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エピローグ

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 病院の地下二階。

 夏世を乗せた車椅子を押しながら、変に明るく感じる廊下をゆっくりと進んで行く。

「死体安置所とかがあるんだな」

「悲しい場所ね」

 そのドアを通り過ぎ、廊下の一番奥に位置する部屋の前に立った。

 病院理事長第二執務室、とある。

 分厚いドア。厳重なセキュリティーがかかっていた。ロックを解除するために、夏世が虹彩を近づける。と、虹彩の部分に何十桁もの数字や記号が現れた。横から見ていて、ただただ、たまげた。言葉もない。

 俺たちは一緒に室内へ入った。

 そこには天蓋のあるゴージャスなベッドがあり、本物の夏世が横たわっていた。俺は何も考えず、まったくおなじ顔の実物とアンドロイドを見比べてしまった。

「よく似てるでしょ」

「なんか、安心した」

 ふふふっと笑ったのはアンドロイドの方だ。

 頭部を覆うヘッドギアから、髪のように細い線が無数に延びていた。大きな箱型の機器を経由して、その先端が大型コンピューターと繋がっているらしい。

「脳からの微弱信号を増幅して再構成するマシン」

「高いんだろうな」

「そりゃもう。あなたの大事なフェラーリが数十台買えちゃうレベル」

 想像がつかなかった。だいたい、俺の頭はそんな桁の数字を扱うようにはできていない。

 アンドロイドの夏世がゆっくりと目を閉じ、車椅子の上で固まった――ように見えた。同じ姿勢を保ったままだ。

「夏世? おい、どうした!?」

「だいじょうぶ」

 代わってベッドの上の夏世が目を開いた。ちょっと不気味だったが、もちろんそんなことは口に出して言えるわけがない。

「キヨがちゃんとおんなじに見える」

「喋れるのか」

「首から上は普通に動くの。このヘッドギアを外してくれる?」

 爆弾の起爆装置を解除するような慎重さで、そっと外してやった。もしこれを毀したら、俺と夏世の大切な空間が消えてなくなるのだ。

「わたしの頬に触ってみて。お願い」

 お願いされるまでもなく、そうしたかった。

 俺は夏世の左右の頬を優しく撫でた。

「気持ちいい。でも、ちょっとイヤらしくない? 触っていいって言われても、普通、そんなに撫でまわしたりしないわよ」

「ゴメン。つい気持ちが入った」

「どんな気持ちかしら」

 本物の夏世が笑った。

 なんと! これが本当の夏世の笑顔なのだ。いつもの、つまりアンドロイドの笑顔よりはるかに明るくて愛らしかった。

 この笑顔で、俺は完全に殺られてしまった。

「さっき夏世が言ってた『会わせたい人』って、夏世だったのか」

「フフッ」

 また笑った。あのアイスドールの夏世がなんでこんなに可愛いんだ!?

「性格はおなじなんだよな」

「それは当然。わたしが自分の言葉で喋ってるんだもの」

「全然、違うぞ」

「違うって、どんなふうに?」

 夏世が不安げに見つめてくる。その表情もまた素晴らしかった。瞳が小刻みに揺れているようで、その奥深いところから直接問いかけてくるのだ。体を動かせない夏世の方が、自由に動ける夏世より表現力が豊かだなんて、車の中で話を聞いていたときには思いもつかなかった。

 無性に、また夏世の頬に手を伸ばしたくなった。

「どうしたの?」

「また頬っぺたに触れていいかな」

「いいけど……」

 夏世がやや頬を紅くした。

「巨額の資金を投じたって聞いたけど、悪いな」

「…………」

「本物の方が断然可愛い」

 聞いた瞬間、(つぼみ)がほころぶように夏世の表情が一気に咲いた。

 もう言葉では、このときの気持ちを伝えるなんて不可能だった。

 俺は動けない夏世の両頬を両掌で包むと、何も言わずに口唇をそっと寄せた。

 拒絶できない夏世にこんなことをして、卑怯だっただろうか。

 あ――――っ、俺は――なんてことを!

 悔恨の思いが膨れ上がったのは、やってしまってからだった。この夏世は、顔を背けることも、俺の手を振り(ほどく)くこともできないのだ。

 口唇が離れ、後悔してる真っ最中の俺に向かって、夏世が言う。

「反則よ、キヨ」

 ああ。だよな、やっぱり。

 恥ずかしくて死にたくなった。

「どう見たってイエローカードものよね。……ってことは、二枚で退場でしょ。帰る前にあと一回だけ、していいわよ」

 望んでくれてるのか?

