孤島、少年、夏の旅人(お姉さん)
夏。
オレは小笠原諸島某所にある、祖父母の家に母さんと一緒に夏休みを過ごしに来ていた。
島にはろくに遊ぶ施設もなくて(場所がないとは言ってない)、正直小さい頃みたいに祖父ちゃんと祖母ちゃんに顔見せるって理由で、この島に来るのは躊躇うよなあって思うんだけど。
それを正直に言っても、聞いてもらえないだろうし。
今年もあきらめと共に携帯ゲーム機と宿題をもって、文明国家日本の中の辺境にやってきたのだった。
で、ある熱い日。
宿題もそこそこ済んで、ボロい30年物のエアコンがでかい音を出す部屋の中から母さんに「涼しい部屋の中に居るだけじゃ自律神経おかしくしちゃうよ。小竹商店のアイスを買いに行くだけでもいいから外に出てちょっと汗かいてきなさい」って言われて、オレは外に出た。
家の玄関に下げてある温度計が38度を差しているのを見てげんなりしつつ、そういえば今日は週に一度の定期船が港に留まる日だってことを思い出して港への道を歩く。
じりじりと肌を焼く太陽の熱に、さらさらとした汗が噴き出して服を濡らしていく。
被った麦わら帽子は慰め程度の効果しかないとはいえ、被ってなければもっと暑かったんだろうなあ、と思う。
そうしたどうでもいい事と、商店で買うアイスキャンディーは何味にしようか(といっても味はミルクとソーダ、グレープフルーツくらいしかないんだけど。この島にはアイスクリームを食べたがる子供、なんていう若い者はオレくらいしかいないのだ)を考えながら港への坂道を下っていく。
すると波に揺られるボロっちくなった護岸に留められた小さな船が目に入る。
僅かに上下する船首をから船尾までをみて、「まあ、誰か乗ってたりはしないよな」と思った。
実際この島を訪れる人なんかほぼほぼ0で、島唯一の民宿も万一の為っていうんで島の古い家がお金を出し合って運営してるらしいし。(だから民宿の一階は良く島民の飲み屋みたいになってるんだって)
でも、その日は違った。
「ふー……こんな所にも人がいるっていうんだから、ほんと人類って逞しいわ」
そんなことを言いながら、いくつものでっかいトランクケースを積んだキャリーケースを引いた、なんか、なんていうんだろう。
オレは女の人の服とか詳しくないからなんていえばいいかわかんないんだけど。
この太陽光が燦燦と照り付ける日中に、絶対熱いだろっていう黒のレザーのスーツ。
なんかでっかい胸から上と、キュッとくびれたお腹をベルトでつないだ、腕と足は七分丈のへそ出しスーツ、太ももムチムチっていう感じの服の、セミロングの黒髪の女の人……あ、暑そうに搔き上げた髪の一房が赤かった。メッシュっていうんだっけ、ああいうの……が降りてきたのだ。
「親父さん。民宿は坂を上って十字路を右手だっけ、左手だっけ」
「右に入って4件目だぁ!」
「そう、ありがと」
普段船の原動機の音に負けないように声を張ってる船主のおじさんの怒鳴るような返答に礼を言い、桟橋に降り立ったその女性が、オレを見るといたずらっぽく微笑む。
「そこのしょーねん、ちょっといいかな」
「オレ?」
「オレ君以外に少年、居るぅ?」
まばゆく輝くような白いお臍に目を奪われていたオレは、咄嗟に呼びかけられてとぼけてしまったけど。
そんな俺の内心の動揺を見透かすかのようなニヤリとした笑みを浮かべたお姉さんにすぐツッコまれてしまった。
