8話.海上の思惑
※序章に向けてストーリーを進めています。
一面硝子張りの部屋に差し込む日差しは、窓自体に細工があるのか不思議と眩しいと感じないくらいに抑えられており、広々としたこの空間では程よく明るさを齎し快適さの1つになっている。
目の前に座る初老の男性は質の高い椅子へ腰かけ、落ち着いた表情と共に背もたれへもたれ掛かる。
「――以上が、今回お願いしたい依頼の内容です。鷹橋殿、水無神殿」
明らかに歳が離れている私たちに敬語を使う男性は、ここメガフロート・アークの代表カルロス・オルコット。
そして私たちが今いる場所が、アークの中心にして最重要施設が集まる塔、セントラルタワー。
その中の代表室だ。
「あー、はい。大体仰りたい事は分かりました」
代表とは机を挟んだ少し離れた場所で晶と一緒に客用のソファへと座り、淡々と説明された今回の任務内容に顔を引きつらせながら頷く。
カルロスさんから明かされた任務はこうだ。
――今回襲撃が予想されている海賊たちは、代表自身が仕組んだものであり、私たちはその対処を事務的に行っていくだけ。
「今すぐ、本題に移りやすいようにしますね」
私はそう言って足元に魔法陣を浮かべる。
この部屋全ての硝子が、透明感をそのままに黒みを帯びていく。
その光景に、カルロスさんは「ほぅ」と感嘆の声を漏らす。
「お気遣い感謝いたします。やはり便利ですね、魔法は。私も若い頃は、何度もこの地でひたすら練習をしたものです。結局実を結ぶ事は無かったのですが」
「ひとまずこの部屋の硝子を、電波などを吸収する性質にしました。ただ闇系とかの物理的なものを無視したものは防げませんが、大丈夫でしょうか」
「十分です。私の用意した海賊たちが盗聴しているかもしれませんが、何の問題もありません。その程度で揺らぐものではありませんから」
席から立ちあがり、私の魔法の出来を確かめるかのように硝子を撫でるカルロスさんは、反射する硝子越しだが口角が上がっているのが分かる。
「さて、その本題なのですが。これは、私とこの星の深海にあるアーク管理下の海中都市の者しか、知らないことになっています」
「最悪ですね。私はあまり聞きたい話じゃないです」
「その辺りはどうなのでしょうか、水無神殿。かのフォーリヒアルト家と繋がりがあるとお聞きしますが」
「さぁ? ハルだって一々こんな下らない出来レースを調べないだろ」
隣にいる晶は、手に持つ端末に目を落としながら淡々とカルロスさんの問いに答える。
「フォーリヒアルト家の次期当主を愛称で呼ぶとは。――成る程。実力もさながら、コネクションも中々のものですね」
「本題がそれなら、俺は帰りますよ。フォーリヒアルトへの繋がりが欲しいのなら、自分でやってください」
「申し訳ない。確かにあの家との繋がりは魅力なのですが、本題は勿論別です」
私の魔法をかけた硝子を眺めていたカルロスさんが、ゆっくりと振り返る。
その表情は一切の笑みは無く、冷めきった猟師のような瞳が私たち二人を捕える。
嫌な予感を感じ、私はその冷たい瞳から目が離せなくなる。
「私の目的はただ一つ。――お二人がお連れしたルナ・ディルクルスです」
――やっぱり、最悪だ。聞きたくなかった。
*
水平線に沈んでいく恒星が差す茜色の中、私はレイさんとミアさんに魔法の練習に付き合って貰う事となった。
きっかけとしては、今日分のマッピングが終わった際、ミアさんと魔法の話になり、属性上私とミアさんが相性がいいことが分かったのが切っ掛けだった。
「「――結合」」
私とミアさんが同時に言葉を口にする。
数メートル先の海水に、波に揺られながらも魔法陣が浮かび上がる。
その魔法陣を起点にて幾つもの水の柱を作り出し、それは次第に軟体動物の腕のようにゆらゆらと柔らかな動きを持ちつつ、先端を細くしていく。
その先端は凍結していき、それは水の触手に剛の槍を与える。
――はずだった。
「っ! このっ!」
海中に移る魔法陣と繋がる、私の腕を囲むリング状の魔法陣に罅が入り、光の粒子が溢れだす。
それにつられるように氷の穂先は歪に形を歪ませて、破片と水を周囲に勢いよく巻き散らす。
