第2話「盟理学園入学」
盟理学園は、異能力を持つ生徒を集めた高大一貫教育の学校だった。
設立はまだ十年にも満たないほど新しかったが、卒業生たちは実業界や最先端の医療・科学分野などでめざましい活躍をしていた。そこは、人類がどう扱うべきか持て余していた、異能力という新しい力を実践的に生かすことに成功していた数少ない教育機関だった。
陽介はどんなことをするかをまだ決めていなかったが、偉業を成し遂げるための最も確率の高い環境としてこの学園を選んだ。
春日野を見送った後、陽介は親友の助けを借りて取りつかれたように猛勉強にはげみ、最強の異能力者に弟子入りして必死で修練を重ねた。
そして、春日野との約束から一年半後、彼は盟理学園に見事合格を果たした。
―――
入学式の翌日、校舎の周りは在校生たちが作った無秩序なブースで溢れかえっていた。
無数に立ち並ぶカラフルなのぼり旗、ユニフォームやコスプレ衣装を着た上級生たちの活気のある呼び込み、屋台から漂ってくる食欲をそそるソースの焦げた香り、時折響き渡る爆竹のような破裂音や未開の地から響いてくるような怪しいドラムの音。
陽介が片手を額にかざして、桜並木の校門から続く部活のオリエンテーションのブース群を見渡していると、親友の宮坂優希が声をかけてきた。
「ねぇねぇ陽介、早く行こうよ」
「あれだけ苦労して、ようやく盟理学園に入学できたんだ。もう少しだけ感慨に浸らせてくれよ」
もう待ちきれないといった感じでそわそわしていた優希は、陽介の返事を待たずに駆け出した。そして道の両側に設置されたブースを物色しながら、陽介に向かって大声で叫んだ。
「ねぇねぇ陽介ー! 新入生は屋台の食べ物はタダでもらえるんだってー! 焼きイカと焼きトウモロコシどっちにするー?」
「優希と同じのでいいよ」
「えーなにー陽介ー? 聞こえなーい!」
「だから同じのでいいって」
「陽介ー! 聞こえーなーいー!」
二人の微笑ましいやり取りに、周りの人がクスクス笑い出す。
「本当、お前は俺の扱い方をよく分かってるよな……」
陽介は苦笑しながら、優希のいるイカ焼きの屋台に向かった。
「ほら来たぞ。だからこれ以上、俺の名前を大声で叫ぶのはやめてくれ……ん?」
陽介は、優希の全身を凝視している多くの視線に気が付いた。
この周囲の反応は二人にとっては慣れっこだった。それは、優希が大声を出して周囲の注目を浴びたせいではなく、彼が男性とも女性とも取れない中性的な美貌の持ち主なのが原因だった。
肩までの長さにまとめられた青い髪と童顔から受ける印象は女性なのに、制服のブレザーの下はスカートではなく男子生徒が履くスラックス。胸の膨らみは控え目なので、そこで性別の判断はできない。
単に男装した女生徒に見えたなら、周囲の生徒もそれほど注目することはなかっただろう。在校生の大半は、気合の入った奇抜な格好で新入生を勧誘していたからだ。
しかし、宮坂優希には違和感が際立たせる独特の色香があった。それは、男女どちらにもなり切れてない肉体がどちらの性別なのかをアピールするために、競うようにフェロモンを発散しているようだった。
「はい、これ陽介の分」
優希は周囲の視線を全く気にせず、陽介にイカ焼きを渡した。
「サンキュー。じゃあ、歩きながら食おうぜ」
陽介が足早に人だかりから離脱した。優希が質問攻めに遭う前に、さっさとこの場を去るのが得策だろう。
彼の横にイカ焼きをくわえた優希が並ぶ。陽介は親友の表情が変わりないのを確認すると、自分もイカ焼きを頬張った。
「うまいな、これ。甘すぎず辛すぎず、こげたり硬くなったりする一歩手前の絶妙な焼き加減だ」
「だよねー。プロの料理人並みに手が込んでてすごくおいしいよ」
「そういや、イカ焼きのプロとかいるのかな。縁日の屋台の人は他に仕事もっててイカ焼きにそこまで情熱傾けてなさそうだし、かといってイカ焼き専門の店とかもないだろうし」
「そんなのいない気がするなぁ。つまり僕たちは、プロの作る真においしいイカ焼きを知らないのかも」
「世界一うまいイカ焼きってどんな味なんだろうな。シンプルな食材だけに、改良の余地がいくらでもありそうだけど」
「難しいねー。シンプルな調理方法が結局一番おいしいってオチもありそうだし、個人の味の好みもあるから、何をもって世界一とするのかだけど」
「確かに難しい。だけど、このイカ焼きを食ってると、それを追及する価値もあるような気がしてくるよ」