「よかったらこの島の案内をお願いしたいんだけど。いいかな」
「なんでオレなの」
ツッコまれた恥ずかしさを誤魔化すようにつっけんどんにいったオレの反抗的な様子も気にした様子もなく、お姉さんは言葉をつづけた。
「だって、露骨に人いないじゃんこの島。だったら第一島民発見という縁には素直に従うしかないでしょ」
「島民じゃないし」
「あら、そうなの。少年は外の子なのかい」
「親父が元島民で、俺は祖父ちゃん祖母ちゃんに顔見せにきてるだけだから島民じゃない」
こんなこと言うと祖父ちゃん祖母ちゃんはさみしがるだろうけど、俺の実感としてはそうなのだ。
それに、実際年の内1/6くらい滞在しない俺は島民とはいえないだろう。
で、そんなことを話してる間にデカい荷物もすっかり港の陸の上に上げてオレの顔を見下ろせる距離までお姉さんは近づいてきていた。
「そっか。それは確かに、だね」
「だろ」
「でも軽くなら島の案内を出来る程度の知識はあるとみた。どうかな少年。観光案内してくれないかな」
「……別に、いいけど」
「ありがと少年。お礼にさっきお臍をじろじろ見てたのは許してあげる」
「は、はーーーーー!?しらねーし!」
「あははは、そうだね。お姉さんの悪い冗談でした。じゃあ行こっか」
「……」
正直。バーカ!っていって逃げ出して案内するのやめてやろうかと思ったけど迷ってる内に、「宜しく」と言わんばかりに握られた手が柔らかくて。
まあ、ちょっとくらい付き合ってもいいかな、っていう気分になった。
そんでもって、民宿に向かうためにキャリーケースを引くお姉さんと、それを補助するためにケースを後ろから押すオレ。
……正直、レザーに包まれたお姉さんの形のいい尻と太ももがオレの心をざわつかせる。
その正体が解らないオレは、それを誤魔化すように口を開く。
「お姉さんはこの島に何しにきたの?俺が言うのもなんだけど、親族に顔合わせに来る以外、用事なんか作りようもないド田舎だよ」
「んー。そういう土地なのね。ま、来る途中からなんとなくそんな気はしてたけど」
「一応泳げる浜?っていうか、入江みたいな場所はあるけど地元民じゃないと場所わかんないようなところにあるし、魚が美味いっていってもそんな所のこの島以外でも一杯あるしだし。用事の想像がつかないよ」
「仕事、って言ったら信じる?」
坂を超えて人心地ついたところで、お姉さんがオレを振り返って言う。
その言葉にオレは、首をかしげて答える。
「んー。あるかないかでいえばありえねーって感じだけど。休暇とか静養でっていう方がありえねーって感じだから、結果として納得する理由だと思う」
「あはは、君面白いね。結果として納得か。頭柔らかいね」
「まだ若いからね」
「お。なんだー?遠回しに人の事ババアっていいたいのかな少年」
「誰もそんなこといってねーだろ!」
「ふふ、そうだね。それはそうと少年」
「なんだよ」
ちょっとぶすくれた感が声に乗っちゃったなって思うけど、低い声で答えるとお姉さんは言った。
「君、こんな格好の女が仕事でこんな孤島に来ると思う?」
そういって右手を頭の後ろに廻して、左手を腰に当てるポーズを取ってぐるりとその場で一回転して見せたお姉さんにオレは思わず叫んだ。
「自分で言うかよそういう事!」
そりゃたしかに胸とかお尻とか太ももとかレザーがてかっててなんかスゲーお臍の奥のあたりがむずむずするけど!
