千年の因縁
閃光のごとく、炎の奔流が放たれた。
九尾の狐の巨大な口が、獣の咆哮のように大きく開き、そこから吐き出された業火の槍は、夜空を一筋の灼熱の赤い線で切り裂いた。空気が焼けつくような熱を帯び、炎の軌道沿いに大気が歪み、爆音が山全体を震わせる。
業火は、まるで生き物のようにうねりながら、殺生石から数キロ離れた一見がいる陣地へと殺到した。
その熱量は、空気中の水分を一瞬で蒸発させ、周囲の岩肌を溶岩のように赤く輝かせ、着弾までのわずかな間に、周辺の木々を黒い炭と化し、灰を舞い上げさせた。炎の先端は、鋭い槍頭のように尖り、風を切り裂く轟音が、戦場の喧騒を一時的に掻き消すほどだった。
陣地は、殺生石を見下ろす高台の岩陰に構築され、周囲を自衛隊のバリケードと米軍の特殊シールドで固められていた。物理的な防御に加え、霊的な結界がドーム状に張り巡らされ、内部を護っていた。
護衛の兵士たちは、銃を構え、息を潜めてその光景を凝視する。迫りくる炎。空気が熱くなり、汗が額を伝う。九尾の狐の業火が、結界に迫る影が、夜空に不気味な赤い光を投げかけていた。
――グォオオオオン!
業火の槍は、結界に直撃した。
直撃と同時に光り輝き存在を表した虹色のドームが、衝撃で激しく震え、表面が内側へわずかに凹む。まるで高熱の針を押し付けられたガラスのように、甲高い亀裂音が響き渡り、蜘蛛の巣状の無数のひび割れが一瞬で広がった。
結界の光が激しく明滅し、七色の粒子が爆発的に散らばる。内部の空気が熱くなり、護衛の隊員たちの肌が焼けつくように痛む。外縁部シールドの金属が赤熱し、溶け始め、バリケードの鉄骨が捩じ曲がる音が連続する。
結界に阻まれ散らされた炎が幾筋もの流れとなり、弧を描きながら結界の周囲に飛んでいく。
結界の防御霊力が、凄まじいエネルギーの奔流に限界を迎えようとしていた。
その様子をモニターで見ていた源一郎がマイクに向かって叫んだ。
「一見、逃げろっ!逃げるんだっ!」
野戦司令部に源一郎の叫び声が響く。
柊武はただ黙って腕を組んで仁王立ちしながら、モニターを睨みつけていた。そばに控えていた秘書が小声で恐る恐る柊武に話しかける。
「…ご当主…ここから避難されたほうが宜しいのでは?」
柊武は少し間を置くと、横目で秘書をギロリと睨みつけた。猛烈な圧に縮み上がる秘書…。柊武が口を開いた。
「…逃げたければ貴様だけでも逃げろ。俺はここを動かん。」
柊武はそれだけ口にすると、鬼のような形相でモニターに視線を戻した。秘書は固まったまま、身動きがとれなくなってしまった…。
一見の白銀の聖衣――七彩光滅之聖衣――が、結界の霊力と共鳴するように強く輝き、肩と背中、右足のプロテクター、仮面に亀裂が走る。
彼女のポニーテールが衝撃波で激しく乱れた。仮面のスリットから覗く瞳は、揺るぎない冷徹さを保っていたが、額に一筋の汗が伝う。熱気が彼女の頰を撫で、息がわずかに乱れる。
「な、なんて威力だ…!」
護衛に当たっていた自衛隊の小隊長が、思わず後退し、シールドの影に身を潜めた。彼の声は震え、ヘルメットのバイザーが曇る。米軍の兵士たちも、銃を構えたまま地面に伏せ、熱波を耐える。陣地の外周では、木々が炎に包まれ、爆ぜる音が連続し、土煙が立ち昇っていた。
古井座一見は冷静だった。
彼女の瞳は、仮面の奥で光を放ち、その唇は微かに動いている。焦燥も恐怖もない。ただ、古井座の血脈に刻まれた使命感だけが、彼女を支配していた。彼女は優雅に息を吐き、宙に浮かぶ立体ピアノ鍵盤の上を指先で滑らせた。
「…まあ、随分と熱烈な歓迎ですわね。ですが、私の演奏は、まだ序曲を終えたばかりですのよ。」
