末っ子の話➂
夜中にふと目が覚めた。
尿意を感じて部屋を出る。
たくさんの仲間が所狭しと寝ているので、踏みつけないように慎重に部屋を出る。
素足で歩く廊下はやっぱり冷たい。早く出すもの出して戻ろう。サマ兄は今頃換金所かな?
距離的に朝一でケーキを買ってこの町に戻って来るんだろうな。
ケーキを売るような洒落たお店はさらに遠いからもっとかかるか。明日中に帰ってくれば早いほう。いや、ケーキを運ぶからもう少し遅くなるかな。
明日中に帰ってこれなくてもサマ兄が無事に帰ってきてくれるなら僕はそれでいい。
ドンっと鈍い音がした。
院長先生の部屋だ。
音を立てないように少しだけドアを開けてのぞき込む。
知らない男がいる。若い男だ。しかも何人も。部屋を荒らしている。
先生は? 机の上に突っ伏している。何あれ真っ赤。え?
何かの匂いだ。酷く臭い。
男の一人が舌打ちする。
割られている窓ガラスから男たちは出ていく。
そして最後の男が振りかえって何かを投げ入れた。
あれは……?
火だ。
一瞬のうちに部屋が燃え上がる。
「せ、先生ぇ!」
ドアも燃えて入れない。僕は急いで大部屋に走る。まだ仲間たちがいる。早く知らせないと。
「起きて! 起きてみんな!」
「んん~? 何……?」
「火事だ! 早く逃げなきゃ!」
「火事? え!」
誰かが悲鳴を上げる。その声をきっかけにみんな大慌てで逃げ出していく。
何人かまだ眠ったままだったからたたき起こして避難させる。
これで全員かなと周りを見渡す。
大部屋にはもう人はいない。
あとは……。
大部屋の隣は首がまだ座っていない赤ちゃん専用の寝室だった。幸いにしてこの孤児院には一人しかいない。
そっと支えながら抱き上げる。生まれて間もないようで孤児院の玄関の捨てられていた子だ。
その子は僕が抱っこすると泣き出した。
意外と赤ちゃんって重い。
他人が抱っこしているのを見ると軽そうに見えてしまうが、それでもやっぱり人は重い。
それは命の重さでもある。守らないと。
火の手はあっという間に回っていく。
男たちはどうやら先生の部屋だけじゃなく外にも灯油をまいていたらしい。こっちは暖房のための灯油も買えないのに。
場違いにあたりながら、出口ヘ向かう。
息が苦しい。
元々ボロだった孤児院が崩れ始めた。
出口も火の手が回っていて出られない。
「助けて、サマ兄……フォル兄……」
尊敬する兄と軽蔑する兄。あんなに嫌っていたのに僕は頼ってしまう。
昔はどうだったんだっけ僕ら。
サマ兄は今とあまり変わってなかったような気がするな。
同年代の子と一緒になって盗みを働く。周りからの評判は悪かったけど、それらは全て僕らのためだった。少しでも僕らに楽をさせようとサマ兄は手を汚していた。それは珍しいことでもなかったから悪いことだとも思わなかったし、その頃はフォル兄も同じことを思っていたと思う。
ねえ、フォル兄。
何で変わっちゃったの? 何で出て行っちゃったの?
何で何で、僕らから奪うような人たちと一緒にいるの?
僕のこと嫌い? 嫌いだよね、あんな酷い言葉掛けたんだもん。
ははっ、何だこれ。走馬灯なのかな。
サマ兄とフォル兄と僕とまた三人一緒に居られたら……。
貧しくたって、着るものがなくたって、家がなくたって……。
屋根が降ってくる。
せめて抱いた赤子をかばおうとぎゅっと身を丸くする。
目を閉じる。
痛みはなかった。
代わりに水滴が僕の項に零れた。
水滴? おかしいな今ここは火事で、水気なんてないのに。
当たり前だだってこれ――――
血だもん。
「無事か……スプリング」
僕をかばうようにそこにはフォールがいた。
焼けた木片や割れた電球の破片が刺さりそのいくつかは貫通している。
「フォール……何で……」
「だから……相手は選べって言ったんだ。あの馬鹿兄貴……」
フォールは両ひざをついたが最後の意地で倒れこみはしなかった。
僕と僕が抱える赤子を見て、優しく笑った。あぁ、久しぶりに見た兄の笑顔だ。
「よく守ったな。スプリング」
そういって僕を撫でる右手には小指と薬指がなかった。
「何で……何で助けてくれたの……?」
「んだよ……助けてって言っただろ?」
あんな蚊より小さい声を聞いたの?
