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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

真説・白雪異聞

作者: たつみ暁
掲載日:2013/12/18

 小さな影が、黒き闇間を飛ぶように駆けた。

 人里離れた暗い竹林の中を走るその影は、もし目にする人間がいたならば、さては人ならざるものかと怯えただろう。

 だがそれは、戦場いくさばの武士よりもやや軽装な鎧をまとう、れっきとした人間の男の姿をとっていた。

 ただ、大人びた顔に反して、非常にこぢんまりとした体とやや短めな四肢を持っている。

 清平きよひらの名を持つその影は、小柄な体躯にできる限りの速さで、林の奥へと懸命に走った。

 ふっと横目で見やれば、竹の向こうにちらちらと、不定形の赤がいくつも見え隠れしている。

 松明の炎が躍っているのだ。

 清平は歯を食いしばって、走る速度を更に上げる。

 土を蹴る音と鎧がこすれあう音、そして自身の息づかいだけが、やけに大きく清平の鼓膜を震わせた。

 やがて竹が途切れ、その奥に隠し立てるようにして在った屋敷が姿を見せる。

 手入れする者もおらず荒れ放題なその屋敷は、住む者などいないのではないかと思わせる。

 しかし清平は一寸の迷いも無しに屋敷へ飛び込み、非常時であると己に言い訳して、具足を脱ぎもせずに奥の間へと進んだ。

「姫様」

 膝をつきこうべを垂れて、御簾の向こうにいます主に呼びかける。

「この一帯はすっかり囲まれております。皇子の手の者、数は五十を下らないかと」

「・・・そうか」

 鈴を転がすような高い声が返ると同時、主が伏せていたおもてを上げる気配がした。

 しばらくの後、そっと御簾を退けて、清平の主が顔を見せる。

 女子おなごが年頃の男に顔を見せるのは恥知らず、と嗤われても致し方ない無作法だ。

 だが清平は主にそれを指摘する事もできずに、ただ息を呑む。

 主は美しかった。

 歳のころは十五、六。

 まるで人形が魂を得て動き出したのではないかと錯覚するかのごとく端正な顔立ちで、目鼻筋整い唇は血色も形も良く、欠点を挙げる隙のない美貌だ。

 何故ここまで美しき娘が、かようにうらぶれた屋敷に住まわっているのかと、人は疑問に思うだろう。

 だが、誰もがすべからく、その疑念を抱く前に目を奪われるのだ。

 彼女の、長く艶やかで、まつげまで同じ色をした、抜けるような白い髪に。


 白雪の君。

 それがこの姫に与えられた名であった。

 今上帝の愛情を一身に受けときめくきさきの娘で、帝の子としては十九番目、姫としては十番目として、この世に生まれ落ちた。

 だが誕生の時、産みの苦しみに堪えきれず母は他界した。

 更に父である帝は、産婆がとりあげた子を見て、その真っ白な髪に絶句したという。

 もの

 帝が最初にその姫を呼んだ名は、我が子に対するにしてはあまりにも辛辣しんらつなものであった。

 我が后は妖怪に命を喰われたと、帝は心の底から姫を疎んじた。

 やがて帝の寵は他の女に移り、新たな正妃となったその継母は、異彩を放ちながらも自分より美しく育つ姫が、いつしか己の立場をおびやかすのではないかとおそれた。

 畏れはやがて憎悪に変貌する。

 継母は星詠みの占者に姫の運命を詠ませ、占者は「帝の傍にあっては、いずれ御代みよを揺るがす者」との宣告を下した。

 自分に都合の良い結果を詠むように、継母が占者に金を握らせた可能性なども充分に考えられる。

 だが、真偽の程など誰もわからない。

 いずれにしろ、白雪の君は朝廷の一族として存在する事を許されず、都外れの竹林の奥へ押し込められ、世間から抹殺された。

 捨てられたのである。


 捨てられたというのならば清平も同じであった。

 父親は高い官位を持つ公家の者だと聞いたが、本当の所は知らない。

 とにかく、誰かが興味本位で夜這いをかけた後放置した下級貴族の姫のもとに、最初から捨てられた形で生を受けた事だけは、確かである。

 その姫には子供を育てるだけの財力も後ろ盾も無かったので、子は、年老いても跡継ぎを得られずにいた武家の老人に、養子として引き取られた。

 最初に何という名を貰ったかは、覚えていない。

 物心ついた時には別の名で呼ばれていたからである。

 子供を引き取ってすぐに、老人の若い伴侶が男子おのこを生んだのだ。

 その男子は喜びを運ぶ子、喜運丸きうんまると名付けられ、大事に大事に育てられた。

 一方で養い子の彼は要らない子になった。

 小柄で細っこい姿を嘲るかのように、小さな捨て子、小捨丸こすてまるなどと愛情のかけらも無い名前を与えられ、かえりみられる事が無かった。

 弟がよちよち歩き始めたのを皆がはやし立てる、そんな庭の片隅でただ無言で剣を素振り、食事の時間も一人別室で飯を食べた。

 いや、愛情が無いと感じていたのは、一方的な思いこみであったのかもしれない。

 たまに養父母が何かを言わんと呼び止めようとした時や、はじけんばかりの笑顔で後ろからちょこちょこついて来る幼い弟を、逃げるように避けて無視していたのは、小捨丸の方だった。

