トラックおじさん異世界を作る
「ちくしょう、轢いちまった!」
ハンドルにうなだれて拳を打ちつけた。フロントガラスの先には横たわった少年の姿がはっきりと見える。せめて生きていてくれと願う。もしかしたら野生の獣とかである可能性はないか。
白い手はほっそりと、指先すらも動いていない。鹿でも狸でもなく、まだ幼さの面影も残る少年だ。
希望というものが次々と打ち砕かれていく。靴の中が川の水でも入ってきたかのように冷たく震えだした。頭の中に手を突っ込まれてかき回されているように思考が定まらない。体中が漂白されて蝋人形にでもなった気分だ。
止まりそうな息を吸い込み、少年のもとへ駆けた。震えた手で携帯電話をつかむがポケットから抜き出すのもうまくいかない。ズボンに引っかかり、しっかりと握ったはずなのにこぼれ落ち、道路に打たれて固く音を響かせた。指先に力が入らないのだ。追われるように画面の緊急通報という字面を叩いた。クラクションが鳴り始めたのはいつからだろうか。警笛は警笛を呼び、ただ人の声が頭を通り過ぎていた。
俺はトラックで人を轢いてしまった。
その責任は重い。
「――エアバッグは作動していませんよね。衝突被害軽減装置は作動しましたか」
「衝突は、しました」そう力なく返すと、医者が重ねる。
「自動制御ですよ。ブレーキアシストだとかあるでしょう。作動しませんでしたかね。車体に傷もへこみもないし。だいたいですよ、ドライブレコーダーにも映っていないじゃないですか」
「そんなはずはない、確かに人身事故なんですよ」
「少なくても、非接触ですね」
間違いはない、俺は確かに轢いたのだ。受けた衝撃の感触は脳裏に刻み込まれている。踏み込んだブレーキペダル、胸を締めつけたシートベルト、俺の運転する車は鈍い重みにぶつかり、カチリと当たった衣服のボタンの音まで耳に残っている。記憶から消したいくらいに体中で覚えているのだ。
「ちゃんと、俺の記憶には残っているんだよ」
「しかし、現実はこうです」
苛立ちの声も、涼しげな顔で返される。
医者の促す先、病室のベッドの上だ。少年が静かに眠っている。頭から顔をおおう装置が装着されている。
「鳥寺さん、あなたはトラックで彼を轢いた。そして彼は外傷もなく、意識が戻る気配もない。これがどういった意味かはご存知ですよね」
「ちがいます、人身事故ですよ」
「ご覧のとおり、すでにSRデバイスは準備ができています。お大事に」
少年の付けている装置のことだ。
それと角形二号の封筒を俺に押し渡して医者は去っていった。
ずしんと轢いたときの衝撃が全身を襲ってくる。
責任を取らなければならない。
六畳から四畳を引けば、残りはいくらだろうか。
ここが俺の部屋だ。玄関からゴミ袋の合間を抜けて進み、角形二号を床に投げ落とした。パソコンの乗った小さいテーブルと座布団、すぐ脇に簡易ベッドが置かれている。からあげ弁当でキーボードを押し込んで食卓を作った。五十円引きの晩飯だ。なにが角形二号だと、つぶれた座布団に腰を下ろして見やる。この座布団も薄くなって久しい。
そして電話が鳴った。
「お前、トラックでやっちまったそうだな」と、出ばなの社長の声だ。
すでに言い訳も通じないだろうと、角形二号をへ「はい」と声を落とした。
「そうか、仕事はもういいから、がんばれよ」
それだけだった。通話が切れると部屋はしんと、五十円引きのからあげ弁当の香ばしさと、俺の気づいていないだろう汗臭さが混じっている。ゴミの匂いもあるか。
のん気にからあげ弁当なんぞ食ってる場合じゃないが、腹ごしらえは必要だ。
パソコンを立ち上げ、角形二号から書類を引っ張り出した。
サイトにアクセスし、書類にある手引きどおりにログインIDとパスワードを打ち込んでいく。そして画面が始まった。草原に雲が流れ、山々には雷が落ちる。中世の雰囲気をかもし出した街はにぎわい、森には暗雲が立ち込め、モンスターの群れはシルエットで歩く。そんなオープニングだ。世界的な四大企業が共同で製作しているだけあって映像の質は実写を超えた美しさだ。しかもこのパソコンでも快適に動いている。