その後は流れるように、穂先は粉砕されて残るのは水の触手のみ。
「また失敗したー!」
「あっちゃー、これでも駄目かー。これでも結構加減してるんだけど」
両手を翳して魔法の発動に集中していた私とは違い、ミアさんはレイさんと一緒に少し離れた場所にある階段で、ゆったりと寛ぎながら発動をしていた。
本人曰く、統括騎士団の基準ではBランクになるらしいのだが、呼吸するように魔法を発動するその姿は、師匠を彷彿とさせるものだった。
「あれで加減してるって……。見た目はそう見えますけど、かなり水の勢いが激しかったですよ!?」
「やっぱりミアと相性のいい奴はいないんじゃないのか?」
「そんなことないって! ほらルナ、もう一回やるよ」
「えー……。もう疲れましたよ。明日にしましょうよー」
私とミアさんの魔法の組み合わせは、これで五回目となる。
どれもこれも私の魔法がミアさんの魔法に競り負け、仮想粒子が結合を保てなくなっていた。
慣れない場所で何時間も歩き回っていたこともあって、疲労による私の集中力も切れているのも理由の一つなのだが、最大の要因はミアさんにあるような気がした。
「せっかく氷系の魔法を使う人と出会えたから、合体技とか試してみたかったんだけど、仕方ない。今日はこれぐらいにしようか」
「私はこれより、ミアさんが言っていた"魔翼"っていうのに興味があるんですけど」
「いやー、私も魔法師やっててそれを知らない人いるんだー、って思ったんだけど。本当にいるんだねー」
「そうだな。上を目指しているのなら、重要なもののはずなんだが」
「はぐらかさないで下さい!」
「そういうつもりじゃないんだけど――」
コンッ、っと硬い物同士がぶつかる音が3人の耳に入る。
その音に驚き、私たちは音の発生源へと振り返ると、そこには透明な兎がこちらを凝視していた。
その兎は次第に形を崩していき、光となって空へと昇って行った。
「やっと見つけた。ルナ、任務はもう終わってるんでしょう? アーク代表が泊まれる場所を用意してくれたから、早くそっちに行きましょう」
それを追いかける形で現れたのは、潮風に茶髪を揺らす少女――師匠とその後ろに黒髪の少年、晶が周囲を見渡しながら歩いてきた。
「えっと、二人とも代表が依頼を出した、統括騎士団の魔法師……かな?」
「はい。そちらは、ルナの案内役に任命された警備隊の方ですね」
師匠とミアさんは、お互いに社交辞令のように表面的な会話を始めていく。
別に警戒をする必要は無いと思うのだけれど。
「迎えが来たみたいだし、今日は解散だな。しっかり休めよ、ディルクルス」
「言われなくても、休める時はちゃんと休みます」
「……あっちの奴は」
「私は知りません。師匠の幼馴染らしいですけど、何考えてるか分かんないんです」
あんまりあの人のことを考えたくなかったのに、レイさんに話題を振られて、ムゥっと私は頬を膨らませる。
実際、何を考えてるのか分からない人で、最初に会ったときは寝起きのせいかと思っていたけど、今も表情の読めない眠そうな冷めた瞳で、たぶんアレが素なのだろう。
「分からないって言ってる割には、嫌ってるように見えるが」
「はい。嫌いです、あの人」
「……あー、何があったかは知らないが、それで任務に支障をきたさない様にな」
支障をきたすも何も、私とあの人が一緒に行動するかも分からないんですけど。
当の本人は携帯端末を操作していて、こちらに興味を示していない。
もし、この任務の後も行動を共にするのだとしたら――。
「私、どうなるんだろう――」
師匠とミアさんの探り合いのような会話の中、私の呟きは吹いた風の中へと消えていく。
魔法師を目指し、新たな生活を始めた私の未来は、いつの間にか私の予想では収まらない大きさへと変わっていた。
ほんの数時間前。
ルナがマッピングの任務に出ている時、私はメガフロート・アークの代表の口から、ルナを連れてきたことを後悔するような事実を告げられていた。
「それを私たちに言ってどうするんですか? 正直に言いますと、私は今から敵対しても良いぐらいなのですが」
「おや、その反応は――。"議会"で聞いた噂は、やはりガセだったのでしょうか」
噂?
