第15話「英侠会」
盟理学園の本校舎最上階にある会議室に、盟理五英侠の三人が座っていた。
「関谷と柚木はどうしたんだい? まったく、月に一度の『英侠会』ぐらいちゃんと来れないのかねぇ」
悪魔のマスクを被った女性が、腕組みをして言った。
『異能力プロレス部』部長のディアボリカは、今は試合用の派手なコスチュームではなく、盟理学園の制服を着ていた。しかし彼女は試合以外の時でもマスクを外さないので、教師も含めて誰も彼女の素顔を知らない。
「柚木さんは徹ゲーで眠いから今日はパスだと連絡がありました。関谷さんはECB部の一年にやられて再起不能です」
ディアボリカの対面に座った女性は、椅子に背をあずけたまま言った。
彼女の名前は、『大演劇部』黒百合組のマインドブレイカー安本。
黒髪のおさげに黒ぶちのメガネをかけたその姿は、さして特徴のない地味な女学生という印象しかない。
「やれやれ、情けないやつらだ。特に関谷はそんな聞いたこともないような弱小部に負けるなんて、五英侠の名が泣くよ」
「弱小部という評価は改めた方がいいです。何せそこの一年はエキシビションマッチとはいえ、あなたと戦って一度勝ったのですよ」
「何だ、新歓試合で戦ったあいつら、いつの間にかそんな部に入ってたんだ。なら、関谷に勝ったというのも納得だよ。暴れるだけ暴れて箔がつけば、また再戦してやってもいいかもねぇ」
「とぼけるのが相変わらず下手ですね。でも、おあいにくさま。彼は会長の命で私が潰すことになりました」
安本の言葉を聞いたディアボリカは勢いよく立ち上がると、安本の横に座る長髪の女性を見た。
「あれはウチの部が先に目をつけた獲物だよ。いくら生徒会長でも、これは横暴じゃないか」
生徒会長の南条藍子は、ディアボリカの視線に動じずに言った。
「五英侠の一角を難なく倒すほどの強さは、学園の和を乱しかねない。よって、会長命令で粛清を命じた。関谷の『ゴールデンカウンター』が通じないほどの相手でも、安本に任せておけば問題ないからな」
「でも、安本が相手じゃ粛清どころか下手すれば廃人じゃないか」
「何を言ってるんだ。お前もさっき言ってたじゃないか、五英侠の名が泣くと。問題の芽は早く摘むに限るぞ」
南条はそう言うと、もう議論は終わりだとばかりに目を閉じた。ディアボリカは不満そうな視線を投げかけていたが、小さくため息をついて椅子に座った。
「……分かったよ。あいつとの決着をつけれないのはもったいないけど、仕方ないか」
「それでは私は会議があるのでこれで失礼する。安本、次の報告楽しみにしているぞ」
南条は太腿まで届く紫色の髪を揺らしながら部屋を出て行った。続けて席を立った安本は、去り際にディアボリカに声をかけた。
「そうそう、やけにあっさりと引き下がりましたけど、ECB部に助言をしようなんて興ざめなことは考えないでくださいね」
「ああ、あんたの邪魔なんかしないよ。陽介が勝つっていう可能性もあるだろうしね」
ディアボリカの言葉に、安本は声を殺して笑う。
「心にもないことを、よくもまぁ……ふふふ。彼のことを知っているあなたなら分かるでしょう。彼の行動力は特定の女性への純粋な思いによって下支えされています。ゆえに、私との相性は最悪。万に一つの勝ち目もないことを」
―――
英侠会が行われている頃、ECB部の部室では陽介たちがテーブルを囲んで談笑していた。
「そういえば、今日の大野先輩の異能力は何なんですか?」
「今日のは『つぶあんをこしあんに変える能力』だったよ。あんぱんやどら焼きの種類を間違えて買ってしまった時には役に立つけど、まぁはずれだよね」
