悩める匠のもとに朱音から届いたメッセージ
(匠視点)
俺も朱音も大学生になった。
高校と違って大学は時間に余裕ができるため、俺は将来のために五王の系列の会社で働くことを選んだ。
大学のうちに色々学び、将来のためにどんな知識や経験を積めば良いのかということを知りたかったから。
父のように留学する道もあったけど、俺は朱音と離れるのが絶対に嫌だったし、周りで起業している友人の話を色々聞き国内で学ぶことを選択。
祖父達も留学しなかったし。
「大学生のうちは大学生にしか出来ない経験があるから、仕事は後でも構わないんじゃないか?」って父に言われたけど、俺としては早く大人になりたかった。
社会人になってからでも学べるかもしれない。
でも、その前の土台を作りたかったんだ。
朱音を支えられる大人になるために。
その結果、大学と仕事の勉強でなかなか朱音とのデート時間がとれず。
寂しい通り越して不安。
きっと朱音に仲の良い男友達が出来たと聞いたからっていう理由もあるかもしれない。
朱音から入学式で男の友達が出来たって聞いた時、「男っ!?」と裏返った声を上げてしまったのは記憶に新しい。
近々、その親しい男友達にも会わなければならないだろう。
あぁ、不安だ。
会えないのがこんなにも不安だなんて。
最近ますます俺の結婚願望が強くなってしまっている。
なぜならば、結婚したら家に朱音がいてくれるから。
朱音と一緒にご飯を食べてくつろいだり、「おかえり」「ただいま」と言い合ったり幸せそのものだ。
それだけじゃない。
俺が結婚を強く望むようになったのは、六条院の大学では俺には朱音がいるのを知っている人達が多かったけれども、会社となると全く認知度がなくなってしまっているから。
その件でちょっと困ったことがある。
たとえば――
俺が働いている五王の系列会社の社内カフェにて。
日当たりの良い窓際には、円卓と椅子が等間隔に設置されている。
俺はそこで部署が同じ人達と休憩時間に出張から戻ってきた人が持ってきてくれたお土産をつまみながらお茶をしていた。
談笑していると、俺達の傍に女性が近づいてくるのに気づく。
誰だろう? と思っていると、
「五王さん!」
と、俺の名を呼んだ。
よく顔を見るけど、見知った顔ではない。
「はい」
俺が返事をすれば、女性が微笑む。
女性は肩くらいまでの茶色の髪を緩く巻き、小動物を思わせる大きな瞳でこちらを見ている。
白のブラウスにピンクのカーディガン、それから膝下のプリーツスカートという格好だ。
首からはこの会社のIDカードをぶら下げているため、どうやら同じ会社の人らしい。
毎日会社に来ているわけではないので、社内全員の名前と顔はまだ覚えきれずにいた。
覚えているのは、お世話になっている部署の人達だけだ。
「総務課の鮫島美和ちゃんじゃん!」
誰だろう? と思っていたら、俺の隣に座っていた髪を短めに切り整えているスーツ姿の男性が弾んだ声を上げる。
彼は誠先輩。俺がお世話になっている部署の先輩だ。
「えっ、なになにー。美和ちゃん、俺に会いに来てくれたの? あっ、良かったらお菓子食べない? 鹿児島出張のお土産」
「あっ、大丈夫です。五王さんに用事があるので……」
鮫島さんはやんわりと手で断ると、俺の方を見た。
「あ、あの……初めまして。総務課の鮫島美和と申します。五王さん、今日のお仕事が終わったらお時間ありますか? 一緒にお食事でも行きませんか?」
「申し訳ないですが、今日は春ノ宮の祖父と約束がありまして……」
大学に入学してバタバタしていたから、祖父達にも会っていない。
いとこ達とはSNSアプリで連絡を取り合っているけど。
大学と会社の生活も慣れてきたから余裕が出来た。