 良い顔を見せた後に嫌われるくらいなら、最初から深い関わりなど持たずに遠ざけていた方が傷つかない、と距離を置いたのだ。

 やがて孤独感が募りいたたまれなくなって、小捨丸は家を飛び出した。

 彼は、自分で自分を追いつめ、小捨丸ではなくなれる可能性を自ら捨てたのだ。

 その後、あてどなく町を彷徨さまよい、ならずものにからまれこてんこてんに蹴り殴られて、金と唯一持ち出した刀も奪われた。

 降りしきる雨の中、あざを作った顔とはだけた着物という無様な格好で、橋のたもとに大の字に転がった。

 そして、もういっそこのまま死んでも構わないと思っていたところに、深く笠をかぶったかの人が通りかかったのだ。

 その人は笠の下からじいっと小捨丸を見下ろし、今と変わらぬ美しい声で問いかけた。

「そなたも捨てられたのか?」

 と。

 彼女は小捨丸を屋敷に連れ帰り、傷の手当てをして、質素ながらも十分な飯を食わせてくれた。

 そして、小捨丸が帰る場所が無いと言うと、「では」と微笑んで告げたのだ。

「私がそなたを拾おう」

 清平という名は、その時にもらった。

 清い心を持つ、ひらった・・・転じて、心平らかなる男子である、と。


 清くなどない、穏やかでもない。

 清平は自分をそう評価する。

 劣等感から自分の居場所を捨てた、そんな己の姿は、白雪の君にはどう映ったのだろう。

 聞いた事は無い。

 姫は清平の生い立ちを知っても、ただ、白いまつげを同情するようになかば伏せて。

「そなたも難儀をしておったのだな」

 と、ひとつ嘆息しただけ。

 清平の弱気を責める事も、彼の家族について悪態をつく事も無かった。

 その後の生活の中でも、清平が、山菜や茸を採り、春には筍を掘り出して、朝夕に火をおこし食事を用意すると、黒目がちな眼を細めて礼を言う。

 いつまで経ってもみてくれはそこそこだが味のついてこない料理を、口に運んでは、おいしい、と返してくれる。

 時折、人里近くまで降りて季節の花を摘んで来ると、それはそれは嬉しそうに受け取り、艶やかな色の花を白い髪にさして笑顔をほころばせる。

 この人の口から、悪しき言葉を聞いた事は無かった。

 本来ならば、宮中できらびやかな着物をまとって大勢の家臣にかしずかれ、少なくとも貧乏による不自由などとは一切縁の無い暮らしを出来るはずの人なのに。

 なのに。

 世間から隔離され忘れ去られても、彼女が清平の前で父や継母やその他諸々の人間に恨み言をもらした事は、一度も無い。

 彼女はその名に違わず、無垢むくで何色にも染まらない白い心をもって、誰を憎む事も無く生きていた。


 いや、ただ一度だけ、彼女が他人に対して嫌悪感をあらわにした事があった。

 ずっと屋敷にこもっていては気鬱きうつになるだろうと清平が気遣って、姫を遠乗りに連れ出した時だ。

 清平の駆る馬の背に二人で乗り、人気の少ない川辺へ行った。

 日除けの笠をかぶり岸に座り込む姫の前で、清平は着物の裾をたくしあげてざぶざぶと川へ入り、素手で魚を捕りにかかった。

 手づかみしようとすれば、つるつる、つるつる。

 踊るように手の中をすり抜けてゆく川魚を必死につかもうと、自分まで踊りを踊っているような動きになる清平。

 それを見ていた白雪の君は、はじめは抑えてくすくすと、次第に大きな声をあげ腹を抱えて笑い転げた。

 それにつられて清平も笑顔を返し、魚をつかんだ手を振ると、そこからするりと魚が逃げる。

 追いかけようと身をひねった瞬間に、今度は清平自身がつるりと足を滑らせ、勢いの良い水音を立てて川の中へと倒れ込んだ。

 流石に青い顔になった姫が立ち上がりかけると、びしょぬれになった身を起こした清平が、照れくさそうに笑みを見せる。

 それでほっとした姫が、再び砂利の上に腰をおろそうとした時。

 川そばの林から一頭の鹿が飛び出して来た。

 鹿はよろよろとふらつきながらこちらへ向かって来る。

 見れば後足に矢が刺さって、点々と地面に赤い染みを作っている。

 姫が再度腰を浮かせ、鹿に近づこうとした時。

 びゅん、と風を切る音ひとつを立てて飛来した矢が、どっと鹿の首を射抜く。

 鹿は黒目がちな瞳をすがるように姫に向けたまま横様に倒れ、しばらく痙攣けいれんしていたが、やがて力つき動かなくなった。

 清平は川からあがって姫のもとへ駆け寄った。

 この姫が、死んだ動物を目にするのは初めてではない。

 清平が狩猟で得て来た鳥や動物をさばいて肉塊にするところを、くりやに入って来て興味深げに見ていた事は、よくある。

 だが、目の前で命が消えるのを見たのは、無かったはずだ。

 いつもは血色の良い唇が色を失って震えている。

 そこへ、幾つかの足音がばらばらと林から近づいて来るのを聞いて、清平は姫をかばうように立ち、連中を待ち受けた。

 一目に質が良いとわかる着物を着、弓矢を携えた男達が、二人の前に現れた。

「なんだ、なんだ、こんな所へ女連れか?

