コレンティーヌは一生、虐げてきた夫を許さない。悪女な王妃として生きたお話。
コレンティーヌ・アストレス公爵令嬢は、王立学園の令息、令嬢からいつも羨ましがられ、嫉妬される立場にいる令嬢だ。
何故なら、このクリテ王国のジェイド王太子殿下の婚約者なのだから。
ジェイド王太子殿下はものすごい美男で、銀の髪に碧い瞳。王立学園の成績は学年で常に一番。剣の腕も誰も適う事も無く、彼が国王になった暁には、クルテ王国は黄金時代を築くであろうと言われている程、先々を期待されていた。
そんなジェイド王太子に憧れる令嬢は多く、アストレス公爵家という力のある公爵家の令嬢と言うだけで、三年前から婚約を結んでいるコレンティーヌ。誰もがコレンティーヌを羨ましがり、嫉妬していたのである。
コレンティーヌは茶の髪に黒い瞳。
たいして秀でた所がない令嬢だった。
歳は16歳。ジェイド王太子は18歳。2歳違いのコレンティーヌは、王立学園に今年入学したのだけれども、周りの令嬢達から孤立していた。
コレンティーヌは気が弱い令嬢で、ただただおとなしい令嬢で。
ジェイド王太子はそんな気が弱いコレンティーヌに対して、王立学園では昼食を一緒に食べ、紳士的に接する姿を生徒達に見せていて。
「さすがジェイド王太子殿下。婚約者に対する態度も素晴らしいわ」
「本当に。わたくしが婚約者になりたかった位ですもの」
「そうよ。わたくしも」
実はコレンティーヌはジェイド王太子殿下の婚約者になって、少しも嬉しくはなかった。
ジェイド王太子は外面は凄く良い。
完璧な王太子殿下である。
しかし、コレンティーヌと二人きりになり、人目がない場所で、コレンティーヌを貶めてくる。
「家柄が無ければお前なんぞと婚約を結ぶ事はなかった。仕方なく結んでやったのだ。感謝するがいい」
「はい。感謝しております」
「お前なんぞ、秀でた所が少しも無い。ただただ飾りとしてにこやかに、私の傍で微笑んでいればよい。解っているな」
「はい。解っております」
コレンティーヌは気が弱いのだ。
アストレス公爵家では優秀な兄と弟ばかり可愛がられて、幼い時から差がつけられて。
兄や弟はコレンティーヌと比べて容姿も良く、両親はコレンティーヌを何かと貶めて育ててきた。
だから、コレンティーヌは自分に自信が持てなくて、そのまま王太子の婚約者になって、更にジェイド王太子からも貶められて。
王太子妃教育を行っていても、駄目だしばかりされて、王立学園でも、教師達から、
「こんなに出来が悪いのでは先行きクルテ王国が心配ですな」
「でも、王太子妃はお飾りですから。ジェイド王太子殿下がおられれば、心配することもないのでは」
だなんて悪口を言われて。
ジェイド王太子がその場にいれば、
「コレンティーヌは頑張っているのですから。私の大事な婚約者に対して手厳しい事を言わないで欲しい」
と、婚約者を庇う良い外面を見せるのだけれども、
二人きりになると、
「お前が出来が悪いから、私が恥をかいたんだ。本当に恥ずかしい女だ」
と貶めてくる。
コレンティーヌは、毎日が辛かった。
ジェイド王太子から逃げたかった。
婚約者から解放されたかった。
ジェイド王太子に憧れる令嬢の中に、エマリア・ハサン公爵令嬢がいて。
彼女には婚約者がいるのだけれども、それにも関わらず、ジェイド王太子に言い寄る令嬢だった。
「ジェイド王太子殿下。わたくしと婚約して下さいませ」
「しかしな。私はコレンティーヌを大事に思っている。それにアストレス公爵家の後ろ盾も必要だ。其方の家は私の弟に肩入れをしているではないか」
エマリアの姉が、テリス第二王子の婚約者なのだ。テリス第二王子は17歳。エマリアの姉、フィレシアも17歳。エマリアは16歳。エマリアは、姉に対抗意識を持っている激しい令嬢だ。
ジェイド王太子はエマリアの言葉に頷かない。
コレンティーヌとの婚約解消をすれば、国内の二大派閥、アストレス公爵派閥と、ハサン公爵派閥との釣り合いが崩れてしまう。
