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雨宿り
雨の日、街は少し寂れたように見える。日にもよるが、特に今日そんな気分がたちこめている。三角屋根の個人の床屋の中はガラガラだし、砂利でできた駐車場の車も静止画のように暗い。ただひとつ光ってみえるとするならば、雨の水ぐらいかしら、と。
この忙しく複雑な現代で、雨音はどこでも等しい。それは和音階の調べのような、優しい畏怖の念でそっと僕らを包む。誰かの記憶が蘇るように、未来の思い出を見るように、水は流れる。振り返らずに、混じりけの中に香る何かをほのめかすだけ。子供が雨にはしゃぐ。スポーツマンが雨に興奮する。確かに水には光沢があった。それをしみじみと知るのは雨の日だけな気がする。晴れではきっとお日様のおかげだとばかり信じてしまうから。
気づくと街は雨の甘い気分に包まれていた。晴れる気配は無い。ずっと曖昧な灰色が空になっている。遠くの山々に綺麗な面紗がひらめいていた。
少しわざと濡れてみた。そのまま家に持って帰った水玉は至極自然の匂いがした。
僕は雨は好きだ。でも、晴れた朝になって君が笑ってもいい。