「言っちゃうんだなぁこれが!でもさぁ、コレが制服だっていったら少年は信じてくれるかな」
「えぇ……自分から怪しさアピールしておいて……?」
「そー、我ながら怪しいんだよねえ。で、怪しさついでになんだけどさ」
不意に、お姉さんがオレの顔に自分の顔を近づける。
何を、と思って後ずさりしそうになったけど、素早く腕をお姉さんに絡めとられる。
そして、目と目が合う中でお姉さんの視線が斜めに向くのにつられて俺も視線をお姉さんんも瞳から外すと。
「私、汗かいてないでしょ。この服は特殊なスーツでね。体表空気層の温度を一定に保ってくれるんだ」
「え!?」
言われてみれば、薄く化粧が載ったお姉さんの顔には、さらさらと汗を流すオレの顔とは違って毛先一筋ほどの汗の粒もない。
愕然としていると、そんな空気を吹き飛ばすようにお姉さんが身体を離して明るい声で告げる。
「なーんてね。実はこれは空調服なんだ」
「くうちょうふく?」
「そ、服の中にファンが仕込んであってねー暑さから守ってくれる便利作業服なんだ」
「でもファンなんてどこに……」
「えー、あれだけ熱心にお姉さんのお尻見てて気づかなかったの?」
「見てねーし!」
「ふふ、女は少年みたいなエッチな子からの視線には敏感だぞ……?ほら、ここ」
そう言ってオレに背を向けたお姉さんはお尻の上の辺りに、よーく見ると解るっていうくらい小さなでっぱりと小さな穴を指して言う。
「現代の空調服はこのくらい小さいワンポイントにも強力で静かなファンを仕込んで涼しくしちゃうんだなぁ」
「へー、すごいんだね。あとお尻なんか見てないから気づきようがなかったのは主張しておくかんな」
感心して、改めてまじまじとお姉さんのお尻の上を見るオレにお姉さんはチェシャ猫みたいな笑顔で言う。
「はいはい。そーゆーことにしてあげようか。それに私も見せてて楽しんでたところあるしね?」
「へんたい……!」
「ふははは、年上のおねーさんは年下の純真な少年をエッチに揶揄う義務があるのだよ」
「……へんたい!」
思わずやべー奴か!?って思う所だったけど。
チェシャ猫笑いを引っ込めて苦笑しながら手を合わせてオレを拝みながら。
「ごめんごめん揶揄いすぎた。宿を取ったら……この辺にコンビニみたいなお店ある?そこでお詫びにアイスを奢ってあげよう」
っていうお姉さんに免じて許してやることにした。
そしてコンビニみたいな店はあるか、という問いにも答える。
「コンビニみたいな店はないよ。でも島で一つの商店はあるから、案内する」
「よし。そうと決まればお宿を取りにいこっか」
「はー。ワカリマシタ」
一連のやり取りで疲れを感じたオレは思わず片言で応じる。
それに対してお姉さんは俺の肩を片手に抱いて、空いた片手でキャリーケースを引き始める。
「硬いよ少年。もっとOMOTENASHIの柔らかな心で……」
「じゃあああいうおちょくり方はもうやめろよな!」
「はいはい。少年が嫌がるならもうしないよ」
「ふん!」
そういうことになった。
「んー、正直さあ」
「なにさ」
「アイスの味が三種しかないお店があるとは思わなかった。多分昭和の駄菓子屋の方がラインナップ充実してる」
「駄菓子屋コーナーくらいしか知らない。あれにアイスなんてあるの?」
「私も自分で体験したわけじゃないんだけどね少年。平成前の昭和の始まりの頃には日本の各地に小学生が集う駄菓子屋っていう、優雅なセミリタイヤを決めたおじ様おば様が経営する駄菓子屋っていうお店があったんだってさ」
「ふーん……そういえば祖父ちゃんが「昔はうちの島も駄菓子屋があったんだがなあ」って言ってた」
「少年のおじい様の世代の話か……遠くに来てしまったものだねえ」
オレ達は今小竹商店の店先でアイスキャンディーを食べている。
オレもお姉さんもミルク味。
軒先の日陰で食べてるけど、空気の温度だけでもアイスキャンディーはドンドン溶けていく。
二人とも垂れないように必死にアイスキャンディーに舌を伸ばすけど、そんな努力も空しく白い雫は手元に流れる。
オレはちょっと行儀は悪いけど掌に付いたアイスキャンディーだったものをちろりと舐めとる。
「必死だねえ、少年」
「……」
今は応えない。
そんな事よりどんどん溶けるアイスキャンディーの処理が優先だ。
「ふふ。可愛いね」
「……」
可愛いって何がだろ。
こんなアイスくらいに必死になっちゃう、オレのガキっぽさが?
それとも、ガキっぽいと思われてると感じて反骨心を出してる俺の……やっぱガキっぽさ?