 いいご身分だな」

 着物とは対照的にいやみたらしい下卑た笑いを垂れ流しながら、一人の男が近づいて来る。

 姫が笠の下で明らかに不快を示した。

「お姫様よ。こんなちびすけを相手にしていないで、俺達と一緒に楽しくやろうや」

 男はそう言い放つと、清平があっという間も無く姫の笠をはぎとり、直後、息を呑む。

 姫の美貌が現れ、その白い髪が陽の光を受けてよりいっそう眩しく輝いた。

「白雪の・・・!」

 男達がその名を呼んで、どよめいた。

 姫はさっと笠を拾って再度深々とかぶったが、男達の目に焼き付いた白は消せなかった。

「これはこれは」

 そんな男達の間から進み出て来る者が居た。

 周りの者より更に良い着物を羽織っているが、こざっぱりとしすぎて印象の薄い顔をした、若者と呼ぶには少々その年齢を過ぎている男だった。

「噂に聞いていた我が一族の末姫に、このような所でお会いするとは」

 その言葉で、清平は目の前の男が皇族に連なる者である事を悟る。

「貴様ら、このお方は帝の二の皇子、智早皇子ちはやのおうじだぞ。

 頭が高い、頭が高い!」

 取り巻きが声高に男の名を明かす。

 だが清平は、この男に対して膝をつく気にはなれなかった。

 この無垢なる姫の前で血を流した、それを許す事が出来なかった。

 じろりと鋭い眼光を返す清平に、皇子はひるむ事も咎めを告げる事もしなかった。

 ただ、とるに足りない小物を相手にするかのように肩をすくめると、清平の脇をすりぬけ姫のもとへと近づいた。

「このような小鬼にまつわりつかれて、そなたも迷惑しておるだろう。

 私のもとにおいで。

 私の妻となれば皇族に戻れるし、何の不自由も無い」

 清平の心の臓が、どきりと大きく脈打った。

 姫がこの皇子の手を取れば、彼女はきらびやかな暮らしへ戻れる。

 もう、ぼろ屋敷で暮らしたり粗末な食事をしたりする必要も無い。

 そして自分は捨てられるだろう、また独りだ。

 だが、姫は。

「侮るな!」

 その場の空気をぴしゃりと叩き、居合わせる者がとっさに背筋を伸ばすような気迫で声をあげ、皇子をぎっと睨みつける。

「貴様の見え見えの下心にすがるほど、私は心まで落ちぶれてはおらぬ!」

 そうして、皇子が差し出した手をぱしんとはたいた。

 皇子はしばしぽかんと呆けていたが、やがて意地悪そうに口が三日月をかたどって。

「それは残念だよ、我が妹。

 後悔するだろう、私の温情を受けなかった事を」

 取り巻きの男達を連れて立ち去りながら、そんな捨て台詞を吐いたのだった。


 皇子の意趣返しは迅速で周到だった。

『我が義母君が畏れるあやかしの姫と、付き従う小鬼を成敗せんが為に』

 と、后である継母の顔を立てる名目で、私兵を率いて白雪の君の屋敷を守る竹林を取り囲んだ。

 成敗など建前だ。

 彼は姫の守護者たる清平を排除し、力ずくで姫を手に入れようとするだろう。

 味方は居ない。

