繋がった世界
アナログで行こうと思った。スマホも持たずに、懐中時計をポケットに入れて、財布と鍵と、学問のすゝめの文庫をトートバッグに入れて、僕は家を出た。少しで帰るつもりだった。湿気に霞がかった蒸し暑い夕暮れ時だった。
空は黒雲に覆われて、いかにも雨が降りそうだった。そんなことは他所に、僕はやけに身軽な感じがして、髪をなびかせる風にいつもより構っていられた。最近は目が悪くなった気がしていたのに、景色もなんだか鮮明だった。無論、湿気でキラキラしていたのもあるだろうけど。
ともかく僕は歩いて、駅前の薬局で髭剃りを買ってそのまま駅の向こう側まで来た。宛もないから、久しぶりにレコード屋さんに寄った。とてもスムーズで、全てが繋がっていた。ああ、アナログ!
店主のおじさんはいいボサノバやジャズのアルバムを教えてくれた。とりあえず金もなかったのでまた後日来ると伝えてすぐに出た。前は一時間近く話をしたこともあったから、なんだか拍子抜けでもあった。しかし僕はとにかく軽かった。
ロータリーから続く通りを歩いているとやはり、ぽつりと雨が降ってきた。僕は引き返した。駅に着くまでにはもう土砂降りだった。買い物は駅直結のスーパーで済ませることにした。しかし、これからどうするか。水玉模様は薄手のジャケットに染み付いていた。
僕は店を出ると、とりあえず改札の方へと向かった。この駅では跨線橋の中に改札口があって、島式のホームを跨いで人々は街を行き来する。ちょうど改札までの道に、何個か窓があった。全て開け放たれて、雨の音と90年代のドラマのような曇った夜の街の景色を見せた。僕はなんて素敵だろうと思って、誰も待つ人もいないけど、ほかの何人かのするように立ち止まって窓際に寄りかかった。そして外を見た。ちょうど下りの列車が通過していった。音が響いて、それが止むと雨の音がよく聞こえた。線路際の団地や道路をゆく軽自動車の灯りがぼやけて光る。雲はまだ真っ暗になりきらないような、藍色をしていた。僕は何とも楽しかった。
行き交う人々も色々だった。濡れてはならなそうな人と既にびしょ濡れの人、東京に染った人と若社長のような人、垢抜けた地元を愛する人とどこかへ帰ってゆく高校生たち。みんな少し窓を見ては、雨を確かめるようだった。
しばらくして、僕の隣にインド系の男性が来た。ヘッドホンを肩にかけて、時折スマホをいじっていた。そして、僕と同じように窓の外を見たりした。僕はなんだか嬉しくて、彼の出身やら話す言葉やら待ち合わせる人やら、色々なことを考えた。そう思っていると、彼はスマホで景色を撮った。
Don't you think this is beautiful?
そっと話しかけたならば、そんなふうに笑い合える気もした。みんなはスマホを触っていたけど、今日はアナログな僕はいつもよりも幸せで美しい心地だった。彼にとっても僕らよりはスマホはデジタルではないのかもしれない。彼はしばらくしてどこかに行った。
僕はまだ窓際に立っていた。そういう人も増えてきていた。いつの時代も、こうして人は雨を待っていたのだろうと思った。蒸気機関車がこの駅を通っていた時代さえも容易に想像できた。僕らは結局途切れぬ世界を生きていた。
少し雨足も弱まったと思って階段の方へと行ったが、結局まだだった。階段にも雨宿りの人々がいた。なんだか停電の時に似た光景だった。僕は停電を願ってやまない。特に夜。なぜなら街はきっと闇に包まれ、星が見え、火がともされ、人々は笑い合い音を聴くから。なんだか似ている気がした。今日は心做しか匂いもよくする。雨の匂いではない、生臭い海のような匂いがする。いや、湿った畦道の匂いか?ともかく強烈で甘くない匂いだった。しかし僕はとても嬉しかった。鼻は鼻炎でとっくに使い物にならいと思っていたから。
階段の人々に紛れて、僕も雨宿りをした。僕は別に濡れながら帰っても全然良かった。しかしこんなに楽しい日はなかなか無かったから、待ってみるのも良かった。雨雲レーダーもないし、雨足に耳を傾けた。懐中時計を開いて、時間を確認した。体はいつも以上に風を感じた。まるで子供の時のように……ああ、この感覚はまだ生きていた!!
僕は本を読んだ。暇だったし、景色も匂いも音も、みんな感じながらで良かったから。
電車が到着すると傘を持った人々が階段を降りて僕らを通り抜けていった。中には僕らに加わる人もいた。なんだか面白かった。全てが、輝いて見えていた。ほんとうにドラマのような夜だったのだ。




