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第19話「優希の失踪(1)」

 陽介が安本を倒した翌週の放課後、ECB部の部室では優希の新作コーヒーの試飲が始まっていた。


「さぁ、これが試行を重ねた結果生まれた『優希スペシャル2』だよ」


 満面の笑みを浮かべた優希が、トレイから四つのコーヒーカップをテーブルに置いた。


 白いカップと対照的な澄んだ黒褐色と、鼻腔をくすぐるかぐわしい香りは及第点をクリアしているが、肝心の味は飲んでみるまで分からない。



 みんなが神妙そうな面持ちで飲んだ後、大野が先陣を切って批評を述べる。


「だいぶ良くなったね。ちょっと雑味が気になるから、ミルで挽くときはもう少し荒くてもいいと思うよ」


「どれだけ挽いたらいいか調べるには、焙煎した豆を食べるのがおススメ」


「石川さんの判別方法はレベルが高いから、初心者にはおススメしない方が……」


「誰だって最初は初心者。それにこの雑味を突き詰めれば、新しい味の発見に繋がるかも」



 先輩たちに続いて、マリオンも意見を述べる。


「私はすっごく良くなったと思う。最初のものと比べて、確実に美味しくなってる。陽介もそう思うでしょ?」


 マリオンの視線を受けて、陽介が頷いた。


「確かに1の苦さが解消されて、美味いって言えるレベルになっている。欲を言えば、後は……」


「後は?」


「ただのコーヒーじゃなくて『優希スペシャル』とまで銘打つには、やっぱりこれぞと言う特徴が欲しいかな」


「確かに……まだまだ改良の余地があるってことだね。思ったより奥が深いなぁ」



 一通りの感想が出終わり、優希が腕を組んでうなっていると、彼のスマホにメッセージが届いた。


 優希はその内容を確認すると、急に用を思い出したと言って食器を片づけだした。


「優希が帰るなら、私も……」


 一緒に帰ろうと提案したマリオンに、優希は申し訳なさそうな顔をした。


「ごめん、今日は本当に急いでるから一人で帰りたいんだ」


「いいわよ。それじゃ片付けはまかせて」


「ありがと。みんなもまた明日」



 優希はバッグを掴むと部室を出ていった。その後ろ姿をじっと見つめていたマリオンに、陽介は声をかけた。


「何か気にかかるのか? どうせいつもみたいに女の子からの告白だろ?」


「そうだとは思うけど、最近優希が少し変なのと何か関係があるのかなって思って」


「ストーキングで鍛えたお前の勘は妙に鋭いからな。明日それとなく聞いてみるよ」


「うん、お願い」


 マリオンの顔は晴れなかった。やっぱり無理やりにでもついていくべきだったのではないかという思いが、後片付けをしていてもとめどもなくあふれてきた。



―――


 優希はECB部のある第十五校を出ると、校門に向かった。


 校門にはディアボリカからのメッセージ通り、黒い車が横付けされていた。優希が近づくとサングラスをした男が車から降りてきて、後部席のドアを開けた。


 優希は乗り込む前に車の中を確認しようとしたが、窓には黒いフィルムのようなものが貼ってあったので、内部の様子は全く見えなかった。サングラスの男がせかしてくるので、彼は仕方なく後部座席に乗り込んだ。


 車の中は広く明るかった。一流ホテルのバーのようなシックで落ち着いた内装で、横向きの長い革張りのソファが二つ並べてある。その片方には悪魔の仮面を被った女が座っていて、彼の到着を歓迎した。



「この車はあたしの所有物だ。気兼ねなく適当に座りな」


 彼女は備え付けの冷蔵庫の中から、冷えたシャンパンを取り出してグラスに注いだ。優希は一口だけ口をつけると、ソファーの横にあるサイドテーブルに置いた。


「こんな高そうな車を持ってるなんて、随分お金持ちなんだね」


「なぁに、このマスクをつけたままじゃ目立って仕方ないからね。やむを得ない出費でヒィヒィ言ってるくらいさ」


 彼女が運転手に声をかけると、車は夕暮れの中を静かに走り出した。


「で、これからどこに向かうの?」


「あんたがデビューする試合会場さ。この通り、ちゃんと特注のマスクも用意してあるよ」


 ディアボリカは化粧箱の中から、黒いマスクを取り出した。


 長い角を生やした山羊の頭蓋骨を思わせるデザインで、額の部分には化粧箱と同じデザインの魔法円が描かれている。喋ったり呼吸しやすいように口元の布地はなく、顎下で紐を結んでマスクを固定するタイプのものだ。


