末っ子の話➀
主よ。今懺悔します。
そして願わくばいつか我が罪が裁かれることを願います。
――――――
物心ついた時、僕には両親というものはいなかった。
ティスペタ帝国の港町モレ・ロ。その街では一番大きな孤児院で暮らしていた。
今でこそ停戦状態のこの国は、僕が子供の頃はずっと戦争していた。国の外、中、孤児でしかない僕にはあずかり知らないところだった。
満足な食事にありつけるのは首都に住む王族や貴族、もしくは金持ちの商人や力を持ったマフィア。そういった連中が富を独占するものだから庶民は飢え、死に絶えたくさんの孤児が出来上がる。
労働力確保のために法律で避妊や中絶を禁止されたのも要因だった。
お金がなければ育てられるわけもないのに。
孤児院に入れたのは幸運だったといえる。あぶれた孤児は路上で生活をしながら寿命が尽きるのを寒さとともに耐えしのぐ日々を送っているのだから。
貧しいのは変わらない。寝るところが寒いのも。世間の目が冷たいのも。それでも雨の中外で寝なくていい分マシだったし、孤児院は家族みたいなものだった。
両親が何故いないのか、それを疑問に思ったことはない。
当時では珍しくもなんともなかったからだ。
孤児院は家族のようなもの。そして実際僕には年の離れた兄が二人いた。
―――そう、いたんだ。
今はもういないけれど。
一番上の兄・サマー。8つ上で19歳。昼間は孤児院にはいないけれど、夜には必ず帰ってきて少し豪華な食べ物を分けてくれる。
金も食料も乏しいこの町でどうやってと聞けば、サマ兄は悪党をぶちのめしてかっぱらってきたと自慢げに語った。
この町は昔からマフィアが牛耳っており、力の弱いものは徹底的に搾取される世界だった。
だからそういった連中をサマ兄が成敗したことを僕らは英雄伝を聞くような心地で憧れていた。
サマ兄は僕の実の兄だが、同時にこの孤児院みんなの兄でもあった。
将来はサマ兄のように強くてかっこいい存在になりたいと思っていた。
バンッとその人の怒りを表すように激しい音が部屋に響いた。
二番目の兄・フォール。僕の5つ上の16歳。滅多に孤児院には帰ってこず、その姿を見たのも何か月かぶりだった。力自慢のサマ兄とは違い、細身で孤児にしては小綺麗。
そんなフォールが僕たちは嫌いだった。
「てめえ一体どういう了見だ!」
入って来るなりそうそうサマ兄の胸倉を掴みかかった。
血の気が多いサマ兄もいきなり売られた喧嘩を買う。
僕らは巻き込まれないように隣の部屋へ移動する。あの二人の喧嘩は何も珍しいことではなかった。会う頻度が少ないだけで発生確率は恐ろしく高いのだ。だから、サマ兄とフォールが出会った日にはまず間違いなく殴り合いの喧嘩になる。
「久々に帰ってきたと思ったら随分なご挨拶だなフォールクンよぉ」
「てめえがどこで何をパクろうが自由だがな。寄りにもよって組の運送船襲ってんじゃねえよ!」
「はっ、俺らから巻き上げた金で禿げた連中を太らせるだけなら貰っても問題ねえだろうが」
「三下マフィアなら俺だって態々来ねえんだよ! わかってんのか、てめえらチンピラが手ぇ出したのはアポ・ルカネだ!」
「てめえが股開いて媚び売ってるジジイのとこだろ!? 知ってんよ! だからどうした! この町じゃあ力が全てだろうが!」
フォールは12歳から男娼をしていた。何をどうやったかは知らないがマフィアのボスの愛人にまで上り詰めた。男らしいサマ兄とは対照的な女のような生き方を僕らは好きになれなかったし軽蔑すらしていた。
元々年齢差に加えた体格の差もあってフォールはサマ兄に簡単に壁にたたきつけられた。
「クズに飯食わしてもらってるてめえにはわかんねえだろうがな。こいつらは毎日毎日腹すかせてんだよ。配給なんかじゃ全然足りてねえ。何でかわかるか。てめえらが独り占めしてるからだよ!」