どうでもいいんじゃなかったの? 僕はフォールにとって。
「せめてお前だけはってな……」
フォールは震える手でネックレスを外した。
服で隠れて見えなかったがそこには鍵がついていた。
「汚い金でごめんな」
そういって困惑して立ち尽くす僕にネックレスをつける。
そしてバシャッと左腕に持っていたバケツの水を僕に掛けた。
僕が何かを言う前にさらに崩れた建物がフォル兄を押しつぶした。
「フォル兄!」
瓦礫は轟々と燃え上がり、駆け寄る僕を遮った。
そこから先はあまり覚えていない。自力で脱出したのか、それとも別の誰かに助けられたのか。
ただ唯一はっきりしていることはフォル兄は最後まで僕の兄で、そして兄のまま死んだという事だけ。
あの後、アポ・ルカネの組員がフォル兄の死を確認すると僕を本部へと連れて行った。
フォル兄に万が一のことがあった時、僕とサマ兄に渡すように頼まれていた者があるらしい。
サマ兄の方は遠出中のため組員が探しているとのことだ。
僕は一足先にある部屋へ通された。
フォル兄の部屋だという。
初見の印象は単純に汚いだった。後継ぎに家具が少ない。
たくさんの書類が山積みになって床が見えない。
書類の中身は全部は理解できなかったが、組にとって重要な仕事だという事は何となく伝わった。
「フォル……フォール兄さんは男娼だったんじゃないんですか?」
待つ間、僕を見張っていたのは何と若頭だった。
若頭は11歳の僕が男娼という言葉を発したことに眉を寄せた。でもこの町に居ればそのくらいの単語は耳に入ってしまうものだと認識を改めたようだ。
「元はな。うちにはいってからはこっちがメインだ」
あぁそうか。
前にサマ兄が連れていかれた時、フォル兄は相談役と呼ばれていた。あの時は怒りで疑問にも思わなかったが、年下の男娼を組員が経緯を払っているの事態違和感があることだ。
若頭はその後、優秀な奴だったよとこぼした。
そして小さく勝手に逝きやがってとも。
僕はフォル兄のことをよく知らない。
昔の兄ですら朧気で覚えていない。
しばらく沈黙が続いた。
部下が入ってきて若頭に報告すると、若頭は小さく舌打ちした。
「雑魚がッ、相手は一人だろうが」
何となく、サマ兄が組の人たちを返り討ちにしてしまったのだろうと思った。
サマ兄も僕もマフィアが嫌いだ。だから話を聞かずに伸した、そんなとこだろう。
「ッチ。オイガキ、受け取るもん受け取ってとっとと失せやがれ」
そういって若頭は乱暴に僕の腕をつかむと本部地下の隠し金庫へ連れて行った。
何十個もある金庫の中の一つの前に立つと僕に鍵を出せと催促する。
鍵といわれて僕はフォル兄が渡したネックレスをとる。
若頭はお前が開けろというので鍵を通して半回転させる。
そこには三つの箱があった。
1つは孤児院へ、1つはサマーへ、1つはスプリングへと書かれている。
僕は自分の名前が書かれた箱をとってそっと開けた。
そこには見たこともない大金が入っていた。
「これは……」
「人間が日向を生きるには途方もない大金がいるからな」
若頭は答える。
「あの野郎の給金がほとんど手つかずで入ってる」
「何で……」
「あ?」
「何で……フォールは僕らのこと嫌いなんじゃ……」
「何でそう思う?」
「だって全然家に帰ってこないし……全然笑ってくれなくなったし」
「そりゃそうだろうよ。後暗いことやってんだ。報復がてめえらに向かないように距離とってたんだろうよ」
その言葉でハッとする。前はサマ兄の因縁関係でガラの悪いのがたまに孤児院に来ていた。でもフォル兄が家に帰らなくなってしばらくしてそういうのがピタリとやんだ。
「少なくとも嫌ってる奴のために指詰めるやろうじゃねえよ」
「指……? フォル兄、小指と薬指がなかった……。あれって僕らのせいなの?」
「てめえの長男がうちの船襲った件があっただろ。長男と孤児院を保証するってことで二本ケジメをつけたんだよ。ま、当の本人にお咎めなしじゃ流石にアレだから両手の爪はもらったがな」
「何で……? フォル兄だって子供だよ? 子供のいう事なのに、マフィアがそれをのんだの?」
「マフィアにだって仁義くらいあるんだよ。自力で指落とすタッパ見せつけられて約束破るほど落ちぶれた覚えはねえよ」
しゃべりすぎたと愚痴った若頭は三つの箱を僕に押し付ける。
「てめえらの引き取り先だがな」
「他の孤児院に移動でしょ?」
「阿保か、てめえらんとこはあの野郎が守ってたから真面だっただけで他は人身売買の巣窟だ。んなとこ放り込んだら俺が野郎に祟られんだろう」
マフィアの癖に幽霊を信じるのか。
何処までも僕はフォル兄に守られていたと痛感する。
なのに僕は謝ることさえできなかった。
「ちょっと前からこの町に来てるサーカス団知ってるか? まあ知らなくてもいいんだけどよ」
サーカス団。町であったあの二人のところかな?
