第17話「安本の暗躍」
本校舎最上階の会議室で行われる『英侠会』には、一週間前と同じ顔ぶれがそろっていた。
「何だ、また柚木は欠席か」
生徒会長の質問に安本が答える。
「柚木さんは時間泥棒なストラテジーゲームにハマってしまったらしく、あともう1ターンと言いながら結局明け方近くまでプレイしてしまったので、今日はもういさぎよく学校をズル休みしたそうです」
「何だと……?」
南条が眉を寄せた。
「あいつ格闘ゲーム以外もやるんだな。今度マルチに誘ってみるか」
「相変わらずゲームばっかりしてるようですけど、英侠会に出席してもらわなくてもいいんですか」
「柚木が出なければならないほどの緊急性の高い議題はないだろう。とは言え、ECB部の一年のことは少し気になっている。安本、さっそく報告を頼む」
「かしこまりました、会長」
安本はカーテンを閉めると、壁にかかったスクリーンに映像を映した。
「片桐陽介に対して異能力を発動してから約半月。彼は想像以上に耐えましたが、今ではほぼ私の術中にあります」
そこには、安本のお尻にフラフラと手を伸ばす、普段の陽介からは考えられないような姿が映っていた。
「最近は煩悩を払うために、突然護摩を焚き出すなどの奇行も目立っています。このまま消耗させていけばたやすく再起不能にできますが、私としてはちゃんととどめを刺したいと思っています。時間はかかりましたが、そのための下準備もすでに終えています」
安本の眼鏡の奥が怪しく光った。
「さすが安本。根っからのエンターティナーだな。分かった、好きにするといい」
「ありがとうございます」
深々とお辞儀をした安本は、腕を組んだまま沈黙を続けるディアボリカを見た。
「ディアボリカさんも、その日のライブ中継を楽しみにしておいてくださいね」
「どうやってとどめを刺すかは当日のお楽しみってわけか。あたしも後学の参考にさせてもらうよ」
「とんでもない。あなたのプロレスに比べればお粗末なものですよ」
安本の受け答えは謙虚だったが、そのイントネーションにはどこかあおるような含みがあった。
この挑発に乗るか乗らざるべきか。ディアボリカは愛想笑いを返しながら、考えを巡らせていた。
―――
英侠会が行われた次の日の朝、優希とマリオンは一緒に、盟理学園の門へと続く遊歩道を歩いていた。
「……マリオンと一緒に登校するのも久しぶりだね」
「そ、そうね」
マリオンは、本当は毎日でも一緒に登下校したいという言葉をぐっと飲みこんだ。ただでさえ同じ部に入っているのだ。あの女は優希にずっとまとわりついているという印象をライバルに与えて、変に目立つ必要はどこにもない。
マリオンは優希の横顔をじっと見た。最近は心ここにあらずといった感じだったが、今日は特にひどい。
「ねぇ、昨日とうとう陽介が倒れて救急車のお世話になってたけど、あの後どうなったの?」
「お医者さんに調べてもらったけど、原因不明だってさ。しばらく入院するらしいから、授業が終わった後にお見舞いに行ってくるよ。もちろん、マリオンも行くでしょ?」
「うん。じゃあ、どこか大きめのスーパーに寄って果物でも買ってから行こ」
陽介には悪いけど、正当な理由をつけて優希と買い物デートできるのは悪くない。このボーナスタイムはフルに利用させてもらおう。マリオンは少し鼻息を荒くしながら、放課後のプランを練り始めた。
気もそぞろな二人が校門をくぐると、一人の女生徒が駆け寄ってきた。
「あの、宮坂優希さんですよね。少しお話があるんですけど……」
マリオンは招かねざる客を素早く値踏みした。顔も容姿も行動も普通で、特に目を引くものがない地味な女性だ。優希の反応もたいしたことはないし、これはほっといても振られる安牌に違いない。
「じゃあ、私は先に行ってるね」
「悪いね、マリオン。また後で」
どうよ、この言わずとも通じ合う私たちの関係は。マリオンはフフフンと心の中で勝ち誇りながら、優雅に去っていった。
「え~と、どこで話そうか」
「いい場所を知ってます。良かったら、ついて来てもらえますか?」
二人は本校舎と第二校舎の間の通路に向かった。角を曲がると、そこには悪魔のマスクを被った女性が腕を組んで立っていた。