 清平だけで戦わねばならない。

 だが、清平の中に悲壮感は無かった。

 捨てられた自分を拾って名を与え、頼りにしてくれた、自分を見捨てなかったひと

 彼女を守る為に散る命なら、どんなに無様な死に方をしても後悔はしない。

「・・・姫」

 清平は頭を垂れたまま、白き姫に告げる。

「私が皇子の兵を相手し、隙を作ります。

 その間にお逃げください」

 しかし姫は首肯しなかった。

 髪も肌も白い中、それだけがひときわ鮮やかに映える赤い唇を薄く笑みの形にすると、御簾を上げきって全身を清平の前にさらす。

 その姿はいつもの、粗末ながらも女性らしさを失わない楚々とした着物姿ではなく、清平より更に軽装の戦装束に身を包み、腰には小太刀をはいていた。

 姫に請われて、剣術を仕込み軽鎧のまとい方も教えた事はあるが、これはまさか。

 あっけにとられる清平の前で姫は懐刀を抜き放つと、ぶつりと。

 長く美しい白髪をうなじのあたりで勢い良く切り落としたのである。

「いつまでも白雪などという名前に胡座をかいて、自ら手を汚さぬ人間ではいられまい」

 はらはらと白が畳に舞い散る中、姫は決然とした瞳で清平を見つめる。

「たとえ血に汚れても、私は私の身と誇りを守る為に戦う覚悟を決めた」

 清平は瞬きし、そしてはっと現実に立ち返ると、深々と主の前にぬかづく。

「・・・お供いたします、どこまでも」

 白は血に汚れれば紅に染まる。

 だが、このひとの白き心までは何色にも染められまい。

 自分が守り抜こう、このひとを。

 このひとの、白雪のごとき心を。


 清平は姫を守るように前を歩いて屋敷の外へ出た。

 屋敷を取り巻く殺気はびりびり身を刺す。

 夜目が利く黒の瞳をさっと周囲に走らせると、既に至近距離まで近づいて来ている幾つかの影が見えて、清平は刀をすらりと鞘から抜いた。

 養家から持ち出し失った名品ではないが、郊外の偏屈な鍛冶師に頼み込んで、姫の小太刀ともども手ずから打たせてもらった、唯一無二の刃である。

 ちゃきりと音をさせて刀を構えると、清平は一旦身を縮めてから獣のように跳ねて、闇に潜む敵の懐へ飛び込んだ。

 一閃。

 一太刀のもとに喉笛を引き裂かれた男が、信じられないという表情をしながら血を撒き散らし、あおのけに倒れてゆく。

 それを最後まで見届けもせずに清平は身を翻し、隣に居たもう一人の顔面を突いてのけぞらせた。

 敵方は三人目でようやっと攻撃する事を覚えたようだ。

 必死の形相で刀を振り下ろして来る敵の一撃を、たんと軽く地を蹴る事であっさりと避け、清平は己の刀を振り抜く。

 すとん、とあっけない音と共に、相手の手首から先が握った得物ごと地面に落ちた。

 後からやって来た未曾有の恐怖と痛みに叫声をあげうずくまるその肩を踏み台に、とんと小柄な身体を飛び上がらせると、体格のせいで不足しがちな腕力に落ちる勢いを加算し、闇の中を駆けて来た一人を袈裟懸けに。

