第1話「中二の夏」
『お前には二つの道がある。
全てを捨てて、異世界で新たな人生をやり直すか。
それとも、再び命を取り戻して、最後の告白のチャンスに賭けるか』
片桐陽介は空を漂いながら、ぼんやりとその言葉を聞いていた。
ああ……そうか、俺は死んだのか。
地上には、自分の体に心臓マッサージを繰り返す春日野の姿が見える。
『さぁ、道を選べ』
春日野歩美。俺の初恋で最愛の人。
たとえ異世界に100回生まれ変わろうが、彼女のような人には二度と出会えないだろう。
なら、答えは決まっている。
なんたって、俺は死ぬほど彼女のことが好きなのだから。
―――
話は10分前にさかのぼる。
「春日野さん……初めて会った時からずっと好きだった。どうか俺とつきあってくれ!」
「ごめんなさい」
中二の夏休み、彼女の家の前での片桐陽介の告白は、あっさり失敗に終わった。
あまりのショックに大きくよろめいた陽介は、そのまま勢いよく倒れてアスファルトの地面に頭をぶつけた。
「片桐くん、大丈夫!?」
「大丈夫なもんか。俺は小学校の頃から三年間ずっと思い続けてきたのに、たった一秒で振られたんだぞ」
陽介は両目に涙をにじませたまま、今までの三年間を振り返っていた。
小五の時に転校してきた春日野歩美を見るなり、たちまち恋に落ちた。外見だけではなく、彼女は育ちの良さを感じさせる品のある振る舞いや、周囲の人たちを晴れやかな気分にさせる天真爛漫な性格を兼ねそろえていた。
無邪気に笑う彼女の笑顔に無上の価値を見出したのは、自分だけでなく学校中のみんなも同じだった。
それなのにずっと彼氏がいないというのも変な気がしていたが、それは自分の告白を待っていてくれてるのではないかと都合よく解釈してしまっていた。しかし、現実は非情だった。
陽介は頭と心の痛みで、意識がゆっくりと薄れていくのを感じていた。
まさか告白に失敗したショックで死ぬのか? ……でも、この恥ずかしさや苦痛が確実に終わるのなら、そう悪いことじゃなさそうだ。運が良ければ、異世界に転生の可能性だってあるかもしれない。
陽介は自暴自棄になりかけていた。しかし、地面に倒れた彼を心配そうに覗き込んでいる春日野の顔を見ていると、涙と共に無念さがとめどもなくあふれてきた。
諦めていいわけない。こんな俺の好みにドストライクな女の子、異世界に行こうが百回生まれ変わろうが、二度と出会える気なんてしない……みっともなくてもいい、もう一度だけ俺の全てをぶつけるんだ。
彼は気力を振り絞って上半身を起こすと、春日野に向き直って正座をした。
「春日野さんとは同じクラスでも席が離れていたから、俺のことをよく知る機会がなかったかもしれない」
「そんなことないよ。クラスメートなんだから片桐くんのこともちゃんと知ってるよ」
「いや、一目惚れは例外だけど、基本的に人はよく知らない相手のことは好きにはならないんだ。ここはまず、お互いどんな人なのかを明らかにしておきたい」
一呼吸置くと、陽介は春日野の顔を熱い視線で見上げた。
「春日野さん、あなたは世界で一番美しくて素敵な女性だ。そして俺にも世界一と誇れることがある……それは世界で一番春日野さんのことが好きな男だってことだ。春日野さんなしではもう生きてはいけないほどなんだ!」
「……よ、よくそんな恥ずかしいこと言えるね」
横を向いた春日野の顔は、耳まで真っ赤になっていた。
「真実なんだから言えるさ。今からそれを証明してみせよう」
陽介はさっき頭を打った時にできた傷を確かめながら、記憶をたどった。
確か授業で、日本人男性の平均寿命は約80年だと習った。今俺が14歳だから残り66年もある……しかし、彼女のいない66年に一体どれほどの価値があるというのか。
なら、俺が死ぬほど春日野さんのことが好きだってことを、今ここで命をかけて証明してみせよう。
3年の思いで届かないなら、その22倍の66年をつぎ込めばいい。今こそ男の命の張り時なのだ。
覚悟を決めた陽介は、勢いよく彼女の家の前の車道に飛び出ると、轢かれるための手ごろな車を探し始めた。そしてこちらに向かってくる白い国産の高級車に狙いをつけると、雄叫びをあげながら猛然と突進した。
「うおぉぉぉおお! 春日野さん好きだあぁぁぁぁぁあああ!!」
クラクションに続いてけたたましいブレーキ音が響き、窓から顔を出したドライバーが罵声を浴びせてくる。