「……何だ、僕に用があるのはこの子じゃなくてディアボリカだったんだね」
優希は用心しながら言った。客のいない場所で戦いを挑んでくるのは考えにくいが、そのお膳立てのためによからぬことをするのは十分に考えられる。
「そういうこと。ここじゃ目立つから場所を変えるよ」
ディアボリカは素早く優希を抱きかかえると、異能力の力で大きく跳躍した。二つの校舎の外壁を交互に蹴りながら、上へ上へと昇っていく。
わずか数秒で第二校舎の屋上に着地した彼女は、優しく優希を下ろした。
「この校舎の屋上は立ち入り禁止だから、誰にも邪魔される心配はない。安心して話ができるってわけさ」
「……それで、こんなところに僕を拉致して、いったい何の用なの?」
「そんなに警戒しなくてもいいだろ。あたしは安本の異能力の秘密を教えてやろうと思ってるんだよ」
優希はディアボリカのマスク越しに妖しく光る目を見た。
彼女がわざわざそんなことを教えようとするのには、必ず裏がある。喉から手が出るほど欲しい情報とは言え、気軽に飛びつくわけにはいかない。
「その秘密が本物で、罠じゃないってことを証明できる?」
「何もタダで教えようってんじゃない。ギブアンドテイクさ。それに、陽介が安本の異能力も知らないまま一方的にやられるのは、フェアじゃないって思ったのさ」
「やっぱり陽介を攻撃してるのは、マインドブレイカー安本の仕業だったんだね……で、教えてくれる代わりに何をするのが条件なの?」
「次のシーズン、あんたがマスクを被ってウチのリングに参戦するだけだ。簡単だろ?」
ディアボリカは、何かを問おうとした優希の口を人差し指で制した。
「おっと、これ以上の質問はナシだよ。このまま陽介を見殺しにしたくはないんだろ? なら、多少のリスクは受け入れてもらわないとねぇ」
悪魔と取引をするのが危険なのは分かっていたが、陽介を救うためにほかに打つ手はなかった。
「……分かったよ」
優希が溜息交じりに言うと、ディアボリカは目を細めた。
「取引成立だね。あと、このことは他言無用だよ」
「約束するよ。それで、安本の異能力の秘密って何なのさ」
「あいつの異能力は『幻影劇・悩殺与奪』。ターゲットに性的な暗示をかけて破滅させる異能力さ。陽介は確かに強いけど、聖人君主じゃない。年頃の男子高校生を官能的に攻めるのは実に合理的だ」
「確かに陽介はそういうの弱いからね」
「集団で性欲をあおる幻影を見せながら、発散できないように強力な暗示をかける。生殺しで爆発寸前にまで追い込まれた陽介は、あわれ病院送りというわけさ」
「その幻影を破って、陽介を正気に戻すことはできるの?」
「多分できると思うけど、確証はないよ。何せ安本は今まで全てのターゲットを廃人にしてきたからねぇ。あいつの異能力は効果が出るまで時間がかかるけど、出てしまえば恐ろしく強力なんだ。あたしがあんたの立場なら、陽介を安本の目の絶対届かない場所、例えば日本国外に当分避難させておくけどね」
「陽介にはしなくちゃならないことがあるから、それは無理だね……でも、陽介を苦しめている原因は分かったんだ。なら、僕が安本を倒して暗示を解除させるよ」
ディアボリカは意気込む優希に言った。
「一つ教えてあげる。安本はあたしがECB部に自分の異能力をバラすことを織り込んでいるような気がするんだ。あたしが何をしようが陽介を倒せる絶対的な自信がある。だから勝負を盛り上げるためにそれとなくハンデを与えてやってほしい、あの時の安本はそんな大胆不敵な顔をしてたよ」
「確かに今まで手も足も出なかったのは事実だけど……」
「希望を持たせた方が絶望への落差は大きいからねぇ。安本は最後のとどめを刺す準備はできたと言っていた。しかけてくるのは、ここ数日中だと思う。十分に気をつけな」
そういうと、ディアボリカは屋上から飛んで壁伝いに降りていった。
「希望を持たせた方が絶望への落差は大きい、か……」
優希はディアボリカの言葉を繰り返した。
道筋は見えた気がする。そして、しかけてくるのが数日中なら、陽介は入院中に襲われる可能性が高い。とりあえずは24時間の監視体制を整えるところから始めよう。
優希はスマホを取り出すと、ECB部のグループチャットに対策案を打ち始めた。