 身を反転させたそのまま斬り上げて、背後に近づいていた者の利き腕を肩口から吹っ飛ばした。

 相手は闇に紛れる事で優位に立ったつもりでいたのだろうが、この薄暗い竹林で暮らして来た清平にとって闇は味方であった。

 姫の白とは対極にある黒色は、姫とはまた別の安らぎをもって清平を包み込む、母より優しい存在だ。

 その闇に抱かれて清平は走り、一気に三人を屠った。

 更に二人を斬り倒した所で、かのひとは無事かと視線を向ける。

 姫は小太刀を振りかざして果敢に敵に立ち向かっていた。

 実際に人を斬るのは初めてのはずなのに、姫は泣くのも吐くのも怯むのも無しに、迫って来る男達の鼻面を斬り裂き、顔面を砕き、心の臓を貫いている。

 返り血が容赦無く降り注いで白雪の君は紅に染まっていたが、ざんばらの髪を振り乱し瞳ばかりが爛爛らんらんと光る凄絶な姿をして尚、彼女は美しかった。

 皮肉にも彼女の父親が物の怪と称したように、常人とはかけ離れた鬼気迫る美しさが、今の姫には宿っていた。

 迫り来る敵を退けているとやがて、ぱちぱちと爆ぜる音が清平の耳に届いた。

 たった二人を討ち取れない事に業を煮やした皇子が部下に命じて、火を放ったのだろう。

 年月を重ねた竹林があっという間に炎に包まれ、むっとする熱気が肌を焼いた。

 だが、戦っている部下が居るのに火攻めにするとは。

 案の定、彼らは皇子の意図を知らされていなかったのだろう、突然の炎に慌てふためき、姫や清平の事など無視して壊走し始めた。

「姫!」

 咄嗟に清平は主の元へ駆け寄り、

「ご無礼を」

 短く断って彼女を背におぶった。

 女子の軽装とはいえ、戦装束をまとい小太刀を持った人一人分の体重が、ずしりと身にのしかかる。

 これがこのひとの命の重さだ。

 そう口の中で呟いて清平は炎の中を走り出した。

 踊り狂う火に呑まれて阿鼻叫喚をあげる敵を避け、みしみし音を立てながら倒れて来る竹を刀で払い、駆ける、駆ける。

 勝手知ったる竹林が、何か別の巨大な気のれた猛獣のようにすら見える。

 煙を吸い込んだか姫がせるのが、背中越しに響いた。

 ここで立ち止まる訳にはいかない。

 火の熱と極度の緊張でだらだら汗を流しながら、清平は炎の中を疾走する。

 どれぐらい走っただろうか。

 一刻か、それとももっと気の遠くなるような時間か。

 やがて、炎が途切れるのが眼前に見えた。

 竹林を抜ける、そう確信してほっと息をついた瞬間。

 ぎらりと幾つもの赤い目が自分を捉えるのを、清平は見た。

 いや。

 目だと思ったのは、炎の照り返しを受けて剣呑に輝くやじりの先だ。

 そう気づいた直後。

 十数の殺意が矢の形をとって、清平の身に次々と突き刺さった。


 がつんと左側頭部から地面にぶつかる衝撃で、清平は自分が一瞬気を失いかけていたのを悟った。

 胸が、腕が、足が、全身が熱い。

 ぬるりとしたものが自分の身体から溢れ出て、地面へ吸い込まれてゆくのがわかる。

 誰かが自分の名を呼んでいる。

