受動的な彼女が能動的になる時
翌日。私は放課後、匠君に会うために六条院を訪れていた。
昨夜の匠君の様子が気になり、彼の様子を見るために会いに行こう! と思ったのは良いけれども、肝心の匠君の予定が全くわからない。
そのため、美智さんに連絡を取れば、「是非、六条院へ。お迎えに参りますので」と申し出が。
匠君の事は美智さんに任せて欲しいそうだ。
六条院はセキュリティが高いので、他校生が気軽に入れるかな? と思っていたけど、そこは六条院。美智さんが事前に申請してくれたお蔭で、彼女と共に守衛室でIDなどを受け取り中へ。
「美智さん、今日はありがとうございます」
私は綺麗に磨き上げられた六条院の廊下を歩きながら、隣にいる美智さんへとお礼を告げる。
すると、彼女は微笑みながら首を左右に振った。
「いいえ。こちらこそありがとうございます。お兄様を気に掛けて下さって。お兄様、珍しく凹んでいるようでして……」
美智さんは表情を曇らせながら眉を下げる。
「朱音さんが来て下さったので、きっとお兄様は元気になりますわ。絶対に!」
「私で役に立つことがあれば良いのですが……」
「朱音さんにしかお兄様を元気に出来ませんわ。お兄様はサロンで待たせています。今日はサロンを貸し切りにして貰いました」
匠君に一体何があったのだろうか?
シロちゃんや美智さん達もきっと心配だったと思う。
美智さんに案内されて、私はサロンの前に。
サロンの二枚扉は閉め切られていた。この中に匠君は待っていると思うとちょっと緊張する。
「では、朱音さん。少しこちらでお待ち下さいね」
美智さんは扉を開けてサロンの中へと入っていく。
美智さんが片方の扉を開けたままにしてくれているため、彼女の足音などが聞こえてくる状況だ。
「美智、一体なんだ? サロンで待っていろって。しかも、貸し切り」
匠君の声だ。
やっぱりいつもの彼と違って、疲れを含んでいるようで胸が痛む。
「お兄様に来客が……」
「来客っ!?」
匠君の裏返った声が聞こえてくる。
「嘘だろ。来客って佐緒里かっ!? 本当に一体、何を考えているんだ。よりを戻そうなんて。元カノが予告なく尋ねて来た時点で何かあると気づくべきだった」
「お、お兄様、ちょっとそういうお話は……私、扉を開けてきてしまいましたので……」
元カノ? 佐緒里さんって前にどっかで聞いた事があるような。
なんとなく、匠君が悩んでいる理由がわかった気がする。元カノさんが原因なのかもしれない。
「しかも、あんな条件を出してさ。もしかして、返事を聞きにきたのか?」
「お兄様、お静かに。佐緒里様ではありませんから。それ以上しゃべったら、自分で自分の首をしめてしまうことになります」
「なんで急にキレているんだよ?」
「……」
「なに、その無言。え、まさか……!」
「そのまさかですわ」
美智さんの堅い声が辺りに響くと、「朱音っ!?」と私の名を叫ぶ声と共に慌ただしい足音がこちらに近づいて来る。
扉に何かがぶつかる音が聞こえたかと思えば、匠君の横顔が窺えた。
彼は最初私がいる方向とは反対側を向き、今度は私がいる左側へと顔をむけると目を極限まで見開く。
「どうして朱音がうちの学校に……?」
「連絡もしないで、急に来てごめんね。昨日の匠君の様子がおかしいことが気になって……匠君に会いに来たの」
私の台詞を聞き、最初はきょとんとしていた匠君だったが、急に顔を真っ赤にさせ口元を手で押さえた。
「朱音が俺に会いに来てくれた……っ!」
「さっき、色々聞いちゃってごめんなさい」
「さっき? あっ……」
匠君が真青になった。
「違うんだ、朱音。確かに元カノとは会ったというか、六条院に予告なしで来られたけど、やましい事は一切ない。信じてくれ!」
「お兄様、それ浮気の疑いを掛けられた彼氏の反応ですわ」
サロンから美智さんがやって来た。
頬に手を添え、ふぅっとため息を吐き出しながら匠君を見ている。
「朱音が来ているなら最初から言ってくれ!」
「言ったらサプライズになりません。でも良かったですわ。叫べるくらいに元気になられて」
「言われてみればそうだな」
「とにかく立ち話もなんですから中へ。せっかく貸し切りにしたのですから」
「わかった。朱音、さぁ部屋に」
匠君に促され、私はサロンへと足を踏み入れた。
