第三話
ロシーヌが町から戻ると、キャメロット公爵の城は騒然となった。というのも、痩せて薄汚れた狼が運び込まれたからだった。
狼はロシーヌの有無を言わせぬ命令により、即座に彼女の自室に運ばれた。そうして、温めた山羊の乳と、火を通した牛の肉を食べさせると、弱々しかった狼の瞳に少しずつ生気が戻り始めたのだった。
しかし、狼はまだ体が思うように動かせないのか、とてもおとなしい。ロシーヌは恐れもせず傍らに寄り添い、汚れた体をその白い手で優しく撫でてやっている。
その様子を真っ青になって見守るしかなかった侍女のエリーは、侍女頭に呼び出されたかと思うと、嵐の夜の雷鳴にも似た怒声で叱責された。
「お前は、有事にはロシーヌ様をお守りする立場にあるのですよ。それは、主が自ら危険に晒されようとするのをお諫めすることでもあるのです。それをなんということですか。こともあろうに、人に害なす狼を拾って帰るとは……! エリー、お前はしばらく自室で謹慎とします。わかったらお行きなさい」
「あの、でも、あの狼は……」
エリーが恐る恐る言いかけたが、怒りで目を血走らせた侍女頭に睨まれ、それ以上何も言えなくなってしまった。
エリーはロシーヌが心配で仕方がなかった。それは、狼を城内に連れ込んだからではない。いや、あれは狼などではないのだと思っている。
――人型に変ずる狼など、それはもうただの狼ではないのだから。
***
暖炉にくべた薪が橙色の炎の中ではぜる音が大きく聞こえた。
毛布で作った寝床の上で疲れたように目を閉じて動かない狼を撫でているうちに眠ってしまっていたロシーヌは、ふと目を覚まして息をついた。
「夢ではなかったのね」
辺りを見回すといつもの自分の部屋である。薔薇の香りがほのかに漂う、きれいな居心地の良い部屋だ。幼いころ、姉のアレーナが本だらけの自室と比べてよく褒めてくれたことを思い出した。しかし、ロシーヌは姉の古い紙の匂いがする部屋のほうが大好きであったことをよく覚えている。
姉は男勝りで、刺繍針の代りに細剣を持ち、恋よりも夢と友情を大事にしていた。
姉の夢――。それは、希薄になってしまった力の象徴である竜と人との交流を取り戻すこと。それにはまず人から離れていった巨大な翼竜の飼育方法を確立させることだ。翼竜が人と共にあれば、精霊使いとそれを守護する五大竜がウォルド王国の力になる。
「大人は躊躇して誰も試みようとしなかったけれど、アレーナお姉様とグランスリードは違う」
信じ続け、アレーナがいなくなった今もグランスリードだけは戦い続けている。そして、彼らを後押するかのように、その試みが無駄ではないことが証明された。
そう、五大竜の中でも風を司る竜に選ばれた精霊使いが現れたのだ。
グランスリードはまっすぐに正しい道を進んでいる。
では自分はどうだろうかと、いつもここへ思考は辿りつくのだ。そうして、答えがない己を嫌悪してしまう。
「狼さん。私の勝手でここに連れてきてしまって、迷惑だったかしら。でも、あなたも私を呼んだわよね。そうでしょう」
ロシーヌの膝もとで目を閉じていた狼が、うっすらと目を開けた。
「あら、目が覚めたのね。気分はどうかしら。怪我はしていないようで安心したわ。もうおなかは空いていない?」
艶やかな唇に笑みをのせ、白金の髪を揺らして小首を傾げるロシーヌをじっと見つめる狼の静かな瞳。その黄金色に輝く瞳に吸い込まれそうになり、ロシーヌは慌てて目を閉じた。
この狼は普通の狼ではない。一瞬ではあるが、人間の青年の姿に変じたのだ。
不思議がまかり通る国・ウォルド王国――。
魔物か、それとも神の御使いかはわからない。
それでもロシーヌは、正体不明のこの狼との出会いに新しい変化を感じずにはいられなかった。
やがて、次に目を開けたときには、狼はまた眠りについており、暖炉の炎に焼かれた薪が崩れ落ちる音がやけに大きく聞こえたのであった。