31話.青氷零度
※Prologueを目指して書いています。
もう痛覚が機能していない。
触覚も怪しい。
視覚と聴覚だけが強制的に修復され、知りたくもない現実が押し寄せる。
走る痛みは本物なのか、偽物なのか。
最早区別も付かない。
ただ分かるのは、必要最低限のものを残して、何もかも失った感覚が心を蝕んでいく。
呼吸なんて……もういらないかも。
血も、流れてるのが分かればいいや。
心を蝕む氷が、体にも影響を及ぼし始める。
視界と音は良好。
口から吐かれる白い息は、ただの温度の目安。
全身は言わずもがな、不調になるなんて有り得ない。
私は右手に持った銃剣を、取り落としそうだったので持ち直す。
ついでに魔翼の左側からも、同様の物を作り出す。
氷の銃剣を二つ。
剣術とか銃剣術や何て修めてないから、振り回すしか出来ないけど、これの主体は銃であり、弾が撃てれば良いのだ。
「結晶体。お前はあの時も、そんな面でやったのか」
「そんなに酷い? ……みたいだね。もう、どうでも良くなってきたんだ」
目の前のアーク警備隊隊長へ、私は無理に笑って見せる。
たぶん、笑えていない。師匠みたいには、私は笑えないんだ。
煙を上げる大型二輪車に跨がる警備隊長は所々肌を赤くし、全身を震わせている。
両手が悴んでいるのか、ハンドルには伸縮自在の拘束魔法をかけて両腕を固定している。
呼吸は浅く多く行い、口内の凍結を防いでいるのは流石だと思う。
私なんてお構いなしに息を吸っている。
「続き、やる?」
「ったり前だ」
エンジンをかけ直し、加速していく警備隊長。
私も魔翼を羽ばたかせて上昇する。
お互いに理想の速度に到達するまでに、持ち前の火器で牽制を行う。
警備隊長は炎系魔法で威力の強化を、風系魔法で弾丸の操作をする。
私はその弾丸を単純に避けたり、空中に生成した氷塊で閉じ込めたりして凌いでいく。
代わりにこちらからは、銃剣から凍結する弾丸を大雑把に撃っていく。
私が空高く飛翔すると、私の今までの魔法を使った結果が見え始める。
年中夏のように恒星の光が降り注ぎ、夜には穏やかな潮風が吹くインゼルケッテの海では有り得ない、青い氷塊が存在を主張する。
先程撃った弾丸も、海面に白い足場を形成していく。
「じゃあそろそろ。……結合」
飛んでくる弾丸も少なくなり、彼の輪郭がぼやけ始めた辺りで、私は後方転回の要領で頭上を海へ向ける。
空へ向けられた足元には魔方陣が展開され、体から冷気が溢れ出る。
大気の水分が凍り、欠片が次々と海へと落ちていく。
魔翼の基本機能である浮遊を頼りに、宙に浮いている私は両手の武器へ仮想粒子を回していく。
伝達するイメージは、触れたものを凍てつかせる刃と、連射性を重視した、大量の凍結する弾丸。
――伝わったのか、二挺の銃剣は青く輝く。
「氷霧の輪舞曲」
私は身を屈めて、大気を蹴って海へと飛躍する。
大きく羽ばたいた魔翼と冷気の放出が、落下とも言える飛躍を増長する。
海上では警備隊長が拳銃を腰のホルスターに収めて、懐から取り出した鍵を、大型二輪車のメーター等が表示されている部分へと差し込む。
両側面のパーツが可動し、内蔵された長身の火器が多関節のアームに取り付けられて姿を表す。
赤い魔方陣が、彼の足元で輝きを増していく。
彼は震える指をハンドルに付けられた引き金まで伸ばし、残る力で引いていく。勢いは無かったものの、深く引かれた引き金は、長身の火器へと力を与える。
間隔の空いたマズルフラッシュと共に、リング状の魔方陣が花を咲かせる。
薬莢は排出されず、銃口から飛び出すのは異様に赤い弾丸。
私はそれを気にせず、彼に向かって落ちていく。
弾丸なんて見切れていないから、避け方は雑だし、私の中の結晶が壊れなければ、どうせ死なない。
そう、彼が言っていたのだ。
「クソが。本当に化け物染みてきたな」
そうかもね。
でも、これでいいんだよ。
私は着水の直前に、自分でも訳の分からない無茶苦茶な体の捻りで体勢を戻す。
その際に冷気を大量放出して、着水の衝撃緩和と姿勢制御を行う。
その間にも銃剣の引き金を引いていく。
どこに撃っているか何て、自分でも分からない。
冷気が煙幕となって、お互いに何も見えないんだ。
当たれば御の字、外れても牽制になる。
足元では凍結していく海水が、その領域を広げている。
その上をアイススケートの如くゆっくりと回転して、耳を済ます。
目を閉じ銃撃を止めて、両腕を広げる。