「あはは。陽介にとってイカ焼きってそれほど大事なものだったんだ。ひょっとして、春日野さんより大事?」
「そんなわけあるか」
「ふーん。やっぱりそこは変わらないんだ。じゃあ僕は? 僕とイカ焼きどっちが大事?」
「腹が減ってる時はイカ焼きの方かな」
「イカ焼き以下の友情……イカだけに。あはは」
「ぶっ」
「あっ、やった。陽介が笑った! ようやく僕のギャグの面白さを理解してくれたんだ」
「面白くなさ過ぎたから思わず吹き出したんだ。勘違いすんな」
「それでも、笑ったことには変わりないでしょ」
「……仕方ない、笑ってしまったことは認めよう。でも、まだまだ大爆笑というレベルにはほど遠いからな」
そんな会話をしながら歩いていた二人は、眼鏡をかけた人当たりの良さそうな男子生徒に呼び止められた。
「そこの君たち、新入生だろ? よかったらウチの部の話を聞いていってよ」
「いいですけど……『連休前の金曜日部』ってどんな部なんですか?」
陽介はブースの横に立てかけられたのぼりの文字を読み上げながら訪ねた。すると、その男子生徒はよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに胸を張った。
「やっぱり気になる? でも、それを一言で説明するのはちょっと難しくてね。僕は二年の松田だ。まぁ座って座って」
ブースは、畳くらいの大きさの長机と二つの長椅子がセットになっていた。松田は対面の長椅子に二人を座らせると、にっこりと笑った。
「さて、連休前に何をしようか計画している時の方が連休中より楽しかった、キミたちは今までにそう思ったことはあるかい?」
「あーあるある! 中学の卒業旅行でどこ行くかみんなで決めてた時はすごいワクワクしてたけど、行ってみたらずっと雨降ってたからイマイチ盛り上がらなかったんだよねー」
優希の発言に、陽介があきれたようにツッコむ。
「お前、よくあれでイマイチだとか言えたな。雨の中でも全力で楽しんでたじゃねーか」
「えーせっかく台湾なら三月でも泳げるのに、雨降ってたくらいで泳がないのもったいないよ」
「そりゃそうだけど、唇を紫色にして震えながら泳ぐもんじゃないだろ……でもあの時は確かに、お前の水着目当てのやつらには肩透かしだったから、行く前の方が楽しかったかもしれないな」
「え、そうだったっけ」
「水泳の授業をずっと休んでいたお前が男物と女物どちらの水着を着るのかで、相当盛り上がってたんだぞ。それなのにお前が着てきたのは、スキューバダイビングで着るような地味なユニセックスの水着だったからな……みんな涙を流して悔しがってたぞ」
「じゃあ、あれはみんなの涙雨だったわけだ。それならもうちょっと両立を極めた水着を用意しておけば良かったかもねー」
松田は、二人の返答を満足そうに聞いていた。
「君たちも、やはり経験があるようだね。これは誰もが経験する普遍的なものと言っていいだろう。あの有名な文豪、芥川龍之介もこのテーマで『芋粥』という話を書いてるくらいだ」
「言われてみれば、確かにそんな話もありましたね」
「陽介って本とかよく読んでるのに、気がつかなかったんだ。そんなんじゃ芥川的にも『人間失格』だね」
「したり顔で笑ってるとこすまんが、『人間失格』は太宰治だぞ」
「芥川も太宰も似たようなもんでしょ。同じ人間なんだし」
「いくら何でも暴論すぎるだろ……」
二人の漫才めいたやり取りが終わると、松田は説明を続けた。
「『芋粥』は、平安時代の役人が芋粥を腹いっぱい食べたいとずっと思ってたのに、いざそれが叶う段になると、何故か食べる気がなくなってしまったという話でね。想像力やそれを手に入れるための努力が結果を上回ってしまうことは、わりとよくある悲劇なんだ」
「確かに、旅行先で誰かが怪我したりトラブルに巻き込まれたりすると、行かなかった方が良かったんじゃないかと思うこともあります。でも逆のパターン、つまり、行って良かったと思えることも、普通にありますよ」
「もちろんあるだろうね。じゃあ旅行以外で、例えば人生で何か大きな目標を立てたとしよう。それが達成できるかどうかは、人並みはずれた努力と途方もない時間が必要になるくらいの難易度だ」
陽介にはその言葉に思い当たるところがあった。
「果たしてその目標は、目指しても徒労に終わるだけだから適当に楽しむだけにした方がいいのか、それとも努力に対する見返りが十分にあるから自信をもってやり抜くべきなのか。その違いを事前に見極められたら、人生を有意義に使えると思わないか?」