からあげ弁当を食べながら眺めていると、『NEW GAME』の文字が光った。からあげの欠片が画面に飛ぶ。
「待て待て、ちょっと待て、まだなにもしていないんだぞ」
少年が目覚めたということだ。病室で、あのSRデバイスをつけた世界で。
画面は勝手に進んでいく。名前は迷うことなく『ユウ』と付けられ、種族は人間、性別は男が選ばれた。
「本名なのか、わからんが、いま始められても用意がない」
画面がアバター作成モードに切り替わった。
俺は白米を口に詰め、麦茶で流しこみ、手引きを見ながら確認していく。
アバターは、つまり少年の異世界での姿だ。彼の本来の姿ということらしい。それを自分で作成するというのもどうかと思うが、手引きによるとこの段階ではまだ転移舎は無意識の中にいるらしい。
髪型から足のサイズまで、かなり細かく設定ができるようだ。もちろんあとで変更できるシステムもあるだろうが、何事も最初というのは肝心だ。画面はさっそく髪型で、二十種類くらいだろうか、その中から迷っているようだ。
「よし少年、いや、ユウ。時間をかけて迷ってくれ。おじさんはこの間に、そうだな、最初は小さな町から始まりでいいだろうか」
角形二号から出した手引きには異世界についての詳しい説明はなく、作成の基本操作くらいしか書かれていない。画面を左右に分割させ、俺は右側でフィールド作成モードに入った。ユウのほうの画面では髪の色の選択に移っている。
世界地図は後回しだ。まずは転移先を作らなければ、ユウはなにもない暗黒に投げ出されてしまう。しかし町のテンプレートがない。町一式セットなどはないのか、建物や道路や樹木といったものは個別にあるのだが、住居ひとつにしても木や石などの造りから選ぶ必要がある。さては屋根の形や煙突の位置までも作っていかなければいけない。
ユウは次に眉毛の形を決めている。町はどうする、住居をコピペで並べるか。いや、住人のいないゴーストタウンじゃないか、そんな不自然な町がどこにある。それにユウがしょっぱなから町の外に出かけたらどうなる。なにもない暗黒に迷わせてしまう。すると転移先は野外フィールドから始まるほうが無難だろうか。
「広い森に異世界転移したということにするか。そうだ、迷いの森というのはどうだ、延々と森をループさせればマップ移動の間に町を作る時間を稼げるはずだ」
いや、ダメだ。最初の冒険がループものであったら心が折れてしまわないだろうか。相手はまだ少年なのだ。年齢や名前すら知らなくても、轢いてしまった責任は俺にある。しかし時間はない、どうする、だだっ広い草原にするか。草原なら草を延々と置くだけだ。起点から広さを引っ張っていき、適当な遠景を選んで山を重ねていく。この地形をもとに世界地図を広げていけばいい。
「よし、モンスターを使う。転移後にいきなり襲われるわけだ。なんなんだこの生き物は、ま、まさかモンスターか、とでも思ってくれたらいい。シナリオは勝手に考察してくれ」
そして、最初のレベルでも勝てる相手でなければならない。スライムかゴブリンといったところだろうか。
「いや待て、肝心のユウのレベルを作るのが先だ。転移して早々に、ステータスオープン、とか唱えられても困るからな」
数字を打ち込んでいくだけ、と思いきや甘かった。ステータスそれぞれの項目すらも空白なのだ。ユウは目の形を決め、瞳の色をカラーパレットから選んでいる。なかなか美形じゃないかと、ちらりと左側の画面を見やって考える。
「ますはHP、MPは基本だから外せない。攻撃力は、武器威力と腕力の合算でいくか。ああ、武器も持たせないといけない。待てよ、弓矢だったら腕力はおかしくないか、ボウガンとかもあるわけで」
