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第8話「ECB部とは(1)」

 大野との話を終えたマリオンは、部室の中央にあるソファーに腰を下ろした。すると、優希たちが先ほどのマリオンの活躍について話しかけてきた。


「真反対のことが正解だなんて、僕には気づけなかったよ。さすがマリオンだね」


「そ、そう? 優希に褒めてもらえるなんてうれしい」


 マリオンは、両頬を手で包んで幸せそうに顔を赤らめていた。


「吹き出した時は、しまった!みたいな顔してたけど、あれは演技ってわけか。さすがだなー」


「も、もちろん。あのシチュエーションなら当然でしょ」


 陽介の口調には、さっきのことにはとうに気づいているといったような、わざとらしいニュアンスがあった。しかし、せっかく優希の心証が良くなったのに本当のことを言う必要はないと思ったので、彼女は強引にごまかした。


 ほどなくして、副部長の石川が紙袋を持って現れた。大野は彼女の分もコーヒーを淹れて、陽介たちの前のソファーに対峙する形で座った。


「今日は良いモカの豆があったんで、甘さを生かすためにネルドリップで淹れてみたんだ。冷めないうちにどうぞ」


「ありがとうございます。いただきます」


 陽介はコーヒーカップを手に取った。思わず深呼吸したくなるような、フルーティな香りが漂ってくる。一口飲んだ途端、上品な酸味とほんのりとした甘味が優しく口の中に広がった。


「すごい! モカって本当はこんな味がするんですね」


「焙煎を丁寧にして三日ほど寝かせれば酸味やエグみは中和されるし、目の粗い布製フィルターは舌触りを滑らかにしてくれるんだ。手順さえ分かれば、これくらいの味はすぐに出せるようになるよ」


 カウンターの奥から副部長の石川が、人数分の皿を大きな盆に載せて現れた。皿の上には、黄金色のシフォンケーキに生クリームがたっぷりと添えられている。


 マリオンはそれが自分の前に置かれるのを目を輝かせて待っていた。餌をやる前の犬みたいなやつだな、と陽介は思った。もし尻尾があったなら、ブンブンと左右に振りまくっていたに違いない。


「このケーキは『食べられる毒皿部』のキッチンを借りて私が作ったの。お口に合えばいいんだけど」


 その味も彼女たちの期待以上のものだった。シンプルな甘さのシフォン生地に冷たい生クリームは、香り高いコーヒーとベストの相性だと言うほかなかった。


「正直、味よりその変な名前の部の方が気になってたんですが、おいしいですね、これ」


 陽介に続いてマリオンも絶賛の声をあげる。


「空洞もなくちゃんとふくれてるし、もうお金取れそうなレベルですね……そうだ、後で作り方のコツとか教えてもらえませんか?」


「ええ、もちろんいいわよ」


 石川はニタリと口の片側を上げた。マリオンは固まった表情で愛想笑いをしていたが、隙を見つけて隣の陽介に小声でささやいた。


「ねぇ、陽介……私なにか変なこと言った? あの人凄い顔で私のこと見てたんだけど」


「石川先輩は9体の分身の感情と同期してて情緒不安定らしいから、あまり気にしない方がいいぞ。さっきのは株が儲かったからニヤニヤしてたとか、多分そんなんだと思う」


「へぇ~、やっぱ盟理は変わってる人が多いんだね」


「そういう意味では、お前もいい線いってると思うけどな」


「うっさい!」


 陽介を小突きながら、マリオンは優希をチラリと見た。彼はその視線に気づくと、二人とも仲がいいねといった感じでニコニコしている。その笑顔には好意はあっても愛情はない。


 少しは妬いてくれてもいいのにと彼女は思ったが、それは相手が陽介ならありえないことも知っていた。陽介には死ぬほど好きな人がいるので、彼女以外の女性は友達以上の存在には成りえない。つまり、焼きもちを焼く必要なんか全くないのだ。