引き金に指をかけたまま、両側には銃口を向け続ける。
聞こえるのは、広がる冷気が海を凍らせていく音。
――そして、海を弾く駆動音。
「……そこ」
両目を開き駆動音が聞こえる方向へ、両腕の銃剣を向ける。
魔翼もその表面に鋭利な棘を生み出し、打ち出していく。
銃剣からは、青白い光が放たれて、冷気を貫いていく。
たった二発の銃弾が放たれた棘の後を追い、その向こうで海へと着弾する。
出来上がったのは、冷気の煙幕からでもその影を捉えることの出来る、巨大な氷塊。
最早氷山とも言えるその大きさは、かつて師匠が出した大剣を振るう騎士の腕を容易く飲み込む程。
ゆっくりと魔翼を動かして、冷気の煙幕の上へと抜け出す。
見下ろす氷山の麓では、大型二輪車ごと凍り付けにされた警備隊長が、露出した上半身に炎系魔法をかけて、辛うじて命を繋いでいた。
「くっ……そぉ……。こん……な……ものっ……!」
身じろぐ警備隊長を見ても、何の感慨も浮かんでは来なかった。
自分を害する敵を追い詰めた達成感も、人を殺そうとする悲観も。
あらゆるものが結晶と化して、体外へと打ち捨てられた。
攻撃されたから――いや、攻撃されるだろうから反射的に排除する。
そんな機械染みた最適化をする。
憎悪に満ちた敵へ、私は淡々と銃口を向ける。
痛いのは嫌だ。
だからもう、痛みを与えそうな奴を排除する。
「もう恨まなくて良いですよ。これで終わりですから」
引き金を引き、青い銃弾を浴びせる。
――刹那。
色彩豊かな粒子と八角形の硝子板が、視界を横切る。
私の銃弾は突如現れた黒い硝子板によって阻害され、海へと墜落する。
白と黄色に発光する硝子板たちは、警備隊長の下へ電光石火と言うに相応しい速さで辿り着き、白色を彼に伝達していく。
遅れてやって来た緑色の硝子板は、回転して撒かれた冷気を拡散していく。
警備隊長へ向かったものとは別の、赤色も混ざった硝子板が私の下へ飛んで来る。
周りを公転軌道で回る硝子板からは、優しい暖かさを感じる。
「そこまでよ、ルナ。それ以上は、貴女がやっては駄目」
振り返ると雷を纏う師匠が、息を切らせて近付いてきていた。
いつも見ていた笑顔が、少し曇っている。
背中からは見たこともない量の魔翼を出し、私たちへ加護を与えてくれる。
見ず知らずの私の敵にも、心の冷えきった私にも。
「人殺しなんて、しない方が良いに決まってる。ルナはその人を本当に殺したいの? ――そうしなければ、笑う事すら出来ないなら……良いよ。私に止める権利は無い。けど、そうじゃないのなら、こっちにおいで」
両手を広げて冷めた私を向かい入れてくれる師匠に、段々と心に熱が戻り始める。
涙が溢れる。
凍らされ、砕かれ、均された思いが湧いてくる。
痛みも全身から主張し始め、視界が霞む。
「ぁ……っう……ぁぁぁ……あああああ……!」
両手に握った銃剣が色を失い、罅割れて砕け散る。
火照っていく体で、師匠の胸元へ飛び込む。
泣き縋る私の頭を撫でてくれる師匠の体は、少しピリピリして、気持ち良くもある。
「ごめん、ごめんね。一ヶ月も待たせちゃって。怖かったよね」
「……ぅ……ぅぅ……し、師匠……。皆、ミアさんたちは……?」
「あの四人ならアークに送ったわ。コトネがいるから安心して、あの子は隠れるのが得意なんだから」
邪魔だったから転送した。
そんな本音を飲み込んで、私が少しでも安心できる言葉を選ぶ師匠の事は露知らず、私はさっきまで忘れていた本音を吐き出していく。
「怖かった、痛かった。私が私じゃなくなるし、何もかも盗られた。私はただ師匠みたいになりたかっただけなのに、こんなのは望んでない! 師匠と笑って、レイさんやミアさんと魔法の練習をして、水無神さんにちょっとした事でモヤモヤして。そんな下らないことが良かったのに、こんな力はいらないの!」
「そうだね。うん、そうだよ。ルナも、あの子も。それを思ってただけ何だよね……」
世界を満たす粒子が、混ざりに混ざって複雑怪奇な色合いを見せていく。
織り成した色彩は万華鏡となりて、移り変わる万象を顕現する。
気温は上がり、海面は凪ぎ、氷塊は溶け、私たちの髪が揺らぐ。
移る電子はその速度を緩め、硝子板たちが幾つものキャンバスとなる。
溢れる光は穏やかで、世界の理不尽は重なる理不尽で平穏で塗り潰される。
何もかもが優しくなっていく世界の中で、平穏の万華鏡へちぐはぐな言葉を、これでもかとばかりに投げ付けていく。
もう少し……もう少し……
《世界観まとめ》
・なし