いや、細かい設定は後だ、あとでこっそり修正でも追加でもすればいい。今は基本的なステータス設定が優先だ。体力、敏捷、魔力、それぞれ項目と数値を入力していく。
「初期レベルはどうする。一からが基本だと思うが、最初からある程度は強くてもいいんじゃないか。いきなりモンスターに苦戦しても面白くないだろうし。ああそうだ、レベルは一でもステータスのほうを一般人よりも高くするか。そうだ、スキルを利用しよう。パッシブスキルを生まれつき持たせてステータス補正を加える。スキル名は『女神の加護』とでもするか、後々のイベントで使えそうなネタだしな」
これで初期レベルにして一般人よりも強くなれる。必殺技などのアクティブスキルは後回しだ、あまり強くなられて俺が作るより冒険が進みすぎても困る。少年には努力をしてもらうほうが健全だ。
その主人公は、瞳のハイライトを選んでいる。これも細かく選べるようだ。今のうちに次を進めなければならない。
「魔法はどうする、レベルで習得させるか、魔導書的なアイテムを解除条件にするか。いや、ユウは特別だ、あえて使えないことにしよう。理由は後で考える」
悠長に魔法を作っている暇もない。麦茶でのどの渇きを沈め、モンスターのエディターに移った。やはりスライムやゴブリンが妥当だが、ユウは『女神の加護』を持っていて一般人よりも強い。いま最弱モンスターをあてると、あとで村が襲われて村人が撃退などという展開での矛盾が起きそうだ。しかしインフレを考えると、まだドラゴンなどの強いモンスターも出せない。
「キュクロプスというのはどうだろうか。腕力は高いが動きは遅い、落ち着いて戦えば倒せるはずだ。がんばれ、ユウ」
モンスターテンプレートから巨人系を選び、キュクロプスを配置する。いかにも巨人らしくHPを高めに設定した。時間をかけて倒してくれ。とりあえず必要なステータスだけを入力し、コピーしてペースト、三体もいれば時間稼ぎになるだろう。急ぐためには省ける手間は省かなければならない」
次に装備はどうする、現代から転移しているのに最初から持っているのはおかしい。
ユウは唇や顎のラインも終わらせていた。段々と面倒になったのか、身長や胴回りなどの体型は標準の数値で進めている。
「おいおい、もっとこだわってくれ。武器は、伝説の剣でも空から降らせるか。いや、それでキュクロプスをあっさり倒されても困る。これから新しい武器を入手していくことも考えると、最初の戦いで秘められた力を使い果たした伝説の剣はしばらく眠りにつく、か。ああ、ダメだ、それこそ発動して一瞬で戦闘が終わってしまう。弱くすると伝説がインフレに追いつかれてしまうしな。町ができるまでユウを草原に留めておく必要があるんだよな」
ユウが髪型の選択まで戻っている。全身のバランスから考え直しているようだ。
「よし、いいぞ。そうだ、ここに旅の商人と馬車を用意する」
商人風のキャラと馬車があった。さすがにこの世界の住人ひとりひとりまで作るわけにもいかないからテンプレートがあるのは助かる。ドラッグして草原に配置した。モンスターに襲われて助けを求めており、仕入れ品のアイアンソードをユウに渡すことにすればいい。
商人をクリックするとセリフの枠が出てきた。文字を入力すれば音声になるようだ。ユウからすれば、異世界は現実と区別のつかない感覚なのだから会話ができて当然だ。しかしそれならば、ユウが人物に何度も話しかけた場合はどうなるのか。決められた同じセリフを繰り返すのだろうか。
角形二号の手引きに答えが書いてあった。複数のセリフを作るとクラウド上でパターンが分析され近い人格をもとに自動的に会話内容が作られていくらしい。これは助かるが、今は複数のセリフすら作っている余裕はない。ユウが村人に何度もしつこく話しかけるような子じゃないことを願う。
「よし、もう死んでいることにしよう」