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(美智視点)
私達三人は、サロン内にあるソファへと座っている。
テーブルの上には、ティーポットと共に菫の砂糖漬けが二つ乗ったガラスの小皿とケーキが置かれていた。
ケーキはお兄様がティラミス、朱音さんがレモンのメレンゲパイ、私がセルニックだ。
お兄様はケーキやお茶に手をつけることなく、朱音さんをちらちらと見ている。
少し落ち着いて! お兄様。
「匠君。あのね」
紅茶を一口飲んだ朱音さんが口を開く。
「私で力になれることがあったら、なんでも言って欲しいの。いつも匠君にお世話になっているし、匠君は大切な人だから」
「朱音……」
お兄様は朱音さんの台詞に感極まっているようで、今すぐ朱音さんに手を伸ばして抱き締めそう。
感情を我慢できなかったお兄様は、朱音さんの代わりに自分の脇に置いてあったクッションを手に取ると抱き締め出す。
無理もない。朱音さんに大切な人発言されたのだから。
――でも、少し意外だったわ。朱音さんがお兄様に会いに来て下さるなんて。
勿論、朱音さんが優しい人だというのは彼女と一緒にいて充分理解している。
凹んだお兄様の声聞いて心配になったのだろう。
ただ、いつも受動的な朱音さんが今回お兄様に対して能動的なような気がしたのだ。
お兄様は気づいていらっしゃるのかしら? 私はそんなことをぼんやりと思いながら、紅茶を飲む。
「匠君。話して楽になることなんかがあったら、言ってね」
「あぁ」
お兄様は頷くと菫の砂糖漬けへと視線を向け、唇を開く。
「朱音。あのさ……紫色の菫の花言葉って愛なんだ」
「ゴホッ」
予想もしていなかった台詞に対して、私は飲んでいた紅茶が気管に入ってしまい、咳き込んでしまう。
何で脈絡なく愛って言いだしてしまっているのだろうか。
まさか、ここで告白でもするんですかっ!?
「美智さん!? 大丈夫ですか?」
朱音さんが心配そうに私へと顔を向けたので、私はただ首を縦に振った。
「申し訳ありません。紅茶がちょっと……」
私は曖昧に微笑み誤魔化す。
告白するならば、私は席を外すのでアイコンタクトでもして頂きたいのですけれども。
「俺、愛について悩んでいたんだ」
「愛……?」
「そう」
席を外すべきかどうかを考えているうちにお兄様が言葉を発してしまった。
「もし朱音がパーティーなどによく参加しなければならない家柄の相手と結婚することになったらどうする? 外国語も覚えなきゃならないし、煩わしい人間関係だって発生してしまうと思うんだ。負担が掛からないか? 相手の事を嫌にならないか?」
朱音さんはお兄様が凹んでいる理由とその質問が繋がらずに首を傾げている。
「朱音がどう思うか知りたいんだ」
「私……? それって、匠君の家みたいな感じかな?」
みたいというか、五王家です。朱音さん。
私は心の中で彼女に言葉をかける。
お兄様が凹んでいる理由はわからなかったが、朱音さん関係で佐緒里さんに何か言われたのだろう。
帰宅した時にお兄様の様子がおかしかったから、彼女が関係している事は確実だ。
「結婚する相手って、好きな人ってことだよね?」
「あ、あぁ」
お兄様は真剣な顔をして朱音さんの返事を待っている。
「だったら、どうもしないかな」
「え、どうもしないのっ!?」
「うん。あまり人の多い場所とか苦手だけれども、好きな人のためでしょ? だから、どうもしない」
朱音さんが躊躇わずに言ったので、お兄様は瞬きを繰り返してびっくりしている。
「実際に体験していないから、想像でしか言えないけれども。私はそう思うよ」
「朱音っ!」
今までクッションを抱き締めていたお兄様は感情のメーターを振り切ったらしく、立ち上がって朱音さんを抱き締めた。
突然の出来事に朱音さんはきょとんとしている。
「勿論、朱音の事は必ず俺が守る。そう言ってくれてありがとう」
お兄様。感極まっていますが、まだお兄様と朱音さんは結婚どころか付き合っていませんよね。
朱音さんは仮定での話をしているのですが。
――まぁ、お兄様がいつもの元気なお兄様に戻ったので何よりですわ。
「朱音のお蔭でもやもやしていたのが晴れたよ。ありがとう。よし! さっそく色々動くか」
「よくわからないけど、解決したのなら良かった」
朱音さんはほっと息を吐きながら、お兄様に向かって微笑んだ。