そのため、そろそろ顔を出さねばと思って、今日仕事が終わった後に立ち寄って夕食をする約束していたのだ。
「すみません! そうですよね。急なお誘いでしたから、予定ありますよね。ご都合の良い時で構いませんので、日を改めて良かったら二人でお食事でも行きませんか?」
二人でかぁ……
二人きりというのは、かなり困ってしまう。
二人きりで食事をしている所を誰かの耳に入り、朱音に知られたら誤解を招く。
ただでさえ会えない日々が続いているのだから、すれ違いの原因を作りたくはなかった。
「申し訳ないですが二人きりは……朱音に誤解をさせてしまうと悪いので」
「朱音さんというのは、彼女ですか?」
「将来を誓っている女性です」
俺が。
今は俺だけだが、近々二人で将来を誓えるようになる。
「そうですよね。五王さんに相手がいないわけがないですよね」
「すみません」
「いえ、全然大丈夫です」
「あっ、美和ちゃん。偶然なんだけど俺って今日すっげぇ暇なんだけど。ちなみに彼女いないし」
「俺も!」
誠先輩が立ち上がって手を上げると、誠先輩の隣にいた彰先輩も立ち上がって手を上げる。
すると、鮫島さんは「すみません、私仕事に戻らないと……」と言って立ち去ってしまった。
「え、俺たち大学生じゃないからだめなのか!? 若さがすべてじゃないよ!」
「五王、まだアルコール飲めないけど、俺達アラサーだから飲めるよ! 飲み会とかすっげぇ盛り上げるのは得意」
誠先輩達が離れていく鮫島さんの背に向かって大声で声をかけているのを前髪をなでつけている男性・前川部長と部長の隣にいる漆黒の髪を綺麗に耳下で切りそろえているスーツ姿の女性・小林さんが呆れ顔で見ていた。
「二人で盛り上がるのは自由だが、会社には迷惑をかけることのないように」
「そうよ。迷惑かけられたら私も困るし。それから五王君には迷惑をかけないでよね。二人みたいになったら、困るし」
部長達が口々に言えば、誠先輩達が「酷いっす」と手で顔を覆って泣き真似をし始めてしまう。
それを見てますます部長達が顔をしかめる。
「酷いですって? あんた達が入社した時からどれだけ面倒見てきたと思っているのよ。入社して間もない頃、飲み口良いからって日本酒を水のように飲んだあんたを誰が介抱してあげたと思っているわけ? 人のお気に入りのスーツを汚して」
「すみません……ほんとごめんなさい……若かりし頃の黒歴史掘り起こさないで……」
「まぁ、誠達は置いておいて。しかし、五王君も大変よね。モテすぎて。うちに来て数え切れないくらい誘われているし」
「俺なら彼女いても食事くらい行くなぁ。あんなにかわいい子に誘われたら」
「俺も」
「誠達、一回黙りなさい」
小林さんが頬に手を当ててため息を吐く。
「五王君。彼女とおそろいの指輪でも着けたらどうだい? ほら、薬指に着ければ誘われる回数も減るだろうし」
部長に言われて、俺はちょっと揺れる。
さすがにまだ付き合っていないのに、朱音にペアリングのプレゼントは……
「指輪いいじゃん。五王、彼女のこと大好きすぎるし。この間、新築マンションの前通った時、めっちゃ興味あるみたいだったじゃん。結婚したら欲しいって」
「大学生で結婚!? すげぇな。俺、考えた事なかったぞ。彼女とつき合ってどれくらいなんだ?」
「高2の春に出会ったので二年を軽く越えています」
「へー。じゃあ、出会ってすぐつき合ったのか」
「いえ、まだ付き合っていないのでゼロ日です。毎日が記念日ですが」
「ん?」
周りの空気がちょっと変わったのを感じた。
全員が首を傾げて俺へと顔を向ける。
なんだ、この空気。
まったりとしていた時間が、一気に微妙な空気の流れに変わる。
俺、何か変な事を言ってしまったのだろうか。