片方が強くなりすぎても王家としては困るのだ。
エマリアは豊満な胸を押し付けて、
「わたくしはお慕いしているのです。側妃でもかまいませんわ」
そんな様子をコレンティーヌは見つめていた。
側妃になって王子を産みたいのかもしれない。
どっちにしろ、コレンティーヌにとって、エマリアが側妃になったら、針のムシロである。
この世から消えてしまいたい。
コレンティーヌは気が弱い令嬢だ。ただただ、人目のつかないところで泣いた。
泣いていると、背後から声をかけられた。
「泣いてばかりいても、何も解決しないぞ。お前は一生、泣いて踏みにじられて人生を終えるつもりか」
コレンティーヌは振り向いた。
誰もいないのだ。
「もっと自分に自信を持て」
誰もいない空間で声だけが聞こえる。
コレンティーヌは叫ぶ。
「わたくしなんて。何をやってもダメなわたくしなんて、踏みにじられて生きるしかないのよ」
「俺がお前の傍にいる。だから、努力してみろ。努力してから泣き言を言うがいい」
コレンティーヌは目が覚めた気がした。
なんて自分は馬鹿な生き方をしてきたのだろう。
屋敷でも小さくなって学園でも小さくなって。
びくびくして、いつも身を縮めて。
わたくしが何をやったというの。
もっと堂々と生きて良いのではなくて。
「貴方がわたくしを応援して下さると言うのなら、わたくしは変わってみせますわ。だから、傍にいて、わたくしを応援して下さらない?」
「ああ、応援してやる。だから、精一杯努力しろ」
「わかりましたわ」
コレンティーヌは変わってみせると、心に誓った。
今までより、勉強やマナーを学ぶ時間を増やした。
王太子妃教育も、身を入れて頑張るようにした。
周りはコレンティーヌを蔑んでくる。
ジェイド王太子は特にいつも馬鹿にしてくる。
それでも、努力を怠らなかった。
美しく見えるように、外見にも気を遣うようになった。
メイドに命じて、髪がつやつやサラサラになるように、良い香料を手に入れて、髪に塗ったり、薄化粧にも力を入れて、ともかく頑張ったのだ。
エマリアが、コレンティーヌに、
「わたくし、いずれ側妃になる予定ですの。よろしくお願いしますわ。コレンティーヌ様」
コレンティーヌはにこやかに、
「わたくしの下につくと言うのですね。それはまぁ心強い。頼りにしていますわ」
エマリアは驚いたようだった。
いつもなら、涙目で逃げるようにコレンティーヌはその場を去るのに。
ジェイド王太子の自分を蔑む言葉は聞き流すようにした。
ジェイド王太子のような男は屑である。
屑の言葉を聞く必要はない。
他にも自分を蔑むような言葉を吐く連中は屑である。
屑、屑、屑。屑の言葉は聞く必要はないのだ。
コレンティーヌはどんどんと変わっていった。
力が身体中から湧いて来る。
あの声の主は誰だか解らない。
コレンティーヌが呼べば、声の主は答えてくれた。
「頑張っているな。俺はいつでもお前の傍にいて見守っている」
「嬉しいですわ。わたくし、貴方様のお陰で、こうして頑張る事が出来るのです」
そして、頑張って頑張って、
勉学もいつの間にか、学年で一位になっていた。
ジェイド王太子が、
「お前が一位だなんて、ズルをしたに決まっている。お前は馬鹿だから、そんな良い成績を取るはずはないのだ」
コレンティーヌはにこやかに、
「そうですわね。王太子殿下にわたくしは勝る人間ではございませんので」
「そうだ。お前は馬鹿でよい。馬鹿なお前は私の言う事を聞いていればいいのだ」
「かしこまりましてございます」
適当に受け流しておいた。
そして、とある日、自分を応援してくれる声の主の正体が解る日が来た。
図書館で調べ物をしていた時に、声をかけられたのだ。
「アストレス公爵令嬢。頑張っているな。応援した甲斐があった」
「まぁ、リュセル王弟殿下。貴方様でしたの?」
金の髪に碧い瞳。