「――来て」

 ありがとう、夏世。

 長い長いキスになった。一回は一回だ。

 夏世もおなじ気持ちだと、今度は、はっきりと感じることができた。


 夏世のヒューマノイド・インターフェイス、いわゆるアンドロイドは、修理に一か月近くを要した。その間の俺は、寂しくなると、よく本物の夏世と会うために病院を訪れた。というか、ほぼ毎日通った。夏世のいない学校には何の興味も感じなかったし、夜だって独りなのだ。

 夏世との約束だった『一学期中間テストでの十番以内』は達成した。しかし、この頃の俺にとって、そんなのは当然だった。達成できてうれしかったとか、頑張った自分を褒めてやりたいとかは全然ない。もちろん病室の夏世に報告したし、ご褒美にキスをさせてもらった。実際、ただそれだけのために遅くまで勉強したのだ。夏世の期待を裏切らないためだけに。

 学校は学校。STEMでの訓練だって続けていたが、俺の日々の生活は、訓練を終えたあと、夏世と会う短い時間だけを中心に回っていた。

 寂しかったのは都築さんも同様だったらしく、俺とは時間をずらして、毎日必ず会いに行っていたらしい。あの人のことだ。どうせ世話が焼きたくて仕方なかったんだろう。

 夏世の秘密を知っているのは、都築さんと俺と御月家のメイド長である渋谷さんを除くと、ごく限られた病院側のスタッフだけだった。兼藤さんたちにすら知らせていないというのだから、その守秘ぶりは徹底している。いいことなのかは別にして、このまま他の誰にも知られずにやっていけるかどうかは、神のみぞ知るところだ。

 そう言えば、武井氏はふたたびザインの保護下に置かれることになった。夏世は最初から、手柄を横取りする気など微塵もなかったらしい。ジーナのチームとは考えがまるで違う辺りは、STEMの一員として誇らしく思える。

 そのジーナは……? と言えば、宿舎にしていた御月家には戻らなかったし、もちろんSTEMに顔を出すこともなく、俺はあれから一度も会っていない。夏世から聞いたところでは、病気の妹を人質にとられているとかで、ジーナの人柄もあってみんなが寛容に捉えていたから、STEMでは裏切ったとかの話にはなっていない。

 兼藤さんは互角に闘える稀有な稽古相手を失って心ひそかに嘆いていたし、本間さんはジーナの特長である強力なSの磁力を失った喪失感に(さいな)まれ、よく声に出して嘆いた。

 一方、真山さんと夏世は、結構、淡々としていた。有用な人材が手元を離れたのをごく普通に惜しんでいる、といったふうだった。しかし、チェスで言えばクイーンクラスの逸材だ。よく気にしないでいられるものだと俺は思うのだが。まあ、真山さんに言わせると、人には命運のようなものがあって、時機を得られればまた一緒に仕事ができるかもしれない、とかなんとか……。たぶんこういう事態は想定内だったんだろう。ただし、夏世の心境はもうちょっと微妙だったはずだ。相当な金を積んでいた、あるいは、その覚悟があっただろうに、ジーナが去ったことに対して、夏世はあまりに無頓着そうに見えた。

 じゃあ、俺は? どうだったのか?

 最も身近にいたのはこの俺だった。短い期間だったとはいえ、ジーナは俺の稽古の師匠であり、朝食を共にしていた仲間でもあった。それでも、ジーナの決めたことに対して、俺は否定も肯定もできない。俺がこの件で何かを思うこと自体、なんとなくおこがましい気にさせられるからだ。とにかく妙な気分だった。

 もちろんジーナが去って、俺が失ったものはいろいろあった。なんと言っても外せないのは、いまも額に残る心地いいオッパイの感触と、体を熱くさせるあの性的興奮だろう。それも含め、ジーナの記憶はどれも鮮烈で、いまも色褪せることなく俺の脳裏に焼き付いている。ジーナは俺にとって、言わば、真夏の太陽みたいな存在だった。容赦なく消耗もさせられるが、成長もさせてくれる。ただし、夏にはいつか必ず終わりが来る。

