第16話「男子トイレの個室の中で」
陽介の後を追って男子トイレに入った優希は、彼の姿を探した。
朝早いのもあってか、大の個室が一つ埋まっている以外には誰もいない。念のために扉に耳を押し当てると、中から陽介の低くうめくような声が聞こえてくる。
「陽介、大丈夫!?」
優希はドンドンと扉を叩いた。何の返事もないので、今度は扉が壊れそうなほど強く叩く。
個室の鍵はかかったまま、返事もない。
優希は隣の個室に入ると、給水タンクによじ登った。そして隣との仕切り壁の上に手をかけて、わずかな隙間に強引に体を滑り込ませると、陽介がいる個室の中へと飛び降りた。
陽介はズボンを下ろして洋式便座に座り、両手で頭をかかえていた。彼は突然の乱入にもさほど驚かず、うつろな目をしていた。
「どうなってんだ……うぅ、何であんなにスカートの中を見せつけてくるんだよ……」
「それって陽介がトイレに入る前に見た二人組の人?」
「……ああ……」
「実は僕もその人たちを見たんだ。でも、スカートの短さも普通だったし、ちゃんと下着も履いてたよ」
「そんな馬鹿な……じゃあ、やっぱり俺だけがおかしいってことかよ」
「陽介がおかしいのは前からだけど、今回のはさすがに陽介のせいじゃないと思うよ」
「じゃあ、誰のせいなんだ」
「それは分からないけど……」
「何だよ。気休めでも何でもいいから、この苦しさをまぎれさせてくれよ……」
陽介は股間を両手で覆ったまま、今にも泣きだしそうな声で言った。
「ほ、ほら、何ていうか。それだけ苦しいなら、一回出しちゃえば楽になるんじゃ……」
「……出せればな」
「えっ!?」
「もう随分前から射精ができないんだよ。つまり、処理できないのにエロい状況ばかりに出くわして、どんどんフラストレーションが溜まっていくんだ」
「……それって、何かの病気なの?」
「分からない……昨日早く帰った後、あまりにもおかしいので近くの病院に行ったんだけど、原因不明って言われたよ。検査しても全く異常はないんだってさ」
「ふ~ん。ちょっと手をのけて、僕にも見せてみて」
「……何でだよ。恥ずかしいだろ」
「このまま陽介が一人で苦しんでても、何の解決にもならないよ。ECB部のみんなで協力するにしても、もう少し情報がないと」
「う~ん、でもなぁ……」
「男同士ならそんなに気にしなくてもいいでしょ。それに僕たち親友じゃなかったの?」
優希は少し怒ったような表情を見せた。
「男同士だし親友だけどさ……」
陽介はそこで言いよどんで、視線をそらした。
「何? はっきり言ってよ。男らしくないなぁ……隙ありっ! って、ええええっ!?」
優希は陽介の股間に素早く手を突っ込んだ。そのままイチモツをつかんで外に引っ張り出そうとしたが、規格外の大きさと熱さを感じて思わず手を引っ込めた。
「びっくりした……フルボッキしてるし……」
「だから、恥ずかしいって言っただろ」
陽介はパンツを履こうとして腰を浮かした。しかし優希に胸を突かれて再び便座に腰かける。
「恥ずかしがってる場合じゃないでしょ! このままだと陽介倒れちゃうよ」
優希の目には普段にはない力強さがあった。陽介はその真剣な眼差しを見てると、変に恥ずかしがってることが一番恥ずかしく思えてきた。
「……分かったよ。好きにしてくれ」
陽介は観念して腕組みをした。
「ん? このアザみたいなの何? まさかタトゥーじゃないよね」
優希はイチモツの根本を指差して言った。
「そんな所に刺青なんかするわけないだろ。偶然そんな形のアザがついただけだ」
「う~ん、偶然にしては形が整いすぎてるっていうか……何だっけこの花の種類……そうそう、これ百合みたいな形してない?」
優希はスマホで百合の画像を検索して陽介に見せた。
「たしかに……でも医者に診てもらった時には、こんなアザのこと何にも言ってなかったんだけどなぁ」
「その時って、今みたいにフルボッキしてなかったんじゃないの? 多分、症状が進んだとかボッキしたとか、条件を満たすと浮かび上がるのかも」
「そうだとしても何でこんなものが……ダメだ、全然わからん」