サマ兄の怒号に隠れるように見ていた僕らはすっかり委縮してしまう。怖いと素直に感じた。その荒々しさは決して僕らに向くことはないけれど、それでも伝わる空気に肌がひりひりとする。
そしてそれを真正面から受けるフォールはどこ吹く風のようにしている。日ごろからマフィアとつるんでいるだけあってサマ兄に対しては怯えもしない。
「てめえの悪事の言い訳にガキを使ってんじゃねえよ」
嘲笑とともに発せられるフォールの言葉。そして完全にキレたサマ兄はフォールを殴りつけた。
商売道具の顔を殴られたフォールはサマ兄の股間に蹴りを入れる。躊躇なく急所に入れられた衝撃はサマ兄をしばらく悶絶させた。
「いいかよく聞け、サマー。てめえが日ごろからバカにしてるこの俺の計らいで今ならてめえの両手の爪で勘弁してやろうってことになった。感謝しろよ、お兄様」
「てめえなんか弟じゃねえよクズ野郎」
その言葉に対して何を思ったのかはわからない。無表情のフォールはサマ兄の頭を掴むと床にたたきつけた。
フォールが合図を送ると強面の大人が二人現れ、サマ兄を拘束した。
助けなきゃ。そう思って僕は用具入れからモップを取り出し、部屋に押し入った。
「なんだこのガキ!?」
「サマ兄を放せえ!!」
振り上げたモップは高い位置で何かにあたった。見るとフォールが右腕で受け止めていたのだ。
「相談役! このガキ!」
男の一人が僕につかみ掛かろうとする。寸でのところでフォールの低い制止が入り、男は手を止めた。
「どうでもいいのに構うな。とっととそのバカ連れてけ」
どうでもいい。
嫌っていても血のつながった実の兄に言われた言葉が深く突き刺さった。
こいつにとって僕らは家族ではない。薄汚い孤児は自分とは関係ない。
こいつはいい服を着て、いいものを食べて、綺麗に着飾って、知らない男と暖かいベッドで寝る。
大して僕らはボロボロのお下がりを着て、少ない食料を分け合って、泥と垢に塗れて、隙間風に凍えながら寝る。
そう思うと心の奥がドロドロと醜く爛れていく。
あぁ、どうしてこいつばっかりこんないい生活をって。僕らは家族じゃないのかよ。
そうか、そうだよね。どうでもいいんだよね。
「……ぇ……んか……じゃない」
「…………」
「お前なんか家族じゃない! 出てけよ! サマ兄を傷つける悪者! お前なんか死んじゃえばいいんだ!」
こいつは泣いて怒る僕に対して何も言わなかった。
ポケットから何かを取り出そうとして、少し首を横に振ってやめた。
そんな動作すら煩わしくフォールが出ていった後もずっと癇癪を起していた。
他のみんなも同じ心境だったらしく、しばらくはフォールの悪口を言い続け、疲れたころにサマ兄の心配をする。
アポ・ルカネ。この町を牛耳るマフィアの中では一番大きい。最近はより一層勢力が強まったと思う。機能しなくなって久しい憲兵を買収し、密造、密輸、売春、殺人、賭博、薬物売買を手広くやっている犯罪組織。敵への残虐行為は有名で、路地裏で見かける死体のうち原型をとどめていないのは大抵アポ・ルカネの報復に遭った者だ。
そんな組織に連れていかれた兄を思うと不安でたまらなく僕らは眠れぬ一夜を過ごした。
不安は杞憂に終わり、翌日の朝には兄は帰ってきた。
心配するなと笑うけど、爪をはがされた両手は痛いらしく、僕らのいないところで苦痛に顔を歪ませているところを見かける度にフォールへの怒りがわいてくる。
やはりあいつは兄なんかじゃない。サマ兄に対してこんなひどい仕打ちができるあいつは家族じゃない。
元々ここには寄り付かなかったあいつもそれ以来一回も来ることはなかった。
そして季節は流れ、寒い冬の季節。クリスマスに僕は己の過ちを知る。