「バカ野郎! どこに目つけてんだ、死にたいのかよ!」
「死にたくないのに車の前に飛び出すバカがいるかよ! あっ、でも当たり屋とかもいるか……対価を命がけで要求するという意味では、俺も当たり屋と似ているのもしれない……いや、俺は示談金詐欺をするような卑怯な男では断じてない」
危ない目つきでブツブツ喋る少年を暑さで頭がおかしくなった変人だと思ったのか、そのドライバーは抗議もそこそこに走り去った。
死に損なった陽介はめげずに次の獲物を探して、飢えた獣のように視線を走らせる。
いた! こちらに向かって走ってくる車めがけて、全力でダッシュする。背後で春日野さんが止まってとか言ってたような気がしたけど、この思いはもう止まらない。
しかし、その車は陽介の放つ狂気を遠くから感じ取ったのか、早々に右折して彼の視界から消えてしまった。
陽介はなおも諦めずに更なる標的を探したが、住宅街ということもあってか中々車は現れなかった。ついに彼は道の真ん中で立ち止まり、途方に暮れてしまった。
「あの……片桐くん、何しようとしてるの?」
彼の奇行に少し危うさを感じ取った春日野は、できるだけ刺激しないように小声で話しかけた。
「俺が春日野さんのことを死ぬほど好きだってことを、命をかけて証明しようと思ってね。ひょっとしたら、俺は死ぬかもしれない……でも、この思いが伝わるなら本望なんだ」
「つき合えないとは言ったけど、何も死ぬことはないわ。人生はまだ長いんだから、この先きっと私なんかより片桐くんにふさわしい相手が……」
「この先なんていらない。俺には春日野さんが全てなんだ!」
陽介は近くの街路樹に飛びついて一気に上まで登ると、春日野への愛を叫びながら身を投げた。
―――
『さぁ、道を選べ』
陽介は声の主を探して、空中に浮かんだまま辺りを見渡したが、誰もいなかった。
「この声が幻聴でも神が与えてくれたチャンスでも何でもいい。俺は春日野さんに告白する」
決意のこもった絶叫と共に視界がホワイトアウトすると、彼は頭の痛みで意識を取り戻した。
「……春日野さ……ん?」
「良かった、しっかりして。今、救急車を呼ぶから」
「……いや、いい」
「いいわけないでしょ。まさか、まだムチャする気なの!?」
「さっき肩から落ちたせいか腕が上がらないんだ。車も通らないし、あとは舌でもかみ切るぐらいしかないか……」
陽介は口を大きく開けて舌を突き出した。
「あ、それ。舌をかみ切っても痛いだけで死なないらしいよ」
「俺が死なないように嘘をついてくれるのはありがたいけど……」
「ほら」
春日野は素早くスマホで検索した結果を見せた。
「ぐっ……何なんだよ。じゃあもう打つ手なしじゃないか」
「そう。だから、もう死ぬのはやめるって言って」
陽介は手をついてなおも体を起こそうとした。しかし、肩に走る激痛が彼の最後の抵抗を押しとどめた。再び春日野の膝枕に頭を預けると、彼は大きく息を吐いた。
「ああ……もうこれ以上は死ねないようだ。だけど、俺はやりきったぞ。見てくれたか……バカな男と思うかもしれないけど、俺は本当に……本当に君のことが、死ぬほど好きなんだ」
自らの愛を証明しきった男の満足そうな笑顔が、春日野の心に深く突き刺さる。それは、今まで彼女が交際を断ってきた男たちには決してできない、実に晴れ晴れとした顔だった。
「……まったく、こんなバカなことする人だなんて思わなかった。そういう意味では、確かに私は片桐くんのことをよく知らなかったんだね」
春日野は高鳴り始めた心臓を静めるように、自分の胸を抑えた。
「でも、今ならよく分かるよ。バカな片桐くんのことも、私への思いの大きさも。だから、私もちゃんと片桐くんの覚悟に応えなきゃね」
「そ、それじゃ……」
「でも、ゴメン。無理なのは変わらないわ」
「そんな……一体どうして」
「だって、私、今日イギリスに引っ越すんだもん」
「へ?」
陽介が呆然としていると、春日野の家の前にコンテナを搭載したトラックが次々と止まっていくのが見えた。
「夏休み中に急に決まったから、多分クラスの人もほとんど知らないんじゃないかな……ちゃんとみんなにお別れを言いたかったけど、片桐くんには言えて良かった」
トラックに続いて、黒塗りの高級そうな車が家の前に止まった。中から身なりの整ったスーツ姿の中年男性が現れると、その男は春日野に向かって微笑みかけた。
