眠りの地へ
那須の山々が、漆黒の闇に沈み込んでいた。
栃木県那須町の殺生石周辺は、息を潜めたような静寂に包まれていたが、その裏側では、極秘の捕獲作戦が、まるで巨大な機械の歯車のように、ゆっくりと、しかし確実に回り始めていた。
山道の曲がりくねった道に、ヘリコプターのローター音が低く響き渡り、源一郎の専用機が着陸したのは、仮設司令本部のすぐ脇だった。源一郎は機から降り立つと、冷たい夜風が銀髪を乱すのを無視し、テント状の本部へ急いだ。
本部の外見は、迷彩ネットで覆われたただの大型テントのように質素だったが、内側は最先端の指揮システムの牙城と化していた。壁一面に並ぶ複数の大型ディスプレイが、衛星からのリアルタイム画像を映し出し、ドローンからのフィードバックが絶え間なく流れ込んでくる。
画面には、殺生石の周囲を囲む赤い境界線が表示され、警備員の位置を示す点滅するアイコンが動き、ドローンのカメラが捉えた夜の山林が、緑色のナイトビジョンで鮮明に映っていた。
源一郎の隣では、柊コンツェルンの代理として派遣された柊武が、腕を組んでモニターを睨みつけていた。彼の表情はいつも通り厳しく、作戦の微細な綻びを探すように、鋭い視線を走らせている。源一郎の心の中では、家族の誇りと、失敗の恐怖が交錯していた。
(…この作戦が失敗すれば、古井座家の名は地に落ちる。だが、成功すれば… 世界が変わる。娘の一見を危険に晒すのは、心が痛むが、彼女の血がそれを求めている。古井座の運命だ。長年のビジネスで培った交渉術が、ここで試される。)
彼は銀髪を無意識に撫でつけ、深呼吸を繰り返す。長年のビジネス戦場で鍛えられた精神が、今、最大の試練を迎えていた。過去の失敗が脳裏をよぎり、手がわずかに震えるのを抑える。喉が乾き、傍らの水筒に手を伸ばすが、緊張で飲み込むのを忘れる。
無言だった柊武が口を開く。
柊武「…源一郎、綻びは許さんぞ。親父殿も、この作戦の成功を強く期待している。失敗すれば、柊家との提携も揺らぐ。」
柊武の声は低く、抑揚のない響きで部屋に広がった。源一郎は静かに頷き、心の中で反芻する。
(柊家の力なくしては、この規模の作戦は成り立たない。だが、古井座のプライドを曲げてまで… いや、家族のためだ。柊の老獪な策略に負けぬよう、警戒せねば。あの会談での視線が、まだ胸に刺さっている。)
部屋には、自衛隊の高級将校、米軍の士官、そして古井座家の私設部隊長たちが集結していた。彼らの顔には、緊張の影が濃く浮かんでいた。
将校の一人は、心の中で家族の顔を思い浮かべ、
(この作戦で死ぬかもしれない。だが、国を守るためだ。妻の最後の言葉が、耳に残る。)
と自分を奮い立たせていた。
一見は、少し離れた椅子に座り、クールな瞳で作戦地図を眺めている。
彼女の戦闘装束は、剣の力が呼び起こす“聖なる鎧”――「七彩光滅之聖衣(セブンカラーズ・エクスターミネイト・アーマー)」と呼ばれる、霊力の結晶そのものだった。
夜の闇を切り裂くように、彼女が秘宝の剣を握りしめると、まず七色の光が刃から迸り、渦を巻いて彼女の体を包み込んだ。光はまるで生き物のように蠢き、瞬く間に白銀の鎧へと凝縮していき、その全体像を表したのだ。
胸元には、龍と鳳凰が絡み合う古井座家の家紋が金糸で刺繍され、肩当ては鋭く尖った白い装甲板で覆われ、縁には金色の蔓草模様が這う。胴体を護るプレートは、まるで水面のように滑らかな曲線を描きながら、霊力の波動で淡く輝く。腰から下は、深い藍色のスカートアーマーが優雅に広がり、内側には特殊装甲の薄板が何層にも重なって防御力を保ちつつ、動きを妨げない。太腿を覆う白いガードは、膝まで伸びるブーツと一体化し、足首には小さな水晶が埋め込まれ、歩くたびに微かな音を立てて霊気を放つ。