「そうですね。というか先輩の『デイリーギフト』で今日は凄い異能力だった、ということがあまりないような気もするんですが……」
横に座っていた優希も、陽介の意見に同意する。
「確かに昨日の『どこでもサメを召喚する能力』も、B級サメ映画を撮る時以外に使い道がないような気がするし、一昨日の『熱い味噌汁茶碗を手を触れずにスライドさせる能力』にいたっては、普通の人でもたまにできるような気もするんだよね~」
「僕の異能力は当たりはずれが激しいからね。過去には『不老不死』や『IQ100倍』とかの当たりもあったよ」
その言葉を聞いて、マリオンが勢いよく顔を上げた。
「えっ!? 不老不死って人類の究極目的みたいなものでしょ。いいなぁ~」
「と思うでしょ。でも、死の危険なんてそうそうないし、不老もたった一日の効果じゃ誤差レベルだよ」
「言われてみれば確かに……な~んだ、普通の生活送ってたらほとんど意味ないんですね」
マリオンと一緒に笑う大野を見て、陽介が真面目な顔をして質問する。
「ということは、『不老不死』を当たりの例としてあげるのは、少しふさわしくない気もしますけど」
「何言ってるの。こんなにネタになる異能力がハズレなわけないでしょ。本当に陽介くんはユーモアのセンスがないなぁ」
「まったくだよ。こんなんじゃ僕とコンビを組んでデビューできるのは、いつになることやら……」
優希も肩をすくめて同意する。
「ぐっ……堅いことしか言えなくて悪かったな。いいんだよ、俺のことは。それより、今日は優希がコーヒーを淹れてくれるんだろ? 早く飲ませてくれよ」
「そんなに僕のコーヒーが飲みたいの? しょうがないな~」
陽介が強引に話題を変えると、優希はうれしそうにカウンターの奥に引っ込んだ。
ほどなくして、彼はトレイに人数分のコーヒーを淹れて戻ってきた。辺りには香ばしいコーヒーの香りがふわりと漂ってくる。
「いい匂いでしょ。キリマンジャロをベースにしてみたんだ。名付けて『優希スペシャル』!」
「うわぁ、おいしそう。いただきます」
マリオンは喜び勇んでコーヒーを口に含んだ後、盛大に噴き出した。
「にがっ! ……あっ、いや、優希が淹れてくれたものは何だっておいしいんだけど、何ていうか……にがおいしい?」
大野は難しい顔をしてコーヒーをすすっていた。
「確かにこれはどう評価すればいいんだろう……ここは味が分かる石川さんにまかせるよ」
「そうね……記録より記憶に残るコーヒーみたいな感じ?」
「そんな野球選手みたいな褒め方されるとは思わなかったけど……まぁいいや、陽介はどう?」
陽介は静かにカップを置いた。こういうのは正直に言った方がいい。それくらいで壊れる仲ではないことは、お互いがよく知っていた。
「う~ん、香りはすごくいいのに、どうしてこんなにもくそまずいんだろう。関谷先輩に飲まされたヨーグルトコーヒーのようなトラップ感すらあるぞ」
「やっぱりまずいのかぁ、おっかしいなぁ~。次からはもっとちゃんと先輩に教えてもらおっと」
首をかしげてへこんだ優希に、大野たちが優しい笑顔を向ける。
「最初から全ての工程をやろうとしなくていいんだよ。まずはお湯の注ぎ方からマスターしていけばいい。豆の香りや甘味を最大限に引き出すのは、その道のプロ、つまりバリスタと呼ばれる人たちでもなかなかできないことだからね」
「この間のトトカルチョで勝ったお金で、業務用のエスプレッソマシンを購入したの。それが届いたら、本格的に淹れられるようになると思う」
「入部前の説明ではセッティングにお金をかける必要がないとは言ったけど、気軽にエスプレッソやラテアートが作れるようになったら、モチベーションも変わってくるでしょ。こういうのは楽しんでやらなくちゃね」