 溜息をつくマリオンとにこやかな優希の顔を見比べて、陽介は言った。


「甘いものに目がないマリオンはまだ食べ足りないそうだ。俺はもう全部食べちゃったからないけど、良かったらお前の残ってる分を分けてやれよ」


「もっと早く言えば残しておいたのに。じゃあ、これあげるよ」


 優希はフォークに刺していた最後の一切れを、フォークごとマリオンに差し出した。


「ありがとう。じゃあ、このお返しはまた今度ね」


 甘い間接キスと次のアプローチのきっかけが同時に作れた。ナイスなサポートだとマリオンは陽介に感謝した。この調子でガンガン頼むわよ。


 陽介とマリオンは、周りには見えないように腰のあたりで親指をグッと立て合った。


 中学の頃からの知り合いでもあるし、手助けするという約束もしていたが、何よりお互い難攻不落の相手に挑む戦友同士のような友情も生まれていたのだ。



「さてと……じゃあそろそろ始めてもいいかな。スロースタートするから、まだ食べたり飲んだりしてても構わないからね」


 大野は三人の同意を確認すると、後ろのホワイトボードに向かった。


 『①ECB部の活動について

  ・活動内容:よりうまいコーヒーを飲むために色々やる

  ・最終目標:人類を救済して世界で一番うまいコーヒーを飲む』


「今日は3つのことについて説明する。まず1つ目は、ここは何をする部なのかという話だ」


 昨日ある程度の説明をした陽介と優希を見ると、大野はマリオンに視線を移した。


「ウチの部の正式名称は『エクストリーム・コーヒー・ブレイク(Extreme Coffee Break)部』だ。エクストリームスポーツの一つで、うまいコーヒーを飲むために色々ムチャをする部と言えば分かりやすいかな。何故ムチャをするとコーヒーがうまく感じられるのかというポイントは、『達成感』にある」


 大野はホワイトボードにその言葉を書き加えて、丸で囲った。


「乗り越えるハードルが高いほど達成感は増す。何もエベレストとかに登ったりする必要はないよ。テストでいい点を取ったり、意中の人に告白したり、自分の趣味が多くの人に評価してもらえるようになったり……人生はいくらでも困難なことであふれているからね」


「それでも困難なことが見当たらない場合は、どうするんですか?」


「そういう場合は、制限をかけて難易度を上げるんだ。例えば、逆立ちでフルマラソンに参加するとか。ゲームの縛りプレイみたいなものかな。単純なことでも見方を変えればガラリと難易度が変わるから、それを考えるのも楽しいよ。マリオン、キミならどんなことに挑戦したい?」


「そうですね……いきなり言われても色々あるから、どれにすればいいか迷っちゃいますね」


「判断基準の一つに貴賤がある。自分のやることがより多くの人のためにもなる方が、さらに達成感は増す。他人から感謝されたり賞賛されると嬉しいでしょ。つまり、我々の部の最終目標は、世界中の人から感謝されるような、最も困難な問題を解決することだ。きっとその時に飲むコーヒーは、この世のものとは思えないほどおいしいはずだよ」


「過去にそんな偉業を成し遂げた人もほとんどいないだろうし、本当に想像がつかないですね」


「そうだね。世界一、いや人類史一うまいコーヒーがどんなものなのか。マリオンもわくわくしてきたんじゃないかな。じゃあ次は、その最も困難な問題について説明するよ」



 大野は、ホワイトボードに②の項目を書き加えた。


 『②人類の抱える問題について

  ・現状:資産の超偏在

  ・未来:人類はどうやって滅びるか』


「さてと、陽介くん。今現在の世界一のお金持ち、つまり資産家は誰だか分かるかい? 分からなければネットで調べてもいいよ」


 陽介はスマホの画面を見せながら大野に言った。


「……え~と、早々にギブアップしてスマホで調べてみましたけど、それって今年の世界の長者番付にリストアップされてる人たちですか?」


「合ってると言いたいけど、残念ながら違うんだ。彼らは所詮、表に出ざるを得ない小物だよ。グローバル化で国家の枠を超えた世界の裏側には一人の超資産家がいる。彼は実に一人で世界の富の90%以上を握っているんだ」


 陽介はその数字に驚いて軽くのけぞった。


「90%以上もですか!? 以前のネットのニュースで、世界で最も裕福な26人が世界の総資産の半分の富を握っているという記事を見たことはありますけど……」


「そうだね。表で見える部分なら、その記事も正しいかもね」


「いやーでも、そんな規格外のお金をもってる人がいるなんて、にわかには信じられないですね」


「公表されてないことは存在しないことと同義じゃない。俗にいう認知バイアスってやつだね。知らなければ騒ぎ立てて公表しようとする人もいない。一般市民には知る必要のない情報だから、シャットアウトされているだけなんだ」