 ディアボリカはマスクを渡すと鏡を正面に掲げた。優希は仕方なくそれを被ると顎紐を結んで、鏡の中の顔を角度を変えながら確認していく。


「ふーん、サイズはちょっと大きいかな。デザインは悪くないと思うけど、僕の趣味じゃないや」


「そのうち慣れるよ。色々とね」


 ディアボリカの意味深な言葉に呼応するかのように、優希の被っているマスクはちょうど良いサイズに収縮した。薄気味悪いと思った優希はマスクを脱ごうとしたが、軽めに結んでいたはずの顎紐はびくともしない。


「ディアボリカ、このマスクは一体……」


 問いただそうとした思いが頭の隅に追いやられていく。代わりに、普段は心の奥深くに沈んでいた凶暴性が膨れ上がっていった。


「これで最凶のヒールユニットの最後の手駒がそろったよ。ヴァシア、それがあんたのリングネームだ。これからあたしたちと共に存分に暴れてやろうよ」


「……ああ、まずは最初が肝心だね。いいアイデアがあるんだけど、ちょっと聞いてみない?」


 ヴァシアと呼ばれた優希はそう言うと、ゆがんだ笑みを口元に浮かべた。




 翌日、優希は病欠で学校を休んだ。


 陽介は安否を確かめるメッセージを送ったが一向に返事がないので、マリオンに連絡を取った。


「どうしたの? こんな夜更けに」


「今日優希が学校休んでただろ。昼にメッセ送ったんだけど返事どころか既読もつかないから、何か知ってないかと思って」


「私も心配なのよね。優希の部屋の明かりが全然つかないし、スマホのGPSも作動してないみたいだから、本当に家にいるのか心配で。多分電源を切って寝てるだけだとは思うけど、念のために今からちょっと部屋に入ってみようかなって……」


「今更、お前が優希の位置情報を特定できるようになってるぐらいじゃ驚かないけど、不法侵入はやめとけ。家の近くにいるなら、正面から堂々と訪ねていけばいいだろ」


「何言ってるのよ。夜遅くに女の子が訪ねていくなんて非常識じゃない」


「確かに……しかし、ストーキングと位置情報不正取得と不法侵入のトリプル非常識よりはマシだぞ」


「大丈夫、バレなければ問題ないから」


 完全に犯罪者が言うセリフだ。何が問題ないのかも全く分からないが、これ以上ツッコむのはやめておこうと、陽介は思った。


「分かった。これから俺がもう一度連絡取ってみるから、それまで少し待ってくれ」


 陽介はマリオンとのやり取りを中断すると、優希に電話をかけた。


『おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入ってないためかかりません』


 アナウンスが意味する状況を考えていると、未登録の番号からの着信が入った。


 ビデオチャットに出ると、狭い部屋の中でディアボリカが椅子に座っていた。



「久しぶりだね。元気してたかい?」


「挨拶はいいです。ひょっとして優希が学校を休んだのには、先輩が絡んでいるんですか?」


「そういうこと。あのヒル男は今、異能力プロレス部にいるよ」


「昨日から連絡が取れないんで心配なんです。ちょっと話をさせてもらってもいいですか」


「今はちょっと忙しいから、無理だろうねぇ」


「いいから出して下さい」


「……嫌だと言ったら?」


「力づくでも連れ戻しに行きます」


 ディアボリカはやれやれといった様子で肩をすくめてみせた。



「それはちょっと無理じゃないかねぇ。あたしたちが今いるのは月だよ」


 彼女の言葉を聞いた陽介の思考がしばし止まる。


「……月って、夜空に浮かんでるあの月ですか?」


「その月で間違いないよ」


「な、なんでそんな場所に……」


「そんなことも分からないのかい。プロレスをするために決まってるじゃないか」


 国家の威信をかけてとか、宇宙開発の足掛かりとかは聞いたことあるけど、月に行くのにそんなふざけた理由は聞いたことがない。


「あのヒル男は今日がデビュー戦なんだ。ついでに昨日付けで異能力プロレス部に正式入部したから、もうそっちの部には戻らないと思うよ」


「何の冗談ですか? 優希がECB部のみんなに断りもなく、そんなことをするとは思えません」


「信じられないなら実際にその目で確かめな。PPVペイパービューの料金は払ってもらうけどね」


 通話はそこで途切れてURLアドレスが届いた。ページを開くと派手なタイトルが目に入る。


 『スーパーユニバーサルリーグ サマータッグマッチシリーズ開幕!』


 ページ内の動画を再生するために会員登録と支払いを終えると、彼はライブ映像を眺めた。



 スポットライトで照らされたリング上には、陽介の見覚えのある男がいた。


 彼の名前はカスティゴ。かつてディアボリカと共にヒールユニットを組んで無敗を誇った炎の大男は、新歓試合で陽介たちが戦った相手でもあった。陽介の一撃で敗れはしたものの、実力的にはメインを張れるトップレスラーであることは間違いない。