 ジーナに教えられた身のこなしやいくつかの技が、俺の一部になっていまも残っている。たぶん俺の中では、ジーナは変わらず傍にいるんだと思う。

 基本的に、俺はジーナに教えられた訓練法で稽古を続けている。詠春拳の型で体を慣らし、それから最低三十分は木人と向かい合う。

 病室でたまたまジーナの話題が出て、

「キヨはジーナのこと好きだったんでしょ?」

 夏世にそう問われたとき、答えは瞬時に浮かんできた。

 否だ。俺にとって、ジーナは憧れだった。彼女のいる高みまでは、とてもじゃないが、俺の恋愛感情なんてものが届くはずもない。

 素直にそれを言うと、ベッドの夏世はひどくあっさりと、「そう」とだけ言った。俺の答えに満足しているようには見えなかったが、そのとき夏世が何を思ったのかは――俺が馬鹿なのか、あるいは、夏世の頭が良すぎるのか――例によって見当もつかなかった。夏世が複雑な表情を見せるときはいつもそうだ。


 六月に入って、夏世のヒューマノイド・インターフェイスが仕上がってきた。

 夏世が学校に復帰することを病室で告げられたのは、その前日のことだ。

「早く見たいな」

 俺が言うと、

「それを言うなら、会いたい、でしょ」

 と、また難しい顔をした。

「いや。なんというか、いまの夏世が本物の夏世で、表で行動する夏世は衣装みたいなものだと思うんだ。そんな感じがしないか」

「そうね。衣装か……そう言ってもらえるのは、微妙だけど、ちょっとうれしい」


 夏世は翌日の昼休みに現れた。授業開始の直前だったが、クラスの大半が席を立って、ひと月ぶりの夏世を快く迎えた。

 俺だけは毎日夏世と会ってたんだぞ、という優越感。それに、いまや夏世は俺の彼女だ(そう言ってもいいんだよな)。難攻不落の城を落としたっていう達成感もあり、俺は胸を張って、久しぶりの夏世と対面した。

 俺も立ち上がっていたが、みんなに囲まれて歩み寄ってくる夏世を目にしたとき、正直、混乱して、足が宙に浮いてるような非現実感に襲われた。

 あの夏世が見違えるほど生き生きとしていたからだ。

 まず、表情が格段に柔らかくなっていた。愛らしい笑顔をたたえていて、病院で会う夏世とほぼ変わらなかった。

 それに、胸が……

 見た目にもわかるほど様変わりしていた。これならジーナと張り合っても互角に勝負できる。

「姫、前よりもっともっと綺麗になったよ」

 そんな声が漏れてくる。女子たちの目がキラキラしていた。

 他の連中にも違いがわかるらしい。――そんなの当然だ。

 教師が入ってきたので、他の生徒はそれぞれの席に散った。

 俺の席は相変わらず夏世の隣だ。

「どう? マイナーチェンジしてみたの」

 夏世が囁いた。

 マイナーチェンジどころか、一気に実物の完コピの域に達していた。

 驚愕のあまりポカンと口を開けたままの俺に向かって、本物の夏世だけが持つあの絶品の笑顔が炸裂する。

「キスしていいかな」

 俺は夏世の耳元まで顔を近づけて囁いた。

「ダメよ、こんなところで。なに馬鹿なこと言ってるの」

 そう言いながら、まんざらでもない様子に見えた。

 残る授業時間のほぼ全部を、俺は新しい夏世の鑑賞に費やした。

 凛とした横顔、ポニーテールにしてるせいでしっかり見える繊細な襟足、そして、前と横に張り出したふくよかな胸……。背筋を伸ばして座る夏世の姿は、俺の考え得る究極の理想像だ。

 これから俺は、間違いなく、気が狂うほど夏世に恋い焦がれるだろう。

 それを狙ったのなら、なんて罪深い女なんだ。だとしたら、血や汗の一滴さえ余すところなく、俺のすべてを手に入れようという魂胆なのだ。

 でも不思議と、不満に思う気持ちはさらさらなかった。

 とにかく、俺は、綺麗になり過ぎた夏世に見蕩れていた。というか、どっぷり浸り込んでいた。だからなのか、そうかそうか、全然かまわないぞ、何もかも持っていけって気分になっていて、すでに俺のどこまでが自分のものなのかが判然としなくなっていたと言っていい。

 将来(さき)のことはわからない。夏世がいまのこの瞬間を大事にしたいのなら、全身全霊、とことんまで付き合ってやるさ。

 なんたって、俺は、夏世の奴隷なのだ。

 永遠の友達とか、永遠の恋人とかは絵空事だ。俺たちは、本間さん曰く、もっとストレートな関係なのだ。この地位は誰にも譲れない。そして、俺はこれからもずっと夏世の奴隷であり続けると、誇りをもって俺自身に誓う。 


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