第十四話
エリーと見目麗しき二人の妖精族の騎士との出会いは最悪とは言えないものの、決して喜びを伴うものではなかった。というのも、白妖精族の青年・カリアルード・ブランシュの辛辣な一言が、初対面の少女の心を凍らせたからである。
キャメロット公爵家令嬢ロシーヌの侍女であるエリーは、本名をエリーゼという。しかし、孤児であることへの負い目から、エリーゼという分不相応な名前ではなくエリーと気軽に呼んでほしいと申し出たところ、長身のカリアルードは、小柄なエリーを銀色がかった水色の瞳で冷たく見下ろした。
「授かった己の名を恥じるとは……不愉快な娘だ」
涼しげな声が残酷にエリーを打ちのめした途端、少女の栗色の大きな丸い眼から大粒の涙がとめどなく溢れ出してきたのであった。
「も、申し訳ありません」
エリーは恥じ入るように俯き、旅支度を口実にその場を辞したが、いくら拭っても、暫く涙が乾くことはなかった。
「エリー、もう泣くのはおやめなさい。妖精族――特に白妖精族は気難しいと聞いています。ましてやカリアルード様は騎士。誇り高いお方はご自身に恥じることなどないのです」
身寄りのないエリーの母親がわりを務めてきた侍女頭・メリィサに、エリーは泣きはらした目を冷やした手ぬぐいで押さえながら、子どものようにコクリと頷いた。
メリィサの年季が入ってはいるがすらりと細長い指がエリーの額を軽く押した。
「さぁ、涙はもうおしまい。あなたはこれからロシーヌ様のお力になるべく、ドラフト公爵家へ向かうのですから。道中は魔物も出る険しい旅です。お二人の騎士がおられるとはいえ、ただの足でまといではいけません。自分のできることで精一杯お役に立つのですよ」
そう言いながらエリーに手渡したのは、手の平に収まる大きさの銀製の箱であった。その箱には精緻な花の浮彫が施されており、ひと目でたいそう貴重な物であることが分かった。
「なんて綺麗な裁縫箱!」
涙目を大きく見開き、鼻声で感嘆の声を上げたエリーは、銀の裁縫箱を鳥の雛でも扱うようにそっと両手で持ち上げた。そうして、蓋を開けてみてさらに栗色の瞳を輝かせたのだった。
「すごい! 針も糸もキラキラしている」
年相応にはしゃいでいる少女に、メリィサが微笑んだ。なぜなら、誰が見ても同じ反応をするであろうほどに、銀の箱に入った裁縫道具は輝きを放っていたからだ。
「メリィサ様、これをお借りしてもよろしいのですか」
「いいえ。それはもうあなたの物よ」
さらりと言うメリィサに、エリーの目は今度は目玉を落としてしまうかと思うほど見開かれた。
明らかに高価な代物である裁縫箱をもらう理由がないと返そうとしたが、毅然と背筋を伸ばした侍女頭は決して受け取らなかった。ただ、「その裁縫箱と裁縫道具は、あなたを選んだのよ」と嬉しそうに目を細めたのだった。
いよいよドラフト公爵領ベルド地方――通称風の大地と言われる――へ向かうべく出発する時分になり、エリーがキャメロット公爵家の広大な前庭に足を運ぶと、二人の妖精族の騎士は、すでに自馬とともに少女を待っていた。その光景は、まるでお伽噺の一場面をそのまま再現したようである。
まばゆいばかりの美貌と気品漂う騎士たちに見上げられ、玄関前の石造りの階段を緊張した足取りで下りるエリーは、すでにこの先の旅路を思い、心が萎えてしまいそうになっていた。
頬を強張らせた少女にはじめに声をかけたのは、褐色の肌に淡い金色の短髪の青年で、黒妖精族のシャルディン・アロウサだった。
「やぁ。さっきはそこの朴念仁が失礼なことを言ってごめんね。ああいうことはもう言わせないから安心して」
縁なし眼鏡の奥に見える、春の日差しを閉じ込めたようなシャルディンの若葉色の瞳が、ちらと右方に控えているもう一人の青年騎士を見た。
「朴念仁とは何だ。普段はお前のほうがよほど口が悪いだろう」
二人の妖精族の若き騎士たちは旧知の仲なのだろう。心外だと言わんばかりにシャルディンに反論した白妖精族の騎士、カリアルード・ブランシュは、たじろいで立ち止まったままのエリーに手綱を持たぬ左手を差し出した。
「きみは私と共に、このルクレールに乗るんだ。こちらへ来なさい」
カリアルードは、手綱を持ったままの右手で軽く愛馬の首を叩いた。ルクレールは見事な青毛の牡馬で、一般的な馬よりも一回り大きなその馬体は、一角獣の血を受け継いでいる。
カリアルードに少し気後れした表情で歩み寄ったエリーは、ルクレールの真っ黒な鼻面が自分の頭よりも高いので、噛まれるのではと息を呑んだ。そんな少女にため息をついた黒髪の騎士が、大丈夫だ、と言いかけた時だった。
「え……いや、あの」
ルクレールに外套の襟を咥えられたエリーは、悲鳴も上げられずに目を白黒させてカリアルードに両手で助けを求めた。
周囲にいた侍女頭のメリィサをはじめ、シャルディンやカリアルードももちろん驚き、思わず困っているエリーを眺めてしまったのだった。
「た、助けてください」
今にも泣きそうな声で長身のカリアルードを見上げるエリーは惨めなほどに哀れで、表情をあらためたカリアルードは、ルクレールを鋭く叱責した。
「驚いたよ。ルクレールも悪戯をするんだね」
半分感心したような口調のシャルディンが、心配して駆け寄ろうとしたメリィサに小声で言った。
「メリィサ。どうやらあなたが大事に教育してきたあの娘は、そこの黒い主従に気に入られたようだね」
黒い主従――黒髪のカリアルードと彼の愛馬ルクレールをそう称してにこりと笑うシャルディンもエリーゼが気に入ったのだろう。困惑の表情をした侍女頭をよそに、半泣き状態の少女と、それを見て困っている青年をなぜか嬉しそうに見ていた。