最も目を引くのは、顔を覆う仮面だ。白磁のように滑らかな表面に、金の装飾が施されたそれは、目元を完全に隠し、代わりに細いスリットから一見の冷たい瞳が覗く。額には小さな白い花――彼女がいつも髪に挿しているものと同じ花が、霊力で固定され、戦いの最中でも決して落ちない。仮面の奥で、彼女の唇がわずかに動く。
一見「これが、古井座の血が呼び覚ます力……」
鎧全体が、七色の光の粒子をまとい、まるで星屑をまとった聖女のようだった。意識を集中させると、鎧の装飾が共鳴し、光の紋様が浮かび上がる。それは、敵の攻撃を弾き、味方を護る“結界”の証でもあった。
一見は、鎧に包まれた自分の姿を見下ろし、静かに呟いた。
一見「これで、皆を守れる…」
内心は、冷静さを装いつつ、微かな不安が渦巻いていた。
(剣の力… 私に扱えるのか。母様のように逃げたくはないけど… 仲間たちの顔が浮かぶわ。吹奏楽部の皆のためにも、失敗できない。前を向くわ。あの祠での出来事が、私を変えた。)
彼女は優雅に髪を払い、決意を固める。
源一郎が立ち上がり、ブリーフィングを開始した。声は落ち着いているように聞こえたが、微かな震えが混じっていた。長年の経験が彼を支えていたが、心の奥底では、娘の一見を危険に晒すことへの罪悪感が疼いていた。
源一郎「諸君、この作戦の目標は、殺生石の下に封じられた九尾の狐を目覚める前に捕獲し、その霊力を我々の制御下に置くことだ。失敗は人類の危機を招く。まず、包囲網の形成から詳述する。」
源一郎の言葉を聞きながら、将校たちはそれぞれの思いを巡らせる。米軍士官は、
(…この異様な作戦… 妖怪など信じがたいが、命令だ。家族に誇れる戦いになるか。科学と伝説の融合、興奮するが、不安も大きい。)
と疑念を抱く。
作戦の基盤は、鉄壁の封鎖網だった。
那須の温泉街と周辺の山道を、半径約10キロメートルの円形で完全に囲い込む。地元住民の避難は、数日前から密かに進められていた。柊家の絶大な政治的影響力を駆使し、那須町役場を通じて「大規模映画撮影に伴う一時的立ち退き」を告知した。住民一人ひとりに100万円の補償金を支給し、近隣の高級リゾート施設への無料宿泊を保証した。温泉旅館のオーナーたちは当初、抵抗を示したが、柊コンツェルンの国際ネットワークで代替観光客を呼び込む約束で、ようやく納得させた。
彼らの心の中では、突然の立ち退きに対する不満と、金銭的利益の間で葛藤が生じていた。
(家族の生活がかかっている。仕方ない… でも、この撮影、本当に映画なのか? 夜中に聞こえる重機の音が、不気味だ。)
そんな疑念を抱きながら、荷物をまとめて去っていく。観光客の予約はすべてキャンセルされ、迂回路を設けて那須高原の他のスポットへ誘導した。避難の様子は表面上穏やかで、まるで地域イベントの準備のように見えたが、裏側では私設警備員数百人が24時間体制で監視を続け、家族単位での移動を厳しくチェック。ドローンが上空を飛び回り、漏れを許さない。
警備員の一人は、心の中で呟く。
(この静けさの裏で、何が起きるのか… 家族に話せないのが辛い。徹夜のシフトで体が重いが、任務を全うする。)
マスコミ対策は、作戦の生命線だった。柊家のメディア事業部が主導し、「ハリウッド超大作『九尾の伝説 ~蘇る大妖怪~』のロケ地として那須を選択」と大々的にプレスリリースを打った。内容には架空の監督名とプロット概要を記し、SNSで急速に拡散させた。リアリティを高めるため、有名俳優を実際に起用した。