「僕もお手上げだから、ちょっと大野先輩にも聞いてみようか」
優希はスマホでアザの写真を撮ると、大野に送信した。
「おいいい! 勝手に人のわいせつ写真を送るんじゃない!」
「アザの部分しか映ってないから大丈夫だって」
優希は写真を見せた。確かに接写しているので、アザ以外の部分は一面肌色だった。
「まぁ、これくらいならギリギリセーフか……」
ほどなくして、優希のスマホに大野からの着信が入った。優希はビデオチャットモードにして、トイレタンクの上に置いた。画面には登校中の大野のさわやかな顔が映っている。
『やぁ、二人ともおはよう。さっきの写真何なの?』
『陽介のおちんちんだけど』
『……キミたちは朝っぱらから、すごいものを送ってくるね』
『違うんです! いや、正確には違ってないんですけど、説明が足りてないんです!』
陽介は優希の発言のフォローと、写真を送った経緯を説明した。
『……なるほど。扇情的な幻覚を日常的に見ている上に、リビドーの発散もできない状態が続いている。その原因の手がかりはこの百合柄のアザにあるんじゃないかというわけだね』
『はい、何か知ってたら教えてください』
『そのアザの形から考えるなら、マインドブレイカー安本が怪しいかもね。陽介くんは五英侠の一角である関谷先輩を倒した。なら、同じ五英侠の安本がその意趣返しをすることは十分に考えられる』
『マインドブレイカー安本と言えば、大演劇部黒百合組……確かにどちらも百合ですね』
『ただ、これが彼女の仕業と断定はできない。彼女は生徒会長の命令を遂行するヒットマンみたいな存在らしいから、彼女の異能力の詳細は五英侠の人しか知らないんじゃないかな』
『困ったなぁ。大演劇部に乗り込んでも教えてくれるわけないだろうし……』
『今はうまくやり過ごしながら、相手が尻尾を出すまで待つしかないんじゃないかな。僕もいい方法がないか考えてみるよ』
『分かりました、お願いします』
ビデオチャットを終えると、陽介が股間を押さえて苦しみだした。
「やばい……立つのもつらくなってきたかも」
陽介のイチモツがずっと赤く腫れあがっているのを見た優希は、スマホで何かを検索してその結果を見せた。
「充血が続いたら海綿体が壊れて不能になる恐れがある、とか書いてあるんだけど」
「不能って?」
「要するにボッキできなくなって、男として使い物にならなくなるってこと」
「……それは嫌だ。何とかする方法はないのか?」
「あっ、持続勃起には注射針で血を抜いてもらうのがいいんだって。なーんだ、なら、僕のひーちゃんを貸してあげるよ」
「ひーちゃんって……そうか、優希の飼ってるやつって医療用ヒルだったな。じゃあ、応急処置にはなるかもしれないな」
優希はカプセルのふたを開けて、中に入っているヒルをつまみ上げた。黒くつや光る生物がぐねぐねと威勢よく身をよじらせるのを見て、にっこりとほほ笑む。
「よしよし、遠慮なく吸っちゃっていいからね」
優希はヒルを陽介のイチモツに貼りつけた。ヒルの唾液によって凝固することなくしたたり落ちていく血を見ながら、陽介は気絶しそうな顔をしていた。そんな彼を見て優希はクスクスと笑う。
「なんだよ、そりゃあ笑うしかない状況だけど、そんなに笑うなよ」
「ごめんごめん、そうじゃないんだ。昔見た古い映画を思い出しちゃって。四人の男の子が線路の上を歩いて死体を探しにいくやつ」
「あーあったな、そんな映画」
「沼ヒルに股間を吸われた主人公が血の多さに失神するシーンがあるんだけど、その時とそっくりな顔してて……あはは」
「変なシーン覚えてるんだな。まぁ、俺もすごく汚いパイ食い競争のシーンとか覚えてるけど」
「あったあった」
二人はしばらくの間笑い合った。笑い終わると、一限目の授業の予鈴が鳴った。
優希は陽介にヒルの入っていたカプセルとハンカチを渡した。
「先生にはうまく言っておくから、陽介は出血が止まるまでそこにいた方がいいよ。じゃあ、また後でね」
優希はそう言ってトイレの個室から出ていった。陽介は手渡された物を握りしめたまま、便器の中に垂れる血の音を静かに聞いていた。