく匠君と一緒に居られるのに。寝ちゃったなんて勿体ない……」
「えっ」
落ち込んでいる朱音の声が聞こえ、俺は声を漏らす。
彼女は気づいているだろうか。
その台詞の破壊力を。
朱音がどんな表情でその台詞を言っているのか、安全運転中なので見ることが出来ないのがもどかしい。
信号、赤になってくれ! 朱音の顔が見たいんだ。
俺の願いもむなしく、通過する信号は青のままだ。
「これからもっと時間つくるよ。俺、会社で勉強する時間を減らすことになったんだ。会社の人達から学生の時間を優先させた方が良いって言われて。父さんにも相談してみてから決定するからまだ未確定だけど」
「本当っ!?」
朱音の弾んだ声を聞き、俺はどうして信号が青なのだろうと思った。
普段は赤信号で引っかかることが多いのに今日に限って青。
しかし、一つも引っかからない幸運状態だ。
なぜだ……?
いつもは信号赤で結構引っかかるのに、こういう時に限って青って。
「そういえば、朱音。バイトしたいって言っていたけど、バイト先は決まった?」
「応募したいところは決まったの。大学近くのファミレス」
「大学近くにファミレスってあったっけ? 気づかなかったよ」
「うん、あるよ。駅の裏側にあるからちょっとわかりにくいかも」
「遅くなりそうな時とか電話して。迎えに行くから」
「駅近くだから大丈夫。それに、まだ応募すらしていないよ」
「そうだったな。でも、朱音なら大丈夫だ」
「ふふっ」
突然、会話の途中で朱音が笑い始めたので俺は首を傾げてしまう。
何か彼女のツボに嵌まるようなものがあったのだろうか。
「どうした?」
「こうして匠君の隣でお話するのが楽しいなぁって思ったの。いつもは電話だったから。電話でも匠君と話を出来るのは嬉しいけど、やっぱりこうして傍にいてくれる方が断然いいなぁって……」
「俺もそう思っているよ。ずっと朱音に会いたかった。もう少し経つと夏休みだから少し遠出して旅行にでも行こうか」
「うん。行きたい! 匠君、どこに旅行に行きたい?」
「俺は朱音と一緒ならどこでも構わないんだ。朱音はどこがいい?」
「ゆっくり出来るところが良いかも。こうして一緒にお話したいなぁ」
「なら、うちの別荘に行こうか。国内でも海外でもあるし」
「うん」
朱音との時間は俺にとって何よりも大切だ。
だから、早く大人になりたかった。
朱音を支えられるくらいに大人に。
でも、若干急ぎすぎたのかもしれない。
今、父さんの言っていた事や会社の人達が言っていた事をこと実感している。
大学生の時間を大切に。
その言葉の意味を――
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朱音からバイトの話を聞いてから十数日後。
大学の講義が終わり、俺は屋敷に帰宅した。
玄関の扉を開ければ、たたきに見覚えのあるミュールが揃えてあるのが目に入る。
「……朱音の靴?」
昨日、電話した時に美智と遊ぶと言っていたなぁ。
買い物に行くと言っていたが、うちにも立ち寄っているのか。
うちに朱音がいる=会えるということだ。
朱音がいると知り、急にテンションが高まってしまう。
なんてラッキーなんだ! まっすぐ帰ってきて良かった。
今にもスキップしそうなくらいに軽い足で廊下に足を踏み出せば、鞄に入れていたスマホから電子音が鳴り響く。
この着信音の時は発信者が家族。ちょうど家に帰ってきているため、出るか迷ったが家族が外出中の可能性もあったため、一応確認だけはすることに。
鞄からスマホを取り出して一応発信先を確認すると、『美智』と表示されていた。
「もしもし?」
『お兄様。今、大丈夫ですか?』
今、ちょうど家に帰ってきたばかりなので、あとちょっとすれば顔を合わせられるのだが。
「大丈夫だ。今、うちの玄関にいるから」
『あら、ちょうど良かったですわ。まだ玄関付近で。ちょっとケーキを買ってきて下さいませんか?』
「いや、ちょうど良くはないと思うが。俺いるのは玄関! それより、朱音は今うちにいるんだろ? 俺、一刻も早く会いたいんだけど」
『朱音さんがいるってよくわかりましたわね』
「玄関にあった靴でわかったんだよ。あれは朱音がこの間買ったばかりのミュールだ」
『お兄様、朱音さんの靴まで把握していらっしゃるのね。ちょっと舐めていましたわ……実はさっき朱音さんにバイトの採用を知らせる電話があったんです。ですので、サプライズでお祝いのケーキをお兄様に買って来て貰いたかったのですわ。今、ちょうど部屋を抜けてお兄様に電話をしております』
「朱音のバイトが決まったのか! ファミレスだったよな?」
『えぇ。ほんとよくご存じで。ケーキ、お願いできますか?』
「勿論だ」
『そうでしたわ。もう一つお伝えすることが……朱音さん、うちにお泊まりですのでよろしくお願いします。棗が会いたがっていたので急遽女子三人でパジャマパーティーになりました。明日、お休みですし』
「泊まりなの!? ……というか、女子会か」
俺、女子じゃないんだが。
仲間に入れるだろうか。
『では、お願いしますね』
「わかった」
俺は通話を切ると再び玄関で靴に履き替えて外に出る。
今日はなんて幸運なのだろうか。
朱音がうちにいるだけじゃなくて、棗が来るからと急遽お泊まり。
しかも、朱音も大学近くのファミレスにバイトの採用が決まったのでおめでたいし。
……ん? 大学近く?
今、ふと気づいてしまった。
「もしかして、あの斎賀さんという男性もファミレスでバイトをしているか常連という可能性もあるのでは? 大学近くってことは……」
朱音を送り届けた後に速攻で滝口君にジュエリーショップで会った男について電話で聞いたら、英文科の斎賀という男だと教えて貰った。
イケメンなので大学内でも有名だし、食堂で朱音に対して含んだ瞳を向けていたから知っていたようだ。
「……波乱の予感がするのは気のせいだろうか?」
俺は急に言い知れぬ不安に包まれてしまった。
何事もなく過ごさせてくれと願いつつ、俺は車に乗り込んだ。