第9話「ECB部とは(2)」
大野はホワイトボードに向かって、最後の③を書き加えた。
『③ECB部はどうやって世界の救済をするのか
・AIの開発
・妨害の排除』
「今、石川さんと僕はAIの開発を進めている。石川さんには『マルチタスキング』の異能力があるし、僕の『デイリーギフト』もたまに役にたつこともある。しかし、超資本家が集めた研究チームの開発スピードに勝てるかどうかは微妙なラインだと思う。そこで是非とも欲しいものがある」
大野は『AIの開発』の横に『MEIRIの入手』と書き加えた。
「盟理学園には世界最高レベルの量子コンピュータがある。それは創始者の名前を取ってMEIRIと名づけられ、厳重な管理下で運用されている。しかし、AIの研究速度を飛躍的に上げるために、僕たちはこのMEIRIを使いたい。そこで陽介くんたちの力が必要になってくるんだ」
『MEIRIの入手』の横に、さらに『盟理五英侠を倒す』という言葉が書かれた。
「この学園には盟理五英侠と呼ばれる最強の五人がいる。彼らを倒して資格ありと判断されれば、MEIRIへのアクセス権がもらえるんだ」
陽介が合点がいったとばかりに口を開いた。
「なるほど。昨日の腕試しは五英侠と渡り合うだけの実力があるかどうかを見たかったってことだったんですね」
「そういうこと。異能力プロレス部部長のディアボリカは五英侠の一人だ。ただし、昨日の試合はあくまでも新人歓迎用のエキシビジョンだ。本来の彼女の実力はあんなもんじゃないよ」
「ええ、それは戦った俺たちが一番よく分かってます。もう一度戦いたいみたいなことを言ってたし、今度は本気同士のぶつかり合いになるでしょうね」
「どう、勝てそう?」
「俺にはでかい目標があります。ここでつまづくわけにはいきませんよ」
陽介の決意に満ちた目を見て、大野は満足そうに説明を続けた。
「陽介くんたちの力はMEIRIの入手以外にも必要となる。それが二番目の『妨害の排除』だ」
大野は陽介と優希に向かって言った。
「僕たちの研究に超資本家が気づけば、力づくで潰そうとしてくるだろう。途中で気づかれなくても、完成したAIを公表する時は命を狙われることは間違いない。しかし、圧倒的な資本力を退けるほどの力があれば話は別だ。陽介くん、優希くん。キミたちにはその役目を頼みたい」
「……先輩たちの部の意義はとても立派だと思いますし、できれば俺も手助けになりたいとも思います。しかし、この一点だけはどうしても確認させてください。ECB部がAIを超資本家より先に完成させることは、俺の偉業としても胸を誇れることなんですか?」
「陽介くんのいいたいことは分かるよ。光が当たるのは開発者の方で、鉄砲玉やボディガードみたいなことをしても評価されるのか心配なんでしょ」
「ええ……失礼な質問ですいません」
「気にしなくてもいい。キミの事情は僕たちも理解しているからね。で、結論から言えば『立派にキミの偉業と言える』だ。その理由は大きく2つある」
「一つ目はエジソンの時代と違って、今は大多数の人数で発明や開発をする時代だってことだ。例えば原子炉の研究とかは、何百人ものスタッフで行っている。あ、団体戦のスポーツで例えた方が分かりやすいかもね。チームが優勝すれば、それは選手全員が誇れることでしょ。それと一緒だよ」
「二つ目は、俗にいう『力なき正義は無力なり』ってことだね。何かを成すためにはそれを担保するだけの力が不可欠なように、力の庇護無くしてAIの完成という偉業は不可能だと言ってもいいんだ」
「あの~私でも何か役に立てるんでしょうか」
マリオンがおずおずと手を上げる。
「もちろん、と言いたいけど、マリオンの異能力はまだよく知らないしなぁ。でも、心配はしてないよ。それはキミの友達である陽介くんや優希くんを見れば分かる。彼らの信用に足る人物だってことは分かるし、キミには優れた洞察力や行動力もあるでしょ」
大野はマリオンに向って微笑んだ。
「ええ……それはもう……ははは」
「陽介、どうするの?」
優希が陽介の目を見て尋ねる。
陽介は優希とマリオンの顔を交互に見た後、大野に向かって言った。
「ECB部こそ俺が望んでいた場所です。まだ分からないことは山ほどあるけど、先輩たちと思いは同じです。人類を救って世界一うまいコーヒーを一緒に飲みましょう」
「陽介が入るなら、僕も入るよ。ムチャする陽介を放っておけないからね」
「わ、私も、二人が入るなら……」
「女性の部員は私一人だったから、マリオンが入ってくれると嬉しい。よろしくね」
微笑む石川の顔を見た大野は、カウンターに戻ってコーヒーを淹れ始めた。
冷蔵庫の奥からまるで宝物のように大事そうに豆を取り出す。正確な湯の量と温度を計測しながら、同時にコーヒーカップを温める。カッティングミルに入れて少し粗めに挽いた豆を布製のフィルターの中に入れると、抽出用のポッドに入れた湯でコーヒー豆を蒸らす。数回の工程に分けて繊細な手さばきで湯を注いだ後、ドリッパーを外して香りを確かめる。
大野は会心の笑みを浮かべたまま、そのコーヒーを陽介たちの前のテーブルに置いた。すると、香ばしくシンプルなコーヒーの香りが、優しく陽介たちを包み込んだ。
「これは僕ができる最高のセッティングで淹れた、アラビカ種の豆をベースにした特製ブレンドだよ。この一杯のコーヒーをみんなで回し飲みして絆を確かめ合うことで、入部の証しとしよう」
「何だかどこかの伝統的な儀式っぽいですね」
「無事に部の最終目的が達成されたなら、僕はもう一度このコーヒーを淹れる。ハートによってどれだけ味が変わるか、この味をよく覚えておくんだよ。あと、みんな飲むんだから一人で全部飲んじゃダメだからね」
クスクスと優希たちが笑う。
「それじゃレディファーストで、石川さん、マリオン、優希くん、陽介くん、ラストが僕という順番にしようか。さぁ、冷めないうちにどうぞ」
石川は目を閉じ、軽やかな音を立ててコーヒーをすすった。
マリオンは石川の真似をしようとしたが、ズズズとそばをすする時のような音を盛大に立てて顔を赤くした。
優希は一度軽く飲んだ後、二三度続けてコーヒーカップを傾けて、その味を堪能した。
陽介は優希からカップを受け取ると、3分の1ほどに減ったコーヒーカップの中を見た。
さっき飲んだものより色は薄い。近くで嗅ぐと香りはシンプルというより豆本来のピュアさが前面に引き出されている気がする。一口飲むと、クセがなく深みのある味わいがゆっくりと染み渡っていく。
このコーヒーは、飲んだ途端に思わず飛び跳ねたくなるような力強いうまさはない。しかし、人が生きるために必要な安らぎを与えてくれる。思わず出たため息は、冷えた体を熱い湯船に沈めた時に出るものに似ていた。
「凄いですね、これ。このままでも十分うまいのに、さらにこの先があるんですよね」
「楽しみになってきたでしょ。僕もワクワクしてきたよ」
大野は陽介から手渡されたカップを愛でるようにさすった後、飲み干すのを惜しむように少しずつカップを傾けた。やがて、空になったカップをテーブルの上に置くと、満面の笑みで言った。
「みんなありがとう。そして、ようこそECB部へ!」