「歩美、飛行機に遅れるから早く車に乗りなさい。荷物は業者に手配させる。おや、その人は誰だね?」
「お父さん、この人は同じクラスの片桐くん。せめて、片桐くんにはちゃんとお別れを言いたいから、少し待ってもらってもいい?」
「ダメだ、もう時間がない。それに、他のクラスの人にはお別れを言う時間がなかったんだろ。なら、その人にだけ例外を認める必要もなかろう」
「そんな……」
「お願いします! どうか少しだけ時間を下さい」
春日野の父の眉が吊り上がる。彼は怪訝な目で陽介の全身を見た。
「君は何でそんなにボロボロで血だらけの格好をしているんだ。最後のお別れをしようというのに、そんななりでは失礼に当たると思わないのかね。早く病院にでも行きたまえ、それが君のためだ」
「お願いします!!」
陽介は体の痛みに耐えながら、ただ真っ直ぐに頭を下げた。
春日野の父はしばらく彼を眺めていたが、やがてポツリポツリと話し出した。
「私はこう見えても、AAAランクのベンチャー企業のCEOでね。歩美はその大事な跡取り娘なんだ。この意味が分かるかい? 君とは住む世界が違うのだよ。今日14歳になった歩美は、世界最高峰の教育を受けるためにイギリスへ行く。MBAを取得した後は、私と共に働いて実地で経営を学ぶ。そしてゆくゆくは春日野家の一員として相応しい男と結婚するだろう」
「……俺は春日野さんのことが死ぬほど好きなんです! 何があろうと諦めたくはありません!」
春日野の父はジロリと娘の顔を見た。彼女は何も言わずにその視線を反らす。
「ふん、何も言わないところを見ると、満更というわけでもないようだな。しかし残念ながら、私たちと君の人生は今日限り二度と交わることはないだろう。いさぎよく諦めたまえ」
陽介は顔を上げると、春日野の父を燃えるような目で見た。
「交わらないのなら、俺の人生を交わる位置にまで押し上げてみせます!」
「やけに自信があるようだが、ひょっとして異能力でも持っているのか? まぁ今ではそんなに珍しくもないし、その能力で何をするのかの方が重要だがな」
「いえ……今の俺は何の力もないただの中学生です。しかし、春日野さんへの愛では誰にも負けません!」
「話にならん。私を説得したいのなら愛などど抽象的なものでなく、目に見える実績をもってきたまえ。そうだな……私たちは三年後、もう一度だけ日本に戻ってくる。少なくてもその時までに、私と対等に話ができるくらいの地位まで登りつめてくれないかね」
陽介は深くゆっくりと頷いた。
「お父さん、いくらなんでもそんなムチャな……」
「私は14歳の時に単身渡米して、大学に飛び級で通いながら今の会社を作った。しかし、世界は広い。私以上の努力家や成功者は腐るほどいるよ。私や彼らにできて、片桐くんにできないとも限らんだろう」
「一つ確認させてください。俺はあなたや春日野さんのように頭は良くありません。でも、AAAクラスの会社の設立に限定せず、それと同等かそれ以上の偉業を成し遂げれば、俺のことを認めてもらえますか?」
「いいだろう。男の評価は一軸ではできんからな」
「ありがとうございます!」
「……チャンスを与えた以上は、別れの時間も与えなくてはな。一分だ、それ以上は待たんぞ」
春日野の父は先に車に戻り、後に二人が残された。
「何て言うか……私の気持ちも確かめてないのに、勝手に話進めてない?」
「そういえば、そうだな……」
「すごい約束しちゃってたけど、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫……だと思う」
「さっきまでの勢いがないみたいね」
「いや……時間が経って冷静になったら、できるかどうか心配になってきた」
「まったくもう……」
春日野はあきれたような顔を微笑みに変えた。
「でも、私待つよ。一秒で振るんじゃなくて、片桐くんが思い続けてくれた時間だけ、私もよく考えて答えを出すわ。そういう意味では、三年の別れはちょうどぴったりだね」
「ああ。俺もその三年間で春日野さんにきっと相応しい男になってみせる。楽しみにしててくれ」
やってやる。死ぬ気で死ぬんじゃなくて、今度は死ぬ気で努力してやる。春日野が日本に帰ってくるまでの三年の間に、彼女の父親が文句のつけようがないような偉業をやってのけるのだ……!