自覚
匠視点
会議室は静寂に包まれていた。
開け放たれた窓からは心地よい風が室内へと流れ込み、俺と臣の頬を撫でている。
大きなオフィスデスクが中央に配置してあり、その傍にはホワイトボードやプロジェクターなどが。
ここは生徒会が使用する会議室。造りとしてはこの学園内の会議室の中では比較的シンプルな方だ。
「……いいのか? 会議」
俺はいつもの定位置へと座りながら、そう臣へと尋ねた。
長方形のテーブルの一番端。ちょうど窓際の前の席が会長の定位置になる。
あの後、臣からゆっくりと自分で考えた方がいいですよと言われ、こうして会議室へとやって来た。
テーブルには今日の議題の書類は見受けられず、ただ俺と臣の鞄だけが……
「大丈夫ですよ」
俺の左側に腰を落としている臣がそう告げながら、柔らかく笑う。
「まだ始まるまでに時間があります。それに遅れる予定ですから」
「は? 遅れる? そんな連絡は来ていないが……」
「伝えようと思って生徒会室に向かったら、ちょうど貴方と出会ったんですよ。一年の庶務・葉木君が資料をコピーしていなかったそうです。しかも、一部資料が抜けている事も発覚。今、尊が手伝っていますよ」
「……もういっそのこと会議中止にしろって」
つい愚痴っぽくそう言えば、臣は苦笑いを浮かべた。
――早めに会議が終わったら、朱音達と合流しようと思ったのになぁ。
資料のコピーが終わってないだけならまだしも、資料が一部抜けているとは。
これでは会議の開始時刻が大幅に遅れるのは確実だろう。
「そうしたいのは山々ですが、今日中に処理案件が……それなのに、全く葉木君は……」
「まぁ、会議が始まる前に資料の件に気づいてよかったんじゃないか」
「えぇ。それは不幸中の幸いでした。……あぁ、すっかり忘れてましたが、匠も先ほどの生徒会室の件について始末書を提出して下さいね。勿論、健斗にも書かせますが」
「あぁ、明日までには必ず」
「お願いします。それでさっきの朱音さんの件に戻しますが、うちの生徒ではありませんよね?」
「榊西で俺達と同じ年だよ。朱音さ、感受性が豊かで良い子なんだ。あの絵本を見て、作者が楽しんで書いているってわかる所とかさ。俺も美智もあの絵本を見て、下手過ぎるとしか思わなかったからな。そういうのが俺には全くないから凄く惹かれる」
それなのに朱音は気づいていない。むしろ、自分には何も無いと思っている。
無理もないだろう。あの環境なのだから……――
「僕は締め切りに間に合わずに急いでいるのかって思いました」
「だろ? 普通はそんな感じなんだよ」
俺はしみじみとそう言った。
俺と美智のために描いてくれたという点では嬉しい。
でも、そんな想いは本人には伝えるつもりはない。なぜなら、また暴走するからだ。
ただでさえ面倒なのに……
しかも、最近やたらと俺に絡んでくる。朱音の件で。
「しかも勉強も頑張っているんだ。朱音のノートと教科書を見るとわかる。そういう人知れずに努力している所もいいなって思う」
もしかしたらそれは、両親に褒められたいっていう思いがあるのかもしれない。
だが、あんなに努力しても、それを認めて貰えない……
それでも朱音はやる。しかも、家の事もちゃんとしながら。
母親が仕事で遅くなりそうな時は朱音に電話が掛かってくるのだが、それは夕食作りの連絡らしい。だから、朱音はバイトが出来ないそうだ。
「いじらしくて愛おしいんだ。それと同時に朱音の両親に対して苛立ちを覚える」
だが、赤の他人の俺では何も出来ない。そんな自分にも腹立たしくなる。
色々な感情がぐるぐるとして最近の気分は不安定。まるで夏の天気のように。
「そんな朱音を守ってやりたいし傍で笑って欲しい。我が儘も沢山言って欲しい」
「先ほども言いましたが、僕にはもう答えが出ているように感じますよ」
「……あぁ、臣と話をしていてなんとなく自分でもわかってきた気がする。俺は、朱音の事が好きだ」
「別に色々な想いを抱いたままでも良いと思いますよ。もし気分が不安定なのが嫌でしたら、紙に書いてみたらどうですか? 僕も時々しますが、少し気分が晴れますよ。お勧めです」
「紙かぁ。やってみようかな」
「えぇ。思うままに書くのがコツです。恨みつらみも全て。僕は少し席を外しますのでどうぞ。会議室も違う場所に変更しますので、準備が出来次第呼びますので」
「……悪いな」
「いいえ」
臣は首を左右に振ると、そのまま扉の向こうへと消えていった。
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「やばいな、これ……」
ひっそりと静まり返った会議室に、ぽつりと俺の呟きが浸透していく。
動揺が体にも伝わっているのか、手にしている紙が小刻みに震えている。
臣に言われて自分の想いを紙へ書きなぐったら、最初は朱音の両親と妹や何も出来ない自分への憤りが記されていたのに、何故か途中から朱音への溢れる思いが綴られている。
しかも、恋愛ポエム風に。
――こんなの誰かに見られでもしたら……っ!!
恥ずかしさのあまり悶絶しそうになる。
だからこれはシュレッダーにかけるのが一番だ。永久に誰にも見られないように。
だが、会議室にはシュレッダーが無く、生徒会室に戻らねばならない。
仕方がないので、家で処分しよう。そう思って、紙を二つに畳んで鞄の中へ。
「しかし、紙に書くというのは結構自分には合っているのかもしれないな」
心なしか気分がすっきりとしている。これを進めてくれた臣に感謝だ。
その後、家でも心の赴くままに紙に書くのが生活の一部となるのだが、それを美智に見られる未来が来る事をこの時の俺はまだ知る由もなかった――