「……五王君。ちょっと待ってくれないか。今の若い子達は、付き合っていなくても恋人と呼ぶのかい?」
部長が真面目な顔をして俺を見れば、誠先輩達が首を左右に振る。
「んなわけないですよ、部長!」
「俺ら言わないっすよ」
「今の若い子と言っただろ。君たちは若くない」
「まだ若いっすよ。若いと願いたい」
「あの……俺と朱音はまだつき合っていないんです。でも、朱音とは両思いなので」
「それははたして本当に両思いなのかい?」
部長の声に対して、全員かわいそうな目で俺を見出してしまった。
待って。本当に待って。完全に俺と朱音の事を誤解している。
俺と朱音は両思い。これは事実。
ただ、朱音の自覚がまだなだけ。きっともう少し。大学生のうちに……
「五王、イケメンで御曹司なのに!」
「まさかの片思いなのか。しかも、一方的な」
「いや、あの……なんか誤解しています。本当に俺達は両思いなんですよ。朱音はまだ無自覚ですが……俺の事を好きでいてくれているんです」
誤解を解こうと思ったのに、なぜか解けない。
ますますかわいそうな目で見られてしまう。
「五王君。会社で将来のために勉強しながら働くのもいいと思うぞ。だがしかし、大学生活は四年間しかない。社会人はもっと長い。今は大学生活を中心にしてもいいと思う。つき合っていないなら、つき合えるように仲を深めるとかだ。大学と仕事の他に、五王家くらい大きかったら家のつきあいとかあるだろう。時間がなくてすれ違っていないかい? もし、家に言いにくいなら、私からお願いしてみるよ。会社での仕事をやめるようにと言っているのではなく、時間を減らして週に一度一時間とか。もっと青春に時間を捧げた方が良い」
「部長の言う通りよ。大学生って交友関係広がるから、大学の時につき合って結婚ってパターンもちらほらあるし。いつの間にか彼氏が出来たなんてなってしまうかもしれない」
「えっ……彼氏……」
あっ、やばい。血の気が引いてきた。
ただでさえ、朱音と会っていない上に朱音に男友達が出来ているのに。
心配が増してくる。
「そうだぞ、五王。大学生活なんて戻りたくても戻れないんだぞ。俺たちなんて何度戻りたいって思っていることか。だから、大学生活も大切にしろよ。俺達としては安定した会社で定年まで働きたいから五王には是非将来の勉強を頑張って欲しいけど、やっぱり今の若い時間を楽しんで欲しいという先輩っぽいことも言っておくよ。体力と気力がなくなるからな。今、みんなでワイワイ朝方まで呑め! って言われても絶対に無理。休日の掃除なんて妖精がしてくれないかってさえ思うし」
「「「……あー、同意する」」」
俺以外のこの場にいた全員が両手で顔を覆って低い声を上げた。
父さんのいうとおりにした方が良かったのだろうか?
俺は早く大人になりたかった。
朱音のことを支えられる一人前の大人にって。
先を急ぎすぎた?
お祖父様達のところに行くから、相談でもしてみようかと考えていると、スーツの胸ポケットに入れていたスマホが振動する。
俺は部長達に一言断ってスマホを取り出す。ディスプレイに映し出されたのはSNSアプリのメッセージだった。
しかも、差出人は朱音!
俺は嬉々としてメッセージを開けば、『今日、お仕事かな? 匠君の時間が合う時で構わないから、会いたいなぁって思ったの』というメッセージが。
朱音が俺に会いたいって!!
俺も会いたい。会いたいに決まっている。
だが、今日は春ノ宮家に行く約束が……ん? 春ノ宮家?
朱音、春ノ宮家とも仲良い。
俺の知らぬ間に祖母やいとこ達と女子会と称したお茶とかしているし。
むしろ、春ノ宮家の人達の方が朱音と会っているような気がしないでもない。
朱音さえよければ、お祖父様達の所に一緒に行けるのでは?
そう思った俺は朱音に返事を送ることにした。