歳は25歳。何故かいまだ独身の彼には婚約者すらいない。
コレンティーヌはそんなリュセル王弟殿下が自分を気にかけてくれていた事を驚いた。
「有難うございます。貴方様の応援のお陰で、わたくし頑張る事が出来ているのですわ」
「それは良かった。いつでも俺はアストレス公爵令嬢。そなたを応援しているぞ」
「わたくしの事を何故、応援して下さるのですか」
「俺の母上は側妃で。私の父である前国王陛下にいつも、奴隷のように貶められて、暗い顔をして暮らしていたんだ。そなたを見ていると母を思い出してしまってね。もう、亡くなってしまったが。放ってはおけなかった」
「有難うございます。わたくし、負けませんわ」
「その意気だ。いつでも応援しているぞ」
コレンティーヌはジェイド王太子という婚約者がいる。
でも、リュセル王弟殿下が何故、いままで独身でいたのか、知らないが、とても彼の事を愛しく感じた。
自分はジェイド王太子殿下と結婚しなければならない。
だったら、応援してくれた彼に恥じないよう、立派な王太子妃になってみせる。
そうコレンティーヌは新たに心に誓った。
ジェイド王太子殿下と二年後、結婚式を挙げた。
その頃にはコレンティーヌは優れた女性として、貴族社会に知れ渡っていた。
アストレス公爵派閥の女性達を取りまとめ、社交界で彼女らを引き連れて、社交界の華としてふるまった。
ジェイド王太子からエマリア・ハサン公爵令嬢を側妃として受け入れると言って来た。
コレンティーヌはにこやかに、
「よろしいのでは?お好きになさって下さいませ」
ジェイド王太子は頷いて、
「後宮の事は私が決める。おまえごときが口出ししてよい問題ではないからな」
コレンティーヌは、エマリアに子が出来ぬように、食事に避妊薬を混ぜるようにした。
平然とジェイド王太子との褥も受け入れて、もっともっと高みに上り詰める為に、心を鬼に頑張った。
時々胸が痛む。
自分を応援して変えてくれたリュセル王弟殿下。
彼は夜会で顔を見せて、色々な女性達とダンスを踊る夜会の華だ。
彼を見る度に辛くて辛くて。
それでも、もっともっと強くあらねば。もう、泣いてばかりいる踏みにじられる生き方は嫌。
わたくしは高みに昇るのよ。
二年過ぎたころにやっと、ジェイド王太子の子を身ごもった。
男子でありますように。
コレンティーヌは心の底からそう願った。
そして、生まれたのは男の子。
ジェイド王太子はとても喜んで。
「よくやった。コレンティーヌ。男子とはめでたい」
最近ではジェイド王太子もコレンティーヌを貶める事がなくなった。
それにエマリアにはいまだに子が出来ない。
我儘ばかり言うエマリアから足が遠のいて、コレンティーヌの所ばかりジェイド王太子は来るようになった。
うっとおしいとコレンティーヌは思った。
いままでさんざん、馬鹿にされて貶められた傷が癒えないのに。
それでも、もう一人、男の子を産みたいとコレンティーヌは思っていたから、出産後、身体が癒えたら、ジェイド王太子を受け入れた。
結果、次に生まれたのは男の子の双子だった。
コレンティーヌは満足した。
その頃、国王陛下が体調を崩し、ジェイド王太子が即位した。
ジェイド国王陛下になったのだ。
コレンティーヌは王妃になった。
三人の王子を得たコレンティーヌ。
もう、ジェイド国王なんていらない。そう思ったがまだまだ彼には政治を頑張って貰わないとならない。しかし、自分の子以外、子を作られたら困る。
こっそりと医者に命じて、ジェイド国王が二度と子が作れないように、薬を盛った。
ジェイド国王はコレンティーヌにべたべたしてくる。
「もう、王子は三人おりますの。わたくしでなくて、もっと若い子とイチャイチャしたら如何?」
もう、ジェイド国王に子は望めない。
そう解っていたからこそ、冷たい態度を取った。
ジェイド国王はグチグチ言っていたけれども、後宮に三人程、身分の低い女を囲って。