「ラテアートなら、私ちょっとやってみたいです!」
マリオンが大声をあげて食いつく。興味は確かにあったが、本当は話題を変えるために取った行動だった。
「俺もエスプレッソは好きなんですよ。あれ? コーヒー牛乳みたいなのって、エスプレッソとカプチーノどっちだったっけ?」
「何言ってるのよ、それってカフェラテでしょ」
マリオンが呆れたようにツッコむ。
「コーヒー牛乳みたいなのって言うなら、カフェオレもあるよ」
「じゃあ私は、大穴ねらいのカフェマキアートで」
大野たちも加わってクイズ大会が始まる。結局、マリオンの予想が当たっていたのだが、彼らにとって正解者が誰かはどうでも良かった。どんなことがきっかけでも、コーヒーに関する知識をみんなで高めていけたのが楽しかったのだ。
2時間後、陽介と優希とマリオンは、お先に失礼しますと言って部室を後にした。
部室棟の入り口を出ると、日はもう暮れようとしていた。まばらになった下校中の生徒に交じって、三人は校門へと続く道を歩いた。
「ドリップとエスプレッソの違いとか、やっぱりみんなもちゃんと分かって飲んでるわけじゃなかったんだね」
「だって私が今まで飲んでたコーヒーはインスタントかドリップ式がほとんどだったし、飲みやすいようにミルクが入ってておいしかったら、もうそれでいいかなって思わない?」
「マリオンはアバウトだな……要は、コーヒーを淹れる時にシュゴー!って大きな音がしたらエスプレッソって覚えておけばいいぞ」
「ふんふん、シュゴーね」
「あはは、陽介のその説明も十分アバウトだし」
優希とマリオンが笑う。しかし、陽介は一人前方を見て深刻そうな顔をしていた。
「陽介、どうしたの?」
異変に気づいた優希は、陽介の視線の先を見た。しかし、下校中の生徒が数人いるだけで、特に変わったところはない。
「……なぁ、話はそれるんだが、最近やけに短いスカートが流行ってると思わないか?」
「どうだろ、特にそんな感じはしないなぁ」
「でも、ほら、あの子たちだって、もう下着が見えるか見えないかギリギリの長さじゃないか。あれだけ短かったら、見たくなくても思わず目が引き寄せられてしまうっていうか……」
優希とマリオンは、まじまじと陽介の顔を覗き込んだ。
「陽介がそういうこと言うの珍しいね。春日野さんに告白してからは、他の女の子に目もくれなかったのに」
「まぁな……でも、これだけ毎日チラチラやられてると、何だか変な気分なんだ」
陽介はそう言うと、だるそうに目を瞼の上から押さえた。
「あはは、きっと春日野さんへの愛を確かめられてるんだよ。そういや、ちゃんと連絡取ってたりしてるの?」
「取ってはいるけど、何だかこの頃忙しいみたいなんだ」
「ふ~ん。時差もあるし、きっとタイミングが合わないだけじゃないの」
「そうだな、今日は疲れてるみたいだし早く寝て、また朝早くに連絡してみるよ」
―――
それから3日後、優希が挨拶しながら教室に入ると、陽介が机に突っ伏していた。
「おはよー。陽介がこんなに早く来るなんて珍しいね、今朝は春日野さんと話せたの?」
「いや……ダメだった……」
優希は前の席の椅子に逆向きに座ると、陽介が顔を上げるのを待った。しかし、彼は頭を伏せたまま微動だにしない。
「陽介……?」
「うぅ、早く来れば出会わないと思ったのに無駄だった。朝っぱらから一体どういうことなんだよ……」
優希は陽介の頭を左右からつかむと、組んだ両腕の中から引き抜いた。充血した目のまわりに広がる黒いくまが、彼の消耗度を物語っていた。
「どうしたの、このひどい顔!」