商人の状態を『死』に設定した。すかさずばたりと倒れ、そのかたわらにアイアンソードを配置する。かわいそうだが馬も同様にしなければならない。馬で移動されては困る。草原をひたすら歩かせている間に町を作るのだ。
そしてユウの髪型が決まったようだ。最終確認の『YES』が光り、ユウのほうの画面は真っ白に、そして黒い渦に包まれていく。
アイテムや職業まで作っている時間はなかったが、とりあえず時間稼ぎはできた。
俺としては祈る思いだ。ユウの異世界転移がうまくいくように、麦茶を飲んで見守る。
トラックで人を轢いてしまったからには、責任は重大なのだ。
「ここは……」
草のにおいがする。薄く目を開けると視界一面が緑だ。
遠くに見えるのは山々の峰だろうか、ぼんやりとかすんで見える。
「オレは……そうだ、トラックに轢かれて……!」
ばっと飛び起きた。身を起こすとそこには草原が広がっていた。
果てしない草原だ。見渡す限り、まるで遠くに張り付いているように、景色が流れている。いったいどこまで続くのだろう。
「ここは……まさか異世界! ステータス・オープン!」
【名 前】 ユウ
【レベル】 1
【H P】 90
【M P】 0
【腕 力】 20
【体 力】 18
【敏 捷】 19
【魔 力】 0
【スキル】 女神の加護(全+5)
「本当に異世界なのか……。MPがゼロってことは、魔法は使えないのか。なにか理由があるのか? そして女神の加護? オレをここへ呼んだやつの加護ってことなのか? ……あ、あれは!」
向こうに誰かいる。馬車と、倒れている人間だ。オレは走った。
「おい、だいじょうぶか! ……くそっ、死んでる、誰がこんなことを!」
その時だった。大きな影がオレを覆う。ついでに馬車も飲み込むほどの巨大な影だ。
馬ほどもある拳が叩きつけられ、オレは颯爽と避けた。
「おいおい、いきなりかよ……」
なんなんだこの生き物は、まさかモンスターなのか。
「なるほど、馬車で移動中に襲われたってとこか……おっさん、ちょっと借りるぜ。ちっ、三体もいやがる」
すでに息絶えたおっさんのそばにある剣を拾って構える。鉄でできている、さしずめアイアンソードってところだ。そしてモンスターに向けて掌をかざした。
【名 前】 キュクロプス
【レベル】 5
【H P】200
【腕 力】 30
【敏 捷】 5
「まあまあってとこか。HPが高いな、しぶとそうだぜ……。でもなんだ、キュクロプスのステータスは種類が少なくて雑な気がする。いや、きっとオレのレベルが上がっていけば、隠された詳細まで表示させることができるにちがいない」
文句を言っても始まらない。オレは剣撃を走らせた。
地響きすら起こすキュクロプスの攻撃だが、見た目通りに動きは遅い。
「ます一体、そして二体目っ!」
ザシュッ、っと剣を突き立てた。ブンブン振り回すだけの攻撃などオレには当たらない。ところで、見切り系のスキルはないのだろうか。それと必殺技も覚えたいところだ。
「まあ、これくらいの敵に、必要はないか」
キュクロプスを背後に据えた。巨大な腕の影は、振り上げたそのままくずれおる。
ズシンと響かせて草原の静けさが戻った。
チン、とアイアンソードを鞘に収める。
「これで三体……か」
レベルは上がらないのだろうか。経験値も手に入れた様子がない。いや、隠しパラメーターなのかもしれないな。
オレは倒れているおっさんと馬に手を合わせた。浮かばれてくれ、キュクロプスにやられたのなら仇は討ってやった。いろいろな人生があっただろう。
このおっさんは見た目からすると商人だろうか、馬車で町に向かう途中だったのかもしれない。すると、この先に町があるはずだ。目を凝らして見つめる。
「……見えないが、かなり遠そうだな」
まあ、行くあてもないのだ。向かうしかない。
馬が生きていれば乗って行けたのだが……。