 ああ、あのひとだ、と理解するにはしばし間が必要だった。

 姫の美しき声が、悲鳴じみて掠れている。

 鈴のごときお声をそのように嗄らさないでください、自分などの為に。

 そう言おうとしたが、言葉の代わりに口から零れていったのは、錆の味。

 姫の声は切実で、最早泣きそうになっていた。

 泣かないでください。

 いつでも笑っていてください。

 執念とも呼ぶべきその一念が清平を突き動かした。

 麻痺しかけた手足を叱咤して上体を起こす。

 地面に転がっていた刀を拾う。

 その動作だけで全身を痛みの怨霊が暴れまわっているようで、考える事を大いに邪魔する。

 この痛みをもたらすものを退けようと、清平は身を貫く矢に手をかけ、そうして。

 ずぶりと肉を裂く音を立てながら、矢を引き抜いた。

 一本ではなく、何本も何本も己の身に刺さる矢を、全て。

 そして清平は、立ち上がった。

「ば、化物・・・!」

 闇の向こうで矢を放った者達が怯えたのが伝わった。

 そこへ、刀を握り直した清平が飛び込む。

 敵は再び矢を放つ間も与えられず、たちどころに一人残らず地面へ転がった。

 周囲から敵意が消え失せる。

 智早皇子の気配はしない。

 清平達の反撃を受けた事に恐怖し、早々に尻尾を巻いて逃げただろうか。

 ならばいい。

 これだけ痛い目を見れば、姫に手を出そうというよこしまな考えも持たなくなるだろう。

 そう考えて安堵した途端。

 清平の全身から力が抜けて、彼は再度頭から地面に倒れ込んだ。


 朦朧とする意識の中、清平は自分が誰かに覆いかぶさって引きずられるように移動している事に気づいた。

 それは誰だろうと、散り散りになりそうな思考を何とかまとめていると、紅に濡れた白が、かすむ視界に入った。

 自分と背丈のほとんど変わらない、戦装束をまとった女子。

 見捨てなかった。

 彼女はこんな時でも、自分を捨てずに拾ってくれた。

 ひめ、と。

 言ったつもりだが喉がつかえていて、きちんと声になったかはわからない。

 だが。

「清平」

 応えるように姫は清平の名を呼んだ。

「皇子の手勢は逃げ出した。

 私達を阻む者はもう居ない」

 ずるずると清平を引きずり、重たそうに、しかし確実に一歩一歩を刻みながら、彼女は語りかける。

「そうだ清平。

 あの屋敷も無くなってしまった事だし、私達は旅に出よう」

 幸せそうに夢を語るような口調で姫は言う。

「旅から旅への根無し草も、二人ならばきっと面白いはず」

 一瞬間を置いて彼女は言葉を継ぐ。

「そして落ち着きどころを見つけたら、そこで暮らそう。

 そう、それがいい」

 そうですね。

 自分をおぶって前を向いているのでわからないが、姫の笑顔を想像して清平も笑みを浮かべた。

 温かい人達の居る場所を見つけて、そこで暮らそう。

 姫の白い髪を恐れる事無く、白い純粋さを個性として尊重してくれる場所ならば、鬼や物の怪と蔑まれる事も、このひとが紅に染まる事も無く、安心して、誇りを持って生きられる。


