ときいつつ
「死にたい」、そんな言葉が軽はずみに使われる時代について、君はどう思う?
そりゃ、僕はどうにも思わないさ。僕も死にたい側の人間だしね。
僕の姿勢は一貫して、「死ねるだけの覚悟があるなら死ねばいい」ってとこだ。ああ、だからといって死ねってわけじゃない。自殺幇助なんて言われるのはまっぴらごめんだ。
今日持ってきた話題は、前と同じく、過去と自分って話。しかも、死生観についてのね。
ただね、死生観に対しては一貫して変わってない。心のどこかでいつも死にたいと思ってるし、でも死ぬのは嫌だ、とも同時に思っている。
そして、まぁ……最近に至っては、死にたいと思うことが減ってきた。前にも話したかな。そういった諸々の、他人と違くありたいって感情が薄れてきたんだよ。
ある側面では、厨二病卒業ってだけかもしれないけど、でも、やっぱり俺は死にたいと思い続ける人間でありたかった。
感情を元にして、小説ができる。
感情を元にして、絵ができる。
感情を元にして、詩ができる。
感情を元にして、曲ができる。
そして、感情を元にして、歌が、できる。
ボカロ曲とか聞いてて思うけどさ、製作者の心ってのが乗ってるんだよ。それもかなり直接的に乗ってるものから、比喩的に乗ってるものまで。
僕は、小説も曲もゲームも詩も絵も、使ったことはあるさ。でも、未だどれにも、感情を持たせることはできてない。
努力すればその段階まで行けたかもしれないのに、俺は努力を怠ったから、時が過ぎて、夢も抱けない歳になった。
「まだ、高校生だろう」?
はは、そりゃあそうだ。でも、このネットが普及した時代において、年齢は必要以上の意味を持ってる。やれ、「現役高校生」だの、「現役中学生」だの、「現役小学生」だの……
上をまず目にしてから、どうやって下を目指せというんだ。
千里の道は一歩からというけれども、それができる人間は少数であるからこそ、成功者の人数ってのは少ないんだろう?
それに、これから勉強に目を向けていくのだから、創作なんてやる時間はない。
創作の元になる感情が薄れてきたって焦りも、時が経つにつれて流されてしまうんだろうね。
つぎはぎだらけの船と共にさ。