彼女の指が、低音部の鍵盤を強く叩く。人差し指と中指が、力強く沈み込む。霊歌のメロディが、それまでの柔らかな調べから、重厚で鋭い、行進曲のようなリズムへと変化する。
一見の歌声が、戦場の喧騒を打ち消すように音量を上げ、霊力が増幅する。
「古の血潮、流れよ。流れ流れ、我元に集え。霊力の川、奔流せよかな!」
一見の霊歌に呼応し、結界の輝きが再び増し、表面の亀裂が七色の光の粒子で埋められていく。業火に押し込まれていたドームが、軋みながらもゆっくりと元の形状を取り戻し、狐の炎を押し返し始めた。
光の粒子が渦を巻き、炎の槍を削り取るように反撃する。空気が爆ぜ、蒸気が立ち昇り、両者のエネルギーが中空で激しくぶつかり合う。
それは、まるで二つの太陽が衝突したかのような光景だった。
衝突のエネルギーは巨大な熱と衝撃波となって周囲に拡散し、陣地の外周を護っていた物理的なバリケードやシールドは、鉄骨ごと捩じ曲がり、熔解し、粉々になって吹き飛んだ。
周辺の森は、炎と霊力の奔流に触れた瞬間、根元から黒い煤となり、跡形もなく消滅していく。遠く離れた場所にあった架空の映画セットの建築物が、衝撃波の余波で紙細工のように吹き飛び、谷底へと崩れ落ちた。
「FDC-NET! FDC-NET! This is the Position Defense Team ! . The barrier is compromised by the target fox's inferno ! The power is beyond expectation ! The defense cannot hold at this rate ! Requesting immediate concentration of firepower and a precision strike on the fox's mouth ! 」
(FDC-NET! FDC-NET! こちらは陣地防衛隊、目標狐の業火により結界が損耗! 予想以上の威力です! このままでは防御が持ちません! 至急、火力を集中させ、狐の口元への精密攻撃を要請します!)
護衛部隊の米軍指揮官が、ヘッドセットに焦りの声を叩きつける。その声は震え、プロフェッショナルとしての冷静さが崩れかけていた。
野戦司令本部では、佐藤1等陸佐がモニターを睨みつけていた。陣地が赤い警告色に染まり、けたたましく警報音が鳴り響く。結界の強度が急速に低下しているのだと推察できた。佐藤の額に汗が浮かび、拳を握りしめる。
「くそっ、これほどの力だと!? FDC、直ちに砲撃を再開しろ! 狐の口と尾を優先目標に、焼夷榴弾を飽和投射だ! 陣地から目を離すな!」
隣に立つジョンソン中佐は腕を組み、冷酷な表情でその様子を見ていたが、微かに舌打ちする。
「That girl's holding more than we thought. But that fox's power is off the charts. Sato, get the A-10s and AC-130Us to concentrate all firepower on the fox! If that barrier falls, the whole operation collapses!」
(あの娘は我々が思っていた以上にもちこたえているぞ。だが、あの狐の力は桁外れ(または「常識外れ」)だ。佐藤、A-10とAC-130Uに、全火力をあの狐に集中させろ!もしあの結界が破られれば、作戦全体が崩壊するぞ!)