 そう、生きよう。

 このひとと共に。


 いつか来る行く先を思い浮かべながら、清平は深い深い眠りへと意識を手放した。

 だから彼は知らない。

 明るい声で話す姫が密かに流していた涙を。

 もうすぐ昇る太陽が、血に濡れた白雪の君の身体を紅く照らし出し、白い心を暗い哀しみ色に染め上げるだろう夜明けも。


 都にはある噂があった。

 いわく、都外れの竹林には美しく白い女鬼とそれを守る小鬼が棲み着いていると。

 ある時、皇族の一人が兵を率いて征伐に向かったが、手痛い反撃に遭っただけで首を取る事はかなわなかったという。

 その後、彼らがどこへ行ったかは誰も知らない。

 その存在は、歴史という大河の水底へと沈んでいったのである。


 そっと、木戸を引き開けて。

 歳のころ六、七歳の女子がひょこりと小屋から顔を出し、外の様子をうかがった。

 暖かい陽の光を浴びた残雪がけ、その下から花の芽が育ち始めている。

 春が近いのだ。

 雪は好きだ。

 それまでの嫌な事、大変だった事、泣いた出来事を、白で全て塗り尽くしてくれるから。

 だが春も好きだ。

 これからの良い事、楽しい事、笑える出来事へ思いを馳せ、期待に胸を膨らませる季節だから。

 女子はつっかけるように草履を履いて外へ飛び出すと、ひとしきりはしゃいで走り回った所で、小屋の奥へと声をかけた。

「ちちうえ、はやく、はやく」

 応と声がして、ゆったりとした足音が近づいて来る。

 女子は戸口まで引き返すと、身を屈め履物を探して彷徨う父親の手に、慣れた様子で草履を手渡した。

 有難うと返す父親の眼は娘を映してはおらず、あらぬ方向を向いたままだ。

 かつて血を流しすぎた為に光を失ったのだというが、詳細は知らない。

 両親は若い時分、よんどころなき理由で住む場所を追われて各地を放浪した末、都より遥かに離れた東国のこの村に腰を落ち着けたらしい。

「らしい」なのは、両親自身から聞いた事は無いからだ。

 村の子供達と遊んでいる時、彼らが親のしていた話を聞きかじって教えてくれたばかりである。

 その話によれば、村に住み着いた頃の父はまるで従者のように母に接していたというが、今の仲睦まじい対等な様子からはとても想像が及ばない。

 第一、眼の見えない父を母が甲斐甲斐しく世話する日常を見ていれば、そんなものは真っ赤な嘘だと思うのが関の山だ。

 しかしそんな事は関係無い。

 父が居て、母が居て、自分が居て、優しい村人達が居て。

 春が来て夏になり、秋も過ぎて冬がおとないを告げ、そして一年が巡る。

 穏やかな日々を過ごせるそれだけで、どんなに幸せな事か。

小雪こゆき

 鈴を転がしたように可憐な母の声が、奥の部屋から聞こえる。

 きっと繕い物をしているのだろう。

「父様が一緒だからって無理はしないように。

 お天道様が真上を過ぎる頃には帰って来なさいよ」

 はあいと元気良く返事をして、父から握り飯の入った包みと壷を受け取り、左手でそれを持ち、右手で父の手をしっかと握る。

 今日はこれから川で魚獲りだ。

 こんな身でも、父は魚に対してはとても勘が鋭く体さばきも良くて、村一番の漁上手だ。

 水が温かくなり始めた川には、岩魚いわなも沢山泳いでいるだろう。

 大漁の予感に胸を弾ませつつも、足元の石や凹凸の箇所を父に教える事は忘れず、注意して歩き出す。

 小雪の名を戴いた少女の、肩口で切り揃えられた、まつげまで同じ色をした、抜けるように白い髪が、陽光に照らされてきらきらと輝いた。

 そう、それはまるで、若き日の白雪の君のように。

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