第十話
聖天使・ダニエルに肉体を貸してから昼と夜を何度か繰り返した頃、背中の大きな翼を器用に使いこなして天空界を飛び、そこに住まう人々の様子をつぶさに観察するロシーヌの姿があった。ここには彼女の自由を縛るものは何もないのだ。
しかし、すでに白金の髪をした少女は天空界において広く周知されるところとなっていた。聖天使・ダニエルの器たる人間があまりにも美しいばかりか、その魂がまったく違和感なく異界に馴染んでいたからだった。
そのロシーヌに静かにつき従うのは、金色の瞳の青年・ルーセムだった。彼はこの天空界で聖天使・ダニエル付きの要人として知られているのか、飛びまわる先々で人々から深々と頭を下げられた。
このことに驚いたロシーヌは、人ひとり分ほどの幅しかない止まり木のような細道に降り立ち、無表情な連れの青年を見上げた。
「ルーセム、あなたって何者なの」
ロシーヌは、いつもの公爵令嬢としての毅然とした表情ではなく、あどけない少女の素顔を出会って間もないルーセムに見せて問うた。
「我は聖天使・ダニエル様にお仕えする者だ。先刻説明したはず」
「そうではなくて。この天空界でどのような存在なのかということよ」
なぜロシーヌが唇を尖らせたのかと少々首を傾げたルーセムは、軽く頷いて再度口を開いた。
「聖天使・ダニエル様は、この天空界を統べる光の神・ルーフ様をお支えする四大天使の一人であらせられる。そのお方に付き従う者の中で、我は第一の位をいただいている。だから皆は我を敬うのだ」
「四大天使……。私たちと似ているわね。我が家は四大公爵の中でも地竜を守護竜に戴いていますが、聖天使様は何を司っておられるの」
「ダニエル様は導きの光の天使。そして正義をも司る清廉なるお方。この天空界と地上を導く大切な役割を担っておられる」
ルーセムは己が主を心から慕っているようで、ふと和やかな表情を見せた。
その青年の様子に、ロシーヌの心も和やかになった。自分と同じだと思ったのだ。グランスリードの力になりたいと強く願う気持ちが。
「本当に大切なお方なのね」
短い会話を終えて一息ついたところで、ロシーヌが再び別の場所へと飛び立とうとすると、一人の翼人がふらふらと数十歩ほどの距離の場所に降り立ち、そのまま膝をついてうずくまってしまった。
驚いて駆け寄ったロシーヌが声をかけようとすると、背後で先にルーセムが口を開いた。
「璞玉が無いのだな」
「……ル、ルーセム様」
顔を上げた翼人は少女で、ロシーヌと同じくらいの年頃なのか、侍女のエリーを思い出させるような善良な面持ちをしていた。しかし、その顔色は不健康に青白く、よく見れば額に汗が浮かんでいる。
少女の傍らに膝をついたロシーヌは、具合の悪そうな背中にそっと手を当てながらルーセムを見上げた。
「こちらの方は大丈夫なのですか。どこか休める場所にお連れしたほうが良いのではないですか」
ロシーヌの申し出に、ルーセムはうっすらと口の端を引き上げて満足げに頷いた。
「ではこの者を聖天宮に連れて行こう。ダニエル様の御魂の器たるお前が許せば、だが」
「愚問です。それから、彼女を休ませたら璞玉についても説明して下さいね」
他人を助けることに躊躇のない、しかしながら探究心もしっかり見せるロシーヌに、ルーセムは返事の代わりに少女の髪を軽く撫でたのだった。