 その彼が頭から血を流してマットに横たわっていた。力をふり絞りながら上半身を起こしたカスティゴの背後に、山羊の仮面を被った男が迫る。


 仮面の男はカスティゴの額の血を舌で舐め取ると、腕をつかんで空高く放り投げた。間髪入れずその男は身に炎をまとうと、カスティゴの後を追って飛んだ。


「あれはカスティゴの発火能力……ということは、仮面を被って戦っているのは優希か!?」


 彼らを追ったライブ中継のカメラが、試合会場の天井を映す。円形の天窓には、墨を流したような黒い宇宙空間と青い地球が浮かんでいた。


 山羊の仮面の男は両足でカスティゴを羽交い絞めにすると、空中で反転してカスティゴの両足をつかんだ。身動きが取れない状態に固められたカスティゴは、業火に身を焼かれながら落下していった。


 彼の絶叫は顔面からマットに叩きつけられた時にようやく止んだ。



 リング横の実況席には、新歓試合の時にもいた実況者と解説者の松田の二人がいた。彼らは山羊の仮面の男が決めた大技について、興奮冷めやらぬ様子で話し始める。


「いや~驚きました! 突如乱入した謎の仮面の男が、ベビーフェイスに転向したカスティゴをいとも簡単に倒してしまったわけですが……松田さん、さっきの技は一体何でしょうか?」


「そうですね、バーニング・レッグフルネルソン・ドライバーとでも言いましょうか……これも月面の低重力が空中で技をかける時間を与えたことで生まれた、人類未踏の新技です。今、我々はまさに新しい時代の夜明けを目の当たりにしていると言えるでしょう!」


 突然場内から大歓声が上がる。ハードロック調の入場曲に乗せて、ディアボリカとドクロの仮面を被ったモヒカン頭の太った男がリングに上がってきた。


 山羊の仮面の男はディアボリカからマイクを受け取ると、会場を見渡しながら言った。


「僕の名前はヴァシア。ディアボリカたちと共に新ユニット『HCB』を結成して世界の頂点に立つ男だ。まずは、僕たちがわざわざ月まで来た二つの理由をみんなに教えるよ」


 ヴァシアはモヒカンの男からバッグを受け取ると、その中からサイフォン一式とナイフを取り出した。


 カスティゴの額をVの字に傷をつけ、流れ出る血をサイフォン下部の丸フラスコで受け止める。続けてアルコールランプに火を付けてセットすると、彼は焙煎済みの豆をミルで挽きながら説明を始めた。



「一つはプロレスのレベルを引き上げるためさ。月の低重力下なら超人プロレス漫画のような凄い技も実現可能になるのは、そこの解説者も言った通りだからね。そして、もう一つはうまいコーヒーを飲むためなんだ」


 その言葉に陽介は言葉を失った。


 相手の能力をコピーする異能力と聞き覚えのある声、あの山羊の仮面の男はやはり優希に違いない。しかし、その誓いはECB部のみんなとしたんじゃなかったのか。


「低重力下なら液体の沸点は大きく下がる。今はだいたい60度くらいかな。血液の成分をできるだけ壊さずに沸騰させるには、月こそが抽出に最適の場所なんだ」


 サイフォン上部に挽いた豆を入れた。丸フラスコの中で血液が煮立ち始めると、熱せられた血液はゆっくりと上昇し、豆と混ざりあってどす黒く色を変えていく。


 ランプの火を消して抽出を終えると、ヴァシアはフラスコの中身をコーヒーカップへと注いでディアボリカに手渡した。



「レディファーストだからね。はい、どうぞ」


「う~ん、生き血で淹れた『ブラッドコーヒー』は、やっぱり味と香りが違うねぇ。これこそあたしたちにふさわしい嗜好品だよ」


 続いて、ドクロデザインのマスクを被った男にもコーヒーカップを渡す。


「おっと、オレ様の分はマシマシで頼むぜ」


「砂糖とミルクを入れて……はい、これがベリアルの分だよ」


「う~ん、うめぇ。でも、自分で仕留めた獲物で淹れた方がいいな」


「あはは。好きなだけ暴れるといいよ。まだまだ獲物はたっぷりいるからね」


 ヴァシアは中継カメラに向かって指を差した。


「新しいプロレスとうまいコーヒーのために暴虐の限りを尽くす。それが僕たちのユニット名『ハードコア・コーヒー・ブレイク』、略してHCBだよ。これからの僕たちの悪魔的な活躍に期待してね」


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