「下着が見えたらひと段落するって思ってたんだ……だってほら、見えるか見えないかのギリギリのラインの方が一番興奮するっていうだろ? でも、違った。あのスカートの短さでまだ何の布地も見えないってことは……もう、はいてないとしか考えられないんだ」
「は……? 何言ってるの?」
「みんなのスカートが犯罪的に短いんだよ。それもこの学園の生徒だけじゃない。ここに来るまでに出会った過半数の女性のスカートがそうなんだ」
「僕が登校時に見た女の子は普通の長さのスカートを履いてたよ。陽介が来た時と時間が少し違っても、そんなに変わらないと思うんだけどなぁ」
「確かにみんなは平気な顔をしてるし、俺だけがおかしいのかもしれない……でも、そう思えば思うほど、余計に目が引き付けられる。そして、彼女たちの色っぽい下半身を見てるうちに頭がクラクラしてきて、相手を押し倒したいという気持ちを抑えきれなくなってくるんだ」
「陽介がまさかそんなことするわけないでしょ……だって……」
「ああ、俺には心に決めた人がいる。今はまだ何とか大丈夫だ。でも……この状況が続くのなら、そう遠くない日に俺は暴走した本能に負けてしまうかもしれない」
陽介はそのことを想像して震えだした。自分を抑えきれなくなってしまったら、それはすなわち春日野さんと永久に結ばれなくなることを意味する。春日野さんに嫌われるのはもちろん、あの厳格な春日野の父親が性犯罪の前科者なんかを娘の交際相手として認めるはずがない。
「そんなに気分が悪いのなら、顔でも洗ってきた方がいいよ」
「そうだな……そうするか」
陽介は机から上半身を引きはがすようにして立ち上がると、力ない足取りで教室を出て行った。
優希は周囲に不自然に思われないように気をつけながら、陽介の後ろを尾行する。
トイレに行くまでの間に何人かの女生徒とすれ違うが、彼女たちのスカートの長さは普通で変わったところはない。陽介は見ること自体を恐れているのか、目元を手で覆ったまま下を向き、壁に手をついて歩いていた。
しかし、廊下の反対側から雑談をしながら歩いてくる二人組の女生徒が現れると、陽介の歩みがぴたりと止まった。
陽介は壁にもたれかかったまま、彼女たちの下半身を食い入るように見つめていた。二人組の女生徒は会話に夢中で、彼の視線には気づいてない。彼女たちが通り過ぎた後、陽介は逃げ込むように男子トイレの中へと消えた。
廊下の曲がり角で一連の様子を見ていた優希は、改めて二人組の女生徒のスカートを見た。確かに短いかと言われればそうかもしれないけど、実質的には他の人とほとんど変わりはない。それなのに、あの陽介の反応はどう考えてもおかしい。
優希は物陰から出て女生徒たちに追いつくと、素早く前に回り込んだ。
「ごめん。僕のことひっぱたいていいから、ちょっと確かめさせて」
優希は両手で彼女たちのスカートをまくった。どちらもちゃんと下着を履いている。抗議の平手の一発を受けた優希は、陽介の後を追うようにして男子トイレの中へ駆け込んでいった。
―――
優希の後ろ姿が見えなくなった後、二人組の女生徒の一人が胸ポケットから黒眼鏡を取り出した。
「ターゲットはかなり参っているようですけど、中々しぶといですね。まぁ、竿が折れるまで続ければいいだけのことですが……それよりも、宮坂優希があそこまで嗅ぎつけてきたのが気になります。これからは彼の言動にも気を付けてください」
「「「「「「「「「「分かりました、安本先輩」」」」」」」」」」
隣にいた女生徒の他に、廊下にいた女生徒全員が一斉に答える。
彼女たちは大演劇部黒百合組。そして、彼女たちを従える黒眼鏡の女性こそ、盟理五英侠の一人、マインドブレイカー安本だった。