「連中も連中で後暗いことには変わりねえがガキの預け先としては法治国家より信頼できる連中だ。そいつら頼ってバックについてる教団に行け。未成年のガキなら無償で面倒見てくれるとこだ」
「随分上手い話しだけど」
「大人相手にやってることがアレなだけだ。ガキだけには優しいから安心しろ。それともフォールが認めたって言ったほうが信用できるか?」
「まあ、貴方よりは」
「けっ、生意気なガキ」
サーカス団のバックについている教団は海を渡った他国にあるらしい。
居場所を失って傷心の僕らにとてもよくしてくれた。なんだかとても気味が悪いくらいに。
とはいっても彼らが優しいのは子供に対してだけで絡んできた大人は平気で海に沈めていたからそういう部分を見ると人間性があって信用できる気がした。
サマ兄は来なかった。
サーカス団にも事情があるからずっとは待てない。
離れていく港町を船から眺めながら複雑な心境だ。
あれほど慕っていた兄がいない。寂しい気持ちがあるのに今はどうしても会いたくない。
あの日、孤児院を焼いたのはサマ兄が盗みに入った連中だった。何でも希少な宝石を取られたらしく、取り戻しに孤児院に押し入り、ないと分かって報復として火をつけた。
フォル兄はそのことを知っていた。だから戸締りするように僕に行ったし、院長先生に言っていたのだって連中が報復に来るかもしれないことを伝えるためだった。
念のために部下に見張りをさせるくらいフォル兄は僕らを大事に思ってくれていた。
僕はそのすべてを否定してしまった。
家族じゃないなんて。死んじゃえなんて。酷い言葉を浴びせてしまった。
あの時、戸締りをし忘れたのも僕だ。
僕のせいでフォル兄が死んだも同然だ。
鏡に映った自分の顔を見ながらずっと謝り続ける。
サーカス団の二人が言っていた通り、僕ら兄弟はよく似ている。
鏡越しに映った自分の姿の奥に兄の姿を重ねながらずっと謝り続ける。
ごめんなさい。ごめんなさい。兄さん。
フォール兄さんは、僕らのために色んなことをしてくれたのに。僕らは何一つ理解せずあなたを責めてしまった。
16歳でマフィアの重鎮になれるくらい頭がいい兄さんだったらもっと成功していた。
それこそ僕がいなければ日の当たる世界で偉大な人になれていたかもしれないのに。
そうだ。僕のせいだ。何で僕が生きているんだ。兄さんこそが生きるべきだったのに。
ただ甘えて待つばかりの僕なんかより誰かのために身を削って頑張ってきた兄さんが。
いらないいらないいらないいらない。こんな僕いらないじゃないか。
誰かに守られてるだけ。何も考えずに現状を惰性で過ごしているだけ。
兄さんが生きるべきだ。
そうだ僕が死ねばいい。弱い僕が死んで、強い兄として生きれば、兄さんはずっと生きている。
頭のおかしい極論だと笑われようとその方がいいに決まっている。
他国の教団はいいところだった。
国の実権は教団が握っているらしく、弱い立場の者、特に子供に対してはとても待遇が良かった。
でも光あるところには影がある。
教団は子供は利用しないが、大人に対してはどこまでも利用する。
教団の理念はシンプルに「子供が犠牲にならない世界を作る」ことだ。
あの頃の長兄と同じ19歳になった私は名を「ウィンター」と名乗り教団の一員として活動している。
結局大元の原因は大人が搾取をやめないせいだと気づいたからだ。
だからすべて壊して1からやり直そう。
子供が兄さんのように身を削らず普通に生活できる世界を作るために。
長兄の姿を久々に見かけた。
兄は結局地元で傭兵を営みながら生活していた。
あの人は悪い人ではない。正義はどこか歪だったかもしれないが私にとって大事な兄であるのは確かだった。ただ頭が回らないだけ。何を勘違いしたのか弟は死んでいると思っているらしい。
大人になった兄は教団と対立する一行に加わったらしい。
意見が対立したのは仕方がない。
兄もよく言っていた。
「力が全て、そうだろ?」
お兄様。
大丈夫だよ。死んでも私の中で生き続ける。そうすれば今度こそ三人兄弟ずっと一緒に居られるから。
主よ。これで私の懺悔は終わります。
この先、私ウィンターはあなたの手足となりましょう。
願わくば、私のあの日の断罪と二人の兄とまた来世巡り合えますように。
名前の由来
スプリング
春。新たな芽吹き。暖かく癒し。二人の兄にとっては唯一の良心で最後の拠り所。
サマー
夏。活発。多くを照らし、明るくする。二人の弟にとっては希望で道しるべ。
フォール
秋。冬に向けて蓄える。兄弟のためにお金を蓄えることから。
ウィンター
冬。スプリング(春)がフォール(秋)になろうとしてなり切れなかったことから。順当にいけば春から秋になる場合の間は夏だが、スプリングにとって幸せと兄が生きていたのは過去のこと。スプリングが無意識のうちに過去を求めるため季節を逆行し、冬を名乗るようになる。あとは夏との対立。