エマリアは長年子が出来なかったものだから、後宮から出て行ったようで、いつの間にか姿を見かけなくなった。
コレンティーヌは三人の王子達に愛情を注いで、育てた。
しっかりと教育も受けさせた王子達は、優秀に育った。
コレンティーヌは王妃として、時には汚い手を使い、凛として、王国に君臨した。
努力して自分を高める事を忘れなかった。
心にあるのは、自分を応援してくれたあの人。
リュセル前王弟殿下。
そして、最初に生まれた王子が、18歳になった頃。
ジェイド国王は病にかかり、離宮へ移った。
毒を、コレンティーヌが盛ったのだ。
後継のブルド王太子は立派な王太子になった。
まだまだ国王になるには心もとないが、自分がしっかりとついていれば、大丈夫だろう。
ジェイド国王は、コレンティーヌに看病しろと何度も言って来たが、
「王妃としての仕事が忙しくて、無理ですわ」
と、突っぱねた。
ジェイド国王が亡くなり、ブルドが国王になった。ブルド25歳の時である。
まだまだ、ブルド国王が心もとなくて、コレンティーヌはしっかりと後見につき、ブルド国王の手助けをした。
ブルド国王が40歳になった頃、コレンティーヌは60歳近くになっていた。
さすがに走り続けて疲れたわ。
王室を離れて、コレンティーヌは離宮に移り住んだ。
ジェイド国王が亡くなった離宮ではなく、別の離宮である。
子供や孫も訪ねてきてくれるし、寂しくはない。のんびり余生を過ごそうと思ったら、リュセル殿下が訪ねてきた。
彼は70歳近くになっていた。
「頑張ったな。コレンティーヌ」
「褒めに来て下さいましたの?」
「ああ、褒めに来た。茶でも淹れて貰えないか?」
「ええ、喜んで」
こじんまりした部屋で紅茶を淹れて、リュセル殿下に振舞った。
リュセル殿下は紅茶を飲んで、
「ああ、美味い。こうしてそなたと紅茶が飲みたかった」
「貴方様がずっと結婚しなかったのは、どうしてですの?」
「そなたが好きだったと言って欲しいのか?」
「いえ、おそらく、子が出来ぬ身体にされたから。違いますか?」
リュセル殿下は苦々し気に微笑んで、
「その通り。兄上は俺の事を恐れていたからな。薬を盛られた。そなたとて、邪魔な側妃や、ジェイドに盛っただろう?」
「ええ。褒めて下さいますか?わたくしは頑張ったのですわ」
「俺は兄のせいで、結婚も出来なかった」
「同じ手を使ったわたくしが憎い?」
リュセル殿下の両手がコレンティーヌの首にかかる。
が、リュセル殿下は微笑んで、その両手をコレンティーヌの頬に移動させて、
「いや、俺だって国王になっていたら、同じ手を使っていた。なぁ、コレンティーヌ。頑張ったな。本当に頑張ったな。あの自分に自信がなかった令嬢がな……」
二人は口づけを交わした。
コレンティーヌは頬にあるリュセル殿下の手に手を重ねて、
「残り少ない余生、わたくしを愛して下さらない?わたくしはずっと貴方様が好きでしたのよ」
「そうだな。俺はお前と共に過ごしたい。もう、頑張る必要はない。お前は十分頑張った。ゆっくりと余生を一緒に過ごそう。愛している。コレンティーヌ」
「わたくしもずっと愛しておりましたわ」
コレンティーヌは、リュセル殿下と共に余生を離宮で過ごした。
リュセル殿下が後に病にかかって倒れた時、
コレンティーヌは献身的に看病をし、彼を見送った。
涙を流して、コレンティーヌは彼に向かって感謝の言葉を口にした。
「貴方様が励まして下さったから、わたくしは泣くばかりの人生から頑張る事が出来ました。有難うございます。リュセル様」
王家の墓がある敷地に、リュセル殿下を手厚く葬った。
そして、ふと思った。
ここ何年も、ジェイド様のお墓にお参りに来ていないわ。手も合わせる気にもならないからどうでもいいわね。
コレンティーヌは、それ以来、ジェイドの事を思い出すこともまるでなく、リュセルの事だけを思い、子や孫たちが離宮に来たりして、幸せに過ごしたという。