何の事?
ルナはまだ正式にライセンスは取得していないし、クロスユートピア内で噂が流れるような過去とかもなかったはず。
「カルロスさん、いったいその噂というのは――」
「カルロス代表。貴方は仮にも"議会"の一席を任されているのですから、ご自分で調べてみては? 俺たちに聞くよりは、正確な情報が手に入ると思いますよ」
私の言葉を遮り、自力で調べることを提案する晶は相も変わらず眠そうな瞳で、今度はしっかりとカルロスさんの顔を見ていた。
揺れない表情の晶に、カルロスさんは少し笑う。
何か可笑しかったのだろうか?
「ええ、その通りですね。噂の方はそうさせて貰います。ーーああ、因みにディルクルスさんに出したマッピングの依頼なのですが、あれに意味はありません。ただあなた方とゆっくりお話をさせて貰う為の方便です」
「そうでしょうね。自分たちで増築しているんですから、その都度地図の更新は行っているはずです」
「私たちが狙っている、ということはご内密に。必要でしたら、議会の権限も使わせていただきますが」
「下手に言えませんよ、そんなこと。それに狙っていることが分かっているのなら、私が全力で守るまでです」
そう言って私は代表室全てにかけた魔法を解除し立ち上がる。
それに合わせてか晶も端末をテーブルの上へ雑に置き、立ち上がる。
「それでは二日後。よろしく願いいたします」
笑顔で私たちの退出を見届けるカルロスさんに対し、私は無理矢理笑ってお辞儀をする。
晶は軽い会釈だけで先に行ってしまい、私は慌ててその後を追う。
「やれやれ。鷹橋殿はともかく、水無神殿はやはり恐ろしい」
自ら招いた統括騎士団の使者を見送ったカルロスは、着けているネクタイを緩め、一息付く。
クロスユートピア最高決定機関である゛議会゛の末席を担う彼は、何度かあの二人を見かけることはあったが、いざ対峙すると強力な魔法師の恐ろしさを、身を持って体感した。
「あの感覚が無くなるようなズレは、もう二度と経験したくないものですな」
一度だけ見ていた端末から視線を外し、こちらを凝視したときの五感を全て断ち切られる感覚。
あの方の魔法師としての在り方を知っていなければ、笑うことすら許されなかったでしょうね。
「あれが……正真正銘のAランク魔法師ですか」
「お兄ちゃん達が怖いのなら、私達全員に出会ったら怖くて死んじゃうんじゃない? オジさん」
幼い少女の声が突然彼の耳元へ囁かれる。
それはまるで啓示の如く、落ち着くような声なのだが、どこか馬鹿にしているかのようにも聞こえる。
停まりかけた心臓が今度は急激に動き出す。
手に取るように動き続ける心臓音を聴きながら、カルロスはゆっくりと声が聞こえた自分の席へと目を向ける。
そこにいたのは、着飾ったドレスの面影を残しつつ、動きやすさを考えた服装の少女。
長い亜麻色の髪からは淡い乳色の光が溢れ、黄金の瞳は優しく微笑んでいた。
「……! これは失礼いたしました。その……どこまでお聞きに……?」
すぐさま少女へ跪くカルロスは、少女の機嫌を損ねぬよう慎重に言葉を選んでいく。
「ぜぇーんぶ。安心して、面白そうだからほっといてあげる。その代わり、欲しいものがあるんだけど」
「……有り難う御座います。ご所望の物はすぐご用意させていただきます」
「ゆっくり探していいよ」
畏まりました、我が姫。
そう告げるカルロスを見下ろす少女の顔は、慈悲深き神の御遣いから、絶望を愉しむ堕ちた使徒へと変わっていく。
何時でも何処でも登場可能なインフレ要員登場。
《世界観まとめ》
・セントラルタワー:メガフロート・アークの中央に位置する50階層の塔。国会議事堂とかみたいな物。
・魔翼:次話説明。