なんかこれ考えるとドツボに嵌る気がするな。
お臍見てたとか、お尻見てたとか、オレがいっちょ前にエロいみたいな揶揄われ方してたのにも反発してたのに、いざ「子供子供」って感じのあしらわれ方したらそれはそれでもやもやする。
そんなことを考えていたら。
「少年がそんな行儀が悪いんなら、私も乗っちゃおうかな」
なんて言って、お姉さんもずっとアイスキャンディーの露が垂れるままにして白く染まっていた掌を、今まで空いていた手にアイスキャンディーを持ち換えて手首から掌に向けてペロリ、と舐め上げた。
それが、なんか、行けないもの見た気がして、頭かーっとなって。
急いで冷やすためにアイスキャンディーかみ砕いたら、頭キーンとした、
あと、アイスキャンディーも手も舐め終わったらウェットティッシュ出してくれて「使いなよ」って言ってくれたの、オレが子供でお姉さんは大人、っていうのを凄く強く感じさせられた。
その日はそれで別れて、その後から会ったり会わなかったり。
島の崖に囲まれた小さな入江に案内したりしたり、一般的な島民(オレ島民じゃねーけど)と観光客の距離感で付き合ってて。
ある日その入り江にお姉さんの方から連れていかれた。
「ねえ少年。今年の夏は君に出会えてよかったよ」
「オレも……毎度携帯ゲームと宿題だけのこの島での暮らしよりも、お姉さんと付き合いのあった今年の夏は悪くなかった」
「そういってくれる?」
「うん」
今年の夏は悪くなかった、その意見の合意に、クスリと笑ったお姉さんは俺においでおいでする。
「少年、君にご褒美を上げようと思う」
「は?別にいいよ。それにご褒美っていうなら、会うたび案内するたびに何かしら小竹商店で食い物貰ってるじゃん」
「それはそうなんだけどね。これはそれとは別口」
オレは拒む口とは反対に、お姉さんに呼ばれているのが嬉しいのと、ご褒美が気になっておいでおいでするお姉さんに近づいていく
。
「多分、この夏の君にしかあげられない、とっておきのプレゼント」
そういったお姉さんは、自然な動きで身をかがめ、オレの顎に手を添えて、上唇を自分の唇で摘まんで、下唇を押しつぶすキスを何度か繰り返した。
あまりの事態に固まった俺は、しばらくお姉さんのなすがまま。
声を上げることも忘れて背筋をガチガチに固まらせた。
「はい。これが今年の少年へのご褒美」
「……は、はーーーー!?なにすんだよ!?」
「嫌だった?」
「あ、と、いや、じゃないけど……突然すぎる!」
「ふふ、突然じゃないと意味ないんだよね」
「なんで……!?」
問いかける俺に、にんまりと邪悪な顔で(でも綺麗だった)お姉さんは答えてくれた。
「うら若い少年に一夏の思い出を刻み付けるって、一度やってみたかったんだよねぇ」
「な……!」
「大丈夫!これ以上のお手手が後ろに回ることはしないから!今のだって親愛のキスだよ?」
「ざけんなーーーーーー!」
「あははは!……エッチな意味はないけど、君が好きだからしたんだからね。それだけは忘れないで欲しいな」
「そん……!」
そんなの、ずりーよ!なんて答えればいいのかわっかんねえよ!
「じゃあ少年。私、明日の船で帰るから」
「え、そんな突然……あの、名前、お互いに名乗ってない!」
「私の名前は秘密だよ」
「オレ、オレ海辺恭平!お姉さんの名前も教えてくれよ!」
「うんうん。恭平君ね。了解しました。でもね少年。お姉さんの名前は……本土で出会ったら教えてあげる。あの広い世界でまた出会えたら、きっとそれは運命だからね」
「今教えてくれよ!」
「それはちょーっとロマンチックじゃないなぁ。少年。こういう気持ちはね、即出し即答ばっかりが正解じゃないんだぞっと」
そういって、お姉さんは白と青が照り返す入江の出口に向かってオレの隣をすり抜ける。
まだ体が固まってるオレは、その後を追いかけることもできない。
「ま、会えなかったらそれまでだけど。もし再開できたらラブラブカップルになれるかも……だよ、少年」
そのまま入り江を出て行ったお姉さんは、その後本当に定期船で島を出るまでオレに会ってくれず。
定期船の前で待ち受けたオレの頭をポンポンと叩いてそのまま行ってしまった。
定期船の船長のおっちゃんには変なものを見たって顔で見られたけど、それ以上なにもできなくて。
お姉さんを見送ってしまった。
あの夏の日から10年。
あれから俺はずっと、一人の女の影に囚われている。