センター内のオペレーターたちが、即座にキーボードを叩き、火力の再配分を開始する。モニターに新たな射撃諸元が表示され、戦場全体の火線が狐の周辺に集中する。
そんな中、一見に、九尾の狐の強烈な憎悪と記憶の奔流が、防護霊力を貫通して脳内に流れ込んできた。
……それは、千年前の因縁の記憶――古井座の血脈と九尾の狐の宿命的な対立だった。
千年前の、憎悪に満ちた夜の光景が、一見の脳裏に鮮明に蘇る。数え切れない武士達の死体と狐配下の妖怪達の骸と瓦礫の中、満月の下で、狐は傷だらけの身体に無数の矢が突き刺さり、九本の尾を振り乱し、炎の嵐を巻き起こしていた。
宮廷を操り、帝を惑わし、民を苦しめた栄華の日々。それを終わらせようとする人間たちの軍勢が、犠牲を顧みずに狐を包囲する。狐の黄金の瞳は、嘲笑と怒りに燃えていた。
『おのれ、卑しき人間どもめ! この妾を封じるなどと!』
その中心に立つのは、威厳ある陰陽師。白い狩衣を纏い、肩で呼吸をしながら呪符を手に、霊力を操る満身創痍の老練の男。
そして、その隣に立つ女性――虹の剣の使い手。彼女の白い衣は、激しい戦いでボロボロになりながらも七色の光を放ち、手に握る剣は、虹のように輝いていた。
頭から血が流れるのを拭いもせず、女性の瞳は冷たく、決意に満ち、狐の妖気を真正面から受け止めていた。
『九尾の狐よ、お前の乱世はここで終わる。国を乱したお前の所業を我が血脈は許さぬ。正義の力が汝を封じるのだ!』
『おのれぇ、生意気なんだよ小娘があああぁぁぁぁ!!』
女性の剣が閃き、七色の光が狐の尾を一本ずつ切り裂く。狐は痛みに咆哮し、炎を吐き返すが、陰陽師の結界がそれを防ぐ。
突撃の号令が響く。
武士の軍勢が、まるで山崩れのように四方から九尾の狐に殺到した。
満月の冷たい光の下、甲高い鬨の声が響き渡り、数千の足音が大地を震わせる。
鎧を纏った武士たちは、刀や薙刀を掲げ、馬上の者たちは鞭を鳴らし、歩兵たちは槍を構えて、血に濡れた地面を蹴り立てながら突進した。狐の巨躯を囲む円陣が一気に縮まり、刃の群れがその赤毛の体に斬りかかる。
ある武士は狐の足元に躍り込み、太刀を振り下ろして爪を切り裂こうとし、もう一人は尾の根元を目指して飛び上がり、叫びながら斬撃を放つ。だが、狐の九本の尾が鞭のようにしなり、風を切り裂く轟音を立てて反撃した。
尾の一振りで数十人の武士が吹き飛び、体が空中で砕け散る。鎧が歪み、刀が折れ、薙刀がへし折られる音が連続し、馬の嘶きと人間の断末魔の叫びが混じり合う。バラバラになった馬の胴体が宙を舞い、切断された人間の肢体が血を噴きながら地面に叩きつけられる。
吐き出された獄炎に包まれた武士達が一瞬のうちに灰と化す。
空気は鉄錆と血の生臭い匂いで満ち、耳を劈くような悲鳴が戦場を覆った。
それでも、武士たちは止まらない。
倒れた仲間の屍を踏み越え、血溜まりを跳び越し、再び突撃を繰り返す。ある者は目を見開き、家族の名を心に呟きながら前進し、もう一人は歯を食いしばって痛みを堪える。
そんな彼等の心に刻まれた武士の掟が、命を捨てる覚悟を駆り立てる。
“国家存亡をかけたこの戦いから逃げることは許されない。それは、家の名を貶めるもの。末代までの恥となろう……。”
ある武士は家族の顔を思い浮かべながら、祖先の栄光を汚すまいと剣を握りしめ、血まみれの足で前進した。
別の下部(騎馬武者の従者)は、妻と幼子を残した故郷を思い、涙をこらえながら「我が名を汚すな」と自らを叱咤し、狐の尾に斬りかかる。