ハリウッドのアクションスターが「狐の守護者」役で現場に配置され、地元記者に囲まれてインタビューに応じる姿を演出。彼の心の中では、巨額のギャラと、謎の作戦への好奇心が交錯していた。
(この役、ただの偽装だって? 面白いけど、危険はごめんだぜ。万一のトラブルで、キャリアに傷がつくかも。フラッシュの光が眩しいが、笑顔を保つさ。)
偽の撮影セット――巨大な岩のプロップや特殊効果用の爆破機材――を大型トラックで搬入し、クルーを装った作戦要員が区域内を自由に動き回る。SNS監視チームは専用のAIツールでハッシュタグを追跡し、目撃情報を即座に「映画のリーク映像」として再拡散。万一の情報漏洩には、柊家の法律チームがプラットフォームに削除要請を連発するシステムを構築していた。
監視員の一人は、画面を睨みながら思う。
(一つのツイートがすべてを台無しにする。絶対に防ぐ。徹夜続きで目が痛いが、集中だ。コーヒーの苦味が、眠気を吹き飛ばす。)
立ち入り禁止区域の設定は、主要県道の出入り口に鋼鉄製バリケードを設置し、「危険 撮影中 立ち入り禁止」の大型看板を掲げる。警備員は古井座家の精鋭ガードと米軍の特殊部隊が連携し、夜間は赤外線サーマルカメラとモーション検知センサーで境界線を監視。侵入者は即座に拘束され、「過激ファン」として処理される。
警備員の心理は、緊張の連続だった。
(暗闇の中で、何かが動くたび、心臓が止まりそう。家族の安全のためだ。銃の重みが、責任を思い出させる。風が葉を揺らす音が、得体のしれない何かの足音に聞こえる。)
偽装撮影隊は、カメラマンや照明技師を装い、区域内に潜入。実際には、兵器の配置ポイントをカバーし、ドローンで上空偵察を担う。
彼らの心には、偽りの役柄と本当の使命の間で、微かな罪悪感が宿っていた。
(この仮面の下で、本当の戦いが待っている。家族に嘘をついているのが、胸に刺さる。カメラのレンズ越しに、見える景色が現実を歪める。)
軍事部隊の配置は、緻密な戦略に基づいていた。
自衛隊の第1普通科連隊と米軍の第75レンジャー連隊が主力で、地上にType 10戦車40輌とAH-64 Apacheヘリコプター20機を展開。那須高原展望台の高台にレールガンを秘匿設置し、発電機は3MW級ディーゼルを8台並列接続、燃料タンクを複数備えて連続運用を確保。冷却システムは大型ファンと水冷装置で強化し、騒音を映画機材の音として偽装。
司令本部は殺生石から約10キロ離れた林間に設営され、光ファイバーと衛星リンクで全ユニットを繋ぐ。
作戦火力の中核を担うのは、通称「フォックスハント・アーティラリー・グループ」と呼ばれる日米混成第7特科旅団(Provisional 陸上自衛隊・米軍混成特殊砲兵部隊)。総員128名。表向きは映画撮影用の重機材運搬部隊として偽装されているが、実際は精密誘導と飽和砲撃を担う地上火力の要である。
【陸上自衛隊 第1特科隊(東部方面隊隷下)】
この部隊は3種の火砲を運用する。
まず、99式155mm自走榴弾砲が6輌。RAP弾使用時の射程は40kmに達し、GPS/INS誘導の国産精密誘導弾(XM982エクスカリバー相当)を搭載。狐の再生部位をピンポイントで蒸発させる「連続精密飽和射撃」を担当する。車長は「狐の尾を一本ずつ千切る」と宣言している。