「俺たちが知らないだけということですか……」


「ちなみに今、世界の債務合計は3京兆円くらいと言われている。これだけの借金があるってことは、それだけどこかにもお金が流れたってことだ。まぁこれでも彼にとっては、氷山の一角に過ぎないんだけどね」


 大野は優希の前に移動して言った。


「彼はこれだけのお金をハイパーインフレを起こすことなく、長期にわたって実に巧妙に吸い上げている。そして彼はその資金力であと数年の間にAIを完成させる。するとどうなるのか、ちょっと考えてみようか。優希くん、AIって何だか分かるかい?」


「AIって人工知能のあのAIだよね。人間の代わりに働いたり考えたりする技術の」


「そう、まさにそのAIだ。超資本家がAIを独占すると、文句も言わず給料もいらず最高の仕事をこなす理想的な労働者を、彼だけが手にすることになるんだ。すると、他の人間は必要なくなる。肉体労働はAIが操縦するロボットにやらせれば済むし、知的労働は人間の上位互換だからあらゆる分野の研究が飛躍的に進められる。どちらも60億の人類が束になっても到底勝てやしない」


「確かにAIの登場によって仕事がなくなるくらいの話は聞いたことあるけど、民主主義だし60億っていう数の力で何とかならないの?」


「AIが完成してしまえば、あらゆる情報操作が可能になるんだよ。圧倒的な量のスパムやフェイクニュースで何が真実か分からなくすることもできるし、世論をコントロールすることも思いのままだ」


 石川が手を上げて補足を入れる。


「例えば通販サイトのア〇ゾンのレビューが業者の不当な評価によって信用度が落ちている問題があるでしょ。あれは今のうちはまだどれが不正なレビューか見分けることができるけど、AIが悪用されればそれは完全に不可能になるの」


「確かに今でもだいぶ巧妙にやられてるから、あの辺のレビューは見分けるのが難しくなってるよね」


「想像してみて。AIは人間が書いたのとまるで変わらない文章を書けるし、実在するかのような写真や動画もSNS上に簡単に用意できる。信用会社のデータベースをクラッキングしてクレジットカードを何枚でも作れるし、自然なペースで売買を繰り返してレビュー数をいくらでも増やすことができるの」


「そうやって作られたアカウントが本物かどうか検証してる間にも加速度的に数は増えるし、欠点らしい部分も自己学習によって全てリアルタイムにアップデートされていく。この圧倒的な物量と正確さには、人間が何人集まっても対抗することは不可能だって思わない?」


「……うん、不可能だって思った」


 あっさり降参した優希が乾いた笑いをあげた。


「それで、それだけのことができるAIを使って、超資本家は何をするつもりなの?」


「もちろん地球の資源を無駄に消費する不要な人類の処分さ。殺人ウィルスを開発してバラまくこともできるし、サイレント・パンデミック、つまり生殖能力や意欲を低下させて人口を減らしたり、もはや何でもござれだ」


 大野は一呼吸入れて、間をとった。


「でも彼らは、人類を皆殺しにはしない。何故って優越感が感じられなくなるからね。そのためだけに、劣等感をもつ比較対象を生かさず殺さずの状態で飼い殺す」


「まるで動物園の中の動物のように?」


「そう。その動物は動物園の中で生きてはいても、種としてはもう終わってる野生絶滅種だ。一握りの超資産家の身内を別にすれば、それが実質の人類の滅亡なのさ」


 陽介やマリオンは事の深刻さに黙ったままだった。そんな中、優希がポツリと言う。


「AIって『人間の仕事がなくなるらしいね』ぐらいの認識しかなかったけど、そんな大きな影響を生み出すものだったんだね」


「誤解してほしくないのは、AIは基本的には人類の救世主ってことだ。その力が正しく人類の発展に使われるなら、エネルギー問題だろうが貧困問題だろうが、ほぼ解決できない問題はないと言っていい。でも、超資本家に独占されたAIは最悪の脅威になるんだ。AIがどちらの手に渡るか、それがここ数年で決まる。ほとんどの人が気付いてないけど、今こそまさに人類史最大の分岐路なんだ」


「うわ~、先輩どうすればいいの?」


 心底心配そうな顔をした優希に向かって、大野はニッと笑った。


「心配しなくていい。ECB部はそのためにあるんだ」


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