ある騎馬武者は、主君の旗を掲げ、末代まで語り継がれる恥辱を恐れ、狂ったように馬を駆り、笑いながら妖気の嵐に身を投げた。
彼らの瞳には、名誉の重みが宿り、死を賭してでも家門の誇りを守る決意が、戦場の血潮を熱く沸かせる。心に刻まれた掟が、命を捨てる覚悟を駆り立てる。名誉を護るために、彼らは死を恐れず突っ込んでいく。
血の霧が立ち込め、月光が赤く染まる中、その様子を見つめていた陰陽師と女性は、互いに視線を交わし、最期の力を振り絞った。
老練の陰陽師は呪符を掲げ、結界を強化し、女性は虹の剣を閃かせて狐の妖気を削ぎ取る。
二人は連携し、武士たちの犠牲を無駄にせぬよう、狐の動きを封じ……
ついに封印の儀式を完成させた。
七色の光が爆発的に広がり、狐の体を包み込む。
狐の体が殺生石の下に沈み始める。千年の眠りの始まりだった。その瞬間、狐の瞳は、女性と剣を憎悪の炎で焼きつけていた。
九尾の狐の体が、殺生石の下にゆっくりと沈み込む中、黄金の瞳が最後の力を振り絞って輝き、血にまみれた口から、怨嗟の叫びが迸った。
『おのれぇぇ……虹彩の剣よ、汝の輝きは我が魂を焼く永遠の業火! 小娘めぇ、卑しき血脈の醜女よ、汝の瞳に宿る冷徹な光は、我が心を千切る毒針! 憎い、憎い、憎いぃぃぃぃぃぃぃぃ!! 忘れるなぁ! 子々孫々に伝えよ!! 我は必ず憎しみの底から這い上がるぞ! 我が封印の鎖を断ち切る日が来れば、汝の子孫どもを一人残らず、炎の嵐で焼き尽くし、骨まで灰に変え、その汚い魂を地獄の底に叩き込む! この国もろとも、血の海に沈め、瓦礫の山に変え、永劫の闇に飲み込んでやる! 泣け、叫べ、絶望せよ! 我の復活は、汝らの終末だぁぁぁぁぁ!!』
狐の記憶は、一見の血脈を通じて、千年前の因縁を呼び起こす。あの娘は、憎き虹彩の剣の使い手の子孫なのだ。
「あの光……あの剣の匂い……! 貴様は、あの『虹彩の剣』の血筋かっ!」
九尾の狐を封じた英雄であり、血の絆で一見に繋がっていた。狐の憎悪は、代々受け継がれる呪いのように、現代まで続き、再び対峙する運命だったのだ。
脳内に流れ込む強烈な狐の記憶――それは、自分自身の遥か遠い過去の記憶のように感じられた。
一見の心臓が激しく鼓動し、聖衣の下で体が震える。千年前の戦いの光景が、彼女の価値観を揺さぶる。現代社会の権利、ニート霊獣との論争――それら全てが、この古き因縁の前では、些細なことだと感じられる。古井座の血が、熱く叫ぶように、使命を呼び起こす。
「…まさか、あれが…先祖の姿…」
彼女の血脈に宿る、古井座の「虹の剣の使い手」としての因縁が、現代の価値観の鎧を突き破って目覚めた。一見は優雅に息を吐き、立体鍵盤を叩く手を緩めなかった。
「……承知いたしましたわ。古井座の血が、あなたを再び封じ込めることを望んでいるようですの。…私の『わがまま』をここで終わらせるわけにはいきませんわ。」
脳裏によぎる…友との友情、吹奏楽部の練習、家族との団らん…大切な青春の日々…。
彼女の瞳に、冷たい決意の光が宿る。
それは、クールな令嬢の表情の下に隠されていた、古の血脈の使命を全うし、大事な存在を守ろうとする、古井座一見の真の顔だった。
「九尾の狐……あなたの怨念、ここで終わらせるのは私ですわ。」
一見の指先が、鍵盤上で最後の和音を奏でた。純白のエネルギー球体は、虹色のオーラを極限まで増幅させ、今にも爆発せんばかりに輝きを放っていた。
戦場全体が、その光に包まれるように、因縁の焔が燃え上がった。