「えっ、そんなことできるの?」
優希がすっとんきょうな声をあげた。
「できる! といっても、まだ六~七割くらいの確率ではあるけどね。でも、あらゆる統計データ、オカルトや異能力、何でも使えるものを使って限りなく予想を100%に近づける……それが『連休前の金曜日部』、通称『連金部』だ!!」
「おお~」
二人は松田の言葉の勢いにつられて、思わず感嘆の声を上げた。
「キミたちがこれから長い人生を生きるのに当たって、ウチの部での研究はきっと役に立つと思う。真にやるべきものは何なのか。その見極め方を一緒に究明してみないか」
陽介は松田の言葉が終わるまで待つと、一呼吸置いて答えた。
「先輩、俺にはどでかい目標があります。そしてそれは見極めるまでもなく、無謀だから絶対やめとけって言われるレベルのものなんです」
「ほう……?」
松田の目の色が変わり、陽介の決意を図るように値踏みを始めた。
「なるほど……そこまで言い切るなら、多分キミはその目標を達成するために、この学園に入ったんだろう。大きな目標を達成するにはよりよい環境に身を置く必要があるけど、そういう意味ではここ盟理学園ほどうってつけの場所はないだろうね。あーそうそう今更だけど、キミたちの名前を聞いていいかい?」
「俺の名前は片桐陽介。こっちは宮坂優希。二人とも普通科の一年です」
「キミたちも知っての通り、この学園は世界に通用する人材を育成する、異能力者のための実践的な教育機関だ。現に世界レベルの活動を行っている人を僕は知っている。もし、君たちが望むなら彼らを紹介してあげてもいい……ただし、条件があるけどね」
「何なんですか? その条件って」
「実は僕は重度のドMでね。よかったら、僕を威勢の良い罵声でなじってくれないか」
「え……ドMって、苦痛で気持ちよくなっちゃう特殊な性癖のアレですか?」
「肉体的にダメージを与える必要はない。今回は僕を言葉で罵倒するだけでいいんだ。実に簡単だろ?」
「まぁそれくらいなら……」
陽介は椅子から立ち上がり、期待に目を輝かせる松田を見下ろした。
「このうじ虫野郎! 反社会的生物!! うさん臭さ満載のインチキ預言者!!!」
「もっと、もっとだ! 単語だけじゃなくて、サディストの台詞っぽく頼む」
「そう言われましても……なかなか難しいですねこれ」
「うーん、じゃあそうだな。例えば、外国の映画で軍の鬼教官が新人兵士を口汚く罵るシーンとかあると思うんだけど、そういうのをイメージしたらどうかな」
「なるほど、それなら分かりやすいですね」
「さぁ早く!」
「何で上着をはだけてるんですか? じゃあ、いきますよ……」
陽介は、相手の額に人差し指を突き付けながら、唾を飛ばす勢いで叫んだ。
「お前のようなチキン野郎の言葉なんぞ、便所紙以下の価値しかねぇ! お前のはらわたをケツの穴から引きずり出して、口の中に突っ込んで黙らせてやろうか。そうすれば小さいケツの穴もファックしやすくなって一石二鳥だぜ!」
「あはは、陽介。それっぽい、それっぽい」
隣で聞いている優希が手を叩いて笑ったので、彼は気を良くしてさらにまくしたてた。
「お前は来る日も来る日も、クソみたいなメシを食べてクソをひねり出す。そうやってクソの純度を高めるくらいしか取り柄がないどうしようもない豚野郎だ。俺が今からケツと性根を叩き直してやるから、ありがたく思え!!」
「いい……いいよ、キミ。才能あるかもよ」
男子生徒は上気した顔でぐったりとしていた。
「だ、大丈夫ですか?」
「心配は無用だ。失禁してもいいように、ちゃんと替えは用意してある」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「言わずとも分かってるよ。僕のような変態に下手な気遣いは無用だ。それなら笑い飛ばしてくれた方が楽だよ」
「……アハハ」
「そんな失笑じゃなくて、もっと悪の幹部が豪快に笑う感じで頼む」
「ぐわっはっはっは!……なんかこれだけ毛色違いません?」
「いや、これでいいんだよ。じゃあ後は、キミのことをもう少し詳しく教えてもらえるかな」
20分後、松田の望むままに喋りつくした二人は、さすがにげんなりとしていた。
「もう十分だと思うんですけど、これ以上何を言わせたいんですか……」
「んーまぁここまで聞けば、素材は何とかなるか」
「え、素材って何ですか?」
陽介の質問をスルーして、彼は笑った。
「じきに分かるよ。それより約束通り、キミにふさわしい部を紹介してあげよう」