次に、FH-70 155mm牽引榴弾砲が4門。これは予備火力として運用され、光ファイバーで本部と直結された射撃統制が可能。
さらに、120mm迫撃砲RTが8門。近接支援を担い、発煙弾で狐の視界を奪い、焼夷弾で妖気の再生を妨害する役割を持つ。
【米軍 第75レンジャー連隊 付属砲兵中隊(第17野戦砲兵連隊)】
米軍側は3種の火器を展開。
M777A2 155mm軽量牽引榴弾砲が4門。重量4.2トンでヘリによる吊り下げ輸送が可能。デジタル火器管制システムにより、CEP(半数必中界)はわずか5メートル。使用弾種はGPS誘導のM982エクスカリバーと、通常弾を精密誘導化するM1156 PGKキット。
M109A7 Paladin自走砲が2輌。自動装填により毎分4発の射撃が可能で、狐の頭部を「手術のように削る」任務を担う。
HIMARS(高機動ロケット砲システム)が1輌。6連装で、GMLRS-ER弾を用いて射程150kmの遠距離精密初撃を実施。狐覚醒直後の「頭部固定射撃」を担当する。
【射撃統制システム】
本部テント内には日米共同射撃統制センター(FDC)が設置されており、米軍のAFATDSと自衛隊のFDC-NETが光ケーブルで直結されている。観測班から送られる座標をリアルタイムで受信し、0.8秒以内に全砲門へ射撃諸元を配信する。狐の尾1本ごとに「Tail-1」から「Tail-9」までの個別火力割り当てコードが設定されている。
【弾薬構成(総備蓄)】
部隊が備蓄する弾薬は以下の通り。
・エクスカリバー同等の精密誘導弾が48発。狐の尾根元を精密に切断するために使用。
・焼夷榴弾(WP)が120発。妖気の再生を抑制する目的で用いられる。
・発煙弾(HC)が80発。狐の視界を奪うために使用。
・通常の高性能榴弾(HE)が300発。飽和覆射による広域攻撃に使用される。
【指揮系統】
指揮官は陸自第1特科隊長である1等陸佐・佐藤。彼は「狐が動く前に、尾を9本とも千切る。1秒の遅れも許さん」と語る。
副指揮官は米軍第17野戦砲兵連隊の中佐・ジョンソン。「科学と伝説の交差点。ここで歴史を作る」と述べ、任務への覚悟を示す。
部隊の目標は、狐覚醒後30秒以内に初弾を命中させ、3分以内に尾6本を切断すること。映画の爆発シーンに偽装された砲撃音が、山間に轟き渡る夜が始まろうとしていた。
一見の配置は、狐の出現予想地点の近くで、虹の剣を携行し注意を引く。
レールガン射手はEvan Kerry、若い米軍兵士だ。内気で自己嫌悪の強い彼は、管制室で独り呟く。
「僕なんかで大丈夫かな… 失敗したら、みんなの命が… 父さんの期待に応えられない…」
震える手でシミュレーションを繰り返す。彼の心は、幼少期のトラウマ――厳格な軍人父からのプレッシャー――で満ち、逃げ出したくなる衝動と戦っていた。
(また失敗したら、父さんに捨てられるかも… いや、今回は違う。みんなを守るんだ。管制パネルの光が、目が痛い……)
ブリーフィングが終了し、源一郎は一見に目を向けた。
源一郎「一見、お前の役目は危険だ。無理はするな。父として… 心配だ。」
源一郎の声には、珍しく感情が滲む。一見は優雅に頷く。
一見「承知しておりますわ。お父様。でも、私の人生は私のもの。古井座の血が、支えてくれます。」
彼女の内心では、吹奏楽部の仲間たちの笑顔が浮かび、勇気をくれる。テント内の空気がピンと張りつめ、作戦開始の時を待つ。
兵士たちの心臓が、鼓動を速め、汗が額を伝う。
(これが本番か… 生きて帰れるか?)
そんな思いが、これから戦場となる現場に満ちていた…。




